《 ⑧-3 》「第三の獣」・・・「第一の獣(金孝律元特別補佐官)」の姿こそ、私自身でもある・・・それが「第三の獣」だ!
本日は、「第三の獣」である「獣の像」が記されている聖句を全て抜き出して紹介する。
この「第三の獣」である「獣の像」とは、堕落人間の心の中に巣くっているサタンそのものであり、サタンの血統からくる唯物信仰、偶像信仰であり、サタンの申し子となってしまった「第一の獣(金〇律元特別補佐官)」の完全なダミーであり、人間の中にサタンが寄生しているエイリアンでもある。
即ち、「獣の像」とは、私が「第一の獣(金〇律元特別補佐官)」が脈打っている私自身であるということだ。
お父様の路程はサタンを自然屈服させる路程であり、私たちの路程はサタンを分立する路程であったことを忘れてはならない。お父様はメシヤであるからサタンを分立する必要がない。
従って、真の父母としてご家庭を持たれ、そこで起こった獣の全ての悪行は、再臨主の真の愛によって隠し続けられた。1992年以降になると、第二の獣、第三の獣までも登場し、お父様はこの獣たちの悪行の責めを再臨主はお一人で背負うことを全く拒もうとされなかったのだから、私たちが真の愛という性質を知らなければお父様を理解することは絶対にできなり、ただ、私たち全てがそうであったように、お父様の愛を利用して生きる者になるのである。
語られる御言葉は真の愛が理由となって、信徒たちの誰もが理解困難、理解不能に陥り、それでもお父様は、統一教会内を徘徊する獣を救うために獣たちを排除されることはなかった。だからこそ、堂々と、呵責なく、獣たちは信徒の中に紛れていることができたのだった。
更には、信じられないかも知れないが、私たちには理解できないかもしれないが、「右の頬を打たれたら、左の頬を出せ」といイエス様の御言葉があるように、お父様もこの愛を惜しみなく与えられて、罪を犯す獣たちが更に罪を犯すことができるようにさえされた。その証として、ユダの策謀に自ら嵌ら(はま)れて捕らわれ、イエス様がゴルゴダの道を歩かれたように、お父様も獣たちが仕掛けた罠に自ら進んで嵌(はま)られたのだった。
理解困難、理解不能とさえ思える御言葉を比喩と象徴で語り続けられたお父様は、決してボケていたのではない。真の愛ゆえに、聞く者がいないにもかかわらず、摂理の痕跡を後世たちに残す為にも語られたのだった。
お父様の最期は、第一の獣となった「赤い獣」(黙17:3)の金孝律元特別補佐官と並んで、偽女預言者(黙2:20、16:13、19:20)である金孝南女史によってお母様が霊的に幽閉され、子女様もお父様の前から、顕進様を奪い取るようになって、これが原因で、この時、お父様は完全に孤立された。
そして、誰からも理解されずに、たったお一人で聖和に向かわれたお父様の姿が、黙示録から見えることに驚きを隠せない。まさに、このお方は、メシヤだった。
家庭連合(分派も含む)の実態が黙示録に流れているモチーフとシチュエーションが完全に一致し、おぞましいばかりの最終シナリオとなっている。それが家庭連合に起こらねばならない天の奥義(黙10:7、17:5、17:7)として記されていることに驚きを隠せない。実に、黙示録は家庭連合の実態と背筋が寒くなるほど一致している。
参考までに読者の方たちに少しでも関心と興味を持って頂くために、下記〔A〕の聖句に( )を入れて理解が進むように言葉を添えた。だいぶ、読みづらいが、注意深くお読みください。 詳しい検証は後日になる。
なお、( )内に入る言葉が如何なる根拠によるものなのかについては後日になる。
〔A〕
13:14
さらに、先の獣(第一の獣、金〇律元特別補佐官)の前で行うのを許されたしるしで、地(家庭連合)に住む人々(信徒たち)を惑わし、かつ、つるぎ(御言葉)の傷を受けてもなお生きている先の獣(第一の獣、金〇律元特別補佐官)の像(第三の獣、サタンの血統からくる拝金信仰、唯物信仰、偶像信仰、名誉、権力)を造ることを、地(家庭連合)に住む人々(信徒たち)に命じた。
13:15
それから、その獣(第一の獣、金〇律元特別補佐官)の像(第三の獣、サタンの血統からくる拝金信仰、唯物信仰、偶像信仰、名誉、権力)に息を吹き込んで、その獣(第一の獣、金〇律元特別補佐官)の像(第三の獣、サタンの血統からくる拝金信仰、唯物信仰、偶像信仰、名誉、権力)が物を言うことさえできるようにし(邪心の命令に生きるようにし)、また、その獣の像(第三の獣、サタンの血統からくる拝金信仰、唯物信仰、偶像信仰、名誉、権力)を拝まない者をみな(※1)殺させた(追放させた)。
