前回の続き・・「黙示録」「小羊の婚宴」について語られた御言葉
前回のブログ「 ほふられた小羊」の続きです。
一元管理された自作の『13,000ページのみ言集』を用いて、「黙示録」と「小羊の婚宴」を検索しました。
検索の結果は次のようになりました。
「黙示録」検索した結果・・・83件がヒット
「小羊」で検索した結果・・・135件がヒット
本日は、ヒットしたみ言の中から①~⑮を選んで紹介します。
今後のブログ展開に重要なみ言になります。
なお、下記の《 ⑪ 》は、この検索で新しく発見した、今後の展開に重要な摂理的で現実的な意味を持っているみ言です。
お母様をサタンの縄目から解放するために欠かせないヨシュアとカレブ(ちょっと暗い写真で恐縮です。)
■ 以下が検索結果です。
「黙示録」と「小羊の婚宴」についてお父様が語られているみ言葉の確認です。
① 世界平和を愛する世界人として 文鮮明自叙伝 第二章
創世記から黙示録まで数十回も線を引いて読み、ごま粒のようなメモ書きで真っ黒になったぼろぼろの『聖書』一冊だけを携えて、私は三八度線を越えて行きました。
② 真の御父母様の生涯路程 1 第五節 三
先生は、聖書だけを見て原理を探したのではないのです。「創世記が堕落の章ならば、黙示録は復帰の章だ。生命の木がこのようになったならば、生命の木に復帰されることだ。それが合わなければ聖書は間違いだ」と考えました。
③ 真の御父母様の生涯路程 4 第一節 七
「わたしはアルバであり、オメガである」というみ言はどういう意味か分かりますか。聖書がアルファとオメガになっていますか。創世記からヨハネの黙示録まで、六十六巻の一章一章がみな違うのに、アルファとオメガになり得るのかというのです。それは心情を掲げておいての言葉なのです。心情は変わることがありません。そのまま永存します。それが私たちの生命の根本です。
④ 天聖経 ③真の家庭 第九章 五
皆さんが、黙示録の一番後ろを見れば、復帰歴史が出ています。ですから聖書は偉大だというのです。このような復帰の原則があったので、聖書の終章に復帰の内容を入れる様になったのです。
ヨハネの黙示録第二十二章十七節を見ると、「御霊も花嫁も共に言った、『きたりませ』。また、聞く者も『きたりませ』と言いなさい。かわいている者はここに来るがよい。いのちの水がほしい者は、価なしにそれを受けるがよい」と記録されていますが、花嫁、御霊が何であるか分かりますか。花嫁は、主の妻に成るのであり、御霊は霊的なものなので、ここから霊肉が合わさった母が現れなければならないのです。
イエス様(再臨主)は人類の父として、男性なので女性の中から母を探し出し、新しい世界へと救わなければなりません。これを、キリスト教徒達は知りません。教えてあげるといっても嫌だといい、かえって異端だというのだからあきれるでしょう。(祝福家庭と理想天国I-五〇二)
⑤ 天聖経 ⑬真の神様の祖国光復 第六章 四
ヨハネの黙示録に預言されている小羊の婚宴後の新郎新婦は、真の夫婦の段階を経て真の父母になるのです。
⑥ 真の御父母様の生涯路程 4 第一節 四
小羊の婚宴
黙示録に現れた小羊の婚宴とは何かというと、私たち人類が堕落によって、神様の愛を受ける真の父母を失ってしまい、堕落した偽りの父母をもつようになったがゆえに、神様が人類歴史の終末時代に真の父母を探し出し、神様を中心として人間の先祖として結婚式をしてくださるということなのです。
創世記はアルファです。人間はアルファで落ちたので、黙示録であるオメガに行って合わせるというのです。
⑦ 天総官 文興進様 第一章 一 2
先生は、聖書だけを見て原理を探し出したのではありません。
「創世記が堕落の章ならば、黙示録は復帰の章だ。これが生命の木によってこのようになったのであれば、生命の木として復帰されるのである。それが合わなければ聖書は偽りだ」と思いました。
なぜでしょうか。種を植えて出てきたものは種に帰っていくので、これが合わなければならないのです。出てくる芽、種から生えて出てくる芽は同じでなければならないのであり、それは上に伸びなければならないのであって、横に伸びてはいけないというのです。
