神様の本意・・・キリスト教の基盤の上で家庭出発することだった・・・叶わなかった
先生がキリスト教の失敗の後、レアとラケルの妾摂理は失ったエバを取り戻す為の摂理であり、決して、先生の本意とする摂理ではなかったことを知らなければならない。
真の御父母様の生涯路程 7 第三節 三
皆さんが深く知る必要もありませんが、私が一つ誤ったと思うことは、監獄から出てきたのちに、私の父母に侍ることができなかったことです。一つ気に掛かっていることはそのことです。私がみ旨の道を歩んでいくことによって、私の父母は本当にかわいそうなことになりました。
一九四五年の解放後に初めてこの道を出発したとき、キリスト教が第一であって家庭が第一ではありませんでした。
キリスト教を中心として、キリスト教の基盤が築かれた基台の上で家庭を歓迎しなければならないというのが神様の本意の摂理観です。
それゆえに、キリスト教が反対する限り、飛び越えて家庭にいくことはできません。家庭より先に立てなければならないキリスト教です。家庭より先に立てなければならないキリスト教の基盤がないので、家庭を第一として行くことはできないのです。
そのような摂理観的な立場があるので、今日統一教会がキリスト教を身代わりし、内外のすべての実力から見てキリスト教を身代わりすることができる世界的な基準にまで行くのです。
そのようにして、キリスト教が使命を果たすことができなかったことを、私たちの「原理」で言う蕩減復帰をしなければなりません。
統一教会がそのようなキリスト教を身代わりして世界的な基盤を築く時までは、家庭の面倒を見ることはできないのです。これが復帰摂理の悲しい立場です。