《 ⑬ 》「鉄の杖」とは、「御言葉」をあらわす・・・人類を鉄の杖で審判してはなりません
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(1)「鉄の杖」とは・・・御言葉を意味している
《 ⑪ 》で記事にした神側の「つるぎ」と同じ意味をもつ
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下記の〔C〕から分かるように、「鉄の杖」は神様の《 「御言葉」 》を意味している。
(ここに八大教本は勿論、沢山の《 御言葉 》が載っている。私のワードで8000ページになる。)
〔C〕
後編 第二章 第二節 (二)(2) ②
「・・・、モーセが手に持っていた杖は、神の権能を現すイエスを象徴したのであった。・・・、(※1)鉄の杖は神のみ言を意味する。」
(杖は権能をあらわすから、イエスを象徴し再臨主を象徴し御言葉を象徴している)
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(※1)「鉄の杖は神のみ言を意味する。」
「つるぎ」や「火」も御言葉をあらわしているが、御言葉を用いるシチュエーションによって使い分けられる。
「つるぎ」はサタンの言葉との戦いの時に用いられ、「火」は御言葉を聞いた者の罪が焼かれる時や御言葉で心が燃える時に用いられ、「杖」は神様の権能をあらわす時に用いられる。
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(2)「鉄の杖」の「鉄」は何の意味があるのか?
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この場合の「鉄」とは、「きわめて堅固なもの」をあらわしているから、「鉄の杖」とは、「サタンの言葉に屈しない御言葉」ということになる。
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(3)真の愛は「鉄の杖」で打ってはならない
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( 自分の生命を犠牲にすることができる真の愛によって屈服させる)
〔D〕
天聖経 人間の生と霊魂の世界 第二章 六 2.
「統一教会の文総裁の教えは、救世の真理なのです。人類が永遠に必要とする真の愛と生命のみ言です。再臨主が世の中を救おうとして来られるならば、人類を鉄の杖で審判してはなりません。打ってはたったの一人でも完全に屈服させる事が出来ないのです。
自分の為に生きて、手がひきがえるの背中の様にでこぼこにゆがんで開かないほどに苦労した母の犠牲的な愛は、親不孝者を悔い改めさせて帰ってくる事が出来る様にする力があるのです。
棒をもっては出来ません。審判の大王であり、天地を思いどおりに主導する神様でも真の愛なくしては、天宙統一は不可能なのです。真の愛はいかなる困難も問題になりません。
(※2)自分の生命を投げてでも行く事の出来る力が、真の愛にはあるのです。」
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(※2)「自分の生命を投げてでも行く事の出来る力が、真の愛にはあるのです。」とは・・
《 ⑨-2-2 》の中の〔A〕〔B〕を参照。
イエス様が言われた「右の頬を打たれたら左の頬を出せ」という聖句は、サタンに二倍三倍の罪を犯させてでも、許されることを意味している。
「鉄の杖」に関するもう一つの御言葉がある。
真の御父母様の生涯路程 3 第二節 四
「黄煥寀! そうでしょう。退学処分になったのは哀れなので、再び延世大に行き、鉄槌でたたき壊すことのできる立場を整えるため、今まで待っているのです。かといって、火を付け、パイプでたたこうというのではありません。み言の鉄の杖でたたいて、正さなければなりません。行って、それをする自信がありますか。」
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(4)「鉄の杖」が記されている聖句
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2:27
彼は鉄のつえをもって、ちょうど土の器を(※3)砕くように、彼らを治めるであろう。それは、わたし自身が父から権威を受けて治めるのと同様である。
12:5
女は男の子を産んだが、彼は鉄のつえをもってすべての国民を治めるべき者である。この子は、神のみもとに、その御座のところに、引き上げられた。
19:15
その口からは、諸国民を(※4)打つために、鋭いつるぎが出ていた。彼は、鉄のつえをもって諸国民を治め、また、全能者なる神の激しい怒りの酒ぶねを踏む。
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(※3)「砕く」(※4)「打つ」
この聖句には「砕く」「打つ」という、神側がサタン側を打つ言葉が記されている。しかし、お父様は上記の〔D〕で、「人類を鉄の杖で審判してはなりません。打ってはたったの一人でも完全に屈服させる事が出来ないのです。」と語られている。
この矛盾をどうみれば良いのであろうか。
(供え物になられたお母様と子女様たち)
(供え物になった祝福家庭、その二世たち)
ここの「打つ」、「砕く」というのは、サタンに対してではなく、お父様の愛するお母様であり、子女様であり、祝福家庭とその二世たちに対して言っている言葉と見れば、矛盾することもなく解決する。そして、実際、第三イスラエル全てが供え物になった。
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(5)打ってはならない宇宙の法を打ったサタン
サタンの支配権は急速に低下
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〔E〕
天聖経 真の愛 第二章 三 1.
