怨讐の願いに応えたのが『聖和』だった!!・・・自ら死なれた先生だった!!
成約時代に入った先生が神様の愛の実体者となるためには、蕩減がない真の愛をお母様を中心とした幹部たちとサタンに対して示さなければならなかった。その御言葉が下記の〔A〕と〔B〕である。・・・・この基準により、先生は自ら聖和されたのである。
参考に、旧約時代と新約時代の蕩減のあり方が下記の〔C〕と〔D〕である。
◆ 成約時代の蕩減・・・打たれなくても怨讐の願いに応えること
〔A〕
天聖経 真の神様 第四章 四 1.
なぜ怨讐を愛さなければ私たちの道を越えていくことができないのか説明します。これは原理の本にはありませんが、とても重要なことなので知っておかなければなりません。
堕落した天使長が神様を讒訴しても、神様であられるがゆえに、たとえ天使長は堕落したとしても神様が立てられた法度を遵守せざるを得ないのです。神様は絶対者であられます。それゆえ天使長が堕落したとしても、神様は被造物を御自身の立てられた法則、規則に従って主管せざるを得ません。
これは、神様が堕落以前の天使長になさろうとされたことが何であろうと、堕落したのちもそうせざるを得ないということを意味します。それゆえ天使長は神様に「神様、あなたは私を完成期まで、完成期ののちまでも愛されることになっています」というのです。
〔B〕
真の御父母様の生涯路程7 第一節 二
そして、私が米国で勝利して韓国に帰ってきたのちは、怨讐の首を切り、復讐線上に追い詰めて復讐すべきです。
彼らは統一教会におけるカインです。統一教会の怨讐は統一教会から離れていった者たちです。この世であれば首を切ってしかるべき怨讐です。しかし、そのようにするのではありません。神様の救援摂理は怨讐を生かしてあげるためのものなので、彼らを許してあげるのです。統一家において祝福を受けて離れた家庭は怨讐なのですが、その怨讐を許しなさいというのです。
〔C〕
◆ 旧約時代の蕩減・・・打たれたら打ち返すこと
マタイによる福音書 5:38
『目には目を、歯には歯を』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
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〔D〕
◆ 新約時代の蕩減・・・打たれたら許し、さらに、打たせること
マタイによる福音書 5:39
しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。