『(亨進様は)五十の峠を越えなければなりません。』(2010年陽暦9月3日)
天地人真の父母定着実体み言宣布の意味
2010年天歴7月25日(陽暦9月3日=聖和の丁度二年前)「TODAY'S WORLD JAPAN」 の2011年1月号24項
今も亨進は父母をしっかりつかんでいます。手をつかむなと言っても、手をぎゅっと握り、「どうか、お父様、私が手を握ったら、放せと言わないでください。私はこの手を放すと死んでしまいます」と言うのですが、そのとおりです。私が手をしっかりつかんでやるのです。「私につかまって行け!」というのです。 「(亨進様は)五十の峠を越えなければなりません。その様に謙遜です。どこに行っても自分を立てるということがありません。
私はどこかに行って主人のように振る舞おうという考えをしたことがありませんが、正にそれとそっくりです。五十の峠を越えてこそ、自分の服を着て軍人のようにクリーンカットの青年として堂々と進み出るでしょう。それ以前には私はそんなことはできないと言っています。亨進も父の伝統を受け継いで、その道を行かなければならないというのです。
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『望みをかけている息子・亨進』
み言葉選集 496-37-2005.5.13(金)漢南洞国際研修院
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亨進しか残っていないのです。
皆、ひっかかっていくかもしれない立場にいるのです。
・・・
郭錠煥(カク・ジョンファン)!「はい」
どこのどの息子にできなくても、そのような命令をすることができる人を育てていることを知らなくてはいけません。
「はい。」わかりましたか?「はい。」
中間の輩はみな、傷(あら、欠点)があります。傷があります。
先生自身も離婚しただろう。傷があるだろう?
聖進も傷があるだろう?孝進も傷があり、
興進は霊界に行って、顕進もそうだ。自分の勝手にするだろう?
そうかそうでないか?國進も勝手にしただろう。
勝手にやっていない息子...。
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あいつは大きくなるにつれ、オモニ、アボジが寝ている布団に入って寝ると、そうしました。
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また何でも霊界に(霊的に)早いです。興進君にも会って、栄進も会いました。
呼べば会って相談します。