《⑯-4》お母様をマグダラのマリアにしてはならない。・・・お母様に石を投げる資格を持つ者は一人もいない。
お母様を責めることは絶対にいけない。お母様は原理を聞かないでお父様とご成婚された立場であり、人類を代表した立場で、即ち、私の代わりになって、お父様から愛の八段階の試練の道を歩まれた。これに対して、祝福家庭の女性たちは妾の立場に立って御言葉を聞いて常に愛された。
そして、《⑮-2》の御言葉からも分かるように、祝福家庭の女性たちの信仰基準がそのままお母様に反映することになっていた。即ち、祝福家庭の女性たちの信仰基準が立てば、きれいな花の橋、愛の橋がそのままお母様に橋渡しされるようになり、反対に、嫉妬に支配されて不信仰すれば悪臭漂うどぶ水がお母様に橋渡しされるようになるということだった。
これに対して、驚くことがある。それは、この御言葉の内容と同じことが黙示録に記されていることだ。それは、下の〔A〕の 19:2-8 になる。ここの、『彼女は、光り輝く、汚れのない麻布の衣を着ることを許された。この麻布の衣は、聖徒たちの正しい行いである』という聖句がそれをあらわしている。即ち、お母様が花嫁として立つ為には、「聖徒たちの正しい行い」という条件によってであることに驚く。
ここで言いたいことは、私たちはお母様を責めることができない立場にあるということになる。お母様の問題を責めることはお門違いということだ。お母様がお父様を不信するような立場に立たせてしまった直接の原因は、実は、祝福家庭のお父様に対する不信仰にサタンが侵入して、その条件によってサタンがお母様の所有権を主張したということだ。(前回と前々回のブログ記事《⑮-2》《⑮-3》)
分かりますか。
祝福家庭の信仰基準にサタンが侵入することによって、お母様はサタンに幽閉されてしまったということだ。だから、そのお母様をサタンから取り戻す為には、「聖徒たちの正しい行い」という条件が必要になるということになるのだが、これが黙示録に記されていたのだから驚きなのだ。
私のブログで、お母様を大淫婦であると言っているが、決してお母様を責めたくて言っているのではなく、大淫婦と呼ばれるようになってしまった原因を明らかにしたいからだ。その原因の中心が祝福家庭の女性たちの信仰基準だったのだ。だから、お母様は責められる立場にあるのではなく、私たちが、自らの不足と罪を悔い改めなければならなということだ。
自分の讒訴条件を棚上げにしてお母様に石を投げる行為は、マグダラのマリアに石を投げる行為そのものであり、それは、やがて自らの上に石が飛んでくることを意味し、愚かな行為であることを知らなければならない。
〔A〕
19:2
そのさばきは、真実で正しい。
神は、姦淫で地を汚した大淫婦をさばき、
神の僕たちの血の報復を
彼女になさったからである」。
(お母様がお父様と追放除名になった血の代価でサタン分立の役事が成されるということ)
19:3
再び声があって、「ハレルヤ、彼女が焼かれる火の煙は、世々限りなく立ちのぼる」と言った。
(そうすると、お母様が、御言葉で悔い改めに導かれるようになる)
19:7
わたしたちは喜び楽しみ、神をあがめまつろう。
小羊の婚姻の時がきて、
花嫁はその用意をしたからである。
19:8
彼女は、光り輝く、
汚れのない麻布の衣を着ることを許された。
この麻布の衣は、聖徒たちの正しい行いである」。
(この聖句が重要になる。お母様が聖徒たちの正しい行いによって許されることをあらわしている。)