ほふられた小羊

1. お父様が地上で成される最終目的は『アダムを再創造』することだった。
2. 『アダムの再創造』に必要な条件はお母様がお父様を主管する『主管性転倒式』という摂理だった。
3. 『主管性転倒式』とはお母様がお父様を主管することによって成された『聖和』である。
4. 『聖和』によって『アダムの再創造』が完成した。
5. お母様が絶対信仰の基準が立てることができないことを予め知っておられたお父様は、
 神様王権即位式の前日に「死の前倒し」という条件をもって即位式を挙行された。
6. その為、神様王権即位式以降から12年の延長期間のお母様はサタン側の堕落したエバの立場に立つことになった。
7. 12年の延長期間において、お母様は信仰基準を立てることができないことから、お父様は真の相対(新婦)を失うことになり、自ら聖和された。
8. イエス様の死が摂理の大転換となったと同じように、この『聖和』が摂理の大転換点のとなっている。
9. お父様の七年の大患難時代(2013-2019)が今年で終わります。そして、コロナ災禍で始まり、ウクライナ問題の真っただ中にある2019-2025年までが世界的蕩減時代になっています。さらに、2025-2031年までが世界的贖罪時代となります。そして、これ以降、お父様がこの地上に臨まれる時代圏が到来しようとしています。
 さらに、お母様が80歳以降に入るとお母様の終焉が迫っています。

①-1 真の自分を探しましょう(女性修) 1993.12.19

①-1 真の自分を探しましょう(女性修) 1993.12.19


 1993年12月19日 韓国・済州研修院


「女の子」とは


 みんなどこから来ましたか? (さまざまに答える)時間がないから始めます。(先生が黒板に題目を書かれる)何と読みますか? (真の自分を探しましょう)。これは、真の自分をどこかで失ったという話です。どこで失ったかという、それが問題です。そうなると、失った所を知らないし、失った時を知らないのです。どうしますか?


 ここは、先生の通路です。ちょっと、空けてください。先生に触ったら、話をするのに支障をきたすので、まずもって注意しておきます。


 先生を初めて見る人は手を挙げてください。ほう、大半だね。


 日本でさんざん先生のうわさを聞いたでしょう? うわさによると先生は悪い人ですか、良い人ですか? (笑い)たずねているのです。「一番、世界でも悪辣な者、顔を見ただけで洗脳してしまう」と世界中でいろんなことを言っているのですが、そのような、悪くても良くても宣伝が必要な世の中は、一方では「悪い」と言っても、一方では「良い」と言うのです。悪辣な者が「悪い、悪い」と言うと、君たちが「良い、良い」と言っているのです。それで親戚関係を回ってみると、知らないでただうわさしているのです。


 ここに集まった者は、先生に近いほうですか、遠いほうですか? (近いほうです)。本当かね? 見るのが、会うのが初めてではないの? 君たちは、統一教会の先生とか、真の父母とか、成約時代とかいっても「大変、世界をかき回す先生とはどんな人か?」と、みんな手帳に書くか、写真を撮って持っていくだろう。見合いのようにね。先生の立場と君たちの立場は違うのだから、違う判断をしてもかまいませんが、すぐに判断するのではなく、一時間、二時間とたつと、根底がはっきりしてくるので、その時に批判しなければならないのです。分かりましたか? (はい)。


 今まで、先生はたくさんの人々を教育してきました。大変です「女さん」。「女さん」と呼びましょうか、何と呼びましょうか? 大衆を指導するには、標準を決めなければならないのです。さあ、何と呼びましょうか? 「女さん」と言いましょうか、「奥さん」と言いましょうか、「女様」と言いましょうか、「女の子」と言いましょうか? 何を願いますか? 願いのとおりに決めます。どうしますか?


 ここに立った人を統一教会では何と言いますか、先生ですか、お父様ですか? お父様は二人いるのが良いのですか、一人いるのが良いのですか? 皆さんのお父さんはどうしたのですか? 皆さんのお父さんもお父様だし、ここに立っているのも――(真のお父様です)。だから、困るのです。「真の父母」と言ったために、先生は世界中で迫害を受けているのです。真の父母という名前を言わなかったならば、反対される理由がないのです。


 真の父母を皆さんが強調すれば、自分を生んでくれた父母は偽りの父母になってしまうのです。自分を生んでくれた父母に、「地獄に行く!」と言えば、それは反対するようになっているのです。「女さん」たち考えてみてください。そんなこと言い出したら大変なことです。それで、先生にこんな悪い名前をつけたのが女たちです。女が問題です。女が問題なのです。


 先生は女が大好きですか、大嫌いですか? どっちです? (大好きです)。(笑い)大嫌いです! 女がいかなるものかよく知っているし、誰よりもよく知っているのが先生です。歴史を通して、大変よく知っているのです。女は、かわいそうです。歴史以来、今日まで、女の世界には代表がいなかったのです。陰とか暗闇とかの真っただ中で、行く方向も知らないで、男たちにいじめられ、迫害されながら今まで生き残ってきたのも偉いことです。それを、世界的に初めてお母様を前にして、「女性解放を宣布いたします」と。それは誰がしましたか? お母様がしましたか、先生がしましたか? 誰がしましたか? 発表はお母様がしたのだけれど、その内容は、先生がしたのです。


 男は女が大好きですか、大嫌いですか? 普通の男たちは大好きかもしれないけれど、先生は女が大嫌いです。皆さんは、その大嫌いな女たちです。ですから正直にどういう話をしようかと迷っています。それで、先生を何と呼びましょうか? お父様? お父様というのは血統的関係があるのです。そんな関係はないではないですか。では、内容はよく知らなくても、名前のとおり「お父様」であるとするならば、皆さんを何と呼びましょうか、「女様」と言いましょうか、「女さん」と言いましょうか、「奥さん」と言いましょうか、「女の子」と言いましょうか? (娘です)。娘、子供たち? その中に「女の子」はみんな入ります。娘も入ります。「女の子」にしましょうか、「奥さん」にしましょうか、「女様」にしましょうか? どうしますか? もし「女の子」と言ったら、「何だ、自分たちと先生は同じような年齢なのに、女の子って失礼ではないか!」。そう言ったら大変です。このことは、公的に発表して決めることです。


 では、決めましょう。娘は「女の子」と同じことです。娘? どうしますか? 「女の子」にしましょうか、「娘」にしましょうか? 「女の子」だったらみんな入ります。大人も、子供が大きくなった「女の子」だから、ちょっと時間がたっただけで、別に差別はないのです。「女の子」にしましょう! 「はい」です? 「女様」はどうです、嫌ですか? それでは「女の子」にしましょう。先生もかしこまりました。(笑い)



蕩減というもの


 先生を見てどう思いますか? 恐ろしいの反対は何ですか? (優しい―)。かわいらしいです。(笑い)どっちですか? 恐ろしいですか、優しいですか? (優しいです)。優しくて親しくなった場合には、かわいらしい人です。(笑い)先生の年が十五歳だったら、何ですか? 「かわいらしい」と言うのです。


 今、ずーっと先生を見て、その気持ちはどうですか? 悪い人のように見えますか、良い人のように見えますか? (良い人です)。やあー、ありがとう! 日本の感謝の言葉で「ありがとう」と言えば、蟻が十匹という話です。だから日本人はいつも「ありがとう、ありがとう」と言うので、蟻のように腰が細くならなければならないのです。前では引っ張るし、後ろでは引き止めるので、腰だけが細くならざるを得ないのです。だから日本人は蟻のように、よく働くというのです。そうです。それで、世界中では「日本人は、あまり働くな!」と言って、世の中では熱心に働くことにブレーキをかける人たちがいるのです。そういう人たちは滅びます。いくら良いことを言ったとしても、陰で聞こえてくるのです。


 しかし、日本人が熱心に働くよりも、統一教会の世界のメンバーたちは、その三倍以上働くように先生は願っているのです。一般の日本人ではなくて、統一教会の日本のメンバーは、統一教会に入って、それは話には素晴らしいのですが、内容はそう素晴らしくないというのです。(笑い)「蕩減という言葉がなかったならば良い所なのに、蕩減という言葉があるので大変だ!」と言うのです。分かりましたか?


 先生には蕩減しか分かりません。生涯懸けて蕩減を主に考えてきたのですから、蕩減の峠を越えないと復帰はできません。だから統一教会の理念の最高の基準には、ただ安らかな生き方では到達することが絶対できません。ですから、蕩減というものを尊重せざるを得ません。蕩減を通さないと絶対に行けない目標だから、蕩減を重要視せざるを得ないのです。


 その蕩減というものは、笑いながら行くものですか、泣きながら行くのですか? 笑いながら行くのではなく、その反対です。だから統一教会は大変です。どこへ行っても、泣く教会です。先生もたくさん泣いたのです。こんな大きな顔した男の泣くのは、みっともないものです。その時の写真なんか撮っておいたら、とても印象的なことです。統一教会とはそういう所です。だから先生の話を聞いても、先生のたくさんの本、二五〇冊以上の説教集を読んでも、「今まで統一教会は苦労したのだから、今からは休んでも良い」ということは、一つも書いてないのです。もし見つけ出せたならば、賞品を上げますから探してみなさい。


 だから先生は小さい時から大きくなっても、「いつも蕩減だ、蕩減だ、もっと犠牲になれ、もっとかわいそうになれ、もっと悲惨になれ!」ということを言いながら、もし自分が安らかに統一教会の中心としていた場合には、もっと大変です。その団体は、その時から滅んでいくのです。分かりましたか?


