《 番外編-3 》原理講論にはない「事実蕩減」とは何か?・・・入れ替わる洗礼ヨハネの失敗を全て許し愛するために、サタンに身を捧げられたお父様だった!
天聖経 罪と蕩減復帰 第四章 五 1.
(※1)
(再臨主の時代は)蕩減復帰は条件復帰ではありません。事実蕩減だということを知らなければなりません。このようなものは(イエス様までを記した)原理にはありません。
(統一原理はイエス様までのことが書かれている。)
(再臨主の時代は)条件蕩減でありながら事実蕩減というようなことは初めて聞くことでしょう。
(再臨のメシヤはルーシェルとエバ、エバとアダムの堕落の動機と経路にあった全てを、其のまま再現されて反対に上がっていくという、事実蕩減の道を行かなければならない。)
したがって今までの復帰路程を考えてみると、(※2) サタン世界で一番良心的な一人を立てます。ノアが正にそのような人でした。
ノア一人の信仰を絶対信仰の基台の上に立て、ノアの家庭を中心として着陸するようになります。絶対信仰の男性、絶対信仰の女性、絶対信仰の四位基台が必要です。
ーーーーー
(※1)
原理はイエス様までのことが書かれているものであり、讒訴条件が残っているので、イエス様までは条件的蕩減だったということになる。
これに対して、再臨主の時代はみ旨を必ず完成しなければならない時代なので、この為になすべき蕩減のあり方が、事実蕩減ということになる。即ち、再臨主は恩赦なしに完全蕩減しなければならないことを意味している。
従って、過去の失敗を蕩減するとき、条件的ではなく、恩赦なしに蕩減されなければならない。即ち、再臨のメシヤは、ルーシェルとエバ、エバとアダムの堕落の動機と経路にあった全てを、其のまま再現されて反対に上がっていくということを意味している。そして、再臨主は讒訴条件の微塵にもない立場に立たなければならないことを意味している。
ここで重要なことは、《 天宙的な洗礼ヨハネ 》の立場にあった第一婦人の失敗を蕩減するとき、お父様と三番目となるお母様の間に展開される蕩減は、第一婦人にあった蕩減が其のまま三番目に引き継がれることになる。もちろん、恩赦なしだから、二番目の女性の失敗も三番目に縦的に加算されて引き継がれることになる。即ち、お父様とお母様にとって、第一よりも第二、第二より第三次の摂理に蕩減が加算されて引き継がれるようになる。しかし、お母様の立場は交替できても、お父様は変わることができない。
そして、この事実蕩減が複雑に見えるのは、第三次摂理は延長が許されない為に、縦的に加算された事実蕩減が恩赦なしに横的に蕩減復帰しなければならないからだ。この様な観点からしても、お父様の生涯路程を詳細に知らなければ、事実蕩減の実態を知ることはできない。
(全部で11巻。これはお父様がご自身の事実蕩減の道を語られた貴重な御言葉だ。何故、お父様はこの本を八大教本に入れられなかったのか、疑問でならない。
これもまた、私たちにはお父様の事実蕩減の実態を探しださなければならない責任が残されているからだと思わざるを得ない。)
この様な事実を前提として「平和の主人 血統の主人」と「黙示録」の解読に向かわなければならないことになる。
(イエス様の十字架の死と、お父様の聖和の死のあり方は真の愛を中心として、完全に同期している。)
(イエス様を売って十字架にかけた男、ユダに相当する成約時代の人物は誰か?事実蕩減てもあるから、お父様の聖和された現場を知れば見えてくる。)
事実蕩減という原理からすれば、洗礼ヨハネと同じ使命を持った人物が登場するはずである。それが、金百文牧師であり、延長されて、統一協会初代協会長、三人の分俸王、最後にお父様の聖和に深く関わった金孝律元特別補佐官の姿が見えてくる。
また、イエス様の三弟子、十二弟子、百二十人門徒に相当する祝福家庭の幹部の方々もお父様の事実蕩減に深く関わった方たちであるから、これらの人物がお父様とどのような関わり方をしたのか、お父様が最終的に定められた基元節を目前にして聖和された理由と合わせて明らかにしなければならない。
そして、明らかにする理由はただ一つ。それは、彼らの失敗した讒訴条件を見つけるためではなく、それらを肩代わりされて、愛する子女様たちを供え物にされて蕩減されたお父様のご心情と真の愛を知ることにある。
ここで繰り返して一言追記しておかなければならない。
それは、お父様を中心とした事実蕩減に登場する摂理的な人物に対して、私たちは。決して讒訴する資格がないことを自覚しなければならない。これは非常に難しいことではあるが、誰もが自分自身の問題として越えていかなければならない。
あたかも、二千年前、イエス様を十字架上で殺害したのは、私自身であったとする、信仰告白こそ、お父様の前に立つ唯一の条件であることを追記しておく。
(※2)は、次回になる。