ほふられた小羊

1. お父様が地上で成される最終目的は『アダムを再創造』することだった。
2. 『アダムの再創造』に必要な条件はお母様がお父様を主管する『主管性転倒式』という摂理だった。
3. 『主管性転倒式』とはお母様がお父様を主管することによって成された『聖和』である。
4. 『聖和』によって『アダムの再創造』が完成した。
5. お母様が絶対信仰の基準が立てることができないことを予め知っておられたお父様は、
 神様王権即位式の前日に「死の前倒し」という条件をもって即位式を挙行された。
6. その為、神様王権即位式以降から12年の延長期間のお母様はサタン側の堕落したエバの立場に立つことになった。
7. 12年の延長期間において、お母様は信仰基準を立てることができないことから、お父様は真の相対(新婦)を失うことになり、自ら聖和された。
8. イエス様の死が摂理の大転換となったと同じように、この『聖和』が摂理の大転換点のとなっている。
9. お父様の七年の大患難時代(2013-2019)が今年で終わります。そして、コロナ災禍で始まり、ウクライナ問題の真っただ中にある2019-2025年までが世界的蕩減時代になっています。さらに、2025-2031年までが世界的贖罪時代となります。そして、これ以降、お父様がこの地上に臨まれる時代圏が到来しようとしています。
 さらに、お母様が80歳以降に入るとお母様の終焉が迫っています。

②蕩減復帰の峠を越えましょう(女性修練会) 1993.12.20

②蕩減復帰の峠を越えましょう(女性修練会) 1993.12.20


 1993年12月20日 韓国・済州研修院


旧約時代、新約時代、成約時代の目的


 聖書では、「再び蘇るという」ことをいっているのです。再び生まれなければなりません。それで、イエス様にニコデモが夜に訪問して尋ねました。「いかにすれば救われますか?」と。その時、イエス様は「再び生まれ変わらなければ、それは救われません」と言いました。それでニコデモが言うのには「いかにして、大きくなって再び腹の中に入って生まれることできますか?」。「それも知らずして、イスラエルの先生になっているのか」と、イエス様が反問したことがあるのです。だから、重生の意味は重ねて生まれるということです。最初に生まれたことが間違っているから再び生まれ変わなければならないという意味です。イエス様は、はっきり話しましたが、その内容は説明しなかったのです。言葉では言っているのです。


図-1

 旧約時代、新約時代、成約時代です。(先生が黒板に図―1を書かれる)こうなるのです。神様の摂理の中心思想は、真の父母を再び取り返してくることです。創造するのではないのです。


 サタンによって盗まれていったのだから、もとがえしてこなければ、探し求めてこなければなりません。きのうの「真の自分を探しましょう」と同じく、失ってしまったということです。分かりますか? そうするには、良心を絶対なるものとして、それと一つとなる道以外には、自分を探すことができないというのです。それでは誰によって教わるのかというと、自分ではないのです。良心は何も知らないのです。堕落圏において長成(期)完成(級)基準の未完成期において、知らないで堕落した基準を凌駕する者が一人もいなかったのです。それを凌駕しないというと、サタンの支配下に永遠に止まります。


 それで、神様は真の父母として、蘇生(期)完成(級)基準ではなく、それを凌駕している完成(期)完成(級)基準に到達した場合には、神の直接主管圏に入るのです。だから間接圏は、神様の直接主管圏を中心として主管されるような基準に及んでいないので、その下に行って愛の問題を完成するようにはなってないのです。分かりますか? (はい)。何も知らないで堕落するのは、その知らない基準に神様は降りていくことができないから、そのまま待っている立場ですから、それを見ながらも、堕落することをほうりっぱなしにしました。それでアダムは分からなくって、知らないうちに堕落しました。そうなるというと、完全にアダム自体が分かるような基盤を、再び探してこなければならないのです。