 今、先生は何歳ですか? (七十三歳です)。七十三歳は八十代につながるのです。一、二、三、四、五、六、七、八、九、十。一は十につながるのです。ですから七十三歳といえば、八十代に入ります。「ここに集まった女たちで、八十代に入ったおじいさんを好きだという者は手を挙げなさい」と言えば、一人もいないはずです。先生はさておいて、八十代を歓迎するという女は手を挙げてみなさい。賞品を上げますから、手を挙げてみなさい! いないじゃないですか! それが常識なのです。普通なのです。それなのに、ここに八十代のおじいさんが立っていて、君たちに聞いた場合には、いくら統一教会の教祖であっても、みんなそう言うべきなのです。そうでしょう。


 本当に、先生を好きですか、先生を愛しますか? (愛します)。愛するということは、今、お母様がいなくて先生が一人でいれば、みんな結婚しているだろうということなのです。先生のようなおじいさんと結婚したいという女の子がいますか? いないというのです。それでも、愛しますか? 好きになりますか? 愛するとすれば、愛するという内容の話をするし、好きになるとすれば、好きになる話をしますが、好きは壁の隙、スキーのスキ、畑を耕す鍬など、たくさんあります。そうでしょう? どうしますか、好きになりますか、愛しますか? (愛します)。やあー、大変なことが起きました。


 それでは、君たちの旦那さんはどうしますか? (笑い)一人の女が二人の男を愛すると言った場合には、それは良い女ですか、悪い女ですか? (悪い女です)。どれくらい悪い女ですか? それは部落でたたき殺されるような女です。それを考えないで、大変なこと言ったら先生は困ります。そんなことを言うので、先生はどこへ行っても、大変なのです。


 初めて会う女たちがたくさんいます。教育をしたこともないのに、先生の話を聞いたこともないのに、初めから「愛します」とは、それはちょっと気が狂ったとか、正常な者ではありません。ですから皆さんの「愛する」という言葉は信じられますか、信じられませんか? どっちですか? 君たちがいくら「先生を愛します」と言っても、先生は信じられますか、信じられませんか? どうです? 信じられません。


 もう一回、はっきり言ってみてください。愛しますか、好きになりますか? (愛します)。はっきり言ってください。(愛します!)。ありがとう! それで、愛には縦的愛と横的愛があるのです。父子関係は縦的愛であり、夫婦関係は横的関係です。縦的愛は血統的につながり、夫婦関係は血統的につながりません。分かりましたか? (はい)。もし、旦那さんが横に座っていたとしても、「私はお父様を、あなたの何十倍も愛している」と言って、ほほにキスをしていっても、横に座っている旦那さんは喜ぶのです。あのおじいさんは日本一の金持ちなので、仲良くしていた場合には、亡くなった時には、何割か自分にも回ってくるというのです。ですから、心配ありません。心配しなくていいのです。「お父様」と言ったのだから、皆さんは「女の子」になっているのです。「女の奥さん」ではありません。「女の子」になっているから、「心配しなくてもよろしゅうございます」と言うのです。(拍手)握手でも一つしようか? (拍手)握手しようとするとこんなに騒ぐのに、キスしようとしたらどうなりますか? だから危険千万です。注意するように、ブレーキをかけておきます。


 さあ、「女の子」たちにこうして会ったんだから、「女の子」に対して一言、何か話しましょうか、それとも初めから「真の自分を探しましょう」という題目に入りましょうか? お母様が演説する時のエンターテインメントのように、ちょっと序論をしましょうか、直接、題目のみ言に入りましょうか?



「女」とは名ばかり


 なにしろ、立派な日本の女性たちがたくさん集まったこの場です。北海道から鹿児島まで、全国から集まったのですね。そうでしょう? (はい)。訛り言葉もたくさん使うでしょう。沖縄なんかも、日本語ではないみたいです。半分中国語のようなのです。


 「女さん」たちがたくさん集まっていますが、平均的に見ると実に美人が多いですね。(笑い)本当です。今晩の先生の目が美しいので、そう見えるのかもしれないけれど、美人が多いのです。そう言われて気持ちは悪くないというのですね。先生も美しい人たちを前にして話をするのだから、良いことなのです。


 さあ、それでは「日本の人」と言うのがいいですか、「日本人」と言うのがいいですか? (日本の人です)。


 「日本の人」がいいのですか? では、「の」をつけてあげます。日本は島国です。島国に住んでいるのが日本の人です。では、島国は広いですか、狭いですか? 昔は山陽線だったけれど、今は下関から東京まで、新幹線で軒つなぎ、町つなぎです。だから狭いというのです。島国はいつも大陸を慕っているのです。ですから、日本は大陸を侵略したのです。女なのにです。だから、ぺちゃんこになりました。


 それで、女たちの話し方は、大概、尊敬語を使うのです、上に侍るように、女は尊敬語を使ってきました。今まで女は歴史的に、そういう生活をしてきました。旦那さんの下で、言うとおりに服従してきました。いつもいじめられながら、何かちょっとでもしてもらうたびに「お願いします」と、お世辞を言わなければならない立場で生きてきたのが女たちです。ですから日本語を見ると、みんな尊敬の言葉を使っているのです。「御飯」「お水」「おかず」「お塩」これは、みんな女の言葉です。いくら弁明しても、それは男の言葉ではありません。男は「飯ちょうだい。水ちょうだい」と言うのであり、男が「お水ちょうだい。御飯ちょうだい」と言うのは大変気持ちが良くないのです。「お味噌ちょうだい」これは、女の言葉です。このように「お」を好むのが、「女さん」たちです。それで「女」というのは、「御名」の「お」を強く言ったものです。


 女というのは名ばかりであるという話です。名前しかないのです。日本語で、女というのは名ばかりで、中身が一つもないという話です。先生の名刺であっても、名刺は本人と違うのです。何万枚をまいても、自分とは関係ありません。町の人が踏んだり、破ったりしても、気持ち悪くすることができません。分かりましたか? 名ばかりの存在という者は、かわいそうな人です。話にもならないし、目標がないし、相対がないし、環境も許容しないのです。そういうような者が、名ばかりの人です。


 だから死ぬ時には、名が死ぬのですか、人が死ぬのですか? 名前は残っているのですが、本人はちゃんと墓場に入っていくのです。それはあってもなくてもいいという話です。動物なんかみんな、名前がなくても生きているのです。人間は、必要があって、所有権の分割のためにつけたのが名前であって、名前がなくてもいいのです。


 そう考えて見た場合に、「女は名ばかりの者だ」という話を聞いて、教祖様から教わる第一番目の話が、「女は名ばかりで、何も持っていない」ということを聞いて、気持ちが良いですか、悪いですか? 率直に答えてください。気持ちが悪かった場合には、反論することができるのです。あとで「あの時、率直に言うべきだった」と、そんなことを言っては駄目です。率直に言ってください。気持ちが良いですか、悪いですか? (悪いです)。


 女は名ばかりです。本当に、女は何も持っていません。本当です! 気持ち悪い顔をしなさい、おばあさんたち! 帝政時代の教育を受けたおばあさんたちは、「そんな馬鹿なことはありません」。そう言うはずなのです。最近の女の子たちは、フリーセックスなどで無価値な者になってしまいましたが、昔は名門の家のお嬢さんには、みんなが尊敬していたものです。


 では、女の体は、男に比べて軽いですか、重いですか? (軽いです)。どのくらい軽いのですか? (笑い)男は女に比べて一・五倍は重いのです。だから、女と男を比べた場合には、肉の値段だけでも一・五倍です。それが平等であるという話は合いますか、合いませんか? もし人間よりよいものが宇宙にあった場合には、男を取りますか、女を取りますか? はっきり答えてください。(男です)。男とは、どういう男ですか? 年を取った男ですか、若い男ですか? (若い男です)。若い男で美男子ですか、その反対の醜い男ですか? 美男子なのですね。


 では、その反対の女は何ですか、美人とブス様ですか? それで、女と男を比べて見た場合に、いかに「男女平等でなければならない」と日本語で叫んでも、平等になるものは何もありません。もしもオリンピックで男女が共に競争した場合には、女は一人も、チャンピオンになれる者はいません。


 そうした場合に、平等になりません。背丈から見ても、女が大きいですか、男が大きいですか? (男です)。女はいくら大きくても、首以上にあがったら、これは異常です。女の首がここ(あごの下)まできた場合には、大変です。それは不幸な女です。男と女二人が抱擁した場合には、女の頭はちゃんとここ(あごの下)にはまるようになっているのです。(笑い)


 話をするにも、前後をずーっと調べ、比べ合わせて話さないといけません。外交舞台においても同じです。話題の条件を相手に取られた場合には、負けてしまうのです。伝道は、最高の外交的方法でしないといけません。分かりましたか? (はい)。でたらめでは駄目です。



男は主体、女は客体


 さあ、そうなると、女は主体ではないのです。女は、なぜ主体ではなく客体なのでしょうか? 男に負けたいですか、負けたくないですか? 本当のこと言ってください。(負けたくないです)。負けたくないのに負けるようになったのだから、癪にさわるというのです。では、癪にさわるその恨みをどういうふうに解決するかというのです。それで、女は宗教を信じるのです。さらに大きい中心を中心として、自分に欠けた所を埋めていくのです。旦那さんなんか、ぺちゃんこになるようにするのです。「生きている時には、苛められたのだけれども、霊界に行けば私があなたの女王様になるのです」と言うのです。本当です。


 日本は、歴史始まって以来、二六〇〇何年ですか? その日本の女が、こんなにたくさん済州島にやって来るというのは日本の歴史にも、韓国の歴史にも、アジアの歴史にも、世界の歴史にもないことです。これは歴史的な大事件であり、これは戦争なのです。


 先生の前に、女が主体に一度なってみたいとは思いませんか? たくさんの女が先生の前でぺちゃんこになって気持ち悪くないのですか? (悪くないです)。何を言っているのですか! 先生の前にお世辞を言っても通じません。先生自体も気持ちが良くないのです。だから女はかわいそうに思います。先生が神様だったら、一瞬に切り返したらいいと思うのです。そういう考えを持っている先生は、悪い人ではないと思ってもいいのです。


 一度、主体になってみたい思いがしますか、しませんか? しないと言う者は、みんな嘘つきです。なぜ男が主体かと考えたことがありますか? なぜ男が主体ですか、君たちはなぜ客体ですか? そんなことを考えたことないのですか? たくさんの女たち! 男が主体になる資格は、子供の種を持っているからです。神様と同じようにです。だから主体というのです。そういうような創造原則、原理においての結論を出して、堂々とその主体を認識してやるのが、自分自身の高まる基台になるのです。客体なくしては、主体もなくなってしまうのです。分かりましたか? (はい)。


 女は何も持っていません、女は名ばかりです。神様から見た場合に、創造の世界で一番最後につくったのは、男だったのですか? (女です)。そんな表情で言っては良くありません。復讐の感情が詰まっています。(笑い)


 それでも良いです。ですから、女は籠でしかありません。空箱です。気持ちが良いですか、悪いですか? (悪いです)。そういう即断をしてはなりません。先生は、女が空き箱ということを知って、「いやー、私は空き箱になったら良かった」と、いまだ何回も考えるのです。女と男を変えることができるとしたら、すぐにも変えてしまいたいのです。そのことが何か分かりますか? ちょっと話を聞けば分かるようになりますが、話をしましょうか、やめましょうか? 関心がありますか? きょうの時間は、その話でいっぱいになり、「真の自分を探しましょう」という話ができなくなりますが、そうでも良いですか? 本当ですか。


 女の体の二分の一以上の重さがどこにあるかというと、尻にあります。胸と尻を測れば、半分以上だと思います。大きいのもあるし、小さいのもあるからです。女の半分以上の重さは尻とどこですか? (胸です)。胸ではないのです。ツインピークです。二つの山みたいなものです。この二つを合わせば、半分以上の重さになります。それで、胸には乳房がついているのですが、それは誰のものですか、自分のものですか? (男性のためにつくられました)。それは誰のものですか? (夫のものです)。夫のものですか、子供のものですか? あなたの答えは五十点にしかなりません。夫のものですか、子供のものですか? (夫のものです)。みんなが笑っているよ。そんなに自分の我が強くては大変です。あんな顔は、絶対死んでも譲歩したくない思いを持っている女です。そうでしょう? (はい)。先生はそんなことをよく知っているから、駄目です。女は正直で、率直がいいのです。率直は正直に通じるのです。真実の前には、いくら大きなものでも服従します。