⑧ 祝福家庭と理想天国(1) 第二章 第一節 2
このような終局的な最高の頂点が、黙示録に預言されています。
これがすなわち「小羊の婚宴」です。
再臨される主は、まさにその小羊であり、完成したアダムです。主は完成したアダムとして来られ、完成したエバを復帰されるでしょう。このとき、彼らは人類の最初の父母となり、神様の喜びも完全に成就するでしょう。
⑨ 祝福家庭と理想天国(1) 第二章 第二節 1
聖書は神様のみ言です。神様は「わたしはアルパであり、オメガである」と言っています。創世記で成そうとしたみ旨を成せなかったために、黙示録に至って完成するというのです。
堕落しなかったならば、そのままで、天国に行ける息子・娘を生むことのできる家庭を築いていたのです。その父母こそ真の父母です。神様と一つとなった真の家庭です。その息子・娘は神様の家庭の後孫です。
これを再び黙示録に至って新郎新婦の名を立て、再び一つにしようというのです。その新郎とは完全な真の父の資格をもってこられる方であり、新婦とは神様が愛せる真の母として登場する方です。
堕落しなければ神様を中心としてアダムとエバが結婚式を挙げたでしょうが、堕落によりサタンと結婚式を挙げたので、これ(エバ)を再び探し求め、神様を中心として聖婚式を挙げることが黙示録の小羊の婚宴であるということを、はっきりと知らなければなりません。(68)
この地上の摂理の内容は、堕落したアダムやエバよりも素晴らしい男性と女性が現れることであり、メシヤ思想を中心として、再臨思想を通じて新郎新婦が互いに出会うことです。それが黙示録でいう小羊の婚宴です。イエス様の願いは真の父母となることです。父母の道を経て、万王の王となることです。(69)
⑩ 「キリスト教の将来」 1973/10/28 ルイジアナ ニューオーリンズ公演
それに対する証拠をあげてみましょう。旧約聖書のマラキ書は、新約聖書の黙示録と類似した意味をもっています。それは、メシヤがどのようにしていつ来られるかというプログラムと終りの時のようすを明確に示しています。
⑪ 「強く雄々しくあって、失った福地を回復しよう」 1975/6/23
韓国前本部教会 『文鮮明先生み言選集第二巻』
ヨハネの黙示録第十一章では、二本のオリーブの木に対する預言をしています。これは何を意味しているのでしょうか。世界的なカナン復帰の路程を出発するのに先立ち、ヨシュアとカレブのような存在が現れることを予告しているのです。
⑫ 真の家庭 第十章 五
「ですから、一人の新郎として、新婦を探し出さなければなりません。一人の男性(再臨主)を中心として、真の父母も現れ、真の夫婦も現れ、真の兄弟も現れる事が出来るので、これを決定的に成すと預言したのが、小羊の婚宴の時に新郎・新婦を迎えようというのです。(祝福家庭と理想天国I-四九〇)」
⑬天聖経 祝福家庭 第一章 一 1 ②
「小羊の婚宴」は人類歴史上、初めて人間が祝福を受けて家庭的な救いの基準を立てることを意味します。これが六千年の歴史が探し求めてきたものです。
「小羊の婚宴」をする新郎新婦が、真の父母の使命をもって現れることです。ゆえに、再臨主の祝福を受ければ、その家庭の救い主として、その家庭の救いの門を開くことになります。
⑭天聖経 祝福家庭 第一章 二 1. ②
重生するためには真の父母の血統を受け継がなければなりません。それで人類が願うのは真の父母であり、イエス様と聖霊が願うのは「小羊の婚宴」です。
⑮天聖経 天一国主人の生活 第三章 三
アダムとエバがエデンの園で夫婦になる事ができなかった事を、歴史時代を通して克服してきた全ての結果を締めくくるものとして、真の父母を再現するその祝宴が「小羊の婚宴」です。
「小羊の婚宴」を通して真の父母が結婚式をもつならば、その息子、娘もその伝統に従って結婚する事により、全てのものを真の父母の理想に、神様の願われる愛の世界に包括する事ができるのです。