 それを探してこられる方が、この世の中の救世主であり、宗教圏ではメシヤというのです。日本では、メシヤのことを食堂の親父と言ったね。(笑い)最初に先生に言ったのです。「メシヤは食堂の親父だ」と。(笑い)本当ですよ。霊的な食物の親父がメシヤです。そう考えてみると、それは間違いではないのです。


 旧約時代、新約時代、成約時代の目的は何かというと、アダム・エバが完全に完成し、完全なる真の父母の立場に立つべき立場を失ってしまったのだから、地上のサタンから、真の父母たる者を再び取り返してこなければ復帰ができません。復帰は反対の道をたどっていくので蕩減復帰しないといけないのです。だから、これは皆、連関関係を持っているから一つでも抜いたら説明に困るのです。


 本当は、きょう「蕩減復帰の峠を越えましょう」という話をしたいのです。(先生が黒板に図―2を書かれながら説明される)神様。これはアダムです。エバです。カインです。アベルです。サタンです。アダムです。エバです。カインです。分かりましたね。アベルです。堕落しなかった場合には、神様の命令にアダムが従えばいいのです。アダムの命令にエバが、エバの命令に長男が、長男の命令に弟が従った場合には、それで済むのです。主体のプラスの前に横的になって、一つになればいいというのです。だから、アダムの命令をエバが守ればいいのです。エバがアダムの命令と一体になった場合には、相対関係だから、神様の直接命令を受けなくても完全なる完成の立場に立つのです。


図-2

 中央政府を中心として、国会を中心として、行政機関を中心として、中央の下には県があるのです。県知事を中心として、県全体が県知事と横的に一つになれば、中央政権の干渉がなくても、国家という木の枝の立場を守ったと同じような価値の位置に立つことができます。郡は郡の長を中心として横的に一つになればそれでいいのです。県の知事に聞く必要はありません。分かりましたか? (はい)。こういうふうになっているのです。


 だから、この前にも言ったように、良心は神様の前には第二の神様の立場であるのだけれど、自分には絶対なる神様であるというのです。だから、神様が干渉しなくても、プラス・マイナスが一つになれば、それで「オーケー」です。分かりましたか? (はい)。



神の創造と人間の堕落


 そういう観点から見た場合に、神様の命令をアダムがエバに命令すれば、それで下が完成されるのです。エバはアダムの次に、カインと一つになればいいのです。アダムの指示する方向にコントロールする方向に相対的に合わせていけばいいのです。母を中心として、長男と母が一つになった場合には、お父さんに聞かなくてもいいのです。家庭の規則がそうなった場合には、規則を子供に言い聞かせて、母の言葉と一体となった場合には、お父さんとお母さんの話を聞いたと同じであり、それから神様の話を聞いたと同じであるというのです。分かりましたか? (はい)。便利なようになっているのです。だから、カインはアベルを重視し、アベルとカインが一つとなったら、主体・客体関係で収まるようになっていたのです。


 こういう者が堕落したために、みな怨讐なのです。怨讐になってしまったのです。アダムはサタンに対して、「この野郎! 君は神様の王子となるべき者を堕落させて、地獄の王にさせた!」と言うのです。怨讐です。分かりましたか? それでアダム・エバ同士でも、エバはアダムに対して讒訴するのです。「私は堕落したけれど、あなたが主管圏を転倒したから堕落したのだ」と。責任を転嫁させてしまうのです。それは堕落の傾向です。女はみなそうするのです。女のけんかを聞けば、みな偉そうに、みんな自分が全部いいように、相対は全部悪いように言うのです。みな被せて責任を転嫁してしまうのです。だからみな怨讐です。「この野郎、何をやってるのか! 君が堕落して、みんなを誘致して!」と、そんな馬鹿なことを言っている怨讐です。それで、子供は「お母さん何で堕落して、地獄の長男になるようにして、何です!」と。みな反対なのです。だから、カインがアベルを殺したように、みな反対するのです。みな怨讐になっているのです。