 それは、子供のものです。間違いなく自分のものではありません。「自分のもの」と言う人は手を挙げてみなさい! 誰もいないのです。時間もないのに、それは聞く必要もないことです。それは子供のものです。それから、尻も誰のものかというと子供のものなのです。日本人は、よく「そうです」とか、「そうじゃないです」とか言っているのを見かけますが、「そう」というのは、韓国語では「牛」という言葉です。せっかく済州島に来たのだから、覚えていきなさい。なぜ先生が「牛」を紹介するかというと、牛は犠牲の象徴、一番の祭物だと教えているのです。分かりましたか? 日本人が、なぜか「そうです、そうです、そうです」と言うのは、「犠牲です、犠牲です」と言うことです。それで「あー、日本人は犠牲になる、祭物に近いものだなー」と思うと、それは悪くないのです。


 女の半分の重さは自分のものではないということを、はっきりと分かりましたか? それが分かったら、眠ることもできないし、死ぬこともできないのです。地獄に直行していくのだから、自殺することもできないのです。死ぬこともできないし、生きることもできないし、大変です。


 さて、女の顔は、女が好きますか、男が好きますか? (男です)。本当ですか? 先生は男ですが、女の子は好きではないのです。(お母様は好きです!)。お母様は、女のうちでも特別な女です。(拍手)


 君たちが見合いに行った場合、自分は相当の美人であると思って誇っていたのに、その前に現れた男の顔を見た時、自分よりももっと美しい男だったらどうしますか? 気持ちがすーっとしますか、ぞーっとしますか? 男の手を見れば、自分の手よりもっと細い手をしていたらどう思いますか? 一生涯、気持ちの悪い記憶となってしまうのです。考えてみても大変です。自分よりもっと美人の顔をした男の子と、自分よりももっと細い手をした男の子、気持ち良いですか、悪いですか? 死ぬほどに気持ちが悪いのです。(笑い)先生はそう思います。女でなくてもそういう気持ちは分かります。だから女に聞くより、説明するのが効果的です。「死ぬより気持ちが悪い」と言えば通じるのです。みんなが笑ったのは、気持ちが悪いことです。だから女の子の顔は、女は大嫌いです。そういう結論になります。


 そうすると、女の顔は、女のために美しい顔になりましたか、男のために美しい顔になりましたか? 先生には分かりません。答えてください。(男です)。女の顔は女のものではなく、男のものであるという結論になりました。男のためにそういう顔になったのです。自分のものではないのです。自分が欲しいような顔ではないのです。自分の欲しい顔は男です。反対になっているのです。


 それを今まで考えたことのない女は馬鹿です。どうにかなっているのです。だから、みんな自分を分からないままに死んでいったのです。今からは、一つ、一つ知っていくことによって、自分を探すことによって、元の自分が何なのかということが分かるようになっていくのです。それで、きょうの話の題目が、「真の自分を探しましょう」です。女として、完全に自分で忘れてしまったものを、一つ一つ探し出して、それで、「あー私は女だ。こういうものが女であり、名ばかりのものではない」ということが分かるのです。ですから首から上も自分のものがないのです。それは、誰のものですか? (男です)。気持ちが悪くないですか、気持ちが良いですか? そうなると、男の前に主張する何物もなくなってしまうのです。



人間は三時代を経て理想の姿になっていく


 それはそうとして、女が男と一つだけ違うことによって、女という名前がつくのです。その本体そのものは、女のものですか、男のものですか? (男のものです)。先生がそんなことを聞いても「旦那さんのもの」と答えないといけないのです。(笑い)はっきりと意味をわきまえながら、答えないといけません。いくら聞き方が間違っても、それは旦那さんのものです。そこまで突き詰めなくても、常識的に分かることなのです。そのものは誰のものですか? (旦那様です)。旦那様のものです! そうなると縦的に、すべては、臍は水中時代を象徴します。胎中時代です。そして口と鼻は空気時代であり、一番下は愛の時代を象徴します。分かりましたか? そのように、人間は三時代を通過して理想の姿になっていくのです。


 水中時代、胎中時代。地上時代、空気時代。それから愛の時代です。愛に向かって、すべての昆虫も、愛を求めてさなぎが蝶になり、飛ぶのです。昆虫だに、水中から陸中(空中)を経て、天中を飛ぶようになるので、万物の霊長たる人間も水中から陸中(空中)、天中を飛ぶようになるのです。ですから人間には、死ぬという悲しいことはありません。それを、統一教会では理論的にも教えるのです。


 水中時代でも呼吸するのです。その時は、口と空気ではないのです。もし、十か月も呼吸をしなかったら大変です。空気がないといかに苦しいか、考えてみなさい。それで、子供は自分より偉いと思うのです。十か月間、水の中に浮かんで、水がなくったら大変です。衝撃でみんなやられてしまうのです。実に科学的になっています。その水中時代に何を準備しなければならないのかというと、次の呼吸をする準備をしておかなければ、いくら生まれてきたとしても、すぐに死んでしまうのです。


 必ず、水中時代の切り替えとともに、すーっと空気を吸って、空気時代に生きるのです。その変化、その進化、突然変異と同じように大変です。水中から空気です。それで、お母さんの骨盤が開いたり閉じたりしないといけないのです。狭い所を押していって生まれる時に、すーっと圧縮され、空気にふれて膨脹し、「ハッ」として呼吸して、泣くようになるのです。もし泣かなかったら死んでしまいます。それは地中世界と同じ中間世界です。それで土というのは、お母さんの胎中と同じです。胎中で子供が十か月も飲んでいるのに、なぜ十か月間も小便もしないのでしょうか、大便もしないのでしょうか? お母さんたちはそれを考えてみたことがありますか? すべてがみな神秘的です。


 水中十か月、地上一〇〇年、それから霊の世界、それは愛の世界です。この地上で生きて呼吸をするように、水中で空気を吸う準備を完璧にしないと死んでしまうのです。それと同じように、中間の地中(空中)時代においては、永遠の愛中時代に生きる準備を完璧にしなければなりません。


 それで、水中時代から空中時代に生まれるには、みんな愛の袋を破って出てくるのです。破れて水が出ることによって、その狭い所を油と同じようにすべって出てくるのです。それと同じように、死ぬ時も苦しいということはないのです。再び蝶のように飛ぶために生まれるのです。肉体のすべてを放棄して、破壊して、さなぎから蝶が生まれてくるようにです。死ぬのではなく、新しく生まれ出るのです。そのためには、愛の空気を呼吸する、愛の準備が必要です。ですから、胎中の子供たちは父母の愛に守られているのです。胎中では、お母さんが子供をずーっといつも抱擁しつつ、立派に愛して育てるのです。愛の懐で育てるのです。そして生まれた場合には、父母の愛の胸で抱擁されながら、愛によって育つのです。人は愛のために生まれたのです。胎中時代の愛、空中時代の愛です。胎中時代はお母さんに頼っていたのだけれど、地中時代にはお父さんに頼るのです。地中時代はお父さんが責任を持つのです。そして愛中時代は根本なる神様が、根本の親として責任を持つのです。そうすることによって、各自の使命が、お母さんの使命、お父さんの使命、神様の三大使命が完璧に、一人によってこのように関係し、因縁を持っていると言わざるを得ないのです。そう考えた場合に、「あー、愛中、霊中世界がなければならない」となるのです。


 万物すべての創造の段階は、蘇生、長成、完成からなっているという原理の教えが真であったとするならば、人間一代において、蘇生水中時代、長成地中(空中)時代、完成愛中時代が必要であり、それで神様によって育っていくのです。そこでは、父母様は関係ありません。神様を中心としていくのです。神様の世界では食べもの、着るもの、住むものが問題ではありません、それはいつでも自由に、自分の愛の理想の届く限り、愛の理想が影響される限りにおいて不可能なことはありません。何千万人も一晩で連結が可能です。「あー、こういう十二のタイプの人で、こういう心情的な人は全部、過去、現在まで、霊界に来た者はみんな集まれ!」と言えば、さっと集まるのです。それで何千万人にもなるのです。こういう着物、こういう自分の構想に合わせてと、みんな可能です。直感の、完全に創造可能なる世界です。愛の理想の豊富な者によって、高次元な可能圏を持つようになるのです。


 まるでうそみたいな話です。そんなことを知っているから、先生はこの世に対してあまり関心がないのです。こんなにたくさん女がいても、美人がいても関心がないのです。お母様以外にはね。(笑い)



女は神様が最後につくった傑作品


 そうした場合に、女においては自分のものがないのです。だから名前ばかりというのは、失礼ですか、失礼ではないですか? (失礼ではありません)。それでは、「ありがとう」と言いなさい。(ありがとうございます)。はい、ありがとうございました。よい教訓になりました。本当です。そうすれば、女がかわいそうではありません。素晴らしいのです。空いた籠は大きいのです。あなたたちの良心は大きいのです。女の心は男に負けないくらい大きいのです。心は大きいのですが、その大きな空き箱に何を入れますか? (愛です)。愛を見たことがありますか、見たことがありますか? 愛に触ったことがありますか? (ないです)。では、分からないではないですか? 見たこともないし、触ったこともないものを入れようとしても、どうするのか? その方法、手段が分からないのです。どういうふうに分かりますか? (感じです)。感じが人間の幸福の元になりますか、愛自体が幸福の元になりますか? それは愛です。


 感じがよいからといっても、そこに愛はないのです。感じは人によって違うものです。そう言った場合、その感じでもって、良心はありますか、ないですか? (ないです)。ないのです。良心はないのです。なぜ黙っているのですか? 良心が「ある」と言ったのではないのですか? 「ある」と言ったならば、死ぬまで「ある」と言わないといけません。(あります)。ないです! (あります!)。ないです! (あります!)。こうやって負けるのです。


 真理は偉大なものです。いくら先生でも、王様でも負けるのです。神様も真理の前に跪くというのです。ですから、平等な世界が生まれてくるのです。真理の世界にのみ可能であって、不真理の世界では不可能です。そのように女として、本当の女になっていますか? 本当の女になった場合には、真理と一つになっているのです。本当とは、真理と一体となった立場をいうのです。


 少し考えてください。先生もちょっと考えて話をしなければなりません。研究しながら話をしなければなりません。分かりましたか? 神様が一番最後につくったのは誰ですか? (女です)。建築も、最後には仕上げをよくしないと、すべてが駄目になってしまうのです。全体の価値の正負を決定する八〇パーセント以上を左右するのです。そうした場合には、仕上げは、女がうまくできるのかどうかで、天宙の創造の八〇パーセント、合格か不合格かが左右されるのです。


 こういう話を聞いたら、もう気持ち悪くないですね。気持ちが悪い峠を越えました。安心していいです。(女は)神様が最後につくった傑作品です。万物の霊長として、神の愛の相対としてつくられているのです。愛の相対が、自分より劣る者を願った女の子はいますか、どうですか? 自分の相対は、自分より悪い者を願うような女の子、男の子はいないのです。そうでしょう? 自分の愛の相対は、自分よりも何倍よいことを願うのですか、答えてください? 一・五倍ですか? (限りなくです)。よく答えました。欲望の大きな女の子です。愛の相対は何億倍も、何億倍の何億倍も、永遠に続く最大のものを願っているのです。宇宙の最高のものを願うのです。誰でも自分の一倍を願うのではありません、無限! 無限です! 女として、愛の旦那さんは立派な美男子であり、美男子のうちでも、ナンバー・ワンの美男子を願うのです。宇宙最高のものを願うのは、男も女も同じです。


 (女は)仕上げがよくなっているから、顔がつやつやして、なめらかで、柔らかいのです。男を触ってみると、髭がザラザラして大変です。だから、美術館に行くと、裸体画は女が八〇パーセント以上です。男の体はみな、骨ばかりでみっともないのです。骨を見て笑う人はいません。(笑い)そうですね。それで、女はクッションがいいのです。クッションの悪い女だったら、男は死んでしまうのです。みな相対的です。硬い男にクッションがなかったらどうなりますか? 破れてしまうのです。ダイヤモンドを削るのは、ダイヤモンドよりもっと硬いものではなく、銅とか真鍮で削るのです。まるっきり反対のもので削るのです。工作機械の芯棒を支えるものは、パレットという鉛なのです。強いものには、柔らかいものの支持が必要なのです。ですから、強い男には弱い女が合うのです。分かりましたか?



