《 ⑪-2 》再臨主は「つるぎ」ではなく、同じ意味の「刀」という言葉を用いていた・・・「刀」の言葉も比喩と象徴の御言葉だったって、信じられますか??
皆さん、正月、少しはゆっくり過ごされていることと思います。そうもいかないのかな・・!(^^)!
新年早々、二日目ですので、少し驚く御言葉を紹介する。
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(1)「黙示録」と「御言葉」が同期している証拠・・・
(お二人は御言葉の表現が完全に同期している)
19の御言葉を紹介する
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《 ⑪ 》の記事で「つるぎ」は「言葉の戦い」を表しているとした。一つは神様の御言葉、或いは、原理であり、もう一つはサタンの言葉をあらわすと説明した。これに変更は全くない。
私は、黙示録とお父様の御言葉が同期していると言ってきたが、以下に紹介した御言葉はそれを証明してくれる御言葉だと思っている。
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(2)《 「文鮮明師御言葉集」 その他 》の全て・・・8000ページを超える御言葉から・・・
「刀」を検索した結果、81ヶ所が抽出された
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(全11巻)
その中から、代表的な19の御言葉を紹介する。
紹介する目的は、この「刀」の言葉を「御言葉」或いは「原理」という言葉に入れ替えて読んでほしいことにある。そして、入れ替えることによって、御言葉の意味合い、お父様の心情などに大きな変化が生まれることを読み取ってほしいと思っている。
もちろん、「刀」の言葉をそのまま読んだ方が良い御言葉もある。その様な御言葉は、刀を「御言葉、或いは、原理」と置き換えると文脈がおかしくなってしまうから、すぐに分かる。
恐らくは、これまで誰もその様な読み方をした人はいなかったのではないかと思う。少なくとも?私の周辺にはその様な人はいないし、聞いたこともない。
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(3)御言葉を文字通り理解したが為に、曲解した御言葉も多かった
・・・「刀」もその一つだ(今まで私たちには、再臨主が比喩と象徴で御言葉を語るという前提が全くなかった)
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もし、この御言葉の「刀」を文字通り理解するなら、たとえ、教祖のお父様が「刀で首を切り落とす」というようなことをしなかったとしても、教祖である以上、国家公安委員会からは監視される人物となることは間違いない。現実にもお父様は韓国と日本、アメリカの公安からは常に要注意人物であった。
(日本の公安)
また、同様に、統一教会の内部からは、お父様は怨讐に対して「刀」で恨みを払いたがっている方であるが、それをいつも我慢して来られたという捉え方になってしまう。
(「刀」とは「御言葉」或いは「原理」である)
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(4)誤ったメシヤ観・・・特に、大学を捨てた、親も捨てたという、古い祝福家庭に多い・・・何故か?? クワバラクワバラ
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特に、知性基準が高い為に、御言葉をよく読んで来られたような、古い祝福家庭の人たちに多いと思う。大学を捨てたり、親を捨ててきたのだから、その分、御言葉ぐらいはしっかり読んで、自分なりに納得しておかなければならないと思って読んだ。ところが、皮肉なことに、読んだ結果がメシヤに対する認識が歪んでしまったということだ。クワバラクワバラ・・・。
この様な人で、まだ生い先に時間がある方、出直しの御言葉が必要かも知れない。他にも沢山の比喩と象徴の言葉があるから、やりがいがあるというもの。
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(5)それでは、19の御言葉
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速読、斜め読みはいけない。太文字だけではなく、前後の御言を解きほぐしながら、一文字残さず、しっかり読んでください。意味の深さにため息が出る。
◆「刀」を「御言葉」或いは、「原理」に置き換えて読むこと◆
天聖経 真の神様 第四章 六 2.
「自分の欲心を中心として統一教会を利用しようという人、ありとあらゆることをした人を歴史上見かけても、知っていてもだまされたふりをしてやりました。
なぜだまされてやるのでしょうか。
神様が今までそのようにしてだまされてきました。裏切り、背を向ける姿を見るたびにあきれ驚いて「あいつ、雷を落として首を、日本刀があったら一気に首を落としてやりたい」という憤慨と悔しい思いが爆発するのですが、彼らが帰ってくることを願っている天の心があることを思うと、そうはできないのです。
かわいそうな神様にすがって許そうという心をもってきたところ、そのたびに節ができます。分かりますか。統一教会の一つの節ができるのです。竹に節があるように、節ができるのです。そうして家庭的節目、氏族的節目、民族的節目を刻んでいくのです。」
◆「刀」を「御言葉」或いは「原理」に置き換えて読むこと◆
① 天聖経 真の父母 第二章 三 1.