 怨讐を植えてしまった家庭だから、世界は、みな分散するのです。怨讐のサタンの子供たちが成長して皆、サタンと同じくなったのだから、みな成熟して、自分なりの主張をして誰も聞かないのです。「お父さんは何だ?」「サタンだ!」。「君は何だ?」「夫婦だ!」。「旦那は何だ? 妻は何だ?」「君が悪いじゃないの!」。お母さんは子供に「君が悪いじゃない!」。「お母さんが悪いじゃないか!」。兄さんは「何だ! 弟が悪い」。弟を殺して、「この野郎!」。全部、そういうようにして、みな別れていくのです。


 だから、植えたとおりのことが結実されるのです。アダム、エバの堕落の実です。それは、いちじくの木の下でもって淫行行為をして堕落した青少年の倫理問題がなぜこうなるかというと、エデンの園においてそういうようなティーンエージャーによって人類が堕落して、自由行動でもってめちゃくちゃにさせたものを植えたのだから、末の結実の収穫期、秋の収穫期になると、全世界のティーンエージャーの混乱期になり、そのために国も世界も収拾の道がないのです。全部、地獄化していくのです。一番犯罪の多い年齢は二十歳、その三年前後のティーンエージャーが大変なことになっているのです。それを収拾する道は、なぜこうなったのかという原因を知らなければなりません。結果は動機があるからそうなったのであり、その動機を知らなければなりません。動機がこういうものであり、その堕落の結果、このように乱れてきたということです。分かりますか? (はい)。植えたとおりに収穫するのです。


 蕩減原則によって、エバといえば韓国語では、「イゴッパ」「これ見なさい」。「イゴッパ」「早くしろ。エバ」となるのです。「これ見なさい。悪くなった」と言うのです。エバは堕落のために何をしたかというと、アダムをだましたのです。それから親です。神様は親です。父子をだましたのです。こういうふうにして、堕落したのだから、こういうふうに落ちていったのだから、それを反対にして上がってこなければなりません。同じものをひっくり返して上がってこなければなりません。分かりましたか? 堕落した正妻の道では、復帰の女、真のお母様が生まれることができないのです。


図-3

 転覆して反対に上がるのだから、正妻一人では、二人のことができません。二人が必要です。そして、こういうふうになったのです。(先生が黒板に図―3を書かれる)こういうふうに降りていく者が、こういうふうにして行くには、これは正妻ではできません。正妻は、それ本妻というのです。本妻としては上がることができないのです。これが妾です。妾、妾です。 妾の系統を中心として上がっていくのです。


 だからサタンは、ヤコブの時に、ヤコブは神の選民として帰る代表の家庭です。そのヤコブの家庭によって、堕落したすべてを清算していかなければならないのです。神の血統を考えて見た時、堕落したために生まれたサタンの血統をみな殺してしまうことはできません。殺してしまった場合には、女がなくなるのだから、メシヤという真の父母が生まれる基地がなくなるのです。分かりますか? 残さないわけにはいかないのです。それで女をたくさん持たないといけないのです。それで、妾として、妾の女を連れて神のほうへ戻っていかなければなりません。そうなるというと、妾は本妻の、正妻の怨讐です。地獄にみな同じく入ります。抱き合って転んで、そこに行こうというのです。大変なことです。これをなだめて一つにならなければならないという、復帰された家庭にはそういう内縁があることを知っているのだから、神様はそれを収拾するために、「怨讐を愛せよ」ということを発布せざるを得ませんでした。分かりました? (はい)。


 聖書の「怨讐を愛せよ」という話は何かというと、一家においては、兄弟です。レア・ラケルと同じように、姉妹の関係が共に一つの愛の後孫を取り合って戦うようになっているのです。それを一つにしないというと、天国に入れないのです。それで神様は未来の世界を望みながら、こういうような愛の怨讐圏が一家にかかっており、それを収拾しないといけないことを知っている神様は、遠い未来世界に向けて「怨讐を愛せよ」ということを発布、発表せざるを得なかったということです。分かりましたか? (はい)。どんなに難しいことであっても、これを収拾せざるを得ないのが女たちの十字架です。堕落した女が蕩減復帰の道を逆さまに行く、この運命を避けることはできません。こういうような内容です。



