ほふられた小羊

1. お父様が地上で成される最終目的は『アダムを再創造』することだった。
2. 『アダムの再創造』に必要な条件はお母様がお父様を主管する『主管性転倒式』という摂理だった。
3. 『主管性転倒式』とはお母様がお父様を主管することによって成された『聖和』である。
4. 『聖和』によって『アダムの再創造』が完成した。
5. お母様が絶対信仰の基準が立てることができないことを予め知っておられたお父様は、
 神様王権即位式の前日に「死の前倒し」という条件をもって即位式を挙行された。
6. その為、神様王権即位式以降から12年の延長期間のお母様はサタン側の堕落したエバの立場に立つことになった。
7. 12年の延長期間において、お母様は信仰基準を立てることができないことから、お父様は真の相対(新婦)を失うことになり、自ら聖和された。
8. イエス様の死が摂理の大転換となったと同じように、この『聖和』が摂理の大転換点のとなっている。
9. お父様の七年の大患難時代(2013-2019)が今年で終わります。そして、コロナ災禍で始まり、ウクライナ問題の真っただ中にある2019-2025年までが世界的蕩減時代になっています。さらに、2025-2031年までが世界的贖罪時代となります。そして、これ以降、お父様がこの地上に臨まれる時代圏が到来しようとしています。
 さらに、お母様が80歳以降に入るとお母様の終焉が迫っています。

蕩減・・非法的要素・・・見せざるを得ない!!


 男性訪韓修練会 「家庭における女性の使命」・・ヨセフとマリヤの心境 1995.1.11-19)



 「そういう因縁の家庭的背後を見てみるとき、姉妹でもって紛争すべきでしょうか? エリサベツは、妹のマリヤを旦那さんに抱擁してやるように案内してあげたのです。


こんなことはあり得ないのです。


 なぜ、こんな非法的なことをやらざるを得ないかというと、元に帰っていくには、非法的な堕落の血統的愛の基盤の上にあるので、正法の伝統的な道では戻っていくことができないのです。


非法的でなければ戻っていく道がないのです。


 そもそも、(天使長とエバとアダムが堕落して)非法の出発をしたのですから、(文先生は)その非法の起点に行って、そこから正法の道に戻っていかなければならないので、(※)非法の要素を(隠すことができないために、古い祝福家庭たちに)見せざるを得ないというのです。


 ですから、「罪多きところでは恵みも多い」という聖書の言葉も逆でありながら真なのです。」


(※)この「妾摂理」を見た古い信徒たちは躓き、離れ、裏切り、ありもしないことを密告したのです。これ故に、お父様と統一教会の苦難が始まったのです。)



天聖経 罪と蕩減復帰 


第三章 蕩減と復帰の公式


一 母性復帰から見たリベカ、タマル、マリヤの役事


1.エバの堕落とリベカ、タマルの欺きの役事


 堕落は母の胎内から始まりました。それゆえ復帰も母の胎内からなされなければなりません。そこが悪の根源地となり、出発点になったので、復帰においてもその原点に戻らなければならないのです。それで神様は二人の兄弟を立てて、長子権を復帰する摂理を行うことになったのです。すなわち、カインはアベルの位置に下がらなければならず、アベルはカインの位置、すなわち長子の位置に上がらなければならなかったのです。しかしカインはアベルを殺してしまいました。この行為は、アダムとエバの時の堕落行為の反復でした。すなわち復帰された立場はおろか、再び天使がアダムを主管した立場に立ってしまったのです。

           *

 考えてみてください。エバが堕落するとき誰をだましましたか。神様をだましました。神様に隠れて、神様に相談せずに勝手に神様を否定する立場で堕落したのです。次に、アダムは自分の夫であると同時に神様の息子です。父子を否定する立場で堕落したがゆえに、アダムを失いました。このようになったのを蕩減復帰するために神様はリベカを立て、神様の代わりに父イサク、アダムの代わりに息子エサウ、この二人が分からないように祝福を奪ってくるのです。言い換えれば、逆になったものを取り替えるために、リベカはヤコブを通して、失った祝福の長子の嗣業を奪ってくることのできる条件をもつようになったのです。条件です、条件。その実体を得たのではなく、条件を得たのです。

