タマル・・・原理の根幹となる女性
祝福家庭と理想天国(1)
祝福と理想家庭
第二節 新生と祝福の起源
1、イスラエル民族を通した血統転換
歴史は闘いから始まります。アダム家庭では、アベルとカインが闘いました。ところで、カインを弟の立場に立てなければなりません。お兄さんがどのようにして弟の立場になるのかと言うでしょうが、そうしなければサタンを引きずり出すことができないからです。この闘いは、生まれるときからの兄弟間の闘いでした。
カインが一人生まれれば、アベルも一人生まれました。エサウとヤコブも双子として生まれましたが、大きくなった後に闘いました。この二人は、お母さんの腹中にいる時から闘いました。
タマルについて研究すれば、原理のすべてを知ることができます。タマルは、舅と関係して息子を産みました。ところで、舅と関係して生まれた子供がどうしてイスラエルの血統を受け継ぐことができたのでしょうか。この世で、そんなことがあり得ますか。
ソロモンの母は誰ですか。彼の母バテシバはウリヤの妻でした。ダビデ王がウリヤの妻を奪ったのです。ウリヤの妻は、言うならば妾でした。
ここでダビデはアダムの立場であり、ウリヤは天使長の立場です。そして天使長の妻は、復帰しなければならないエバの立場になります。天使長がアダムの相対者であるエバを堕落させ、引きずっていきました。愛で占領して盗んでいきました。それを蕩減するには、そのような三角関係に立ってもと返さなければなりません。そのような原理的基準に立脚した条件を立てた基台の上で生まれた子供は、天の栄光の子供として生まれるのです。ソロモンは栄光の子供です。
タマルは自分の舅と関係しました。ところで舅との関係における精神は立派なものでした。当時の法によれば、淫行を行った女性は、石で打ち殺すことになっていました。
タマルは、最初の夫と二番目の夫とを失いましたが、血統を守らなければならないと考えました。そのため、体面や威信は問題ではありませんでした。神様の願われる血統を、どうすれば残せるだろうかということだけが問題でした。
血統を愛したので、血統を復帰しなければならないという一念だけでした。神様の摂理圏に立ち帰る条件を立てるために、舅と関係をもつことができたのです。これを見れば、舅はすなわち、自分のお父さんなのです。
腹中勝利を収めた基準は、ずっとイスラエルとユダヤ教の子孫に受け継がれ、発展していきます。なぜそれが、国家的基準に立たなければならないのでしょうか。それは、サタン世界に国家が建てられているからそうなのです。
このような理由で、イスラエル選民圏が発展しながら内的、血統的勝利の基準が連結されてきたのです。体面や威信や社会的環境といったものはすべて忘れ、ただ神様のみ旨だけがすべてであるという代表的な心情をもった愛の娘がマリヤです。勝利を収めた基準を受け継いだ腹中では、サタンの讒訴できる内容がないというのです。その基盤の上で、マリヤを通してイエス様が懐妊されたのです。ですからイエス様は、歴史的な闘いを終わらせた勝利の神様の前に、生まれる資格、条件を完成させた基盤の上に生まれたのです。
それでイエス様は、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」と言われたのです。このような血統的内容を抱いて生まれたので、イエス様は、歴史上初めて神様の前に愛を受けるひとり子となることができたのです。このような事実は、今まで誰も知らなかったのです。
それで、今までさまざまな宗教があっても、すべて奴隷の宗教であり、養子の宗教圏に立たざるを得ませんでした。(48)
新約聖書のマタイによる福音書は、旧約の創世記に代わる福音書です。それで太初に起こった人間の堕落が創世記に記録されており、その復帰路程がマタイによる福音書に記録されているのです。
マタイによる福音書には、アブラハムからイエス様までの継代歴史が出ています。「アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図…」と、第一章第一節から出ています。三節を見ると「ユダはタマルによるパレスとザラとの父」と記録されていますが、どうして、ちょっと見ただけでは不倫な女性に見えるタマルを、最初の部分に記録したのでしょうか。また、「ボアズはルツによるオベデの父」と記録されており、「ダビデはウリヤの妻によるソロモンの父」と記録されています。
その次の一六節に「マリヤからキリストといわれるイエスがお生まれになった」となっています。ところで、どうして人倫道徳から見ても不敬で受け入れ難い事実を、マタイによる福音書に記録したのでしょうか。私は、マタイ福音書の記者であるマタイは、イエス誕生の背後を知っていたと思います。しかし、考えてみただけでも気持ちの悪くなる事件まで、なぜ聖書の歴史として記録しておいたのでしょうか。皆さんはこれを知らなければなりません。これらの事件でなくても、聖書には一般の人々の理解できない悲運の歴史が数多く入っていますが、私たちはこれを究明して、キリスト教の伝統を確実に立てておかなければなりません。そうしなければ、全世界のキリスト教はちりぢりばらばらに分かれて、サタンの祭物として消え去ってしまうということを、皆さんは知らなければなりません。
イエス・キリストは、このような蕩減歴史を経てマリヤという女性を通して誕生しました。マリヤは歴史的な恨みを解くことのできる国家的中心の女性として召され、神様のみ旨のために生死を顧みなかった信仰によってイエス・キリストを懐妊することができたということを知らなければなりません。
そのようにして、四千年のユダヤ民族史、ユダヤ教の歴史を経て、神様は何を取り戻されたのかというと、堕落する前の血統、汚れなかった息子、すなわちアダムを復帰したのです。それで、コリント前書一五章四五節でイエス様を「後のアダム」であると言ったのです。この「後のアダム」とは、神様の救援摂理歴史が復帰摂理歴史であり再創造歴史であるために、神様が四千年の間苦労されながら、人間たちの理解できない復帰の道を開拓してこられ、初めて神様の愛を受けることのできる息子の立場を復帰した「ひとり子イエス」であるという意味です。(49)