ヤコブ家庭の摂理


 それで、ヤコブ一代において、ラケルを中心として、ラケルを七年間、ヤコブが精誠を尽くして相対として求めたにもかかわらず、結婚の初夜に、それはラケルではなく、レアをヤコブの所に入れさせたのです。それで起きてみれば、大変なことです。「神様が、なぜそれを許したのか」と。こういう復帰の中心の家庭に、なぜこういうような悪辣な問題が起こるようにさせて、神様は保護されなかったかということが問題なのです。


 その時、ラバンはサタンの側に立って言うのです。「神様。神様の家庭を復帰していくには、正妻では復帰できないことをあなたは知っています。それでも正妻で復帰するのだったら、サタンと共に人の家でもって交代に愛する立場に立ちますか?」と。絶対できないのです。怨讐の立場です。怨讐の立場でもって、憎む怨讐の立場から手を着けるようになっているのです。分かりますか? それは愛の一家という、独特の一人の旦那さんを中心として二人の女の怨讐圏、愛の相対関係の怨讐以外にありません。だから正妻と妾の関係です。分かりましたか? (はい)。


 それで、ラケルが妾ではなくて、本妻になって、ヤコブと一つになっていたらそれでいいのに、堕落の系統から復帰されるには、正妻ではできないのです。分かりますか? 正妻の怨讐の女からです。それは分かりますね? (はい)。だから妾です。妾は正妻をさておいて、二番目のもっと過去より高い愛でもってつなぐのです。そこに、復帰伝統に一致する内容があるのです。


 それで終末の時には、妾の子供たちが世界を指導していくのです。出世する者がたくさんいるのです。大概、自分たち女は言わないのだけれど、そういうような関係の因縁で、はらんで身ごもった子供たちがたくさん世界的な指導者になっているというのです。お母さんにはみな隠してしまっても、自分の旦那さんが横で三角関係を結んではらんで生まれた者が、天下を治めるということがたくさん起きているのです。分かりますか?


 末の時期は、妾の子供が世界を指導して、こういうふうに切り返していくのです。(先生が黒板に図―4を書かれる)だから、なぜ離婚が末の時期に許されるようになったかというと、妾が離婚することによって、正妻の立場に立つようになるのです。分かりますか? これが離婚したとするならば、このヤコブとラケルが一つになるのです。また離婚することによって反対するようになれば、この離婚した本妻が元の旦那さんを探していくのに、何の差し支えもないのです。


図-4

 再臨のメシヤが来た場合には、正妻も離婚することによって、妾も離婚することによって、本当の再臨の主の所に行くことができるのです。それはサタンに、「行くな!」とぶたれてもです。だから、末の時期において、離婚をなぜ神様が許したのかというと、神のほうに自由自在に、完成の旦那さんを訪ねて、神に帰る道を開いてやるために離婚という問題を、常識みたいな環境にしてきたということを知らなければなりません。分かりましたか? (はい)。君たちもそうでしょう。旦那さんをだましてここに来たのだけれど、すぐに帰れば離婚もできます。離婚は難しくないのです。それは誰が決めるかというと、男が決めるのではなく、女が決めなければなりません。優先権は女にあるのです。女はアダムの実体の女王様です。男は天使長です。金とか全権は、子供と共に女が持っています。


 だから追い出した場合には、「君が子供と出ていけ」とは言わないのです。「私が出ていく」と言うのです。(笑い)分かりましたか? 心配しなくてもいい、そういう時代が来たのはなぜかというと、再臨のメシヤは泥棒みたいに来るというのです。サタンの世界から横的に見た場合、何の関係かというと、縦的には関係があるけれども、横的に見た場合には外の橋の向こうの陰で、内緒の奥間に住んでいる奥さんに、「来い、来い」と誘うことです。それは天使長がエバを「来い、来い」と誘ったと同じように、誘っているのです。そして目が合った場合には、惚れて大変です。死んでも離れることができないので、「垣根を飛び越え、家を飛び出していく」と言って、部落の騒動問題を統一教会が起こしてきたのです。だから、「家庭崩壊! 文先生は家庭破壊の大将だ! 悪者だ!」と、自分の力ではできないので警察に頼むようになったのです。先生が動機になったのではなく、女がみな動機になっているのです。


