ブログ「ほふられた小羊」を神山先生に捧げる!
ブログ「ほふられた小羊」のプロフィールに神山先生のお写真を用いさせて頂きました。
このお写真です。
神山先生が末期がんにあられながら、死を目前にされながら、涙ながらに語られる神山先生の≪ブログ≫を見るにつけ、通り過ぎるわけにないかない気持ちになりました。
神山先生が最初の殉教者であるステパノのような霊感さえ受けるものがあります。
そして、このブログ、今後、「ほふられた小羊」の記事を神山先生に捧げる思いで書いてみようと思っています。
これまで私はインターネットなどというものに対して、一種の嫌悪感さえ持っていました。しかし、全く反対に、全く新しい境地を私に与えてくれようとしています。
教会の言うがままに流されていた私は、心霊の復活が見いだせないまま、だらだらと歳月だけが過ぎていきました。この閉塞感から抜け出すために、これまでの分派の対策講義で繰り返し聞かされて私の心に残っていることを、今度は、自分の目で、自分の耳で、自分の手でその真実を確認しなければならないという思いが強くなっていました。
このような思いはお父様の聖和後から芽生え始めて、さらに思いが強くなったのは二年近く前になります。そして、お父様にお祈りを捧げるようになりました。
祈りの内容を要約すると、
- 私は2,000年前にイエス様に出会っていたら、イエス様を十字架で殺した側の人間だったことは間違いありません。
- 1950年代にお父様に出会っていたら、聖書をかじっていた私はお父様を国に売った側の人間だったことは間違いありません。
- 顕進様の追放、亨進様の分裂の真意を教えてください。お父様と共に真の愛を標榜しておられたお母さまがどんな理由があれば顕進様を追放できるのか、教えてください。
- 何故、お父様までが顕進様追放に手を貸されたのか?お母さまと一つになっていたと思っていた亨進様と国進様が何故、突然としてお母様と分れてしまったのか、教えてください。
- 基元節を目前にしてお父様の聖和が何であったのか、教えてください。
- 中心家庭に何が起こっているのか、どうして、思いもよらない悲劇が起こっているのか、私にありのまま教えてください。
- これらの問題を正しく知るために、私がなすべきことが何であるのか、どんなことでも取り組みますから、教えてください。
神様は幸いです。私の祈りに、幼子を導くように、ヒントを出して教えてくださいました。
私の思いもよらない神様からのヒントであったとしても、神様を信じて受け入れ、それに取り組むことの連続でした。そして、ヒントの答えがクリスマスプレゼントのように、神様がそうっと、隠れるように、与えてくださいました。
この時に欠かせないのが、瞑想です。いつでもどこでも、仕事中でも、何時間も何時間も、何日も何日も、自分の良心と向き合って、神様に向き合って瞑想しました。
そして、この「ほふられた小羊」というブログでの黙示録解釈の取り組みも、神様がくださったヒントからでした。
明日と明後日にかけて二つの記事を送ります。今後の黙示録の解釈のために必要となる聖書そのものです。
- 「ヨハネの黙示録 (1)1章~12章」
- 「ヨハネの黙示録 (2)13章~22章」