非法の愛 「妾摂理」・・・見せざるを得ない
文先生が歩まれた「妾摂理」の原点が語られている。
この摂理ゆえに、先生は淫教のメシヤと蔑称された。
先生は、この「妾摂理」を隠すのではなく、見せざるを得ない摂理として展開された為、多くの信徒たちが躓き離れた。
男性訪韓修練会
家庭における女性の使命 ヨセフとマリヤの心境 1995.1.11-19
「そういう因縁の家庭的背後を見てみるとき、姉妹でもって紛争すべきでしょうか? エリサベツは、妹のマリヤを旦那さんに抱擁してやるように案内してあげたのです。
こんなことはあり得ないのです。
なぜ、こんな非法的なことをやらざるを得ないかというと、元に帰っていくには、非法的な堕落の血統的愛の基盤の上にあるので、正法の伝統的な道では戻っていくことができないのです。非法的でなければ戻っていく道がないのです。
そもそも、非法の出発をしたのですから、その非法の起点に行って、そこから正法の道に戻っていかなければならないので、非法の要素を見せざるを得ないというのです。ですから、「罪多きところでは恵みも多い」という聖書の言葉も逆でありながら真なのです。」
天聖経 真の父母 三 四)
真の父母が何をする人ですか? 偽りの子女たちを率いて、真の父母の子女にする役割をするのです。ですから、サタンはそれをできないようにするために、ぶん殴り、ありとあらゆることを皆するのです。サタン側は、悪なる人です。
それゆえ、真の父母は、息子娘を消化して段階的に家庭基準、氏族基準、世界基準まで消化しようとするのです。このように言いますが、問題は深刻です。(一四九・二八〇)
先生は、何かというと、この歴史時代に、すべてを見せてあげるのです。僕の僕と僕がどのように行くべきかを見せてあげるのです。
どのように行き、一つになるべきかを見せてあげるためのことを、今までしてきたのです。先生についてきて、全部成しておいてこそ、後で神様の愛まで行くのであって、それ以外にはありません。それを知るべきです。(一三五・一四二)
(天聖経 真の神様 第四章 三 2. )
「神様はあらゆる面において自由自在にできるお方であるのに、非法的な愛という条件ゆえに手をつけることができないという恨めしく悲しい神様の心、気が遠くなるほど嫌気がさすのを誰が知るでしょうか。」