③「第三の封印」 60年前の御言葉
ここに紹介する御言葉は、お父様が37歳、「原理解説」が発行された年、今から59年前の1957年に語られたものです。(翌年、日本宣教が始まりました。)
キリスト教からヨシュアとカレブが顕れてくれば良かったのですが、残念ながらそのようにはなりませんでした。
キリスト教がユダヤ教の失敗を繰り返したように、この失敗を蕩減する立場で登場した統一教会も同時性となってお父様に対して不信するようになってしまいました。
ヨシュアとカレブとは「二本のオリーブの木」の顕進様と亨進様のお二方であり、他に該当する人物は存在しないと思います。
文鮮明先生のみ言集 訓教経(上)
『強く雄々しくあって、失った福地を回復しよう』 1957/6/23
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◆モーセとイエス様が直面した苦難と試験
ですから、モーセのみ旨をヨシュアとカレブが引き継いで、二世たちを連れてカナンに入っていったように、今や第二のヨシュアとカレブがイエス様のみ旨を引き継いで、第二の使徒たちを連れて世界的なカナンの福地に入り、地上天国を建設しなければなりません。これが、イエス様の望みであり、(※1)再臨理想なのです。
《 (※1)「再臨理想」とは・・・ヨシュアとカレブはイエス様と共にカナンの福地に入って摂理の終局である「小羊の婚宴」を成就してサタンをこの地上から完全に追放する使命があるということです。 》
御言葉・・・続き
◆強く雄々しくあれ
それでは、私たちがそういう責任と使命を引き受けようとするならば、神様は私たちに何を強調されるでしょうか。神様が荒野でモーセの使命を引き継いだヨシュアに、「強く雄々しくあれ」と言われたのと同じように、私たちにも「強く雄々しくあれ」と強調なさるはずです。これから私たちは、世界的カナン福地を見つめ、そこに入っていくことを願いながら荒野にいるという事実を知り、ヨシュアとカレブのような心と体にならなければなりません。
すると今日、世界的な(※2)キリスト教徒たちはどのように生きなければならないでしょうか。ヨシュアとカレブのような存在が現れて、この地上のキリスト教を導いていくことを天の前に訴えなければならないのです。
《(※2)この御言葉を語られた時代は「キリスト教徒」そのものを指していたのでしょうが、再び、キリスト教が失敗しましたから、その失敗を代理蕩減する立場に立った統一教会・家庭連合の信徒たちのことになります。
統一教会・家庭連合がヨシュアとカレブの出現を天に談判しなさいと言っているのです。 》
御言葉・・・続き
(※3)中心を失い混沌と混乱を起こしているこの荒野時代で、これを収拾していく方向を提示できるヨシュアとカレブのような存在が現れなければならない時になったのです。このことを今日、キリスト教徒たち(現在は家庭連合の信徒達になります)ははっきりと悟らなければなりません。
《 (※3)キリスト教の失敗によってお父様はメシヤの位置を一旦降りて蕩減の道を歩まざるを得なくなったことを言っています。
そして、その荒野時代からヨシュアとカレブが現れなければならない時になったということです。 》
御言葉・・・続き
ここでは、(※4)自らの教派が問題ではありません。私たちはそのことを知らなければなりません。
《 (※4)「自らの教派が問題ではありません。」・・・これはキリスト教の分派のことでもありますが、同時性的蕩減からみて顕進様と亨進様の分派問題について語られていると言えます。 》
御言葉・・・続き
(※5)ヨハネの黙示録第十一章では、二本のオリーブの木に対する預言をしています。これは何を意味しているのでしょうか。世界的なカナン復帰の路程を出発するのに先立ち、ヨシュアとカレブのような存在が現れることを予告しているのです。
モーセの代わりに現れたヨシュアとカレブがユダヤ民族を導いてカナンの地に入っていったのと同じように、今日にもイエス・キリストの福音をもったヨシュアとカレブのような人たちが現れて、神様の民を率いて世界的なカナン福地、新しい希望のカナン福地に向かうようになるでしょう。
《 (※5)「二本のオリーブの木」がヨシュアとカレブであると語られたこの御言葉が、黙示録全般を理解するにあたって、これまでにない光を与えることになりました。 》
御言葉・・・続き
またヨシュアとカレブに従ってカナンに入っていった群れが、カナン七族を滅ぼしたように、皆さんにはサタンを滅ぼさなければならない責任があるのです。そういう天の勇士になり、そのような路程を歩むべき責任が、皆さんにあることを肝に銘じなければなりません。
そして、(※6)新しいみ言を主張するヨシュアとカレブがこの地のどこに現れようとも、人々の心の扉を開いて、み言を聞かせ、天のために生きられるようにする私たちにならなければなりません。
ヨシュアとカレブの行く道は、冒険の道でした。彼らが歩いた道は、難しい開拓の道であり、闘いの道でした。
行く先々で開拓者の使命を果たさなければならない、厳しい道でした。時には個人的に、あるいは環境的にぶつかってくる試練と闘わなければならない路程が、彼らにはあったのです。
《(※6)再臨理想を引き継いだヨシュアとカレブは摂理的人物でありますから、誰も彼もがなれるのではありません。
ヨシュアとカレブに最もふさわしい人物の資格とは・・・
《 第六章 予定論 第三節 人間に対する予定 》には次のように記されています。
『それでは、このように、召命を受けた中心人物は、いかなる条件を備えるべきであろうか。
① 彼はまず、復帰摂理を担当した選民の一人として生まれなければならない。
② 同じ選民の中でも、善なる功績が多い祖先の子孫でなければならない。
③ 同じ程度に善の功績が多い祖先の子孫であっても、その個体がみ旨を成就するのに必要な天稟を先天的にもつべきであり、また、同じく天稟をもった人間であっても、このための後天的な条件がみな具備されていなければならない。
④ さらに、後天的な条件までが同じく具備された人物の中でも、より天が必要とする時機と場所に適合する個体を先に選ばれるのである。』
現在、全家庭連合を見渡して、この四つを供えた人物と言えるのは、顕進様と亨進様以外に存在しないと思います。 》