「アブラハムによるイエスの典型路程」を伺わせる御言葉➁
真の御父母様の生涯路程4 第一節 五
(※)蕩減復帰の解怨成就において、エバの完成のための蕩減復帰歴史がなければなりません。先生はアダム復帰完成のための闘争の歴史を経て、勝利の基盤を築いてきた堂々たる男性として立っていますが、女性(=お母様)が堂々たる女性として立つためには、エバの蕩減復帰路程があるのです。
七年という期間は、お母様の試練の期間です。その七年間は女として絶対服従し、神様の前に試練を克服した蕩減条件を立てて、先生の前に相対的な基準を完全に備えなければならないのです。そのような期間は、お母様としての試練の期間です。女性として、人間の世界で受けるべきすべての苦衷を味わい、神様のみ旨を中心として消化し、克服して越えなければならない期間であるということを皆さんは知らなければなりません。
統一教会の女性信徒たちが(お母様を)黙ってほうっておかないのです。やたらといじめるのです。目玉をくり抜きたい、唇をかみそりで切り裂きたい、そのように思うのです。ですからお母様は、お母様としての合格証を受けるために試験を受けるのです。試験を受けるとき、教師たちは引っ掛かってだまされるような条件のみ探すのです。一番難しいことで引っ掛けるのです。お母様の位置に立ってはいますが、訓練を受ける時はお母様ではありません。アベルとして、統一教会の女性たちをすべて慈しむことができる位置に立たなければならないのです。そのようにして、すべての人が喜ぶようにならなければならないのです。それが難しいのです。統一教会の婦人たちは、お母様を最高に讒訴したのです。突き刺して倒そうというのです。
そのように最も憎しみを受けるところから解放され、憎んでいた人が太鼓判を押し「最も愛する女性の代表である」と、「私の福をすべてあげてもいいです」と頭を垂れるようになるとき、お母様は、初めてお母様の位置に上がるのです。
夫婦愛の完成路程
第一次七年路程とは何かといえば、相対基盤を完成させる時です。家庭的完成基盤を越えていく時なのです。性格的な面で先生と合わないのですが、ある一時期に来ると合い始めるというのです。そうすれば、合わなかったことは切り捨てて、合う所から出発するのです。それが七年路程です。第一次七年路程がどういう期間かというと、み旨を中心としてお母様と一つになることができる基準を合わせてくる期間です。
信仰で一つにならなければなりません。夫が行く道の前に、妻がああだこうだと言いながら反対する日には引っ掛かるのです。
その次には、体で一つにならなければなりません。実体で一つにならなければなりません。
その次には、愛で一つにならなければなりません。すべて神様を中心として、信仰で一つになり、実体で一つになり、愛で一つにならなければなりません。
それで先生が、先生の家庭の前に讒訴できる内外のすべての基準を整理して勝利した期間、心情的な面において、家庭を中心として発展してもサタンが讒訴できない起源を完全に決定した、その期間が七年路程だということを皆さんは知らなければなりません。そこには内的な問題など、複雑な問題がありました。
お母様と先生が一つになったといえる心情的基盤は、この世界の分かれたすべてのことを総合できる、代わりの立場にもなるというのです。世界を一つにまとめた心情の基盤の上に立たなければならないので、そのようなことをしてきたのです。
それで先生は、皆さんを直接指導することを中断したのです。先生は一九六四年の夏まで、この場所で日曜の礼拝の説教をしました。ところで、どうしてそれをやめたのでしょうか。それは外的な問題より、内的な問題がより一層切迫していたためです。
真の御父母様の家庭完成の十字架路程
七千年歴史を区切りとして完成してこそ、安息圈を越えて、八数の新しい出発ができます。これが第一次七年路程であるのですが、これは皆さんが行くのではありません。その期間は統一教会の文先生が家庭的基盤を築いていく時です。祝福式、聖婚式のあとから、先生の家庭は幸福な家庭ではありません。家庭的十字架を背負って行く道です。誰か(=先生とお母様)が家庭的十字架を背負って勝ったという勝利的な立て札を打ち込むまでは、第二次である皆さんの家庭の行く道がありません。
先生の家庭を中心として四位基台の基盤を広めてきたのです。今、その基盤が広まるとともに皆さんが復帰されるのです。ここにいる先生の家庭の子供たちの名前を見れば、全部復帰歴史と関係しています。
うちの息子、娘たちは、みなこの中から生まれ、必ずお母様の話を聞いて一つにならなければなりません。この期間には、先生の家庭で蕩減を受けることがたくさん起きるのです。子供たちまでも、この期間には気を休めることができずに育ったのです。この期間には、家庭で思いがけない不祥事も起きたりするのです。
そしてお母様を迎え、約束して定めたことは、どんなに悔しく無念なことがあっても、今後食口たちの前で「うちの先生夫婦はけんかをしたんだな」ということを見せてはならないということです。育つ子供たちが多くても、子供たちの前で涙を流して、お母さんとお父さんがけんかしているという表示を絶対にしてはならないのです。私もそうです。子供たちは小さな神様です。愛を中心としてよ力近い神様です。絶対服従です。もしお母さんのいる時、子供たちが「お母さん!」と言って入ってきたら、笑っている子供たちに「なあに!」と言うのです。
また、私は子供たちを見てあげることができませんでしたが、全部はできなくても、四番目の息子と娘までは、いつどんな時でも、)十二時を越えて帰ってきても、寝ている部屋に入ってキスをしてあげ、祈祷をしてあげました。私は父母として、子供たちの生活に対していちいち指導はできませんでしたが、保護すべき責任があるので、朝夕に祈祷してあげて生活したのです。
父母と子女と万物が一つにならなくては、神様の愛の圏に到達できません。それで七年の間、お母様を中心として訓練をし、お母様と子供たちを中心として迫害を受けて大変だったのです。そのような過程を経たのです。
堕落したがゆえに、夫の責任を果たせず、息子の責任を果たせず、万物を失ってしまったのです。それゆえ、そのようなことを内的な面で蕩減しなけれぱならないのですが、そのような過程を経ながら、「万物の日」、「子女の日」、「父母の日」を設定し、すべて蕩減してくるのです。それをこの七年期間にしたのです。そのようにしてこの七年期間が終わることによって、「神の日」を立てて蕩減の峠を越えるのです。