《⑯-6》お母様が大淫婦と呼ばれない為には何をしなければならなかったのか??
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第一夫人と第二夫人の失敗がお母様に加重される
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(これは私の作り話ではなく、御言葉から取り出したもの)
何が加重されているのか?
そのことが語られている御言葉が下の〔A〕になる。
この御言葉から抽出すると次のようになる。
① 離婚した第一夫人に対して、お母様が経済的な援助をする。
② 第一夫人と聖進様がお父様と共に生活できるように環境を整える。自分の子女よりも聖進様を優先して愛して、自分の家族と《 一族にする 》責任を全うする。
③ 真の愛は最も貴重と思うものを怨讐に与えて祝福してこそ真の愛であるから、お母様にとって最も大切な本妻の位置を、第一夫人に捧げることができなければならない。そして、自らは妾の位置に降りる仲保役を果たさなければならない。
(本妻と妾を入れ替えるという御言葉が《 蕩減復帰の峠を越えましょう 》にあるので、このことになるのかどうか、今後も考察する)
④ これができれば、全祝福家庭が一族となったはずだった。
しかし、この①~④の一部はお父様の導きでお母様が成されたとしても、聖進様への対応を見れば、お母様が失敗していることが明確だ。
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しかし、お母様の失敗はお母様自身にあるのではない・・・その責めは祝福家庭にあるというのが原理基準
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お父様は祝福家庭の女性たちを天に供える時、アブラハムが二つに裂いて供えなければならなかったように、カインとアベルの二つに裂いて供えられた。その一方が、アベルの表示体となる妾の女性たちであり、もう一方が、カインの表示体となる祝福家庭の女性たちになる。
このアベル側の女性とカイン側の女性はお父様を中心として一つにならなければならなかったのだが、カイン側の女性たちがアベル側の妾に嫉妬することによって一体となることができず、父母復帰の条件が立たなくなってしまった。お父様が家族を連れて、妾を連れてアメリカの行かれた時、韓国に残されたカイン側の女性たちの嫉妬心はいかばかりだったろうか。
お父様が長い間韓国教会を留守にして帰られたとき、モーセが40日断食して山から降りてきた時のイスラエル民族の姿に重ねてなかれたことがあった。
その為に、真の母であるお母様を迎える女の基台が立たなかったと見ることができる。この失敗によって、妾が内的に殺された立場に立つようになって、統一教会の中から妾の摂理が隠されるようになってしまったと考えられる。
これが原因となって、妾の摂理自体が韓国教会ではお父様の過ちとして囁かれるようになり、日本教会ではこの妾の摂理はなかったものとして扱われ、語ることも全てタブー視されてしまった。
この為に、日本では脱会請負人の反対派がこの妾の摂理を逆手にとって日本の兄弟たちを拉致監禁し、4000人を超える兄弟たちが脱会させられた。それでも日本教会はこの妾の摂理が理解できずに黙殺し続けている。これは日本自体にメシヤの基台が立っていないこと、サタンの侵害を受けることを意味している。だから、訪韓修では、この妾の摂理を堂々と話せと語られたのだったが、誰も理解もできず、訪韓修の御言葉は全て黙殺された。
今も日本教会は病人の様に妾の摂理をタブー視し続けている。お父様が日本に信仰条件が立たないと言われているのは、献金額ではなく、エバ国家としての日本がこの妾の摂理を黙殺しているからであり、訪韓修の御言葉からしても明らかである。
そして、今なお、女型のカインとアベルの摂理は分裂したままであり、この問題によって、父母復帰の条件が立たずに、お母様もお父様も二世たちもサタンの侵害を受け続けているのはその為である。女たちの不信仰が中心的要因となってお父様の聖和があったとみるのが正しい摂理観だと思われる。
もし、お母様をお父様の花嫁の位置に戻そうとするなら、お母様に対するサタンの所有権が発動されて幽閉されている以上、基台を作らなければ、お母様の力だけで戻ることは不可能に近い。
お父様が聖和された今、女たちの中からお父様を愛する群れが起こって父母復帰の基台を再造成して、お母様をサタンから奪い戻す条件を立て直すことが必要だ。(勿論、男も必要です。)
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何故、お父様は、晩年、お母様の問題だけを訴えられたのか?
