文先生が歩まれた「アブラハムによるイエスの典型路程」・・・・原理講論
文先生はご自身が歩まなければならない蕩減路程を原理講論の中に記されていました。この摂理的問題がお父様とお母様が歩まれた地上の全路程に多大な影響を与え続けました。この御言葉を知らずしては、お父様とお母様のご心情を思い図ることはできないと思います。
〔A〕原理講論 後編 第一章 第三節 (一) (2) ①
アダムとエバが未完成期において、まだ兄妹のような立場にいたとき、天使長がエバを奪ったので、その子女たちと万物世界のすべてが、サタンの主管下に属するようになった。したがって、アブラハムがこれを蕩減復帰するための条件を立てるためには、既に明らかにしたように、兄妹のような立場から、妻サライを、いったんサタンの実体であるパロに奪わせたのち、彼の妻の立場から、再び彼女を取り返すと同時に、全人類を象徴するロトと、万物世界を象徴する財物を取り返さなければならなかったのである(創一四・16)。※このようなアブラハムの路程は、後日イエスが来て歩まなければならない典型路程となるのである。
アブラハムは、このような蕩減条件を立てたのちに、初めて、鳩と羊と雌牛でもって「象徴献祭」をささげることができたのである。
【コメント :※ イエス様は妻を迎えなかったのですから、イエス様はこの典型路程を歩まれなかったことになる。その為、イエス様の再臨である文先生とお母様がこの典型路程を歩まなければならなくなったとするのが妥当です。】
〔B〕原理講論 後編 第一章 第三節 (一) (2) ②
アブラハムは、イサクを供え物としてささげるときにも、「象徴献祭」をささげたときと同じように、まず、アダムの家庭を復帰する象徴的な蕩減条件を立てて、イサク献祭のための信仰を立てなければならなかった。ゆえに、再びアブラハムは自分の妻サラと兄妹の立場に立って、サラをゲラルの王アビメレクに奪われ、いったん、彼の妻になった立場から、再び取り戻すという摂理が行われた。アブラハムは、このときも、サラと共に人類を象徴する男女の奴隷と、万物世界を象徴する財物を取り戻して出てきたのである(創二〇・1~16)。