お母様と共に死地に降りた文先生・・・文先生は聖書の人物たちの名を借りてご自身を語られた
本日の記事は、非常に重要な御言葉〔A〕を取り上げる。
文先生の晩年期となる、2010年天暦5月27日に遺言大会と言われた、「天地人真の父母定着実体み言宣布大会」の”意味”について語られた御言葉を取り上げた。
驚くべきことが語られている。
この御言葉〔A〕は、お母様にとっては非常に都合の悪い御言葉になっている。
その為、当時の背景からすれば、お母様によって削除されてしまい、私たちには分からなかった御言葉の可能性がある。しかし、文先生はこのことを知っておられたのであろう。この御言葉を全信徒に「告知する責任」から、”Todays World Japan 2011年1月号”に掲載されたものと思われる。
この御言葉〔A〕には、このような背景があることを知って読むことができれば、その意義は大きいと思う。
ここで、御言葉に入る前に、御言葉〔A〕に語られている「アダム」「エバ」が、そのまま、聖書の中の人物であるのかどうか、とても重要なことなので、以下で少し考察する。
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文先生は第三アダムである
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文先生はメシヤであり、真のアダムであり、第三アダムであり、人類の始祖である。
この立場に立って、下記の御言葉〔A〕と〔D〕に登場する「アダム」と「エバ」は聖書のアダム、エバのことではない。何故なら、聖書のアダムとエバだとするなら、文脈がおかしくなるからだ。
あくまでも、摂理的同時性の観点からしても、また、以下の観点からしても、御言葉の中のアダムとエバは文先生とお母様になる。この観点に立つことにより、はじめて、御言葉の文脈に整合性が取れるようになる。
このような観点は、イエス様の名を語られている御言葉においても、その中の多くは、文先生ご自身を語られているのである。(この根拠は後日御言葉から考察する)
(ただし、御言葉の「エバ」は、お母様だけではない。第一夫人のことを言っている場合もある。これは、文脈から容易に判断できる。)
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文先生が命を賭して避けなければならないこと
・・・それは、自己正当化、責任転嫁である
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メシヤとは、「神様から全権を付託されたアダムであるから、過去の中心人物たちが果たせなかった責任を、命を賭して、無条件で引き受けられたお方である」というのが原理的観点である。
そうであるならば、摂理が延長されるたびに、先生が聖書の中の人物をそのまま聖書の人物として彼らの失敗を語っているとするなら、メシヤが最も嫌う自己正当化、責任転嫁の過ちを犯してしまうことになる。
先生がメシヤであるならば、このような過ちを絶対に犯してはならない。そうであれば、御言葉の中に大量に語られている聖書の中の人物たちは、反対に、先生自ら、お母様と共に果たさなければならないことを語られている、ということを知らなければならない。
その為、先生が自ら成さなければならない責任である以上、勝利せずしては語ることも、弁明することもできない立場にあるのが先生の立場になる。
その為、あえて、同時性の観点から、幹部たちも、ましてや、原理を聞いていないお母様も、理解していないことを知りながらも、後世に残す為に、聖書の人物名を借りて語られたのである。
このような現実を知って、文先生の立たされていた立場を理解し、その上で御言葉を読めば、合わなかった焦点が合うことになり、分脈が、ことごとく、整合性が取れるようになるのはこの為なのである。
下記の御言葉〔A〕の「アダム」が聖書の中のアダムであるとするなら、論旨の筋がまったく通らない。この「アダム」は文先生になります。
超重要!! 御言葉〔A〕
《「天地人真の父母定着実体み言宣布の意味」歴史の悲運を独りで責任を負ってきた文総裁 》2010年天暦5月27日(Todays World Japan 2011年1月号より転載)
『歴史を解くために、悲しい歴史の悲運を独りで責任を負ってきた文総裁の悲しさを誰が分かってくれるのかというのです。神様も分かってくれず、夜の神様も分かってくれず……。
アダムが堕落したことも知りません。教えてくれません。自ら明らかにしなければならないというのです。
「おまえの責任だ。尋ねるな。私の責任ではない。私は知っているが答えることができず、教えてやることはできても教えてやれる立場ではない。
お前の世話、おふたかたの世話にならずに解放の主人公にならなければならない。
『あなた方が教えてくれなくても、天上世界へ行って再び教えを受けなくても、私たちが責任を負って、あなたが行くべき天下を引き受け太平王国の時代をきれいに成し遂げます』と言わなければならない。
死ぬ前にその境界線(=完成基準)を越えよ!」と言うのです。』
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下記の御言葉〔B〕を読む鍵は次の三つ。
① 文先生が80歳過ぎてからの御言葉であること。
② 「真の父母とは」未来線上においての出発点としていること。
→ 御言葉〔C 〕
③ 「真の父母とは完成基準を越えたお方である」こと。
→ 御言葉〔D 〕
この三つの観点に立って読めば、善の父母はいないということになり、先生は、堕落した偽りの父母になる。
分かりますね。そして、先生はこれを発表できる時を待っていたというのです。
超重要!! 御言葉〔B〕
・・・青文字を外しても、文脈をよく読み取れば理解できる
〔 天聖経 真の父母 一 一) 〕
(青文字の挿入なし)
『皆さん、考えてみなさい。キリスト教が二千年の歴史を経てきながら、人類の先祖が堕落したとしたら堕落した父母は偽りの父母、悪い父母で、堕落しない父母は善の父母であり、真の父母ということがいっぺんに分かるのに、それを今まで発表できなかったのです。
それは、発表できる、この時を待ってきたのです。』
(青文字の挿入あり)
『皆さん、考えてみなさい。キリスト教が二千年の歴史を経てきながら、(キリスト教の失敗により先生が堕落したアダムの立場から出発する為、)人類の先祖(=再臨主である先生)が堕落したとしたら堕落した父母は偽りの父母、悪い父母で、堕落しない父母は善の父母であり、真の父母ということがいっぺんに分かるのに、それを今(=2001年というメシヤが第三次アダムとして顕現する時)まで発表できなかったのです。
それは、発表できる、この時を待ってきたのです。』
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御言葉〔C〕
『真の父母の立場は、どんな立場でしょうか。
・・・・・
したがって、本来神様の創造理想によって立てようとした真の父母はいなくなりました。真の人類の先祖がいなくなったということです。
真の父母とはどんな存在でしょうか。
真の父母は、全体の希望の象徴です。
堕落した人類の前に絶対的な希望の象徴なのです。
彼は、歴史的な結実体であり、時代的な中心であり、人類が生きている今日、この世界へ連結することができる未来線上における出発点です。』
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御言葉〔D〕
〔 祝福家庭と理想天国(1) 祝福と理想家庭 第二章 第三節 1. 〕
『 真の父母の位置とはどのような位置でしょうか。
(真の父母の位置とは)アダムとエバ(=先生とお母様)が、神様を中心として完全に一つになって、サタンの讒訴圏を脱け出した位置です。
サタンが讒訴できる内容を残さずに、完成基準を越えた位置に上がっていって初めて、真の父母の起源が生じるのです。
これが原理的観点から見た真の父母の起源なのです。』