「父母が子供を愛するのを(※5)誰も打つことができません。打てないというのです。宇宙が保護するようになっています。それを知らなければなりません。愛する父母が愛する子女を抱いて愛するその場は宇宙の法が攻撃できず、保護するようになっているのです。今までこれを知りませんでした。
*
子供が病気になって体が不自由になっている時は、高く深い父母の心情は、その体の不自由な子供に流れるのが原則です。違いますか。そのような不具者の心情は、谷底にあります。父母の心情は、てっぺんの大きいところにあります。そのような父母の心情が、頂上からその深い谷底に流れていきます。」
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(※5)「誰も打つことができません。」
これが・・、二つの大事件が起こる原因になる
ここでの「打つことができません。」とは、「杖」である御言葉でサタン側を審判することができないということを言っている。しかしここで、大きな問題が起こってくる。サタン側を審判しないことによって、その結果、お父様の組織運営は悪人がのさばり続けることになるという問題だ。
この問題は、また、次の問題を誘発されることになる。それは、その悪人と一緒に仕事している善人が非常に弱い立場に陥ってしまう、或いは、殺されてしまうという異常状態に陥ることだ。
この局面にあった事件の一つが草束事件であり、もう一つがお父様の聖和だ。二つの事件とも、トップの金孝律元特別補佐官とその仲間たち(七人の獣たち)と、更に、偽女預言者の金孝南女史たちが共謀して起こした大事件。最初に顕進様が封殺され、次に、お父様が封殺された。
お父様はここで、サタンに対して真の愛をあらわされる為に、とんでもない演出をされた。それは、堕落人間には絶対にできない演出だ。即ち、サタンによって封殺された聖和は、サタンによって封殺されたのではなく、サタンを愛するが為にお父様自ら聖和の祭壇に上がられたという演出だった。これは見方を変えれば自死だ。
この様な演出は顕進様の封殺に対してもとられた。詳細は後日にする、
黙示録 11:9 に次のような聖句がある。
「いろいろな民族、部族、国語、国民に属する人々(お父様から離れた信徒たち)が、三日半の間、彼ら(顕進様と亨進様)の死体をながめるが、その死体を墓に納めることは許さない。」
この聖句は、天意ではないが、分裂状態にある顕進様と亨進様のことになる。この聖句の「三日半」とは「三年半」のことであるが、丁度、草束事件からお父様の聖和までが「三年半」(1275日=365日✖3.5年)になる。
お父様とお母様から生まれた顕進様と亨進様が分裂している原因はサタンの謀略にあるのだから、お二人がサタンに打ち勝って一つになる為には、お父様と同様にサタンを許す以外に道はない。
(「あなたたちカインとアベルがお母様の言葉に絶対服従しなければなりません。……あなたたち兄弟同士で争って分かれることはできません。それが父母を殺した元凶です。ですから、我知らず憎みます。声を聞くのも嫌で、歩いて行くのを見れば、後ろからついていって殺したい思いが出てきます。あなたたちに、我知らずそのような思いが出てくるというのです」(「ファミリー」2008年6月号、30ページ))
現に、家庭連合が最も恐れているのは、分派が連合を組むことだ。分裂はサタンがいる家庭連合の喜ぶところだから、お父様が刀である御言葉を鞘に納めてサタンを許して聖和されたように、顕進様と亨進様のお二人も、刀を治めて、お父様の愛と一つになって、お母様の救済に向かわなければならない。
天聖経 真の上様の祖国光復 第六章 四
「第二は、「怨讐を愛せよ」という事です。神様は堕落して悪魔サタンの子になってしまった人類を救う為に、ひとり子イエスを送り、犠牲の道を行かせました。
怨讐を本当の子供よりももっと愛する所には、サタンも自然屈服するのです。
(実の息子を犠牲にしてでもお父様の愛を受けた金孝律元特別補佐官、今は、何処で、何をしているのだろうか??黙示録には戻ってくると記されているが、それは本人なのか、獣の像なのか?)
いつも、サタンの戦略は打って奪われるのであり、天の戦略は打たれて奪ってくるのです。それが公式です。私が全生涯を通じて、多くの迫害と苦難を受けてきたにもかかわらず、今日全世界百八十五カ国に宣教基盤を築いたのは、このような天理に従って生きてきたからです。」