「黙示録」や「平和の主人、血統の主人」は絵画で言えば抽象画です。
本日のブログはちょっと横道に逸れます。
「第三の封印」の解読は次回にします。
「黙示録」も「平和の主人、血統の主人」も、解読で驚くことは、既に現在起こっていることが間近に展開されていると言うことです。このブログを部分的に読まれている方は、解説がこじつけに思えるかも知れません。
「黙示録」や「平和の主人、血統の主人」は絵画で言えば抽象画です。抽象化された一つの言葉に、実は、膨大な内容の御言葉が内包されている場合があまりにも多くあります。ですから、一行、二行という、文字数が十個、二十個というわずかの文字数の解読に、数日間、一週間、一月、費やすことも度々です。この連続の中から、一つが解け、また、一つが解けて、ジグソーパズルの一つのピースが埋まってできあがっていきます。
その為に絶対に必要となるのが、お父様の全体的な御言葉です。自分の知っている御言葉だけをもってしては解読できません。そして、解読した内容が、お父様が年代ごとに語られてきた御言葉と整合性がとれるのかも検証しなければなりませんから、私個人の思いを恣意的に、意図的に織り込んで解釈することは全く不可能であることをご理解ください。
読者の皆さんの中には、黙示録の解読は私個人の思いが入り交じっているのではないかと不安を覚えている方もおられると思います。しかし、仮に、私個人の思いを意図的に入れて解読を進めていきますと、原理軌道から脱線して、どこかで必ず矛盾の壁にぶつかるようになります。それは、原理的観点を熟知されている方が読まれた場合、すぐに分かると思います。
黙示録を解読した結果をブログでお伝えする時は、ややもすると、短い文章ごとに分けて、ブツ切りで解読の結果だけをお伝えすると言うことになりますので、読み手の皆さんは、多少すっきりしない思いが残るかも知れません。解読のプロセスまで解説するとなると、十倍の文字数になってしまい、ブログには適さない内容になってしまいますので、ご了承ください。
「黙示録」とか「平和の主人、血統の主人」のどちらも、長い文脈の中からヒントとなるメッセージが見えてくることが多くあります。
更に解読に欠かせないのは原理的観点です。原理的観点を前提とした判断基準を設定することによって、一層解読が容易になります。
それから、顕進様を支持しておられる方達、また、サンクリチアリ教会に所属しておられる方達、また、家庭連合に所属しておられる方達、様々な方達がおられ、その立場立場によって、解読の解説が受け入れがたいと思われることも当然発生していることと思います。
しかし、私としては一人でも多くの方達に読んで頂きたいという思いが先だって、解説を歪めたり、隠したりすることは神様の本意ではないと思いますので、皆様の反発を覚悟で解説を続けていきたいと思っています。
誰からも振り向かれないブログになってしまうかも知れませんが、しかし、この二つの預言書は現在、現実に展開されていますから、必ず理解できる時が来ると信じています。
また、御言葉が暗号になっていると言うこと自体、「オカルトじゃあるまいし、ナンセンス」という、生理的に受け付けられないというような、非公開のコメントも頂いています。
しかし、そのような考え方はお父様の御言葉の研究が不足しているが為におこっている短絡的な甘い判断だと申し上げたい。