食口の裏切り
御旨と世界(書籍)
25.創立以前の内的教会史 1977年5月1日 ニューヨーク ベルベディア
◆神様は泣いておられる
しかし外にいる人々に唾をかけられたり、打たれたりしても、そういうことが苦しいことではありません。かつて共に食口として歩んだ人が、神を裏切って去っていく時、それ以上悲痛なることがあるでしょうか。そういう痛みまで体験して初めて、イエス様が外的な敵、すなわち具体的に十字架に釘づけた人々による外的迫害、裏切りだけでなく、ユダによる裏切りのごとく、最も痛い内部からの内的迫害を受けた方であることと、その痛みというものを少しでも理解することができるでしょう。
先生は共産陣営のみならず、自由主義の韓国においてさえ、刑務所生活を体験しました。西大門刑務所に行ったその日のことは、永遠に忘れることができないでしょう。その日、刑務所に引かれていく時、一人の教会から去ったかつての食口が先生に駆け寄ってきて、侮蔑に満ちた嘲笑を浮かべながら言ったのです。「あんたはまだそんな馬鹿なことをやっているのかい、俺のように早く卒業することだな」と……。先生は永遠にその男のことを忘れることはできません。一言も語らず黙然として彼の前を引かれていきましたが、心の中で神に向かって叫びました。「神よ、今こそあなたの義と、私のあなたに対する従順を証させ給え」と。
このようなことを一度ならず幾度となく味わってきたのですから、目を閉じて祈り始めると、いつも涙を止めることができずに痛哭する先生です。神のそういう悲しい内情がよく分かるからです。そして同じ事情を味わい、その心情を知ればこそ、そういう神の心情を誰よりも慰めることができるのです。親はもちろんのこと、妻も子供も分かってはくれない、一人として理解する者もない、そういう時こそ、孤独なる神の友となることができるのです。
一人の男がこんなにも弱くなり得るものか、と思ったこともありました。ある意味では同じ弱き一人の人間に変わりないのです。しかし自分をそんなにも頼りにしている神であることを知っていますから、そういう神の心情を思うと、いても立ってもいられなくなり神の願いを果たして神を慰めたいという思いにかられます。