(エバを)再創造するのは、道理にかなっている環境でするのではありません。
文鮮明先生のみ言集 訓教経(上) (2000年書籍)
37.1970祝 福 一九七〇年三月二十二日 韓国前本部教会 『文鮮明先生み言選集第三十巻』
◆「祝福」の位置とその意味
人類先祖アダム・エバ(お父様とお母様)は、個人としては二人ですが、彼らは歴史的な始発点に立っているので、その二人だけで終わるのではありません。その二人(お父様とお母様)を通して、新しい家庭が顕現するのです。さらには、新しい氏族、民族、国家が顕現するのです。このような世界的な基盤が決定する立場が、正に祝福の位置です。
そのような祝福の位置をアダム・エバ(お父様とお母様)が堕落することによってなくしてしまったので、私たちはこれを再び復帰すべき立場に立っています。祝福は、私たち個人の祝福と考えてはなりません。「祝福の基盤である民族と国家の基準を越えることができる立場で祝福を受けるべきだ」と心に誓わなければなりません。それでこそ、復帰摂理を完結することができるのです。
それゆえ祝福の場に行く人は、自分がどれほど厳重な立場に立っているのかということを知らなければなりません。その位置は、過去から今日までつづられてきた歴史過程でのすべての悲しみを清算し得る位置であり、また今まで成就できなかった神様の願いが新しく出発できる位置であり、新しい未来を出発する契機とし得る一起点なのです。
今までの六千年歴史は、一人の男性(メシヤ・お父様)を探すための歴史でした。アダム家庭から今日まで、数多くの預言者や烈士が犠牲の代価を払いながら探してきたのは、一人のアダムである男性(お父様)でした。その男性を探したのちには、その男性(お父様)による一人の女性(お母様)を探さなければなりません。(六千年前の)神様はアダムをまず創造なさったのちに、そのアダムを通してエバを創造されたのです。それと同様に、彼ら(=数多くの預言者や烈士)はまずアダム(メシヤ)を探すための歴史的な責任を果たすために、今まで神様を中心として闘ってきたのです。
そのアダム(メシヤ)を探せば、その日からエバを再創造していかなければなりません。(エバを)再創造するのは、道理にかなっている環境でするのではありません。国家なら国家、世界なら世界を前に置いて、再創造したという勝利的な決定点を完全に解決しておかなければ、祝福を成し遂げることはできないのです。
アダム以降に失敗したすべてを蕩減するために、一人の男性として生まれた方がイエス様であられます。しかし、イエス様もみ旨を成し遂げるにおいては、一人ではできないのです。いくらイエス様がイスラエル民族に対する摂理のすべての内容を相続したとしても、イエス様一人では国家を形成することはできません。イエス様が国家を形成するためには、まず新しい家庭を編成しなければならないのです。
新しい家庭を成し遂げるには、地上にいる数多くの女性を代表し得る一人の女性(お母様)を探さなければなりません。国家的、世界的に、全体の中から数多くの女性を代表し得る一人の女性を探さなければならないのです。その一人の女性(お母様)をサタン世界から探し出そうとすれば、歴史過程で数多くのサタンが反旗を翻して反対したことを取り去る闘いをしなければなりません。すなわち、四千年間サタンに侵犯されたすべてを完全に越えられる勝利的条件をサタンに提示しなくては、失ったエバを取り戻すことができないのです。それで(お母様が)歴史的な女性になるためには、歴史的に失敗して追い込まれた内容を清算しなければなりません。また時代的なエバになるためには、時代的なすべての女性を代表して、天の前に忠孝の道理をすべて成した一つの基準を立てなければなりません。そして、一人の女性として、一人の男性に対して烈女の心情をもっていくべきです。
そういう一人の女性が現れなければ、今日まで歴史過程を通して願われてきた、復帰された一人の実体であるエバを探すことはできないのです。歴史上のすべての女性を代表し得る、一人の実体を立てることはできないのです。
しかし、一人の女性を探すために背後の環境をつくるということは、そんなに簡単な問題ではありません。その場には、世界史的な内容が入っているのです。その一人の女性を探せば、その一人の女性によって新しい民族が形成されるのであり、新しい世界が形成されるのです。