女は善悪を知る木


 さあ、最後の仕上げです。気持ちが良いですか、悪いですか? (良いです)。こんなに欲張りの空き箱ですが、空き箱は入れるものの価値によって左右されるのです。入れるものと同じ価値を持ちます。宝がたくさん積んであった時、「宝を持って来い」と言うのですか、「籠を持って来い」と言うのですか? どちらですか? 「宝を持って来い」と言うのではなく、「あの籠を持って来い」と言うのです。入れるものと同等な価値を持つようになるのです。


 それで、聖書にはエバを象徴して、善悪を知る木というのです。善悪を知る木とは、女です。そして、木の実とは女のそれをいうのです。なぜ善悪を知る木というかというと、女は、善になれば善の実になるし、悪になれば悪の実にもなるのです。


 もし王子様と一つになった場合には、王宮を相続することも可能なのです。そして、王子を生むこともできます。反対に、悪辣なやくざの親父と結んだ場合には、悪魔世界の王子を生むようになるのです。善悪を知る木の実、それは善悪を知る女の体をいうのです。善にもなるし、悪にもなることを象徴しているのです。だから神様は堕落しないように、善につながるように、戒めているのです。「悪になったら大変だから、それを取って食べるな! 勝手にするな! 神様が命令するまで待て!」と。それは神様のものであって、自分たちのものではないのです。女は、それを自分のものだと思ったら大変なことです。それは男のものであり、男のうちでも王様の男、神様のものです! ですから、その女の実が何を願うかというと、最高の男まで、神様までも願うのです。だから女には、神様をすべて入れても休ませることのできる良心の袋があるのです。


 女の主人は男ですね? 女に聞いた場合は、主人のうちで一番の主人は誰かというと神様になるのです。女をつくった目的は、アダムのためにもつくったのだけど、一番の願いは神様のためにつくったというのです。なぜかというと、神様は相対が必要だからです。一人で住むのはかわいそうだというのです。先生でも、お母様がいなかった場合には「八十代のおじいさんは、かわいそうです」と言われるのです。相対がいなくなれば、すぐに除去されるのです。天運というものは、相対がいて保護するようになっているのであって、相対のないものは押し出すようになるのです。


 なぜ旦那さんが亡くなった場合に、女は、あんなに転がりながら泣き続けるのでしょうか? 誰が、何がそんなにさせるのでしょうか? 第三の力が加わって、押し出すような力で悲惨さを抱かせるのであって、自分の中にそういう力があるからそうするのではないのです。宇宙力、天運というものは、相対関係のあるものは保護するようになっているのだけれど、相対がないものは天運が押し出すようになっているのです。


 これが分かれば、大変なことです。先生はそれをよく知っているから、世界がいくら反対してもびくともしないのです。絶対なる神の相対圏に正しく立っているのです。「打つなら打て!」。ちゃーんと天運が保護するのです。いくら個人であろうと、いくら国であろうと、いくらアメリカ、いくら共産党が打ってきても、反対にやられるのです。日本もそうです、日本もやられます。


 今後の日本は誰が収拾しますか? アメリカもそうです。文先生の話を聞かなければなりません。韓国も北韓もみな、そうです。世界もみな、そうです。そういう自信満々なことを言う先生を、君たちは信じますか? (信じます)。詐欺師はいつも自信満々なことを言うのです。先生はよく詐欺師にも似ています。目が小さくて透視力を持っているし、鼻はすーっと一本で、理論的に優れているのです。唇は肉が少ないので、言葉は球が転がるように出てくるのです。唇を見て、弁護士になれる者かどうかを先生はすぐに選抜できるのです。


 統一教会の神秘さ、不思議さは何かというと、レバレンド・ムーンは歴史的に、世界的に、反対や迫害を誰よりも多く受けながら、その最中にいかにして世界の基盤をつくり、発展したかということです。そういう秘訣を教わりたいですか? (はい)。では、その授業料をいくら出しますか? ただで教われば価値が分からないというのです。


 その秘訣は何かというと、天運をつかさどりながら生活することです。天運は永遠に滅びないのです。天運と共に生きたとするならば、大きな天運は大きい所に、小さな天運は小さい所に、すべてのことに関係を持つようになるのです。この関係という言葉を世の中から抜いた場合には、みんなバラバラになるのです。この世の中であっても、父子関係、婦女関係、夫婦関係、兄弟関係、国家関係、家庭関係、外交関係、経済関係、政治関係、学問関係、みんな関係し合っているのです。関係という言葉は、相対圏を離れては成り立ちません。上下、前後、左右などと、価値比較の基準となるし、マイナスやプラス、高低などのようにレベルを決めることもできるのです。すべてが関係であり、それはみな、バランスを標準としているのです。ですから関係という言葉を抜いたら、絶対に世界は瓦解してしまいます。


 君たちは、曇った日に雷鳴や稲妻を見たことがありますか、ないですか? (あります)。雷鳴や稲妻というものは何の象徴かというと、それは結婚式の象徴です。それも知らなかったのですか? 空中のプラス電気とマイナス電気がキスし合うのです。それで火が出るのです。水蒸気の中で火が出ることを考えてみなさい。それが信じられますか? 水蒸気の中で、「ブワーッ」と火がともるのです。プラスとマイナスの空気の中に含まれている電気がキスする傑作品です。愛の絶頂で「ブワー」と火をともすのです。あなたたちが愛するのも同じです。ねずみなんかも、天井の裏で「チィチィチィ」と鳴くし、春になったら猫は「ニャォーニャォー」と鳴くし、鳩なんかも「クックックッー」と声を出して鳴くのです。それは悲しい声ではないのです。傑作品です。ジャンプしたり、こけたりするのです。この話は結婚した者に必要な話です。そのように愛し合ったことのない夫婦は、自由ではないのです。万物よりも劣っているというのです。


 愛する旦那さんに呼びかけるのも、歌で呼びかけるのです。「あなた様!」と。オペラなんかそうです。本当に愛し合う思いで、声を出すのです。光を出すのです。男も、女も、これ以上の明るいものはない、これ以上の希望はないという頂上に達して、そこから下がっていくのです。零から始めて、大きくなって、キスして、光を出して、零に帰っていくのです。あなたたちは結婚して、年を取るにしたがって大きく理想的になっていくのですか、小さくなっていくのですか?(大きくなっていきます)。



悲惨な大事件の八〇パーセントは、男、女の問題


 ここで一言、言っておきますが、世界のすべての歴史の悲惨な大事件の八〇パーセントは、男、女の問題です。八〇パーセント以上が、男、女の絡み合いによって悪くなっていくのです。平和の世界も、男、女問題を解決すれば、平和世界が八〇パーセント達成されるという結論になるのです。


 ですから、「人間はなぜ生まれてきたのか」ということが問題なのです。哲学の質問の第一条です。人間といえばすべて男と女であり、「私はなぜ女として生まれてきたか」ということが問題です。これは、今まで人類歴史を通して数多くの人たちが解決しようとしてきたことですが、今まで延長してきているのです。


 先生の時代に入って、神様とはいかなるものか、女とはいかなるものか、男とはいかなるものか、その出発はこうで、過程はこうで、結果はこうなって、最後の終着の理想のタイプはどうであるかということを、はっきり分かるように教えてあげるのが統一です。それで、心身統一、夫婦統一、家庭統一、氏族統一、国家統一、世界統一、天宙統一という、神人愛でもって一体となって統一が成される内容を教えるのです。ですから、これ以上の素晴らしいものはないというのです。本当ですか?(はい)。教祖様だから自分をこういうふうに高めて讃えるかもしれないのだけれども、事実、それを分かってみると、統一教会の思想は素晴らしいのです。素晴らしいですか、素晴らしくないですか?(素晴らしいです)。神様まで解放しようとしてきた人間は、先生が初めてです。こういう話は聞いたことありますか? (はい)。世界解放、天宙解放どころではありません。地獄を解放し、神様まで解放しようとするのです。それは可能ですか? 理論的可能だから、今や世界的に問題となってきているのです。


 君たちは、ビデオを見たでしょう? 「変革の風(ロシアにおける統一運動)」を見ましたね。日本は三十三年の歴史を持っているのだけれど、三年にもならないロシア(旧ソビエト)の動きを見た時に、日本は負けましたか、勝ちましたか? (…)。申し訳ない? そんなことでは駄目です。勝ったか、負けたのか聞いているのに、申し訳ないは零です。そんなことを言う必要はありません。それは、先生に対する礼儀ではありません。申し訳ないと涙を流すのは、家庭においてやることであって、公的場ではいけません。


 先生は北韓に行った時、金日成のもとの最高の指導部の案内において、先生の両親の墓参りをしてきました。その時、姉さんと妹が同行しました。そこで姉さんは、お母さんが自分の弟をいかに愛していたかということを、悲鳴のような声で「お母様! あなた様が日夜、願い叫んだ、その誰々という名前が来ています! 地中でご覧になって、この時代を喜んでください!」と叫ぶのです。その声を聞いていた妹も、共に涙をポロポロ流しているのです。その真ん中に先生が立っているのです。そこで、涙を流すべきや、流さないべきやというのです。腸が切れるような、胸が引き裂かれるようなことがあっても、公的な立場と私的な立場を分別しなければならないのです。悪辣な金日成の指導者たちに、「文先生が墓参りして、父母の心情に涙をたれました」と報告されるのです。その時、先生が思ったのは、「二〇〇〇万人の民族解放を成した後に、墓参りして涙を流す!」。