「父母が離婚するのは、刀で子供を半分に切るのと同じです。それは宇宙の公法が許しません。これに逆らう親は、どこに行っても禍いを受け、不幸がついて回るのであって、幸福になることはできません。」
◆「刀」を「御言葉」或いは「原理」に置き換えて読むこと◆
② 天聖経 地上生活と霊界 第四章 第一節 五
「自分を憎まなければならないのです。この体を憎むべきです。自分の体に怨讐の血が蠢動するのに、これを刀で断つ事もできず、火で焼く事も出来ない自分である事を知るべきです。
神様の保護を受ける事の出来ない立場に立って、万物を消化し消耗する、消耗工場になっているという悲痛な事実を知るべきです。(二一四―二八一)」
◆「刀」を「御言葉」或いは「原理」に置き換えて読むこと◆
③ 天聖経 罪と蕩減復帰 第二章 五 2.
私たちはどんな犠牲でも投入して父の姦夫に恨みを晴らさなければなりません。恨みを晴らすには銃や刀で晴らすようにはなっていないのです。
より大きい愛でなければ晴らす道がないと見るのです。ゆえにその怨讐を愛してこそ、本来の創造理論に合格した神様のところに登場するのです。なぜですか。サタン悪魔、天使長も本来、創造当時は神様の愛を受けるようになっていたからです。
永遠に受けるようになっているので「あなたが神様になるには、私が堕落したとしても、私を愛したという原則を立てなければこの宇宙を支配できる立場に行けません」と言ってしがみつくのです。ここに引っ掛かっているのです。本当にあきれる事実です。
◆「刀」を「御言葉」或いは「原理」に置き換えて読むこと◆
④ 天聖経 罪と蕩減復帰 第二章 五 2.
アダムとエバが善悪の実を取って食べようとするとき、神様が「私が心配したとおりになったな。もう少しやれ」と言ったでしょうか。いいえ。心臓が縮み、すべての感覚が一箇所に吸い込まれていくそんな立場だったでしょう。「それを取って食べてはいけない」。血を流し、震え、形容できない哀絶なもどかしさのゆえに何も考えられない、そのような立場に立たざるを得ない神様だったのです。そのような神様がアダムとエバが善悪の実を取って食べているとき、見物だけしていただろうかというのです。
刀があれば歴史を斬り、この天下を斬り、切ってしまいたい心でしたが、そのようにできない立場にいることを、自ら嘆かざるを得なかった神様でした。
◆「刀」を「御言葉」或いは「原理」に置き換えて読むこと◆
⑤ 天聖経 祝福家庭 第四章 四 2.家庭の伝統を立てよう
天国の皇族圏を編成していく時代です。このどうしようもない野良犬のような者たち、今後ブルドーザーで押し倒してしまう日が来るのです。 私の教えるすべての原理のみ言、教えるすべてのことを中心として、世界へ出ていくとき、この世界の伝統をせき止めることのできる韓国人がいるはずはなく、この世界の伝統をせき止める統一教会があるはずはありません。根を抜かなければなりません。目をつぶって断行しなければなりません。天国の伝統を立てるために刀を当てるときは、刀を当てる腹がなければなりません。
◆「刀」を「御言葉」或いは「原理」に置き換えて読むこと◆
⑥ 天聖経 成約人への道 第一章 五 1.
「先生も祈祷するのです。精誠を尽くすのです。いつも精誠を尽くさなければなりません。精誠は一度だけ尽くして使ってしまうものではありません。刀は常に研がなければなりません。刀を一度使って研がなければどうなりますか。いつも研がなければなりません。一度激して怒ったならば、いつも磨いておかなければなりません。それが問題です。静かに心の位置をつかまえておかなければならないのです。」
◆「刀」を「御言葉」或いは「原理」に置き換えて読むこと◆
⑦ 世界平和を愛する世界人として 文鮮明自叙伝 第二章
「私に取り柄があったとすれば、神を切に求める心、神に向かう切ない愛がそれだったと言えます。いつ、いかなる場所でも最も大切なものは愛です。
神は、愛の心を持って生き、苦難にぶつかっても愛の刀で苦悩を断ち切れる人を求めて、私を呼ばれたのです。私は何も自慢できるものがない田舎の少年でした。この年になっても、私はただひたすら神の愛だけに命を捧げて生きる愚直な男です。」
◆「刀」を「御言葉」或いは「原理」に置き換えて読むこと◆
⑧ 世界平和を愛する世界人として 文鮮明自叙伝 第二章
「私たちはあらゆることに精いっぱいの誠を尽くすべきです。それも一日、二日ではなく、常にそうすべきです。刀は一度使っただけで磨かないと、切れ味が悪くなってしまいます。誠も同じです。毎日刀を鋭く磨き、刀を研ぐという心で、絶え間なく継続すべきです。
どんなことでも誠を尽くせば、我知らず神秘の境地に入っていくようになります。筆を握った手に誠心誠意の一念を込めて、「この手に偉大な画家が降りてきて私を助けよ」と祈りつつ精神を集中すれば、天下の耳目を驚かすような絵が生まれます。」
◆「刀」を「御言葉」或いは「原理」に置き換えて読むこと◆
