《⑲-1》「血」とは・・・お父様の心情の十字架の中心は女性たちだった
黙示録の中に「血」という言葉が20ヶ所記されている。
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(1)「血」とは何を意味しているのか?
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● 旧約時代 → 羊の血
● 新訳時代 → イエス様の肉身の血(十字架の死)
●成約時代 → 再臨主が流された心情の十字架の血
〔A〕の聖句からも分かるように、「ほふられた血」とは私達の「罪を解放する」力を持っている。そして、その血とは再臨主が牢獄で流された血であり、また、聖和される時に流された「血」のことであり、また、「愛の八段階」の心情を復帰する為に流し続けられた「心情の十字架の血」のことをいう。
〔A〕
1:5
また、忠実な証人、死人の中から最初に生れた者、地上の諸王の支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。わたしたちを愛し、その血によってわたしたちを罪から解放し、
5:6
わたしはまた、御座と四つの生き物との間、長老たちの間に、ほふられたとみえる小羊が立っているのを見た。・・・
5:9
彼ら(四つの生き物と二十四人の長老)は新しい歌を歌って言った、「あなた(小羊、再臨主)こそは、その巻物を受けとり、封印を解くにふさわしいかたであります。あなたはほふられ、その血によって、神のために、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から人々をあがない、
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(2)「心情の十字架」についての御言葉・・・〔B〕
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〔B〕
特別集会での御言 1995.8.30
お父様の悲惨な心情の十字架の峠
先生が行く道は、あなたたちが考えるようなものではありません。今まで、エバの過ちをアダムが責任を負い、全部正していかなければならなかったのです。はしごをかけていかなければなりません。これでは、祝福を受け得る立場に立つことのできる、何の資格もない者たちです。
神様が怨讐の子供たちを愛するために、自分の一身の体面も意に介さず、すべてのものを犠牲にしながらなしたように、私が神様に代わってなすのです。その悲惨な内情的な心情の十字架の峠が、どれほど大きいか分かりますか。
女性たちゆえに、私は今まで世界で悪口を言われてきたのです。あることないこと言い触らして…。霊界から自分たちに教えてくれることを事実だと思って、混乱してしまいました。霊界でなされたことを事実だと信じて、先生に対して、ありとあらゆることをしたのです。愛に狂った女性たちの泥沼から出てくるのに、四十年かかりました。この渦中で、あなたたちは何をしたかというのです。それなのに、あなたたちになぜこのようなことをするのですか。
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真の御父母様の生涯路程 4 第一節 四
先生は、三時代の女性を復帰する基準を立てなければならないので、心情の十字架を背負う道を行かなければなりませんでした。それに比べると外的苦難はなんでもありません。
そのような復帰の基準、主管性転倒の基準を築いたならば、実際に行って取り戻してこなければなりません。人類の僕の僕まで取り戻してこいというのです。それを取り戻すために、最低の場である監獄にまで行くのです。監獄から門を開けて、出てくるのです。
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(3)「ほふられた小羊」とは「再臨主」のことを言っているという根拠
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その御言葉が〔C〕である。
〔C〕
天聖経 祝福と理想家庭 第二章 第二節 1.
このような終局的な最高の頂点が、黙示録に預言されています。これがすなわち「小羊の婚宴」です。再臨される主は、まさにその小羊であり、完成したアダムです。主は完成したアダムとして来られ、完成したエバを復帰されるでしょう。このとき、彼らは人類の最初の父母となり、神様の喜びも完全に成就するでしょう。
「小羊の婚宴」とは何かというと、神様が、愛と生命と理想の主体として完成した一人を、六千年前の罪のない父母の位置で祝福し、人類の前に善なる祖先として立てることです。
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この御言葉からしても、お母様の《三つの言説》が過っていることが分かる。
他にも《三つの言説》の誤りを示す御言葉があるので《「小羊」こそ「再臨主」》を読んで頂きたい。