「平和の主人 血統の主人」・・・「相対を失ったら生きることができない!」 先生はお母様を失った為、これ以上、生きることができない・・・
下記の御言葉の「相対」とは、小羊の婚宴(基元節)を成す為の真の花嫁のことになる。しかし、その真の花嫁となる相対がお父様の前にあらわれない為に、先生は「なくならなければならない」「いなくなる」と語られた。それどころか、お母様と幹部たちがお父様に対して「お前は死んでいなくなれ!」と言っている。
「平和の主人 血統の主人」 (2-5)
下水平は地獄のどん底であり、上水平は天国の高い所なのですが、そのことを知らないのです。
右が先でしょうか、左が先でしょうか。これがすべて何であれ、分かりません。何もかも分からないので、このように混乱し、「終わりの日」だということを知らず、そのまま滅んでいくのです。
なくならなければなりません。相対を知らず、主体・対象的関係のない線上で生きるならば、なくならなければならないのです。
「平和の主人 血統の主人」 (3-5)
大きいからといって王の役割は果たせません。王がいるなら、女王もいなければなりません。
【「私もあのように回ってやる」と思ったのですが、そのように回ることができないので、これを占領して回ろうとするのです。
愛を中心とした血統問題です。】相対がいなくなる時には、いくら王でもいなくなるのです。天地人の道理を知らなければなりません。このような概念は、西洋や東洋にはありません。なぜでしょうか。
堕落したからです。戦いです。息をフーと吐いたあと、(相対という概念がないのに)どのようにして吸い込むのでしょうか。
【「私もあのように回ってやる」と思ったのですが、そのように回ることができないので、これを占領して回ろうとするのです。
愛を中心とした血統問題です。】争う中で、「お前は死んで、いなくなれ!」というのに、どうなるでしょうか。