怨讐を愛する・・・血を流す・・・よくやったよくやった
特別集会での御言 1995.8.30 中央修練院
神様は自分の息子・娘の血を流させカインを救う
そのようなすべての問題を清算するために、歴史においてキリスト教を立てたのです。エバです。新婦文化圏がキリスト教です。この地上に、お母様が現れませんでした。ですから、神様の救援摂理は、天使長たちが絶対的に仕える、お母さん文化圏を探さなければならないのです。
父母文化圏、真の愛の文化圏が出発しなければ、神様の創造理想である、真なる地上天上天国の理想世界は顕現しないのです。
それゆえ、お母さん文化圏を立てるのに、血が流れる立場を越えなければならないのです。カインたるサタンが国家的な血を流させる、その血を見て、神様は憤慨してはいけないのです。「よくやった。よくやった」というのです。アベルの血を流させたのは、カインを救うためなのです。これは、サタン世界にもなく、人間世界にもない心です。
完全に引っ繰り返されて、怨讐から血筋がつながった愛の怨讐の子供を、自分の息子以上に愛することのできる道を発見しなければ、救う道がないというのです。神様は怨讐の血を流すのではなく、自分の息子・娘が血を流すのを見て喜ばなければなりません。反対です。分かりましたか。蕩減復帰なのです。
サタンは、怨讐の息子・娘であるアベルの血を流させますが、神様は真の愛の主人なので、自分の息子・娘の血を流させて、カインを救おうというのです。ですから、サタンは、ここで抵抗し、讒訴することのできる、何の条件も提示できないのです。「そのとおりです」と言うのです。
文鮮明先生のみ言集 訓教経(下) (2000年書籍)
37.真の統一と一つの世界 一九九〇年三月三十日
アメリカ・ニューヨーク 『文鮮明先生み言選集第二百一巻』
神様がいらっしゃるならば、なぜ世の中をこのようにしたままでいるのでしょうか。神様は世界に手を出したいのですが、心痛い心情を抑え、悪が植えられたので、悪が滅びる時になるまで待っていらっしゃるのです。蒔かれたので収穫の時を待っていらっしゃるのです。木陰で淫乱によって一組が蒔いたものが、秋になって全世界に拡大した青少年の淪落の姿、状態を見ているのが現代です。
それを誰が食い止めるのでしょうか。父母も食い止められず、誰もできないのです。ところが悪魔は神様に対して、「あなたの創造理想を中心として、愛の絶対圏の理想である真の単一氏族圏をつくるための愛の血統圏が、このようにみな滅んで破壊した形になったにもかかわらず、今でも創造理想的理論が適用されると思いますか」と言いながら、あざ笑って出てくるのです。
そのような時、神様は何と答えられるでしょうか。どれほどあぜんとされることでしょうか。本来の主人の息子となるべきだったのに、怨 讐の息子となって抜け出そうとしても抜け出せない苦しみの中に陥っている人類を眺められる神様の心情が、いかに悲痛なものであるのかを知っている人がいるでしょうか。
ですから神様は、どれほどかわいそうな方でしょうか。神様と完成したアダムとエバのように天使長を愛した者であってこそ天国に入っていけるのが原則であるので、イエス様も失敗しないアダムの完成者として来られ、どのようにしてでも神様と共に怨讐を愛したという条件を立てなければならなかったのです。そうでなくては天国に入っていけないようになっているのです。それゆえ、イエス様は「怨讐のために、ローマ兵のために祈祷しなさい」と言われたのです。