 だから、ラバンが言うには、「復帰路程は、正妻でもってはできないことを知っているのではないですか?」。そうであれば、ラケルは本妻になれません。妾にならなければならないのです。それで、レアを許さざるを得なかったのです。分かりますか? レアは完全にサタンのほうです。自分の僕の三人の女を通して、十人の子供を生んだのです。ラケルは二人の子供を生んだのです。十二人です。これはレアの作戦で、ヤコブ家庭を自分のほうに完全にとりこにしたのです。ヤコブ自体もそれが分からなかったのです。こういうように内的に絡み合って、それで峠を越えて、明らかな道を開拓していくことを知らなかったのです。こういうふうにして、ヤコブ家庭はこうなっているのだから、こういう二つになって、これが一つになるのです。正妻は妾と一つにならないといけないのです。


図-5

 一つにならなかったのはなぜかというと、ラバンの妻、レアの母の補助が必要であり、ヤコブのお母さん、それと姑と婿の補助が必要だったのです。この二人の母が一つとなったとするならば、それでラバンに対して、「何だ! この悪辣な者! 二人の女を売ってしまう! そんなことはない!」と言うべきです。それから、レアを呼んで「この者! 妹の愛を盗んだ泥棒!」と言うのです。ラケルを中心に心情的な痛みを残してはいけないのです。「君は妾だ!」そういうふうに言うべきです。分かりますか? 本当にそうなるべきです。「君が妾である」と。夫婦が共に公文を出して、舅と嫁がレアに対して、「この者!」と、一人が主張した場合には、本妻は妾の立場で一つにならなければ駄目です。レアの子供たちとは、カイン・アベルです。これを屈伏させて家族を統一するのです。二代の女が一つにならなければならないのです。分かりますか?(はい)。


 第一代のアダムの奥さんを殺したのは女だから、第一代のアダムの代わりのお母さんが、自分の娘を一つにして、方向転換してやらなければならないのです。それを知らなかったのです。これが問題になったのです。一つにならなかったから、これがだんだんと民族的になって、北朝十支派を中心にして、南朝の二支派に分かれて争ったのです。(先生が図―5を書かれる)家庭で統一できなければ、民族的に戦うのです。



エリヤの使命と洗礼ヨハネ


 北朝と南朝が一つになるための、イスラエルとユダヤの聖書の中の絡み合いの戦いなのです。それを成すために、中間の調和のために送ったのがエリヤです。エリヤは、北朝のバアルと偶像アシュラを崇拝する者たちを集めて、その祭司たちをみな動員して、南のほうのユダ支派の祭司と共に、「生きた神がいかなるものかを試して、それを証しした方向に南北を行かせよう」と提唱してやったのです。北方の十支派の祭司、偶像崇拝、サタン的な祭司たちを八五〇名が、みな祭壇を作って燔祭をささげ、「そこに水をかけて祈った場合に、天から火が降りてみな焼いてしまうような実証をしよう」と準備して、まず、八五〇名の北朝の十支派のカイン的な祭司たちは、いくら祈ってもびくともしないのです。それで、エリヤが一人で祈ってみると、天から火が降りてきて、祭壇とともに、祭物とともに祭司たち八五〇名をみなさーっと焼いてしまったのです。