 だから、神様の解放まで、その例と、その理想でやるのです。分かりましたか? 先生の言うことは、高次元なことばかりです。高等推理数学なのです。ですから今、世界で自分がやらなければならないという者は、文先生を尊敬するのです。分かりましたか?(はい)。


 サタンも屈伏し、神様も屈伏しているのです。「サタン! こうじゃないの?」「神様。そうですか、そうじゃないですか? 答えてください」。神様は答えられません。サタンが答えないからです。神様は、サタンも「そうです」。「こうだね」、「間違いない」。神様は、「裁判で裁決をしなさい」。「こういうものは、先生に任せてください。よろしゅうございます」と、御印を受けなければなりません。(統一教会は)でたらめな所ではありません! 分かりましたか? (はい)。だから統一教会は高尚なる理想があるとともに、反対があるので、泥棒たちが住めないのです。分かりましたか? 寄生虫たちが寄りつかないのです。先生の心身に接するような振動数と同じ周波を持った者はつながることができるのですが、それに違反するような者は排斥するのです。排斥処分は、神の作戦です。どうですか、気持ち悪いですか、良いですか? (良いです)。良いと言っても、君たちが処分の対象になれば、処分されるのです。神様はちゃーんと知っているのです。その例を挙げましょうか。



良心は自分において第二の神様


 人間において、一番貴いものは何ですか?(愛です)。愛はどこに住みますか? 男の愛と女の愛は、どこで一つになりますか? どこですか?(生殖器です)。生殖器を合わせたところです。女の生殖器には愛はないのです。自分自身には感じないのです。あなたは愛を持ってるのですね? それは、父母の愛、父母の生命、父母の血統をみんな相続しているのです。それを持っていても、自分なりに一つになっているので感じないのです。これは、近くなったら見えますか? 答えてください。見えますか、見えませんか? (見えません)。


 なぜ見えないのですか? 目というものは相対的に物を見るようになっているのであり、一つになっていれば見えないのです。目玉が目玉を見ることできますか?(できません)。だから、良心がなぜ見えないのかというと、自分と一つになっているからです。相対的であればすぐ分かるのですが、一つになったら分からないのです。愛を見たことがありますか? ないのです。触ったこともないのです。一つになっているからです。人間はすべてが中間に浮かんでいるのです。すべて一気圧の中で調和が取れているのです。一気圧の力は大変な力ですが、一つになっているから分からないのです。分かりますか? 一つになっていると分からないのです。


 君たちの(胸の)鼓動は、「ドン、ドン、ドン、ドン」と聴診器で聞けば大変なのです。このように、心臓が動くということを一日に何回考えますか? 平均みんな一か月でも考えないのです。一年に数回しか考えないのです。忘れているのです。大変なことです。臼で突くよりもっと大きい音がするのに、なぜ感じられないのですか? 答えは、一つになっているから感じないのです。速度の一番速い所、一番遅い所、その中間しか聞こえないのです。感じることもそうです。相対関係に立たなければ感じられません。脈なんかもそうです。それが分かりますか?


 神様が良心を見たいと思うのに、良心がないという女の子がいたら、気持ちはどうですか? ひっくり返るほどに気持ちが悪いのです。愛がないというのです。気持ちが良いですか、悪いですか?(悪いです)。愛と良心をコントロールするのは神様です。神様は良心の主人であり、愛の主人なのです。分かりましたか? (はい)。


 良心は自分において第二の神様です。先生に続いて声を出してください。良心は(良心は)、自分において(自分において)、第二の神様です。(第二の神様です)。自分を中心としては(自分を中心としては)、絶対なる神様です!(絶対なる神様です!)。そのように定義するのです。


 第二の神様は、第一の神様の相対位置に立つのです。相対を中心としての主体・客体の関係は、男が中心に立ったら、女はその男の命令に従えばよく、神様に聞く必要はないというのです。分かりますか? 相対は、主体と一体であれば、それで万事「オーケー」です。分かりましたか? 着物と同じです。立派な着物も、その人が着ることによって、いくらでも御殿の王様の前にも出られるのです。立派な着物が出られるのではないのです。その人が着た着物だから、みんなが歓迎するようになっているのです。そのような相対関係をいうのです。分かりましたか?(はい)。


 相対関係において、神様を中心として良心は第二の神様です。それがなければ、神様と人間が相対的な内容の関係を持つ因縁がないのです。分かりますか? 良心は神様と人間が通じるようになっているのです。良心は第一の神様に対して相対的立場に立つのだから、第二の神様の立場に立つのです。しかし良心を、男、女と見た場合には、男の良心は神と一体になっており、その一体になった主体と客体は横的関係だから、これが一つになった場合には、幹と同じ、枝と同じで、相対基台が一つになったら、それで万事が「オーケー」です。


 国も、国会を中心として、行政府があるのですが、地方では県は県知事を中心として、相対的な県の法律に一体になった場合には、中央に報告しなくてもよいというのです。分かりましたか?(はい)。


 主体・客体関係の世界は、このような原則によってつながっているのです。どちらが上か下か、どこが中心か、相対かを決めることによって位置が決まるし、男、女の二人の問題が世界の八〇パーセント以上、悪辣な罪悪世界をつくったとすれば、男、女の問題をはっきりと解決することによって、平和世界が八〇パーセント無事達成できるというのです。ですから、男、女の処理問題は歴史的に重要なことです。


 この世界は悪い世界ですか、良い世界ですか?(悪い世界です)。今は、もう絶望の段階にきているのです。絶望の渦中で、現状の世界を眺めているのです。「どうすればよいか」と言っても、そこには中心もなければ、主体もないのです。相対ばかりがうごめいていて、今から上がるか、下がるか、この渦巻きがどうなるか分からないという世界です。そういう渦中に生死を決めなければならない運命圏に立っているのです。


 ここにおいて、絶対なる相対が、女としても絶対なる女がいないのです。絶対なる相対が完全ならば、絶対なる主体が生まれてくるのです。完全なるマイナスがあった場合には、プラスは自動的に生まれてくるのです。分かりますか? 空中において、そうなるのです。プラス電気があった場合には、マイナスをなくさないように保護するのだから、必ず自然はマイナスをつくって同伴させて、主体・客体関係を保つことによって、天運が保護するようになっているのです。分かりましたか? (はい)。


 すべてが主体・客体なのです。顔も、目玉をなぜ二つ、つくったのですか? これが一つだったら、消耗も少なくなるのです。鼻の穴も一つであったら便利です。風邪をひいた場合には、「チーン、チーン」と二回も大変です。耳も一つであったらいいのです。手も一つだったらいいのです。女も、男も、みんなそのものをつけて関係するようにすればいいのです。なぜかというと宇宙原則の公式に合うようになっているからです。もし、合わなかったら、みんな笑われるのです。目玉が一つあったら笑いますか、笑わないですか? 鼻がぺちゃんこになって、穴が一つであったら笑いますか、笑わないですか? 笑うのです。笑う者は相手にしないのです。それは障害物になるのです。分かりましたか?


 宇宙はそれをよく知っているのです。宇宙力は、両班さん(韓国・李朝時代の社会の指導者として、政治、学問、文化の発展に貢献した人々のこと)です。相対となるものは保護するようになるし、相対でないものは拒否するようになるのです。だから、宇宙には相応力と反相応力、作用力と反作用力が働きます。一般の人々は、反作用力は作用力反対と言うのですが、先生はそういうふうには言いません。「共に必要です」と言うのです。


 それをみんながはっきりと明らかに知らないと、女の立つ所も、男の立つ所もはっきりしません。分別されて立つ所がはっきりすることによって、秩序が整頓されていくのです。秩序が反対になった場合には、いくら多くの人々が良いとしても、みんなそれは放棄物になるのです。分かりましたか? みんな整頓して、正規の条件に合うようにしなければなりません。何でもって条件を分別するかというと、主体・客体関係によってです。


 だから、君たちもそうです。体が病気になった場合に、お医者さんに、「病気になったら、なぜ体が痛くなるのですか?」と聞けば、お医者さんは何と言いますか? 「それは、病気になったから痛いのです」と言うのです。それがなぜか分からないからです。なぜ痛いのですか? 自分の中から痛い力が別個にピーンと現れて、自分を痛いようにさせるのですか、そうでなければ、どこからか第三の力が作用するから痛いのですか? それが何か知らないから、「分からない」と言うのです。それをはっきりしないといけないのです。


 それが平均になった場合には、バランスが取れた場合には、平等になり、宇宙力が保護します。そのような天運という宇宙力があるのです。分かりましたか? 宇宙の天運というものは、相対関係になるものは保護するようになるし、相対関係が崩れた場合には、天運の相対圏には不合格なので、不合格なるものを残した場合には、合格品に被害になる恐れがあるので、すぐに処分してしまうのです。押し出すのです。その押し出す力によって、痛みを感じるのです。



主体と客体が一つになれば宇宙力が保護する


 なぜ旦那さんが死んだ場合には、女は気違いになるほどに、転び回りながら、「ウウー、ウウー、ウウー、ウウー」と大変なのですか? 生涯全部をひっくり返して、「私はどうなるのか!」と、悲惨な立場になるのです。なぜそんなに痛みを感じるのかというと、自分の旦那さんばかりが死ぬのではないのです。たくさんの男たちが死んでいるのに、なぜ自分だけの問題とするのですか? 自分と相対になった者が破れたならば、天運が「君は不合格品だから、この圏上にいることはできません」と押し出すからです。原理原則の全体圏に不合格品になったのだから、除外されるのです。嫌でも仕方がないのです。


 だから、そこで他の相対を求めて、結婚するとかしなさいというのです。そのような力によって、押し出す方向は悪いのですが、それは何か相対圏を保護するため、相対者を求めるように忠告することになるのです。分かりましたか? 先生は原理原則を話すのです。これに不合格になった場合には、宇宙力が押し出すのです。君たち、先生の話を聞かなかったならば、良心の呵責を受けるのです。なぜ、文先生の話が韓国に、アメリカに、とても遠い世界にいる人にまで、今まで見たこともない先生の話が、なぜ作用するのかというのです。


 日本の家庭にいても、先生を見たことがなくても、先生の命令を聞かなかったら、良心の痛みを感じますか、感じませんか?(感じます)。先生が主体だから、主体と客体が一つになれば宇宙力が保護するし、天運が保護するのに、一つになっていないので除外されるからです。押し出す力によって痛みを感じ、苦しみを感じるのです。そういう立場に立たないというと、滅びます。先生も同じです。神の原則から外れた場合には、良心が必ず命令するのです。「気持ちが悪いよ」と。先生は着物を着るにしても、きちんとしたものを着るのです。


