①「第五の封印」・・顕進様とか亨進様、或いは、分派の所に行ったと言う理由で除名になった兄弟たちが登場します。
いよいよ「第五の封印」です。ここも大変に興味深い内容であり、身近に展開されていることですので、理解しやすいです。
「第五の封印」は顕進様と亨進様が一体となることです。
カインがアベルを、アベルがカインを殺すようなことがあってはならない。このような悲劇を繰り返してはならない。顕進様と亨進様の所に行った兄弟たちは、一体化するように超宗教的な平和軍の役割を果たさなければなりません。
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第一から第四まであった『きたれ』という声は、「第五の封印」以降はありません。
黙示録6:9-11
聖句は黒字
解読が紫文字
解説が茶文字
6:9 小羊が第五の封印を解いた時、神の言のゆえに(原理の御言葉を守ったが故に)、また、そのあかしを立てたために(顕進様と亨進様を支持したが為に) 、殺された人々(家庭連合から除名された食口たち,
或いは、それに類する食口たち)の霊魂が、祭壇の下にいる(まだ供え物になる前の部屋に控えている)のを、わたしは見た。
本当の信徒は、まだこの祭壇の下にいます。
6:10 彼ら(家庭連合から除名された食口たち、或いは、それに類する食口たち)は大声で叫んで言った、「聖なる、まことなる主よ。いつまであなたは、さばくことをなさらず、また地に住む者(家庭連合)に対して、わたしたちの血の報復(除名した報い)をなさらないのですか」。
6:11 すると、彼らのひとりびとりに白い衣が与えられ、それから、「彼らと同じく殺されようとする僕仲間や兄弟たちの数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいるように」と言い渡された。
この句を要約すると・・・
「殺された人々」とは、家庭連合の過ちを知った食口が、(お父様を愛するが為に)顕進様とか亨進様、或いは、分派のところに行った為に除名となった兄弟たちのことです。
しかし、この句からも分かるように、「祭壇の下にいる」)ということは、供え物になる前段階のことですから、お父様による顕進様と亨進様の献祭は、まだ、終わっていない、継続中であることを意味しています。
献祭が終わっていない理由が上記の「6:11」に記されています。
「彼らと同じく殺されようとする僕仲間や兄弟たちの数が満ちるまで、・・・」
「数が満ちるまで」とあるのは如何なる事でしょうか。
これを解く聖句が次にあります。
『 7:3 「わたしたちの神の僕らの額に、わたしたちが印をおしてしまうまでは、地と海と木とをそこなってはならない」。 7:4 わたしは印をおされた者の数を聞いたが、イスラエルの子らのすべての部族のうち、印をおされた者は十四万四千人であった。』
十四万四千人は実数なのか、現在の家庭連合は四分の一程度ですから、現段階では象徴的な数ではないかと思います。
結論として・・・
この聖句から何が見えてくるかといえば、顕進様と亨進様の所に行っただけでは、まだ贖われていないことになります。
しかし、下記の聖句6:11に「彼らのひとりびとりに白い衣が与えられ」とありますように、数が満ちれば供え物が完成することになりますから、家庭連合の兄弟仲間を顕進様と亨進様の所に連れてくるように伝道しなさいということです。
この活動こそ、平和メッセージでお父様が何度も語られながらも成されなかった、先天時代から後天時代に導く平和警察の役割になります。
顕進様と亨進様の所に行った兄弟たちは、一体化するように超宗教的な平和軍の役割を果たさなければなりません。
これが成されることによって父母の位置が立ちますから、これこそ家庭連合が最も恐れることです。
二人の一体化、この鍵を握っているのが国進様ではないかと思います。