 そうなると大変です。北朝の人々は自分たちの崇拝した祭司たちがみな死んだのだから、「このエリヤ!」と。約束したこともさておいて、「自分たちの信奉する祭司たちを殺してしまった」と、みな殺そうとしてきたので、エリヤは逃げて、山へ行って祈ったのです。「神様、あなたの命令によって、一つとなるように思ったのに、一つとなるどころか、みな私を殺そうとするのです。こういうふうになったのだから、私の生命を取ってください」と祈ったのです。その時、神様が言うのには、「いまだに、バアルに屈伏していない七〇〇〇人が残っている」と。その七〇〇〇人を中心として一つになる時までは、復帰はできません。カイン・アベルの二人を立たせないと、神の国に帰ることができないのです。


 そういうような言葉を残して、エリヤは昇天して使命を果たせなかったのだから、それを再びイエス様が、国家次元でなさなければならないのです。国家次元でイエス様が来られる時、イエス様は国家の王様として来られるのだから、その前に起こる支派的民族的な争いは大変なものです。それを平定して、エリヤの統一の理論を再びなさなければならないので、エリヤの再臨という概念が再び生まれてくるのです。それで、エリヤが九〇〇年前に火の車に乗って昇天していったと同じような姿で、再び降臨すると思っている旧約聖書を徹底的に信じていたのです。分かりますか? (はい)


 エリヤが来るといっても、火の車に乗って行ったので、火の車に乗って帰ってくると思っていたのですが、火の車に乗ってエリヤの霊人体が来て、何をするというのですか? 地上でもって、平面でもって、完成するようになっているのです。分かりますか? ヤコブの家庭のレアとラケルは、地上において家庭で完成するようになっているのです。イエス様はその失敗を国家的になさなければならないのです。家庭でできなくて、氏族的にできなかったことを国家的基準において統一するために来るのだから、氏族の失敗を延長させてエリヤが再び来て、主の道を正しておくと旧約聖書で約束していたので、降臨なさる時は火の車に乗って来ると思っていたのに、人として生まれてきたということは大変なことです。


 それで、イエス様の弟子たちが伝道に行くと、「君たちの先生が、もしメシヤだったら、エリヤはなぜ来なかったのか?」と言うのです。これが問題です。何も知らない、旧約聖書も知らない者たちが、イエス様に感化されて、伝道に行って「自分の先生がメシヤだ」と言った時、それを突っ込まれて、何も知らなくて、それで帰ってきて先生に質問するのです。「人々が言うのには、メシヤが来る前に、エリヤが先に来ると言うのですが、それは何のことですか?」と。それでイエス様は、はっきり言っているのです。マタイ伝の十一章にあるのです。「エリヤはもう既に来ている。それは洗礼ヨハネとして、エリヤは来ている」と。それは大変なことです。旧約聖書では、昇天した者が降臨すると思っていたのに、イエス様は、「そのエリヤが降臨するのではなく、もう既に洗礼ヨハネがエリヤとして来ている」と言ったのです。


 そうなると、その当時のユダヤ教会の信者たち、旧約(時代の)信者たちは、「この悪辣なイエスのやつ、悪魔の王者よ! 自分がメシヤになるために引っ張りだして、つくりあげたのではないか! 我々はそう思わない」と言うのです。だからといって、そのように追われたイエス様は、追われたままではいけないのです。死んでも、そのみ旨の道を発展させていかなくてはならないのです。それを消化していくために、どんどんどんどん、伝道を続けることによって、ローマの法廷闘争で、十字架上に、はりつけになって死んでいくのです。そのことは、イエス様をローマ自体が、ユダヤ人が殺したのではないのです。エリヤが来なかったからです。分かりましたか? (はい)。


 イエス様の言ったとおりに、イエス様はメシヤになりました。その当時、イエス様を誰もメシヤとは知らなかったのです。メシヤは神様が決めるのだから、いかに世の中が反対しても、神様の公認する基準に立ったイエス様の教えの教会を中心として、歴史以来初めて宗教、文化を通して、キリスト教が世界を統一したのです。第二次戦後にです。分かりましたか? (はい)。


