▲1 分かりますか?? ⇒ 韓母は寡(やもめ)のはず・・でも、「私は寡ではない」と言っているのは何故か??
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黙示録はオカルトではない
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自分は知的水準が高い人間だと思っている方は、黙示録を意味不明のオカルトとして無視している方がいるかも知れません。しかし、それは理解できない為であり、その方の思い込みがそうさせているのです。しかし、ようやく、今日の家庭連合とお母様の姿をとおして黙示録が日の目を見ることができるようになってきました。
黙示録の比喩の言葉の意味の多くが黙示録に記され、さらに、文先生の御言葉の中に記されています。このことにより、黙示録が何を言わんとしていたのかが分かるようになってきました。そして、これまでの家庭連合のシチュエーションが狂いなく黙示録と完全に一致していることが分かるようになってきたのです。
その代表的な出来事が、《 黙示録19章 》に記されたハルマゲドンの戦い(聖和)であり、これによって『事はすでに成った(総蕩減が完了)』と記し、その後、大いなる都(家庭連合)が三つの分裂し、島々(日本エバ国信徒)がお父様から逃げ去り、山(聖地の清平)がお父様の前から消え去ったと、黙示録全体が戯曲のように記しています。
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もう一つはこれから起こる出来事・・・これが、本日の考察
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お母様が夫であるお父様を失ったにもかかわらず、「わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない」と言っている聖句(黙示録18:7)です。
この聖句のキーポイントは、黙示録の時系列からして、文先生が聖和された後の聖句になっていることです。
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基元節の《 紫のマント姿 》と白亜の像こそ
・・・「私はやもめではない」を象徴している
(既に、文先生を夫の位置から外しているお母様)
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それでは、この「私はやもめではない」と言っている聖句は何を意味しているのか
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この意味を知る為には・・・〔1〕〔2〕を知らなけならない
〔1〕 直近のお母様に何が起こっていたのかを知ること。既にこのことは、多くのブログでも取り上げられていたことです。
〔2〕 お父様の聖和後、これから起こる出来事が記されている下記の黙示録①(17:8-11)を合わせて読むこと。
黙示録①
17:8
あなたの見た獣は、昔はいたが、今はおらず、そして、やがて底知れぬ所から上ってきて、ついには滅びに至るものである。 地に住む者のうち、世の初めからいのちの書に名をしるされていない者たちは、この獣が、昔はいたが今はおらず、やがて来るのを見て、驚きあやしむであろう。
17:9
ここに、知恵のある心が必要である。七つの頭は、この女のすわっている七つの山であり、また、七人の王のことである。
17:10そのうちの五人はすでに倒れ、ひとりは今おり、もうひとりは、まだきていない。それが来れば、しばらくの間だけおることになっている。
17:11昔はいたが今はいないという獣は、すなわち第八のものであるが、またそれは、かの七人の中のひとりであって、ついには滅びに至るものである。
上記の聖句が理解できれば、今後、私たちに驚くべき「大事件」が待っていることが分かります。そして、下記の聖句から、この大事件により、現在の家庭連合の誰もがお母様から裏切られたという思いになることは間違いないと思われます。このことを記しているのが、下記の黙示録➁(18:8-11)です。
黙示録➁
18:8
それゆえ、さまざまの災害が、死と悲しみとききんとが、一日のうちに彼女を襲い、そして、彼女は火で焼かれてしまう。彼女をさばく主なる神は、力強いかたなのである。
18:9
彼女と姦淫を行い、ぜいたくをほしいままにしていた地の王たちは、彼女が焼かれる火の煙を見て、彼女のために胸を打って泣き悲しみ、
18:10
彼女の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえに対するさばきは、一瞬にしてきた』。
18:11
また、地の商人たちも彼女のために泣き悲しむ。もはや、彼らの商品を買う者が、ひとりもないからである。
この〔1〕〔2〕と黙示録➁(17:8-11)の考察は次回にします。