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この答えは簡単だ。
神様がアベルを殺害したカインを愛し守ったように、お父様も摂理の問題の一切をアベルの表示体である中心家庭で先駆けて背負われたからだ。カインの罪を真の愛によって隠され、私達、祝福家庭の不信仰を責める前に、中心家庭にその責任を負わせられたからだ。
〔A〕
◆『御父母様の生涯路程 3』 第三節 二 家庭的試練と苦難
「弁解せずに責任を負ってきた家庭問題
皆さん、昔、聖進の母親が狂ったように反対したのです。ついてきていれば、どんなに良かったことでしょうか。そうしていれば、統一教会はこんなに苦労しなかったはずです。二つの道があるということが分からなかったのです。皆さん、道には間違いなく二つの道があるのです、レバレンド・ムーンが現れる時も、二つの道があったということを知らなければなりません。
私が主張したいのは、結婚する時にもったその心、初めて結ばれた愛の心をもって行かなければならないということです。そのような初めての愛の心をもって神様の前に行かなければならないのです。ところが「自分の夫としてのみいてくれ」と言うのです。「社会も何も、国もみんな嫌だ」と言うのです。
エデンにおいて、一人の女性によって天地が滅ぼされたのですが、今日の復帰時代においても、一人の女性によって、歴史上に統一教会の悲惨な歴史を残したことを、私は悲嘆したのです。その代わり、私が非難を受けたとしても、私が責任を負おうと、一言も弁解しませんでした。
私は今まで、「滅びてしまえ」とは思いませんでした。その人に対して「できればあなたを一度訪ねていきます」と言ったのです。彼女が死ぬ時は、天下にない福を祈って行かなければならないのです。
聖進の母親がそうだったではないですか。男の中で、聖進の父親のような男はいないというのです。だから嫁に行こうとしても、良心が許さないので結婚できないというのです。
六五年だったか、やって来て「どうか台所にでも入って、仕事ができるようにさせてくださいませんか」と言ったのですが、もうすべてが過ぎたというのです。
また、いつだったか、一度私はその女性と道端で会いました。どれほど哀れだったことでしょうか。それを見れば、愛しているようなのです。それはどんなに哀れなことでしょうか。そのことが忘れられません。
聖進の母親が反対しなかったならば、絶対的に夫のみを信じていたならば、知らない内にみ旨は全部成し遂げられていくのです。統一教会がなぜ、全世界的に反対を受けたのですか。監獄になぜ、行かなければならなかったのですか。聖進の母親が反対することによって、準備していたすべての団体が犠牲を被ったのです。腹中教もそうなり、既成教会もみんなそうなってしまったのです。ゆえに、民主世界がすべて引っ掛かって行ったのです。
私がそれを考えれば、それを一対一で考えて、復讐心をもつならば、雷を落としてしまわなけれぱならないでしょう。しかしながら、地獄まで復帰しなければならないというみ旨があるために、この前、聖進の母親が住む家の前までお母様を連れていったのです。この世的に考えれば、そこはお母様がついていくところではないのです。背を向けるべきところなのです。そして家を買ってあげるにも、全部お母様が買ってあげるようにしたのです。今までも生活費をまかなってあげたでしょう。別れた中でも今まで夫の役割をしてきたというのです。復帰はそのように難しいのです。
それはすべて、蕩減条件に引っ掛からないためです。私だけではありません。お母様もそのようにしなければならないのです。女性の中の女性、「ため」に生きる女性の姿を残さなければならないのです。そのような意味で、お母様は立派なのです‐。何の不平不満もなく「ええ、そうされなけれぱならないでしょう」と言うのです。そのようにして、それを越えたお母様が立派なのです。
私はいつか、その一家を全部招待して宴をしてあげようとも思うのです。怨讐を残してはならないのです。
み旨をすべて成した時には、「あの時は残念だった」と言って、私が立派な料理店で会い、一度、宴をしてあげるかもしれません。そう、いつか一度会って、すべて慰労してあげなくてはならないのです。」