聖和された神山先生に想いを寄せて・・・!
神山先生の命を賭した最期を知り、心からご冥福をお祈りします。
神山先生の聖和は家庭連合が最も混乱した大患難時代(草束事件から七年)の生き証人として霊界に旅立たれたとのだ思います。今の時代は霊界がアベルの位置になって霊界から協助される側なりますから、神山先生が霊界から私たちが現在の混乱を収束できるように共助してくださること、そして、お父様のご心情がこの地上に花と咲く時代が到来するように、ますますご尽力くださることを祈念します。
神山先生はお父様とダンベリーを共に過ごされ、長年お父様にお仕えしたお方です。特にご父母様のご家庭を中心として統一教会がアメリカで世界基準に登場するとき、エバ国が送り出した代表的なお方が神山先生でした。日本はそれ以降、世界摂理を支える母の国としての責任を果たすために、身を粉にして活動してきました。
しかし、悲しいかな、復帰摂理の最終目的であった天の基準の基元節を成すことができずに、半年前にお父様は聖和されました。今は、その聖和の意義さえもお母様を愛し子女様を愛するという一点において語る者がありません。お母様と子女様を責めてはいけないという、神山先生もその一点に立っておられたのだと思います。櫻井夫人の声明文もお母様、子女様を責めないという心情で溢れていました。お父様のご家庭の内情を深く知られたために語ることができないという、ある意味では愛のパラドックスにあったとも言えます。このようなパラドックスを抱えながらも私たちがお父様の骨髄に入るために、私たちは決して誰彼を責めることなく、自分自身の問題として一人一人が内省しなければならない大患難の七年間であったと思います。
その内省すべき一定の期間だ過ぎ去って、これからは老若男女問わず、私たちはお父様が残された全生涯の足跡から聖和の意義をたずね、決して他を責めることなく、自分の信仰との整合性をとらなければならない時が来ています。私たちは自分の信仰が出発したところからお父様を見つめ、また、様々な外的な事象から判断しがちです。しかし、それでは全体の姿は見えるはずもありません。お父様が残されたご心情の経緯をお父様の全生涯からもう一度見つめなおさなければならないと思います。六千年の復帰摂理とも重ねることによって、お父様が誰にも言えなかった逆理の全心情を総括することが、残された私たちの義務であり責任であると思います。
神山先生はそのようなお姿を私たちに残してくださった尊いお方です。神山先生、ありがとうございました。