           *

天使がエバを誘惑しましたが、今度は逆に、エバが誘惑するのです。そのようなことを蕩減復帰しなければなりません。ですからタマルは 舅 と関係を結ぶことになったのです。関係を結ぶ時の約束で、やぎの子をやるというのを、印と紐と杖の三つのしるしとなるものをくれと言って受け取り、保管しました。「私のはらんだ子の父親が誰かということを確認させるためには、たとえ死ぬとしても、それを残して死ななければ」という覚悟で、タマルは証拠物を受け取って保管したのです。

           *

 マリヤも、エバとほとんど同じではありませんか。自分の夫であり、兄であるアダムと父である神様、神様と兄と夫をエバが欺いたように、タマルもそのようにしたのです。自分の未来の夫となる人、そして舅、夫と兄とすべての兄弟を欺いたその内容は、すべてエバの行為と一致する蕩減の内容となるのです。それがタマル自体を中心として、マリヤを中心として相似しているのです。

           *天聖経 罪と蕩減復帰 第三章 一 1. 


 エバが三人の男性を欺いたように、いつも三人の男性を欺くのです。リベカが三人の男性を欺いたでしょう。神様、自分の夫、自分の息子を欺きました。またタマルも三人の男性を欺きました。舅と一番目の息子、二番目の息子を欺きました。またマリヤは誰を欺きましたか。マリヤも神様、そして自分の父母、自分の夫。同じです。エバ(=お母様)が父を欺き、兄(=先生)を欺き、夫(=先生)を欺きました。アダムが兄であると同時に夫です。同じなのです。

           *

 マタイによる福音書第一章に四大遊女が出てきます。そこにバテシバが出てくるでしょう。タマルが出てくるでしょう。その次に遊女ラハブが出てくるでしょう。次にはルツが出てくるでしょう。四大淫女が出てきます。彼女たちはみな淫女です。夫がいるのに他の男と関係をもったのですから淫女ではありませんか。聖書を一度読んでごらんなさい。よく読んでみなさいというのです。それゆえイエス様は正妻を通して生まれることができないのです。めかけを通して出てきたのです。

           *

 聖書は聖なる経典であるのに、許されないような内容がたくさんあります。そうではないですか。ヤコブがリベカと一つになって、兄エサウと父を欺いて祝福を受けるというようなことがどうして起きたのでしょうか。またタマルが舅と関係を結んで生まれたペレヅとゼラを中心として、ユダの支派が祝福を受けるようになったのはなぜかという問題、人類の道徳観では解決できないこのような問題があるのはなぜかということです。

マタイによる福音書第一章には四大淫女が出てきます。タマルとバテシバとラハブとルツが出てきます。マタイによる福音書は創世記に匹敵するものですが、歴史時代において最初のページにこのような女性たちを中心として清くない汚点をもつ女性たちがこのように出てくるのはなぜかということです。このような問題は、すべて堕落原理を知らずしては解決する道がありません。謎として残っているのです。ところが文総裁の時代になって初めてそれをすべて明らかにしたのです。



2.タマルを中心とした腹中根本復帰


 考えてみてください。カインとアベルが、エサウとヤコブが生まれてすり替えようとしました。そこにはいつも母子協助が必要なのです。エバがアベルを擁護したのです。次にエサウとヤコブ時代には、リベカがヤコブの側になり、うそをついて助けたのです。ところが、神様が祝福をしてくださったのはなぜかという問題については誰も知らないのです。そしてヤコブの時に双子として生まれてすり代わったのです。それでも駄目だったので、ぺレヅとゼラを中心としてタマルの腹中から出るときに争って、すり代わって次子が長子を押し退けて出てくるということが起こったのです。これはすべて、本然の父母の血統的基準に接近するための運動であったという事実を知らなければなりません。

           *

 神様はリベカに「二つの国民があなたの胎中にあり、二つの国民があなたから分れるであろう」(創世記二五・二三)と言われたのです。二つの国に分かれるということです。一つの国は天の国であり、もう一つの国はサタンの国です。ここから争って血統復帰をしようとしたので三代を要したのです。腹中で争ってひっくり返して、腹中から血統を継承したという基準を立てなければならないのです。ヤコブが三代目にして外的に勝利しましたが、内的な勝利の基盤はタマルの腹中から生まれたぺレヅから成されたのです。これが復帰の原則です。