 ここには、日本の名門の家の奥様たちが、たくさん来ているのです。話はいちいち言わないのですが、日本中がびっくりするような名門の家の女性が来ているのです。それで、暑いからといっても、上着を脱いで簡単にすることはできません。しかし、皆さんが公認すれば何でもできます。皆さんが願うのならば、裸になってもいいのです。分かりましたか? 女も、裸になっても罪ではありません。女も裸になれば夫婦になるのです。一番近いものになるのです。裸になるのが恐ろしいのではありません。一番近い関係、一番恐ろしい関係とともに、一番親しい関係になるのです。女が旦那さんの前で着物を脱ぐということは、大冒険なのです。革命的なことです、奇跡中の奇跡です。そうは思いませんか? 考えてみなさい。それは、簡単な事件ではありません。死ぬか生きるかということよりも重大事件なのです。


 先ほども話したように、天運というものは相対関係です。電気でいえば、プラス・プラスは反発するし、マイナス・マイナスは電気原理において反発するというのですから、自然の結婚式をするには、数億ボルトの力を持たなければ、あのように雲の中で火を発することはできません。数億ボルトが「よーい始め!」と言って、一緒に男のプラス電気と女のマイナス電気が、「ヤー!」とぶつかるのです。もし一つ一つの電気が集まって、ぶつかることになれば、電気の原理からするとプラス・プラス電気は反対するのだから、集まるようにはなっていないのです。マイナス・マイナス電気も全部反発するのだから、集まらないようになっているはずなのに、なぜ、どのようにして大きな電気が集まるのか考えたことありますか? ない! ない! ないのです。みんなが「そうだ」と言うので、みんな「そうだ」と言っているのです。それだけ分かればいいのではありません。先生は、聖書について、みんな神学界で「そうだ」と言っても、そうは信じません。自分が鑑定して、再び分析して、実験しないと信じません。だから、非常に先生を恐れているのは、質問が限りなく続くということです。


 だから、そういうような考え方でもって、宇宙の根本が何なのかを究明する責任を持って立っているのです。そして、失敗した男としてではなく、成功した男として認められているのです。天下すべての者が反対しても、神様が公認した場合には、神様公認の頂上圏を自動的に再建して、勝利者になるというのは自然的な結論です。分かりましたか? ですから、君たちは先生に会って気持ちが悪いのですか、気持ちが良いのですか?(気持ちが良いです)。男たちは気持ちが悪いよ。自分の奥さんが、自分の旦那さんより先生に対して、「もっと気持ちが良い」と言うのだから、後ろに立っている男は嫉妬心を持つのです。


 女たるものは先生の側です。生まれる前から初めから。いくら弁明してもそうなるのです。ですから文先生に、「女は格別に注意せよ」と言うのです。分かりましたか?


 立派な愛は、立派な後孫を残すのです。いくら学者でも、悪い学者は立派な後孫を残すことができません。国を滅ぼし、国に詐欺をするような、詐欺師のお父さんになるのです。分かりましたか?(はい)。


 先生が言います。プラス・プラス、マイナス・マイナス、それは反発しません。(します!) しません!(します!) しません!(します!) しません!(します!) しません! いかにして大きな数億ボルトが、どうしてプラス・マイナス一つになりますか? 説明してみなさい!(相手を生かすからです)。何を生かす?(生かし合うからです)。生かし合って、それはプラスになるのですか? 相反発するならば、殺すのですか? 反発するならば、それを変えて保護するのです。ただし条件があるのです。それが合うか合わないか、今から聞いてみなさい。プラス・プラスが反発作用をするのは、相対が決められた時に、そうなるのです。相対圏をつくった時に、そこにプラス・プラスが来た場合には、女を乗っ取る恐れがあるからです。分かりましたか? だから、プラス・プラスは反対するのです。その反対も真なりです。


 例を挙げれば、美人の女が二人いたとします。A美人とB美人です。A美人は何パーセントもよい美人なのです。そこで、B美人が言うのには、「あー、A美人が嫁に行かない限り、私は死んでも離れない。食べることも、寝ることも、遊ぶことも、一生を共にしたい」と。友達としては、二人とない友達として親しくなっていたのです。(一人が)部屋にいなかった場合は、電話で話すし、何時間も会わなかったら大変です。そういう仲のいいAとBの友達がいました。分かりますか?


 ある日、そのBの美人が結婚をしました。美男子の旦那さんを迎えて、素晴らしい結婚をしました。そして、結婚式を終えた次の朝に、A美人がその家を訪問して、「あなた! Bさんいらっしゃるの?」と言った場合に、昔ならば、もう窓を蹴飛ばして飛び出してきたのに、B美人は奥の間の中から「はーい、います。何ですか?」と言うのですか、それとも「いやー! よく来ました。いらっしゃいませ!」と言うのですか? どうしますか? 入りなさいと言うのですか、拒むのですか? 拒むのです。「入るな!」と言うのです。そんなことは、友達同士の時はあり得ないようなことですが、一晩のうちに、旦那さんが決定したことによってそうなるのです。それは何かというと、プラス・プラスが反発するというのは、相対が決まった女のためであるというのです。それは男女二人が一緒になった場合、もっと美人が訪ねてきた場合には、その女のために自分の相対が破れるので、女は「カーッ」と反発するのです。


 それを理解できますか? 相対が決まらない前には、女の子たちは群れ合って一つになるのです。もう十五歳、十六歳になった場合には、「どこどこの村のお嬢さんは、何とかいう立派な旦那さんをもらって、結婚した」という話をするのです。あなたたちもそうだったでしょう? そうでなかったら、女ではありません。


 だから、男もそうです。相対が決まった場合には、美男子が美女をもらった場合には、もし、美男子が訪ねて来たら大変です。反発するのです。夫婦になったら、男が来た場合には男が反発するし、女が来た場合には女が反発するのです。分かりましたか? 相対圏が決まった後には、そういうことをするのですが、相対が決まる以前には合うようになるのですから、雷雲の中のプラス・プラスの相対が決まっていないというのです。「ワー」と、何千ボルト、何億ボルトになって、一つでも間違った場合には、合わない場合には、ずーっとついて、これがストップした場合には、さーっと合って、切ってしまうのです。理解できますか?


 だから、宇宙には和合作用と反発作用があるのです。反発作用が悪いのではないのです。分かりますか? 相対圏を保護するために、相対が破れるプラス・プラス、マイナス・マイナスの危険性があるから反発するのです。


 天運がそうするのです。天運、宇宙力ともいうのです。分かりましたか? その原則を先生が知ったために、今までの生涯の戦に勝利する秘訣となったのです。だから問題があった場合には、すぐ神の相対圏に入るのです。神の相対になった者に、反対するような者があった場合には、直ちに切ってしまうのです。自分がやるのではなく、宇宙力が、天運が除外するのです。


 先生は、そういう実験的な生涯を活用して、ここまで来ました。だから間違いないのです。分かりましたか? (はい)。それだから、君たちも相対を変えることはできません。相対を中心として一つになった場合には、天運が作用した効力に反する者になったので、天運が逆に切ってしまうのです。そういう者は地上からなくなってしまうのです。


 先生の結論を出しましょう。統一教会は理想が高いために、反対も非常に世界的なのです。それで先生は、喜ぶと言いましたが、そんなに二つの法則が相反することはないのです。



愛の本宮


 さあ、一つ質問をしましょう。愛はどこで一体となると言いましたか?(生殖器です)。女の生殖器だけでは愛は生まれません。男と女が関係して一つになった時に、愛が生まれるのです。そうですね?(はい)。それが本場です。


 人間世界において、愛の起源地です。愛の泉の本源です。本家と同じです。その国の先祖の家になるのですから、それが本場です。王宮です。分かりましたか? 王様の家です。宮殿になるのです、そのように一体になった基準が、愛の本宮なのです。オリジナル・ファンデーションです。それは、「源なる基台」というのです。分かりましたか? アダム・エバの愛は、そこから始まるのです。はっきり分かりましたか? (はい)。だから、女も男も愛の本宮を持っているのです。二人が一つになることによって愛が成立するのです。一人では絶対に愛は成立しません。おばあさん、分かりましたか?(はい)。そこが夫婦が一体になる所が愛の本宮です。男女の生命が一体になる本宮です。そこにおいて、血統がつながるのです。それ以外は血統がつながりません。そこで、女も男も喜びの最高の興奮の中において一つになるのです。それが最も貴い愛というものです。


 その本場が、堕落のために悪魔の本場となり、本宮が地獄の悪魔の本宮になってしまいました。天国と神様の本宮になるべきものが、神様の愛の本宮、神様の生命の本宮、神様の血統の本宮になるべきものが、悪魔の三大の基地になってしまったのです。それを再び取り戻すには、大変なことです。第一の初愛の体恤心情を再び取り戻すことはなかなか難しいのです。それを、もとがえそうとする神様においては、数千万年の歴史を費やしても、その基準に到達することはできなかったのです。そのために救世主、メシヤが必要になったのです。分かりましたか? (はい)。


 だから、その場所が最も貴い所なのです。それを崇拝しなければなりません。そういう習慣を持たなければなりません。本来であれば、男も女に対して、生命の源、愛の源、血統の源を崇拝しなければならないのです。しかし、そんなことを考えた男は今まで誰もいないのです。初めて先生から聞く話でしょう? (はい)。それはお金で買うことができません。だから、愛とは恐ろしいものです。すべてを統括し、すべてを消化し得る力を持っているのです。愛は、神様までも消化するのです。その生命は神様の生命であり、その血統は神様の血統であり、血統の主人は神様から始まるのです。生命の主人も、愛の主人も神様から始まるのです。


 そのような本然の関係を持って生まれているべき人間であり、この人間が神様と一つになるようになっているはずなのに、サタンと共に地獄に陥ってしまったため、本心の要求は「神様、神様」と、本来の体験の源を探しているのです。それが人間の良心の欲望として現れるのです。歴史的な人々が言うには、「人間の欲望は不可能である」と思ってきたのですが、そうではありません。全部が可能になるようになっているのです。堕落しなかったならば、人間は完全に全部が神様の愛の相対なのです。神様もそういうものを持っているのです。分かりましたか? (はい)。


 無形性相の神様が、実体の神様としてつくったのがアダムとエバなのです。神様も愛が必要であり、人間も愛を必要とするならば、人間の愛と神様の愛が、どのようにして一つになるのか、これは大変な問題です。理論的に一つになった起点を満たさないと、神様と人間が共に生きる平和の基地、平和の出発、平和の過程、平和の結果の世界に到達することはできません。同じ出発点と、同じ過程を経て、同じ終着点に到達することができなければ、神人一体は永遠にできません。


 だから根本問題は、神様はなぜ人間をつくったかということです。それは、愛の相対者としてつくりました。なぜ、神様は愛の相対者を必要とするかというと、自分一人では何も感じません。刺激的な喜びを感じません。君たちも愛があり、生命があり、血統があるのですが、その愛と生命と血統は一人では刺激されません。女になって、男を見た場合に、この目がすーっと合った場合には作用するのです。愛の力が発動するには、作用が必要であり、作用するには主体・客体が必要です。これは、宇宙の根源の道理を明かすために、そういう例えをせざるを得ないのです。


