(番外6)原理は「アブラハムによるイエスの典型路程」が第一夫人に適用された後に記された!
下記の御言葉は、原理が真理であるなら、お父様はご自身の路程を、予め、原理講論に記されていたことになります。
お父様は第一夫人にも、お母様にもこの原理を適用されたのです。
そして、この原理は第一夫人に適用された後に記されたのですから、直接的には、「アブラハムによるイエスの典型路程」はお母様に適用されることを記されたのです。
この路程を予め記されていたことに、私は本当に驚きました。この原理によって、お父様とお母様に何があったのか、何故、このような道を行かなければならなかったのか、少なからず、この路程を誤れば、破壊的な家庭になることが理解できます。実際にそのようになりました。
この問題を、神山先生も、小山田先生も、周藤先生も、先輩の方たちも、誰一人として語ることができないでいるのです。
なぜか?これが先日の記事でした。
原理講論 後編 第一章 第三節 (一) (2) ①
アダムとエバが未完成期において、まだ兄妹のような立場にいたとき、天使長がエバを奪ったので、その子女たちと万物世界のすべてが、サタンの主管下に属するようになった。したがって、アブラハムがこれを蕩減復帰するための条件を立てるためには、既に明らかにしたように、兄妹のような立場から、妻サライを、いったんサタンの実体であるパロに奪わせたのち、彼の妻の立場から、再び彼女を取り返すと同時に、全人類を象徴するロトと、万物世界を象徴する財物を取り返さなければならなかったのである(創一四・16)。
(※)このようなアブラハムの路程は、後日イエスが来て歩まなければならない典型路程となるのである。アブラハムは、このような蕩減条件を立てたのちに、初めて、鳩と羊と雌牛でもって「象徴献祭」をささげることができたのである。
【(※)《 原理が真理である 》とするなら、この典型路程はお父様とお母様の路程になります。何故なら、イエス様は妻を迎えることができず、この典型路程を歩むことができなかったからです。】
原理講論 後編 第一章 第三節 (一) (2) ②
アブラハムは、イサクを供え物としてささげるときにも、「象徴献祭」をささげたときと同じように、まず、アダムの家庭を復帰する象徴的な蕩減条件を立てて、イサク献祭のための信仰を立てなければならなかった。ゆえに、再びアブラハムは自分の妻サラと兄妹の立場に立って、サラをゲラルの王アビメレクに奪われ、いったん、彼の妻になった立場から、再び取り戻すという摂理が行われた。アブラハムは、このときも、サラと共に人類を象徴する男女の奴隷と、万物世界を象徴する財物を取り戻して出てきたのである(創二〇・1~16)。