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(※1)殺させた(追放させた)。
お父様を中心とする者は追放したということ。
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14:9
ほかの第三の御使が彼らに続いてきて、大声で言った、「おおよそ、獣(第一の獣、金〇律元特別補佐官)とその像(第三の獣、サタンの血統からくる拝金信仰、唯物信仰、偶像信仰、名誉、権力)とを拝み、額や手に刻印を受ける者(信徒)は、
14:10
神の怒りの杯に混ぜものなしに盛られた、神の激しい怒りの(神の血統圏から離れる)ぶどう酒を飲み、聖なる御使たちと小羊(再臨主)との前で、火(御言葉)と硫黄(なかなか悔い改められない姿を象徴)とで苦しめられる。
14:11
その苦しみの煙は世々限りなく立ちのぼり、そして、獣(第一の獣、金〇律元特別補佐官)とその像(第三の獣、サタンの血統からくる拝金信仰、唯物信仰、偶像信仰、名誉、権力)とを拝む者、また、だれでもその名の刻印を受けている者(信徒)は、昼も夜も休みが得られない。
15:2
またわたしは、火(御言葉)のまじった(※2)ガラスの海のようなものを見た。そして、このガラスの海のそばに、獣とその像とその名の数字とにうち勝った人々〔聖徒たち、真の信徒を聖徒という)〕が、神の立琴を手にして立っているのを見た。
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(※2)ガラスの海
ガラスは水平をあらわし、海は中心家庭の真の愛をあらわしている。真の愛は水平をあらわし、低いところあれば水平を求めて、自分が枯れるまででも、無条件に流れていく性質を持っている。
しかし、サタンの愛は真の愛とは全く反対の、自分を中心とする常に他を犠牲にしてでも自分を高くしようとする欲望の愛である。
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16:2
そして、第一の者(第一の災いを与える御使)が出て行って、その鉢(これまで犯してきた罪状)を地(家庭連合)に傾けた。すると、獣の刻印を持つ人々(信徒たち)と、その像を拝む人々(信徒たち)とのからだに、ひどい悪性のでき物(恨み、後悔、不安と病)ができた。
19:20
しかし、獣は捕えられ、また、この獣の前でしるしを行って、獣の刻印を受けた者(幹部たち)とその像を拝む者(信徒たち)とを惑わしたにせ預言者(黙2:20、金孝南女史)も、獣と共に捕えられた。そして、(※3)この両者(金孝律元特別補佐官と金孝南女史)とも、生きながら(地上で生きているときに)、硫黄の燃えている火の池(御言葉の池)に投げ込まれた。
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(※3)この両者(金孝律元特別補佐官と金孝南女史)とも、生きながら(地上で生きているときに)、硫黄の燃えている火の池(御言葉の池)に投げ込まれた。
・「この両者」とは、「平和の主人 血統の主人」の《(3-5)(3-6)》と一致する。即ち、(3-6)の「この二つの大きな力がここから押してあげることによって、つぶれたのです。」とあるように、これが引き金になって再臨主が聖和することになったと、(3-5)で暗に語られている。そして、この時代の摂理的な局面から見て、「二つの大きな力」とは金孝律元特別補佐官と金孝南女史の二人しかいない。
・「硫黄」とは、悪人が自己正当化しようとしても、お父様からの愛と御言葉を忘れることができずに悩み苦しむ姿を比喩して、異臭を放つ硫黄の匂いに譬えている。イエスを裏切ったユダが苦しみのあまりに自殺した時の苦しみが、まさに、硫黄の匂いなのだ。
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20:4
また見ていると、かず多くの座があり、その上に人々(聖徒たち)がすわっていた。そして、彼らにさばきの権が与えられていた。また、イエスのあかしをし神の言を伝えたために首を切られた人々(迫害されたり、殺されたり、追放された信徒たち)の霊(思い)がそこにおり、また、獣をもその像をも拝まず、その(サタンの) 刻印を額や手に(サタンの血統を) 受けることをしなかった人々(真実の聖徒たち)がいた。彼らは生きかえって、キリストと共に千年の間、(サタンを)支配した。