 電気というものは、作用によって生まれてきます。電気というものは、プラス・マイナスの相対がなければ作用しません。科学者たちは、「宇宙は力によって構成されている」と言うのですが、力が先か作用が先かというと、作用を通して力が出るのです。しかし、その作用は一つではできません。主体・客体の内容で運動が始まるというのが理論的な結論です。運動するには、求心力と遠心力の作用による相対関係の釣り合いによって、そうならざるを得ないというのが理論的です。分かりますか? 良心が作用をすると、二人の良心の力が合った場合には、偉大な力になるのです。良心が作用して一体になった場合には、男と女の場合には、愛の関係に持つようになるのです。愛の関係を持った場合には、天地が共に動き出すのです。男と女がいた場合には、天地を象徴するのです。プラス・マイナスの全体の線上の代表的な基準を象徴するのだから、男と女は小宇宙として、そこに大宇宙が引っ張られてくるのです。



国家的基準から世界的基準へ


 復帰の時代において、復帰は正妻ではできません。妾を通してしなければなりません。こうなった者を逆にして上がっていくには、正妻ではできません。(先生が右手で「」のようなしぐさをされる)別の女を通していくのです。分かりますか? イエス様が来られた場合には、別のお母様を選ぶのです。共に生活していた妻を正妻としては迎えません。おばあさんと、お母さんと、三代目がつながらなければならないのです。そういう公式があるのです。でたらめにはできません。先生は四十歳で、お母様は満十七歳だったのです。そんなことをした先生は泥棒ですか、何ですか? 四十歳の男と結婚したというような十七歳の女の子がいると思いますか、いないと思いますか? 誰もいません。


 なぜ、そうしなければならないかというと、真のお母様になるには、ティーンエージャーでなければならないのです。十八歳、十九歳、二十歳を超えれば、真のお母様にはなれません。当時、先生は四十歳で、その周りには、博士の女性や、修士の学位を持ったたくさんの女性がいたのです。美人もたくさんいたのです。教授もたくさんいたのですが、その人々は真のお母様にはなれないのです。ティーンエージャーの時にエバが堕落したのだから、そういう条件を立てて、愛で一体になるのです。ティーンエージャーと一体圏になれば、十七歳の平等基準に立つことができるのです。


 そういう意味において、お母様と結婚するようなことになったのです。分かりましたか? (はい)。それは、悪くないのです。仕方なくやったのです。なぜかというと、女を救ってあげるためにです。お母様を訓練して、立派な女につくりあげたのです。三十三年間のイエス様の恨みを解いたのです。今年がその三十三年目です。イエス様が三十三歳で死んだ、第二の先祖としての失敗を蕩減復帰して、国家的基準を越えなければならないのです。それで、世界的な出発をして、今や世界の四十か国を凌駕する戦いをしているのです。分かりましたか?


 それを勝利した場合には、国家基準から世界基準へ上がっていくのです。そのような基盤を中心として、統一世界が成るのです。国も、南北を統一する黎明の時がやってくるというのです。金日成がいくら反対しても、思うようにはなりません。


 これから、日本もどんどんどんどん駄目になります。アメリカもどんどんどんどん駄目になります。しかし、文先生だけは、どんどんどん上がっていくのです。考えてみなさい。「八月には統一教会を全滅するのだ」と(一部の)言論界が、「ワーワー」言っていたのですが、何を言うかというのです。反対とは、反対する者の所有権を相続する神の第二の戦法であり、戦略戦術なのです。そういう公式を知っているので、「打つなら打ってみよ!」と言うのです。打てば、打たれる者の財産になるのです。罪なくして打たれた場合には、その賠償、弁償を支払わなければならないのです。


 先生が世界的に大変な立場に立って打たれた場合には、世界を全部相続するのです。世界的な個人、世界的な家庭、世界的な氏族、世界的な民族、世界的な国家、世界的な天宙、世界的な悪魔、すべて神様まで、善なる霊界すべてが先生に反対したのです。神様はなぜそうするのかというと、最高の賜を与えるには、最高のチャンピオンにならなければならないからです。チャンピオン(になりたい人々)が一〇〇人いた場合には、九十九人を落としてしまわなければならないのです、そのためには、反対のコースを取る以外に道がありません。だから、すべてに死の境地を何遍も越えてきたのです。最後に死の状態で一人残っても死んでしまうのを恐れてみんな逃げていくという立場で、死にそうになった者を神様は呼び起こして、今まで宇宙のすべての隠しておいた宝を、初めて授けることができるのです。


 立派な先生とは、(生徒が)優等生として一〇〇点を取るためにどうするかというと、みんなが逃げていくような方法を取るのです。頭でしなければ力でするのです。毎日、自分の僕みたいに便所掃除をさせたり、自分の奥さんの生理のものを洗わせたり、博士の女性に子守りをさせたりするのです。そして、みんな九十九名が落ちてしまうのです。試験というものは、そういうものです。分かりましたか? (はい)。


 だからそういうことを知っている先生は、「やりなさい。やりなさい」と言うのです。文先生の理想は神解放であり、最高の理想なのです。君たちもそうですね? 若い者が犠牲ということをなぜ好むか考えてみなさい。個人は家庭のために、家庭は氏族、氏族は民族、民族は国家、国家は世界、世界は天宙、天宙は神様、神様は愛のために犠牲になってこられたからです。神様だに犠牲になってこられたのです。愛のため神様は犠牲になっているのです。


 愛の相対としてつくった人間です。だから、第一の神様の前に、第二の神様として良心があるのです。それが蘇生、長成(期)基準で堕落したのだから、神様と関係するには、完成圏が残っているので、神様は堕落したアダムには干渉できないのです。長成基準で止まってしまった良心に、下がってきて干渉することはできません。理論的にもそうです。もしも、完成基準に到達したとすれば、神様と直接一つになれるのです。分かりますか?


 神様が主体で、人間の良心は、神様の第二の人間の良心は客体としてぴったり一つになるようになっているのです。それがなぜできないのかというと、長成(期)完成(級)基準の堕落圏を残しているのです。完成基準の七年間が残っているのです。(そこで)祝福を通して、長成(期)完成(級)基準以下で止まっていたので、上に向かって七年間越えていくのです。


 先生も聖婚式で世界的な迫害を受けてきたのです、分かりますか? それは、原理的になっているのです。原理基準、原理過程を完成基準に通過しない者は、廃品と同じです。廃品は回収する必要がありません。完成した、再び修理したものを回収するのです。分かりましたか? そのような再創造の公式過程を通過するのです。このことをはっきりと知らなければ、あなたたちは永遠の高速道路に出ることはできません。あぜ道でさまよって、山奥で、山の頂上を上がりながら途中で落っこちてしまった場合には、地獄に直通するのです。



一番投入して犠牲になる者が中心者になる


 個人が、家庭に犠牲することを願う人はいますか? そうしなければ国が滅びます。七人家族であれば、七人のために犠牲になって、それが間違っていたとすれば大変なことです。七人共々に、みんなが自分を尊重します。価値からいっても、平等です。七人を殺して自分一人がよくなるというのは悪魔です。それは地獄に直行する悪魔です。自分が犠牲になることによって、七人がみんなよくなるのです。七人共々に犠牲になるとすれば、その家が直行、直立で、縦的にすーっと上がるのです。垂直に飛び上がるのです。


 こういう原則から見た場合に、当然、個人が七人の人々の前に犠牲になるということは、それは道徳社会の公的な道として、誰もそれには反対する者はいません。そのように犠牲になり、為に生きた場合には、神様の再創造の道、神様が成されてきた再創造の道と一体になるので、神様が現在立っている所につながる道が続いているのです。分かりましたか? だから滅びることはないのです。投入して忘れる犠牲の道をとっていく人は、その家族の中心者になります。みんなが犠牲しても、一番投入して、もっと犠牲になる者が中心者になります。国の大統領、国の総理という者は、その国のために自分のすべてを投入して、投入して、誰よりも投入して忘れ、投入した者がなるのです。分かりましたか?


 それが、今まで若い者には分からなかったのです。投入して投入して忘れていくことによって、中心者になるということです。中心者がみんないいと思い、みんな中心者になりたいでしょう? しかし、無責任な中心者は悪魔です。破壊ばかりを生みます。だから中心者は責任を持たなければなりません。統一教会の中心者は誰ですか? (お父様です)。お父様ではありません。そういう時は、先生です。統一教会の教祖様です。中心者は責任を負うのです。


 日本の統一教会はぺちゃんこになりそうです。それも先生が責任を持つのです。いかに難しくてもやるのです。日本の男女で、誰も五万人ができると信じた人はいません。日本の状況が大変であれば、女性解放が宣布されたので「私がやります」と言わなければなりません。完全なる主体と相対が立てば、環境は磁石のように収まるのです。先生の言うとおりにやりなさい。やってから不平を言うのです。みんな信じなかったし、やらなかったので、最終回になって、こんなにふくらんでしまったのです。最後になって、こんなにたくさん来いとは言っていません。先生はこんなにたくさん招聘していません。


 第二次大戦の時、出征した兵士も終戦時までに汽車に乗った場合には、第二次大戦の勝戦の参加者になるのです。そういう考えで、一歩でもいいから汽車に乗ろうとした者たちです。自分の利益だけをむさぼり、一身の幸福を考え続けてきた者たちです。そのような人たちが集まって来たと言われても仕方がないのです。なぜ最初に来なかったのですか? 先生は、皆さんが気持ちが悪くなるように、こんな話をするのです。もし気持ちが悪くならない人がいれば、どうかしています。死に物狂いで気持ちが悪くなって、自分自体が覚醒できるとすれば、新しい道が開けるのです。


 すみません。立派な奥さんたちをこんなにめちゃくちゃに扱っても、まだ堂々として続けて話せる腹を持っている先生なのです。みんな、「新しい家庭と統一の祖国」を誰からもらったのですか?(お父様です)。お父様ではありません。女を警戒し、お母様がおみやげを、ちゃんと買ってやっているのです。お母様が普通の女だったら大変なことです。先生が日本の美人たちに包囲されているのですから。先生は年を取っていても、まだ元気です。それは、お母様がよく知っているのです。それで、心配でもって講演もできないはずなのに、お母様はそういうことを凌駕しているのです。


 そういう面では、先生よりも完璧な女になっているかもしれません。先生はよく訓練しましたか、訓練しませんでしたか? どうですか? 考えてみなさい。アメリカでも一回だけの講演かと思ったら、三回やることになり、さらにアメリカ五十州を分けて、二十二回(最終的に、お父様が十二回、お母様が四十四回)も回ったのです。それでおしまいだと思ったのに、次は「日本に行け!」と言われて、日本に行って、日本の講演を終えたと思ったら、「韓国に行け!」。韓国が終わったら、「世界の四十か国を回れ!」となるのです。それで、また帰ってきてどうしますか? 休ませればいいのですか、働かせればいいのですか? 先生の気質から見て、休ませる余裕があるような男に思えますか、思えませんか? そうであれば、君たちも休ませたらいいのですね。長年の間、数十年の間、先生を知って、日本の先頭に立って迫害を受けて、もう気が抜けて、しおれてしまうような立場で、もうどうにもならない限界で、みんなのびてしまったのですね。