           *

 タマルの役事を中心として考えると、タマルは天の天道を引き継ぐために自分の生命を懸けたのです。文総裁と同じように生命を懸けたのです。そしてヤコブは天使と命懸けで戦いました。ももの骨が折れても一晩中手を離すことはありませんでした。それはどういうことですか。ももの骨を打たれなければなりません。ももの骨を誤って用いたことが淫乱ではありませんか。それゆえ、我々統一教会では結婚をしたあとで蕩減棒儀式をするのです。蕩減棒儀式とは何でしょうか。どこを打つことですか。腰を打つことです。この腰を誤って用いたのではありませんか。この聡明な文総裁がどうしてそんなことをするのでしょうか。しかし仕方がないのです。

           *

 昔、天使長がエバを誘惑したのとは反対に女性が舅を誘惑して、天命を賭けてアブラハムの理想を相続するために、自分の身は肥しとなり、今にも石に打たれ死んだとしても……その当時ユダヤの法は寡婦が子をはらむと石に打たれて死ぬというものでしたが、それを覚悟の上でした。どういうことか分かりますか。「ユダヤの血統を残すことが私の願いであり、そのためにはこうするしかない。殺すなら殺しなさい」という志を立てて、死を覚悟して進んでいったのです。祭物的死を覚悟して決断して勇み立ったタマルのこの役事は、驚くべき女性の役事となったのです。

           *

 イエス様の先祖が、そこから生まれたのです。これは驚くべき事件なのです。これを考えると堕落論を否定することはできません。なぜ神様がこのような摂理をしなければならないのでしょうか。人類は腹中から汚れたので、腹中からすり替える転換点を立てなければならないので、タマルがそのような悲運の運命の中に立ったのです。

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 さあ、歴史始まって以来、初めて兄と弟が腹中ですり代わるということが起こったのです。ユダの時になってタマルという不法的な行動をした女性によって、初めて歴史が正されたという事実を私たちは知りました。このようなタマルの勝利の伝統を受け継ぎ、信じて進む人にはサタンが侵犯することができないという起源が、ここから始まるのです。タマルのような心情的歴史的伝統を受け継いで、ユダの支派の伝統を受け継いで信じて進む人には、サタンが侵犯することができないのです。すり替えられたことを中心として、伝統が受け継がれてきたのです。

           *

 タマルという女性は神様の血統、すなわち祝福というものを重要視した人物です。血統を受け継ぐためには、どんな冒険でもするという歴史的な代表の女性です。これはどんな位置と同じかというと、エバの位置と同じです。エバは人類の母として神様の直系の伝統的継代を受け継ぐべきであったにもかかわらず、これをないがしろにして破綻させたのです。それを復帰するためには、エバの上を行く女性が出てこなければならないのです。死んで滅びることをものともせずに、ひたすら神様の祝福を受ける血統の代を残すことを、自分の生命よりも価値あるものと考える女性が出てこなければならないのです。そのような女性がタマルです。

           *

 ユダはタマルの舅でしたが、父の立場にありました。父と娘が一つとなることによって彼女は妊娠しました。結局タマルは舅によって息子を妊娠したのです。創世記第三十八章を見ると、ユダには三人の息子があり、タマルはその長男の妻でした。彼女の夫は死に、このような場合、ユダヤ民族の慣習ではその二男によって息子を生まなければならないのですが、二男も死に、三男は幼なすぎました。それでタマルは神様の復帰してきた血統を継承することが何よりも重要であり必要なことだと思い、舅ユダによって子を妊娠するという最後の手段を使わざるを得なかったのです。その時、彼女は誇りも捨て、生命までも投げ出す覚悟をしました。彼女は遊女の衣をまとい、舅が通る道端に座って、農場に行くユダを誘惑して関係を結んだのです。

           *

 タマルは舅と血縁関係を結ぶために生命を投げ出しました。今すぐにでも石に打たれて死ぬかもしれないし、二つの家門がすべて打ち殺されるかもしれないというものでした。タマルはそのような状況の中でも、自分の体面と威信を捨てたのです。自分の夫が死んで、夫の弟を迎えたのですがその弟も死にました。ところが三男は幼くて、彼によっては天の祝福を受けた血統の代を受け継ぐことはできませんでした。そのような立場でタマルは、自分の威信と体面を捨てて生命を犠牲にしてでも天の祝福を受けた代を残さなければならないと誓ったのです。タマルのその心、それが貴いのです。

