「アブラハムの典型路程」は韓お母様ばかりではなく、聖進様のお母さんにもあった。
《 「アブラハムの典型路程」 》はエバが蕩減しなければならなかった。
御言葉〔A〕は韓お母様であり、御言葉〔B〕は聖進様のお母さんになる。
御言葉〔A〕・・・韓お母様のことを語られている
七七七双聖酒式後の御言1970年10月18日水澤里中央修
聖進さんのお母さんに対しても、もしも怨讐が神のみ旨で奪い取ろうとする者がいれば、そこに土産物をつけていくらでも渡してあげます。ゲラルの王アビメレクも、アブラハムの妻サラを返す時には褒美までつけて返したでしょう?自分の奥さんを盗まれても、共にその男の妾のように生活しながらも、共に生きる男がいるというのです。おとなしくて、話もしないで祈るし、嫌々ながらもそういう立場で一緒に生活する男もいるというのです。
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参考までに・・・
《平和の主人 血統の主人(10-4)》では「ラマ教では、夫が自分の妻をお客に譲り渡すのです。譲り渡して生んだ息子を自分の国の王に立てるという思想があるので、堕落していない伝統の血筋を中心として上がっていくのです。」と語られていたのは、このことを言っていると思われます。】
御言葉〔B〕
第3回「七・八節」の御言 1999年8月17日 アラスカ・コディアク
先生は、自分自身が自分の体をコントロールできる訓練をした人なのです。そうでなければ、神様の息子、娘になることはできません。
自分がとても愛している人(花嫁、妻)を怨讐の前に譲って、福を祈り、「わたしの代わりに、わたし以上に愛しなさい」という心を持つことができてこそ、神様の心情を理解することができるのです。何のことか、分かりますか?。
(※)先生も、聖進様の母親をそのような位置に立てようとしました。「どのような怨讐にでも会いなさい」と言うことができ、紹介してあげることができたのです。だからといって、そのように行動するのではありません。そのような心情圏を通過するということです。
自分の最愛の人が男性たちと仲良くしていても目をつむり、「神様がエバの喜びの日を迎えられることができなかったことを、自分の家庭において神様が喜びの日を持たれることによって、解いて越えていかなければならない」と考えた人なのです。何のことか、分かりますか?(「はい」)
わたしは、聖進様の母親が金キム百文の祈祷院に行ったとき、金百文を呼んできて紹介してあげた人なのです。「愛しなさい」というのではありません。そのようなときに、どのような心がわたしに生じたでしょうか?しかし、そこで躊躇すれば、神様の心情に引っかかるのです。