 それでも先生は気合いをかけて、火をつけるのです。みんな死にたくはないから起きてくるのですが、逃げる所は先生のほうしかないので、みんな先生の所に走って来るのです。いくら世の中を見ても頼れる所はないのです。世の中はみんな経験してみて、みんな駄目だと知っているのです。しかし、文先生には、まだ実験済みでないものがたくさんあります。世界から歓迎された国一つもまだ迎えていません。それなのに、こんなに発展しているのです。


 そういう立場でアメリカを救い、ソ連の共産党も先生の手によって解放し、アメリカの国連も、国会も、先生の手でまとめて、反対する日本も、反対する韓国も、反対するすべてを、先生はずーっと通過してしまいました。先生は能力のある男ですか、無能力の男ですか? (能力のある方です)。今後の未来の世界に対して、希望を持てる何かがあると思いますか、何もないと思いますか?(あると思います)。既に、世界的な共産主義も実験済みだし、民主主義も実験済みですが、この世界最高の思想は、いまだに未実験です。日本一国が歓迎をしておれば、世界は一瞬にして回っていくのです。韓国政府が受け入れた場合には、世界は一瞬にして回るのです。


 そういう材料はいくらでもあるのです。先生が四十年間ためてきた材料は、NHKなどで放送しても十年以上使えるのです。CIAなどでもって、今まで文先生に反対してきた者たちの内密の調査書がみんな先生の所にあります。日本では誰々が反対したし、韓国では誰々が反対したということを、みんな知っているのです。


 先生は新聞の王様です。世界平和は、言論界の組織でもってやるのです。日本では、統一教会の文先生は何でもないと思っているのですが、今度、拉致事件を中心として、言論界の有名な人々を何人か連れていって、消化してしまうのです。だから、文先生を知ったら恐ろしいのです。引っ張ってみても、根が切れないのです。どこまでも続いているのです。最後には、神様につながって「この野郎、何だ!」というようになっているのです。



済州島は再び修練をする道場


 ここに集まった者は、先生を夢の中とか、幻の中とか、また啓示とかで先生に会ったことのある人は手を挙げてみなさい! (はい!)。これが一〇〇パーセントにならなければなりません。考えてみなさい。生きている実体でもって、霊的世界を投入して、君たちの生活の中で寝ころんでいる女たちに命令して、「統一教会に行け!」「先生の命令を聞け!」と、こういうようなことをやれるような独裁者ではないのです。


 日本の東条さんも、ヒットラーも、ムッソリーニも、スターリンも独裁者の名前をもっているのですが、月給をやりながら(部下を)使ってきました。しかし統一教会の文先生は、月給(献金)をもらいながらやっているのです。(笑い)だから、世界でナンバー・ワンの独裁者だと言うのです。献金をもらっても、先生のために使ったことも、統一教会のために使ったこともないのです。飢え死にするかわいそうな人間を再創造するために使ったのです。分かりましたか? 神様を助けるためにやっているのですから、万年千年かけて糾明しても、裁判にかけることはできません。罪名をつけて地獄に送ることはできません! 分かりましたか? (はい)。


 そういうふうにやりましょうか? それとも、今までみたいに、のろのろ遊びながら、女は男が統一教会で熱心に活動する足を引っ張って、「あー就職をして、月給をたくさんもらって、男は家族を養わなければならない。子供を教育しなければならない。金、金、金、金」と、引っ張りだこにしたが、今度は先生が連れてきて反対にしたのです。男たちは、「いやー、あまり走るな」と、大変です。それで日本も騒ぐのですが、統一教会はそんなに簡単な教会ではありません。アメリカでも五百回以上裁判してきたのです。共和党や民主党の大統領顧問弁護士などをみんな使っているのです。だからアメリカ政府が、「一番、宗教圏で扱いづらい難しい所が統一教会であり、理論的組織体系でぶつかってくるから大変です」と言っているのです。分かりますか、何の話か? 先生はでたらめな男ではありません。いったん手を下した場合には着実に行うのです。


 統一教会のメンバーは着実な女でなければ消えていくのです。率直に言います。そういう自信がなかった場合には、十年、二十年待ちなさい。遊びながら待ちなさい。その時は無料で入場券を上げますが、それは落ち葉として肥料になるだけです。落ち葉は枝になりません。枝になりますか、落ち葉になりますか? 落ち葉でもよいです、統一教会にいて栄養分をずーっと補給されたのです。しかし、枝にならないと落ちてしまうのです。分かりましたか? 枝になれなかった場合には、落ち葉になるのだから、今早くみ言を聞いて、秋の落ち葉にならないで夏の葉になって、秋までに大きくなるようにして、自分も満足して生きたほうが良いのです、そうですね。分かりましたか? (はい)。


 何とか済州島へ行って、ちょっと様子を見て、何か決めようとした者がたくさん来たでしょう? ここが済州島です。済州島とは、再び修練する道場を済州島(再修道)と言います。その済州島に来たのだから、みんな修練に文句を言ってはなりません。修練は厳しければ厳しいほど効果があるのです。時間ごとにさぼるような学生に、「十分間だけお話しします」と言う先生は、学生時代には良い先生のように思えたのですが、学校を出てみた場合には、悪い先生であったと烙印されるのです。


 先生は厳しいほど、真の先生なのです。分かりましたか? 厳しい訓練をさせるほどに、よい先生なのです。だから二〇〇〇人が入る所に、二七〇〇人も詰め込んだのは訓練としても最高の訓練なのです。訓練の歴史において記録をつくるようになれば、記録を書き入れられる歴史になるのです。日本の歴史の記録を記載するのです。そして皆さんは、記録の場所に参席した有名人になるのです。記録に残りたいですか、記録に残りたくないですか? (残りたいです)。だから、先生は話を続ける甲斐があるのです。分かりましたか?


 先生は何を好きになりますか? 高尚な理想を持つとともに、迫害を歓迎すると言いました。なぜかということをはっきり答えてあげます。最も貴い愛の器官はどこですか?(生殖器です)。生殖器は、最も神様が精誠を尽くしてつくった部分です。それを「愛の本宮」といいます。分かりましたか? 生命がつながる本宮であり、それは血統、歴史がつながる本宮です。そこから天国は出発します。そこから王権が出発します。天上天国もそこから出発するのです。間違いありますか、ないですか? (ないです)。(先生が同じ質問を三回くりかえす)


 そこに謎があるのです。一番きれい、一番貴い所に一番汚いものがついているのです。神様はなぜ、そういうふうにつくったのかというと、高くなるには、その反面に低い所も共にしなければいけないということです。そうすることで無限に回るのです。無限に、永遠に続くのです。きれいなものばかりだったら、山をどんなに登っても雪しかないのです。名山になるには、鳥が集まらないといけないのです。蝶や蛾が飛ばないといけないのです。分かりますか? そのためには、高い山には深い谷のあることが条件です。深い谷にはたくさんの落ち葉があり、山の汚いものが、動物の糞なんかがみんな集まるのです。だから、汚い所には昆虫が集まります。たくさんの昆虫が汚いものを好むのです。その昆虫を食料とするのが、鳥とか蛾とかいうものです。分かりますか? だから、名山になるには深い谷があり、たくさんの昆虫を養育する本場がなければなりません。鳥がいなければ大変です。


 みんな人間は、高い所、富士山頂を願うのですが、山頂には何もありません。上がれば上がるほど、息が詰まるだけで道もありません。しかしおもしろいことに、下に下がれば下がるほど、くさい臭いがするけれど、たくさんの昆虫がすんでいるのです。それを中心として、たくさんの鳥が集まってくるのです。そのように、たくさんの鳥とたくさんの昆虫のすむ所が、万物の理想郷になるのです。分かりましたか? それと同じです。いつも便所に行った場合には、それを考えなさい。「あー、先生の高い理想とともに迫害はつきものだ」というのです。分かりましたか? それを中心として、押して来れば来るほど、先生は大きくなりながら、どんどんどんどん進んでいきます。上がったり下がったりしながらです。


 いつも先生はいいことがあった場合には、開拓伝道の宣教師のことを考えます。今までソビエトとか、衛星国家の地下要員を、二十八年、三十六年前に送っているのです。分かりますか? まさかKGBの足元に、統一教会の文先生の組織が、モスクワやレニングラードの地下にあるとは夢にも思わなかったのです。衛星国家の愛国運動、右翼運動を指導したのが宣教師たちです。今は大統領の友達になって、みんな建国の勇士として働きかけているのです。


 君たちみたいに、自分の一身を考えて「あー、統一教会の命令するところは大変だ!」「日本内でも、あー大変だ!」。そんなことばかりではないのです。生死の境できょう一日を、あす一日を生涯の戦いの場と思いながら、み旨の道を歩いている食口たちがいることを忘れてはなりません。


 ですから、高い人は必ず低い人を愛さなければならないのです。先生は反対する人たちの子供たちにも学費を送ってあげたのです。困っていた場合には、お米も買って送ってあげたのです。それは悪魔が侵入できない防備策です。そういう人には、サタンも讒訴することができません。だから神様は「怨讐を愛せよ」と言うのです。怨讐は死んでいくのです。その滅んでいく死骸と共に死なないように、それを避ける方策として、「怨讐を愛せよ」という話になるのです。これが分かった場合には、怨讐を愛するのはそう難しくないのです。


 だからイエス様も、槍でもって自分の胸を刺して血を流すローマ兵に対して、神様に祈るのです。「彼は自分がしていることがいかに悪いことか知らないので、許してあげてください」と。そういうイエス様だから、神様も、サタンも、すべての相続権を与えて、天下統一を成すことができたのです。


 先生の話が分かりましたか? (はい)。良いことを考えて、良いことを行いながら、悪い人を友達にしていくのです。悪い人も再創造していくのです。反対する者を訪ねて、改心させて、神様につなぐようなことをたくさんすれば、神様の再創造の路程を助けたことになるのです。神様の代わりに再創造を成し得たことになるのですから、その人は霊界でも高い神様の相対圏に立つことができます。


 世界は、こんなに悪いのです。男、女がこんなに悪い世界にしてしまいました。ですから、死亡の境地に立って、抜け出る道のない中で、もがき苦しんでいるのです。分かりますか? その反対に、統一教会は最高の基地に立っているのです。希望に燃えているのです。それで、「えーい、どうせ反対する者は死んでしまえ!」と言うのではなく、それを救ってあげたいのが神様だから、そういう心で日本で反対する者を、今から収拾工作しないといけないというのです。救ってあげなければなりません。そのままにしておけば、いくらでもその戦いは続くのです。それは真正面に話し合って、整理していかなければなりません。日本人は、日本の統一教会が責任持たなければなりません。今からは、そういう工作をする時代に入りました。




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