家庭連合は「事実蕩減」が分からない。原理講論にはない事実蕩減・・・ひもを右に十回縛ったならば、解くためには左に十回解くべきだ
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何故、「事実蕩減」が原理講論にはないのか??
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本来であれば、イエス様が結婚してアダムの堕落を全て事実蕩減しなければなりませんでした。しかし、イエス様はサタンの妨害により事実蕩減の道を歩むことができず、その途中において十字架で殺害されました。
事実蕩減とはキリスト教の失敗と第一夫人との離婚により、失った六千年の全てを蕩減する為、文先生が歩まなければならなかった、避けることができなかった蕩減路程になったのです。
この為に、文先生が、如何なる辱めを受けようともです。この侮辱の為に生涯を失うことになったとしてもです。この為に、お父様はお母様を失い、子女様を失ったのです。
文先生が生涯かけて、第一アダムとエバの堕落とイエス様の失敗を再現して完全に解放されたのです。その頂点が、ご自身の全生涯を自ら否定する立場であった聖和であったのです。つまり、聖和は、事実蕩減によって関わったサタンの痕跡を完全に払しょくする為にあったと言えるのです。死をもって文先生は真のアダムとして完全勝利されたのです。
事実蕩減に関するクリック先
事実蕩減とは一体何か??・・・原理にはない・・・リベカ、タマル、マリヤ、お母様 - ほふられた小羊
「事実蕩減」・・・非法的なことをやらざるを得ない、見せざるを得ない!! - ほふられた小羊
非法的でなければ戻っていく道がないのです。 - ほふられた小羊
「統一原理」はイエス様まで・・・『事実蕩減』は統一原理には記していない - ほふられた小羊
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何のことか分かりますか・・・文先生にとっての蕩減は、許しのない事実蕩減であった
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1945年、キリスト教の失敗により六千年積み上げてきた蕩減の基台を全て失った文先生は、最初のアダムの堕落と第二アダムの失敗をも蕩減しなければならなかった。
つまり、最初のアダムとイエス様が「蒔いたように」、文先生も同ことを「蒔いて刈り取る」という事実蕩減しなければなりませんでした。この事を分かりやすく語られたのが下記の御言葉です。
文鮮明先生のみ言集 訓教経(下) (2000年書籍)
26.1974み旨の完成と私たちの使命
一九七四年十二月三十一日 韓国前本部教会 『文鮮明先生み言選集第七十四巻』
サタンによって堕落がもたらされ、罪をもつようになりました。人間はそこに拘束を受けているために、この拘束を解かずには神様に戻れないのです。これはどんぶり勘定式にするのではありません。例えば、ひもを右に十回縛ったならば、解くためには左に十回解くべきだというのです。解かなければ戻ることはできないのです。