キリスト教の教職者と第三イスラエルの洗礼ヨハネ的人物と幹部たちは同じ過ちを犯す・・「メシヤを拒む」
御旨と世界(書籍)15.キリスト教の将来 1973年10月28日 ルイジアナ ニューオーリンズ市芸術公演劇場
この預言が成就する唯一の場合は、人々が彼が雲に乗って来ることを期待していて、主が突然に肉体をもった貧しい人間として現れた時です。今日のキリスト教の指導者たちがイエスの時の祭司や律法学者や、長老たちと同じ誤りを犯すとは思いませんか。そうです。
(※)彼らはたぶん主を否み、拒むでしょう。なぜなら、彼の現れ方はキリスト教指導者たちにとって、とても受け入れ難いものだからです。このようにして、聖書は成就されるでしょう。彼はまず、苦しみを受け、この世代によって捨てられるでしょう。
((※)「彼らはたぶん主を否み、拒むでしょう。」とは・・・
文脈をしっかり読み取らなければなりません。
ここの御言葉は1945年のキリスト教の教職者たちのことのようですが、実際は、同時性の観点からみれば、1992年にキリスト教の教職者たちと第三イスラエルの洗礼ヨハネ的人物(お母様)と幹部たちが再びメシヤの位置に戻られる文先生に対して「否み、拒む」ことを重ねて語られていると言えるものです。その為、未来形で語られているのはその為です。
そして、実際にも《 真の父母宣布が失敗 》しました。