⑨ 真の御父母様の生涯路程 第三節 三
「神様が人を召命されるとすれば、その人はどんな人でしょうか。その人は外形的に体格が優れた人ではなく、内的に信念が強い人でもありません。その人は真をもった人です。
弱そうに見えても、愛の刀をもって、愛の心情をもって、これらすべてのことにぶつかるようになる時に、それらを切って残ることができる人です。
このような人にならなくては、私たちの召命の目的地に向かって行くことができないのであり、召命された方の前に、私自らが行くべき道をみな来たと認定を受けることができないのです。」
◆「刀」を「御言葉」或いは「原理」に置き換えて読むこと◆
⑩ 真の御父母様の生涯路程1 第四節 二
「悪党が住む巣窟に行っても、詐欺のようなことをしてでも、彼らを引っ張ってくることができるという確信をもって行けば、また怨讐を 一刀のもとに片付けるという決意をもって行けば、神様の勇者として立てられるのです。そのような人は、天下のどこに行っても話題の人物になるのです。」
◆「刀」を「御言葉」或いは「原理」に置き換えて読むこと◆
⑪ 真の御父母様の生涯路程 3 第二節 二
「梁光永が梨花女子大学にいた時、私が話して聞かせたことは、「金活蘭にはこういう話はするな、朴マリヤに話す時には、このように話しなさい」と全部言い聞かせておいたです。
ところが「言ってはいけない」という話から、全部話をしたのです。ですから幼い子供たちには刀を与えてはならず、銃を与えてはならないというのです。「行って、話すな」という話が一番おもしろい話なのです。
そうして、私は北学洞にいたのですが、朴マリヤをぱっと連れてきたのです。王宮のような所で、ほしいままにふるまっていた女を、あいさつもなく先生のところに連れてきたのです。全く、私がその時、大変な思いをしたことが今も忘れられません。そのように分別もなかったのです。」
◆「刀」を「御言葉」或いは「原理」に置き換えて読むこと◆
⑫ 真の御父母様の生涯路程4 第七節 三
「今後は原理研究会の活動を通して、学生と教授、特に哲学科の教授まで、理論的な面で私たちの理念に太刀打ちできないことを証明させ、それを世界的に認識させるつもりです。」
◆「刀」を「御言葉」或いは「原理」に置き換えて読むこと◆
⑬ 真の御父母様の生涯路程6 第六節 二
「皆さんは、共産世界を迎えて闘わなければなりません。父母の立場から先生が闘うことはできません。また銃や刀などの力をもって闘うことはできません。愛をもって闘わなければなりません。」
◆「刀」を「御言葉」或いは「原理」に置き換えて読むこと◆
⑭ 真の御父母様の生涯路程9 第三節 九
「鉄刀を溶かしてすきとすき先を作る時が今だと考え、統一祖国の明るい新世紀を迎える準備を急がなければなりません。」
◆「刀」を「御言葉」或いは「原理」に置き換えて読むこと◆
⑮ 真の御父母様の生涯路程11 第三節 八
「忘れることができません。そのような人の顔を見れば、刀で首を切り落としてしまわなければならないのですが、刀が震えます。刀が動こうとしません。
それでも、私が孤独な時に、「同調者になろう」と苦しみながら歩んできました。みな涙を流したりしたでしょう? みな「先生のために生きる」と言ったでしょう? 復帰の道を歩んだ過去を忘れることはできません。」
◆「刀」を「御言葉」或いは「原理」に置き換えて読むこと◆
⑯み旨の道
「253 先生は綿入れのパジ、チョゴリ(服)がびしょぬれになるまで祈ったことがどれぐらいあるか知れないし、刀を握って誓ったのが何度あるか知れないし、死の峠を心に誓ったのが何千何万回あったか知れない。」
◆「刀」を「御言葉」或いは「原理」に置き換えて読むこと◆
⑰ 福家庭と理想家庭 第一章 第三節 6.
「そうではないという人は男性ではありません。女性たちも同じです。自分の夫をそれほどまで愛してきたのにもかかわらず、夫が別の女性を愛するようになれば、その女性は気分がいいでしょうか、悪いでしょうか。もし気分がいいという人は、いっそのこと死んでしまうべきです。そんな人は一人もいないはずです。それを考えてみなさい。また男性の体面ゆえに、妻がそう(別の男性を愛)しているのに、それを黙って見ていられますか。刀で刺してでも女(妻)が手を引くのを見てこそ気がすっとするのです。ただ腹の中でだけくよくよ心配している男性は、男性ではありません。それは先生もたぶん同じことでしょう。(237)」
◆「刀」を「御言葉」或いは「原理」に置き換えて読むこと◆
⑱ 福家庭と理想家庭 第七章 第三節 2.
「世界が使っている言語や、着ている服、履物、女性が使っている化粧品、このような風習や習慣の中に染み込んだ罪の根性を、いつかは無慈悲に切ることのできる短刀を研ぐ生活をしなければなりません。これが罪の世界から解放され得る生活です。この世の歴史、習慣、環境の悪習に勝利しなくては、罪の世界を主管する道がありません。」