           *

 エサウとヤコブのときを考えてみると、リベカの腹中から闘ったのですが、先に生まれたエサウはサタン側です。ヤコブは生まれてから長子の嗣業を奪ったのです。ところがペレヅとゼラはタマルの腹中で闘い、ペレヅが長子の嗣業を奪い返したのです。母の腹中は息子、娘の生まれる根本ですが、その根本からすり替えられたのです。生まれてから替えたのではなく、腹中から替えられたのです。

           *

 腹中ですり替えられて先に生まれた息子に向かって、サタンは「お前は私の息子だ」ということはできないのです。腹中ですり替えられずに先に生まれたならばサタン側ですが、腹中ですり替えられて先に生まれたならば天の側なのです。タマルの腹中で闘ってペレヅがゼラを押し退けて生まれたので長子の嗣業を奪ったのです。ですから生まれつき長子なのです。ペレヅは必然的に次子となるべきであるにもかかわらず、長子の立場で生まれたので、善が先に生まれたということができます。

           *

 天の祝福が貴いものであるがゆえ、天の選民思想を残すことは重要なことです。それゆえその血統を受け継がなければならないのですが、自分の夫は死に、夫の兄弟がいないというのです。ユダヤの風習では兄が死ねば弟が兄嫁をめとらなければならないのですが、弟は死んでいないのです。それで血統を受け継ぐために、仕方なく遊女の衣をまとって舅を欺いて子をはらんだのです。どういうことか分かりますか。サタンの世界に行って奪ってこなければなりません。それゆえ舅は夫の代わりであり、兄の代わりです。そのような立場に立てて長子権を……アブラハム、イサク、ヤコブ、ユダ、四代すべての祝福を受け継ぐために、タマルは生命を懸けて断行したのです。

           *

 サタンがどこに子の種を蒔いたかというと、子宮に蒔きました。それゆえ、ペレヅとゼラも双子として生まれたのです。一つの腹中に二つの種が蒔かれたのです。ですから双子なのです。タマルの腹中から生まれる二人の子がペレヅとゼラなのですが、その兄が先に出てこようと手を出したときに赤い糸を結んだのです。これはのちに、再臨の主の時に、共産主義世界から全権を代表した独裁者が先に現れることを意味するものです。それで第二次大戦時代はヒトラーのような独裁者が現れ、ソ連にはスターリンのような人物が現れたのです。スターリンは一九五三年に死にました。その時から中国とソ連が分かれたのです。先生が獄中から解放されて出てから三年目に死んだのです。歴史はすべて偶然ではありません。



3.イエスの路程におけるマリヤの使命


 タマルは複数の男性を経て息子を生んだので、駄目なのです。ですから養子です。それゆえ、タマルのそのような志操を受け継いで、処女の身で精誠を尽くして神様の前に召命を受けることのできる女性がいなければなりません。そのような処女がいなければなりません。その処女がマリヤなのです。

           *

 マリヤはその時代において、自分の生命を懸けて神様のみ旨を誰よりも一生懸命追求する女性でした。あたかもタマルのような志操と忠節を尽くし、貴い天の血統を残すためにはいかなる冒険も強行することのできる大胆な立場に立っていた女性が、すなわちマリヤでした。天使ガブリエルが現れて、マリヤに遠からず懐妊するであろうと予告したとき、マリヤは「どうして、そんな事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありませんのに」(ルカ一・三四)と答えました。天使が再び「神には、なんでもできないことはありません」(同一・三七)と言うと、マリヤは「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」(同一・三八)と答えたのでした。

           *

 イエス様はどのようにして生まれたのでしょうか。イエス様は血統を清めてこられました。兄弟から生まれ、双子時代を経て、エサウとヤコブを通して長子権を復帰し、タマルの腹中でペレヅとゼラの歴史に例を見ない、熾烈な闘いを通してひっくり返し、順序を変えて、血統転換を子宮でしたのです。先に出る兄を押し退けて出てきたのでペレヅと名づけられました。兄ゼラを押し退けて先に出てきたということです。タマルの腹中から兄ゼラの手が出てきたとき、産婆が赤い糸を手に結んだのは、今後この世界の継承者が現れるとき、共産主義が先に現れるということ予示したのです。これを退けて長子権復帰ができなければ、世界が統一されないのです。

