③本当に愚かなブログか??・・・韓お母様がお父様の腹違いの娘であることを立証!!
本日は、下記の(2020.7.28の記事)のつづきです。
(2020.7.28の記事)
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立証された・・・「韓お母様がお父様の娘」
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もし、この立証を覆したければ、下記の御言葉〔B〕の(※2)「どん底で黙々と犠牲になり、さらに行かねばならないと心に誓いつつ歩む人の娘(お母様)が選ばれたのです。」という条件に大母様が合致する御言葉を見つけ出さなければならない。
しかし、そのような御言葉を探し出そうとしても見つけられません。反対の御言葉が、特に、1993年の訪韓修から多く抽出されます。
その一つが下記の御言葉〔A〕です。この(※1)「それを知らなかったのです。これが問題になったのです。」という、問題となったお方は韓お母様の母である大母様になります。
そうであるとするなら、下記の御言葉〔B〕の(※2)「どん底で黙々と犠牲になり、さらに行かねばならないと心に誓いつつ歩む人の娘(お母様)が選ばれたのです。」という「娘」とは、御言葉〔A〕によって、お父様の腹違いの娘であることが確実になるのです。
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偶像のベールに包まれてしまった大母様
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1950年、1960年代における、初代教会時代の大母様(洪順愛女史)に関して、一般信徒たちに正しく知られることは全くありませんでした。その為、下記の御言葉〔A〕が「誰の問題」について語られていたのか、全く想像すらできませんでした。
ましてや、大母様は韓お母様の母であり、また、お父様によって、霊界から清平役事の中心存在として立てられましたから、お母様の偶像化と重なるように大母様も偶像化されるようになりました。
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崔元福先生との確執があった大母様・・・「これが問題となったのです。」
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お父様のご家庭がアメリカのベルベディアに住まいを構えられていた時、お母様と洪順愛女史が一体となって、妾摂理のお一人であった崔元福先生をお父様から切り離そうとした問題がありました。この問題に関しては大母様とお母様が子女様たちをも巻き込んでしまったのです。このような問題は一般信徒には伏せられましたが、韓国の古い祝福家庭と日本の777双以上の信徒であれば、ほぼ誰もが知るところであったのです。
下記の(※1)の「それを知らなかったのです。これが問題になったのです。」という言葉は、このような大母様と崔元福先生の確執問題を語られたものです。
つまり、本来であれば、大母様が崔元福先生と愛の競争で確執するのではなく、離婚に至らせた第一夫人の母の立場を蕩減する為に一体となり、《 本妻の位置を妾に譲り渡す 》という非常に困難な摂理に対して、お母様を助けなければならなかったのです。それができなかった為、(※1)の「それを知らなかったのです。これが問題になったのです。」と語られたのです。
大母様が韓お母様を自分の娘であるというコネを利用して崔元福先生を追い出そうとしてお父様に便宜を図ろうとした過ちを犯してしまったのです。
この事が、御言葉〔A〕の直前に語られていましたので、次回の記事で考察します。
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以上のような観点からしても・・・
お母様はお父様の娘であった
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下記の御言葉〔B〕の(※2)「どん底で黙々と犠牲になり、さらに行かねばならないと心に誓いつつ歩む人の娘(お母様)が選ばれたのです。」という御言葉に一致するお方は大母様ではなく、お父様しかいないことが分かります。
御言葉〔A〕
《 蕩減復帰の峠を越えましょう 》(女性修練会) 1993.12.20
(原文・注釈なし)
第一代のアダムの奥さんを殺したのは女だから、第一代のアダムの代わりお母さんが、自分の娘を一つにして、方向転換してやらなければならないのです。
(※1)それを知らなかったのです。これが問題になったのです。
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(注釈入り)
(=1945年のキリスト教の失敗によって再臨主の位置を失った立場に立たれたお父様・・・)
第一代のアダム(=お父様)の奥さん(=第一夫人)を殺した(=離婚させたのは)のは女(=第一夫人の母親)だから、(これを蕩減しなければならない為、)第一代のアダムの代わりお母さん(=大母様)が、自分の娘(=韓お母様)を(お父様と)一つにして、方向転換してやらなければならないのです。
(※1)(大母様が)それを知らなかったのです。これが問題になったのです。
御言葉〔B〕
真の御父母様の生涯路程4 第一節 二
真のお母様の選定
先生は、何も分からないお母様に、十四歳の時に一度会い、そのあと、嫁に来る時までに二度会ったのでした。正式に会ったのは、十四歳の時です。その時、私が呼んで、今後資格があるか、全部試験をしたのです。
(※2)どん底で黙々と犠牲になり、さらに行かねばならないと心に誓いつつ歩む人の娘(お母様)が選ばれたのです。そうして、(※3)教会で献身生活していたおばさん(大母様)の娘、高校二年になる娘(韓お母様)を選びました。妻を得るにしても、私の欲望を中心としてではなかったのです。
この問題は、非常に重要な記事ですので、次回も考察します。