           *

 タマルのような立場にあったのが、ヨセフの婚約者マリヤです。マリヤも母を欺き、父を欺きました。そして自分の夫ヨセフを欺いて子を妊娠しました。アダムとエバがそうして堕落したので、蕩減復帰原則がそうなっているのです。婚約時代に天倫に背いたので、マリヤはタマルの伝統を受け継いで、子宮に神様の伝統的歴史を受け継がなければならないのです。神様の祝福を受けた血統を尊重するマリヤは、自分の生死を越えて、自分が死んだとしてもそうしなければならなかったのです。ユダヤの法では、処女が妊娠すれば石に打たれて殺されることになっていました。そうでしょう。女性はみな、生命を捧げる覚悟をしなければならないのです。

           *

 ヨセフと婚約をしたマリヤという女性は、エバと全く同じです。アダムとエバが堕落したとき、どのような立場にいたかというと、婚約した立場にいたのです。アダムとエバが婚約した段階で堕落したのと同じなので、それを蕩減復帰するためにはリベカの伝統を受け継ぎ、タマルの伝統を受け継がなければなりません。そうして血統を清めた女性を代表した基準において、それを相続することのできる位置に立った人物がマリヤだったのです。

           *

 蕩減復帰原則によってこのように欺いたマリヤは、その時代の法からすれば石に打たれて死ななければなりません。石に打たれて死ななければならないのに、妊娠したイエス様を殺すわけにはいかないので、天がヨセフに「ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである」(マタイ一・二〇)と伝え、ヨセフは仕方なくマリヤを迎えたのです。

           *

 天使長の血を受け継いだので、天使長と同じような人物を通してイエス様を懐妊させたのです。聖霊によって身ごもったですって。そんなばかげたことはもう終わりにしなさいというのです。蕩減復帰原則がそうなっているのです。神様が特別に愛する天の側で、一〇〇パーセント永遠に変わらない天の側の忠臣になることのできる天使長のような人物を立てれば、サタンが天使長の位置から去っていくのです。ですから、天使長級の天の側の人物を通してイエス様を生んだのです。このようにしてイエス様は長子として生まれたのです。堕落した長子権から新しい血統へと清められ、天の側の長子権として生まれたのです。それゆえイエス様を信じる人が神様を中心として神様の愛に接することになるので、その血統はサタンとは異なるのです。

           *

 ヨセフとマリヤが婚約したのは、アダムとエバが婚約段階にいたのと同じ立場です。それで神様は、婚約した関係にいるマリヤとヨセフの間からマリヤを奪わなければならなかったのです。神様がマリヤを奪わなければならないのは、失ったエバを復帰するためです。それでヨセフは、誰の立場ですか。天使長の立場です。ヨセフは元来、アダムの立場に立たなければならないのです。しかし、どうしてヨセフが天使長の立場ですか。堕落した後孫なので、種が違うからです。すなわち、根が違うというのです。ヨセフは堕落の種をもっているというのです。それゆえこれをひっくり返すには否定しなければなりません。それではその種は、どこから出てこなければなりませんか。神様から出てこなければなりません。

           *

 その子がどんな子かと言えば……。堕落した世界において、アダムのような立場の人が初めて成熟して天の側の天使長の立場に立つことのできる代表者になって、天の側の天使長の種を受け継いで本然の種以上の立場に上がってこそ神様の直系の子女ができるのです。ですからイエス様のお父さんは誰ですか。お父さんが違うのです。ヨセフではありません。天の側の天使長圏ですが、堕落した天使ではありません。だからと言って、神様が来て赤ちゃんを生んであげたのではありません。サタンは天使長でしょう。天の側で忠臣になることのできる、堕落した天使長以上の天使長格でなければなりません。サタンが讒訴できる位置ではありません。サタンが讒訴できない血統的土台とその種の内容がなければなりません。堕落は落ちて下がっていきましたが、再び上がることのできる心情圏を受け継いで、神様の息子の権威を受け継いでくるのがメシヤだというのです。複雑だというのです。それで、初めてこの地上に神様の初愛を受けた長男が生まれたのです。

           *

 イエス様が歴史的な背後のもつれたすべてを蕩減することができる過程を経ていくためには、母の絶対的な支持が必要でした。ガリラヤのカナの親戚の婚礼で、イエス様の母がぶどう酒がなくなったと言った時、イエス様が「婦人よ、あなたは、わたしと、なんのかかわりがありますか」(ヨハネ二・四)と言ったのは気分が良くて言った言葉でしょうか。「親戚の婚礼で何をばかげたことを言っているんだ。母としてすべきこともせずに」とはねつけたのです。それが分かりますか。

           *

 イエス様は公的に立った人物なので、公的なすべての規約を、天法に従って結婚するようになっているのであって、適当に出会って生活する男と女のようなわけにはいかないのです。歴史の方向に照準を合わせ、その摂理の時代に照準を合わせなければなりません。蕩減復帰のためにはそれが絶対に必要なのです。それが合わないがゆえにイエス様は結婚できなかったのです。

           *

 万王の王権をもってくるイエス様は、どのように来られましたか。血統を転換させ、勝利的な伝統を受け継いで来ました。それゆえ、マリヤの腹中に妊娠してもサタンは「それは私の息子だ」と言うことができないのです。タマルの心情的伝統を受け継いだ歴史的な基準の上に、国家的次元でマリヤが懐妊したので、エバの過ちを蕩減復帰したのです。それと同時に、歴史的願いである女性の行くべき道の前に結実の場に立って血統転換、長子復帰完成基準の心情圏の上で懐妊したので、腹中からサタンが自分の息子だと主張することができないのです。タマルにおいてペレヅは、生まれてから天の長子として主張することができるのであり、腹中では主張することができなかったのです。

           *

 イエス様が、仏教の釈迦牟尼、儒教の孔子、イスラム教のマホメットのような方と違うところは、どこでしょうか。血統を清めて来られた方は、歴史上イエス様しかありません。そこが違うのです。釈迦牟尼とイエス様のどこが違いますか。マホメットとはどこが違いますか。イエス様が釈迦牟尼やマホメットと違うところは、血統を清めて来られたということです。それがメシヤの特権です。そこが違うのです。歴史においてこのような歴史が繰り広げられることによって、イスラエルの国に初めてイエス様を中心としたキリスト教の出発がなされたのです。こうして真の父の立場に立つのです。

           *

 イエス様は万民に対して、このように宣布しました。「誰よりもわたしを愛しなさい」。誰よりもというのは、堕落した世の中を意味するものです。堕落した世の圏内は、堕落した愛の基準のもとにあるということです。その基準を越えなければなりません。ですから集約すれば、過程を中心とした自分の母、父よりも神様を愛するべきであり、本然の父母であるメシヤのために生きるべきであり、自分の妻や夫よりもイエス様を愛するべきなのです。それはどういうことでしょうか。蕩減復帰原則において、サタン側の愛を凌駕することのできる愛が、初めて出発することのできる基準を立てて宣布したということです。

           *

 祝福というのは、男性と女性の二人が出会うことではありません。イエス様はザカリヤの家庭、ザカリヤの族属、ザカリヤの一族の者とヨセフの一族の者、二つの家門、カイン・アベルの関係にある氏族的基盤の上に立たなければなりません。これが、イエス様の結婚の立場です。ところが、これができずに死にました。それゆえ、これを蕩減復帰するためのものが祝福です。イエス様とヨセフの家庭は、アベルの位置を意味します。そしてザカリヤの家庭は、カインの位置を意味します。

           *

 イエス様と洗礼ヨハネとの関係は、カインとアベルのような関係です。イエス様と洗礼ヨハネとは兄弟です。明らかにされていませんが兄弟です。洗礼ヨハネは最初の妻から生まれ、イエスは二番目の妻から生まれました。最初の妻から生まれてはいけません。それゆえ終末には淫乱が蔓延するのです。女性が身を売るという風潮が広がるのです。女性を解放しなければなりません。最初の夫ではならないのです。終末には放蕩な女、淫女、通りの女を通して偉大な人物が生まれるのです。どういう意味か分かりますか。めかけは堕落した世界から愛を奪ってくるのです。ですから今日、本妻であれ何であれ、めかけが逆に勢力をもつような時代になってきているのです。なぜそうなのでしょうか。最初のものはカイン側の愛であり、二番目のものは天の側の愛であるので、二番目のものを通して役事するのです。それゆえヨセフといった人物もイエス様も、二番目です。分かりましたか。


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