 メシヤと神様が決めたのならば、それは絶対的なメシヤであり、ユダヤ人が否認したとしても、メシヤになれないことはないのです。だから、この世的にいって、(エリヤとして来た)洗礼ヨハネがイエス様と一体となった場合には、イエス様は死なないのです。洗礼ヨハネの率いる者はカイン圏です。七〇〇〇名以上のバアルに屈しなかったそういう群れをまとめて、イエス様が来る時に、それを一つにさせて家庭をつくるために祝福してやった場合には、ヤコブ家庭失敗と氏族、民族失敗が、ここで再び統一されたとするならば、イエス様を中心とした右翼と左翼、右の強盗と左の強盗も生まれてきません。


 バラバはイエス様の代わりに復活しているのです。死ぬべき者が、悪辣な暴動を起こしてローマ転覆運動をしたバラバが、イエス様の代わりに生きているのです。イエス様の体の代わりに生き残ったバラバの基準が今の回教圏です。イエス様が亡くなって七世紀、六〇〇年を超えて七世紀に始まったのです。


 イスラエル民族が六数の通過過程で悔い改めて一つになって、イエス様をメシヤとして侍ったとするならば、バラバ圏はなくなっていたのです。それで、イエス様を中心として、中近東が体の代わりです。イエス様の体は国家を代表しているので、その国家基準が統一された場合、ユダヤの国は、こういうような紛争の立場には立たないのです。イエス様を殺したために、それ(ユダヤ民族)はジプシーのように、世界的に追い出されて、二〇〇〇年の歴史にも蕩減の量がまだ満ちないので、ヒットラーを中心として六〇〇万の犠牲者を出すようになって、蕩減の量を越えることを神様はなさっているのです。



洗礼ヨハネの失敗


 それを蕩減して、第二次大戦で連合国が勝利することによって、アメリカが中心となって、日独伊が完全に負けたのだから、一体になっているのです。それでキリスト教文化圏は霊的救済を目的としてきたので、肉的救済の基盤を引きつけないというと、再臨の主が来て霊的救済ばかりではなく、肉的救済もともに成すのだから、霊肉共にカイン・アベル一体を成すために、第二次大戦後の連合国家勝利基準のカイン・アベルが一体となった所に、お母様を中心として新郎が、再臨の主が一つになったとするならば、それで世界は七年の間に統一されて、地上天国、天上天国が、アダム家庭でなすべき基準をイエス様が国家的基準で失敗したのだから、今度は世界基準によって、すべてを勝利するのです。


 ヤコブの家庭、モーセの七十二長老、イエス様の一二〇門徒がみなイエス様の氏族として、国に入籍するような基盤なのです。そこには、家庭が入っているし、氏族が入っているし、民族、国家が入っているのです。失敗した内容を全部引っくるめると一二〇軒です。一二〇軒の門徒たちが祝福されて、地上のイエス様の後孫と共に、血統の組み合わせをなすような相対関係になった場合には、その一族は世界を動かして余るようになるのです。死なずにイエス様が二〇〇〇年の歴史を通して、世界を統一したとするならば、生きた血統を持ったイエス様の直系のその民族は、国家基準を超えて、世界は既に一つの地上天国になっているはずです。だから、再臨ということはないのです。


 今、先生が語っている成約時代は、その時に始まって、先生がなしている氏族メシヤも派遣されて、家庭的メシヤ、そしてアダム家庭を復帰して、血統転換、所有権転換、心情転換を一族で成して、神の国に入籍した場合には、イエス様を先祖として、その次に弟子たちがみな十二弟子を中心として、こういうふうにつながって、結婚することによって、どんどんどんどん、祝福でもって世界をまとめていくことができたのです。そうなったら、先生みたいに、金もかかりません。分かりましたか? (はい)。


 そういうふうにして、イエス様が死んだために、大変なことになったのです。イエス様は、なぜ死んだのかというと、レアとラケルが一つにならなかったことを、イエス様の家庭において蕩減復帰しなければなりません。分かりましたか? (はい)。そうなるというと、イエス様のお父さんは誰ですか? これは奥さんのエリサベツ、これはマリヤです。(先生が黒板に図―6を書かれる)マリヤは妾の立場です。エリサベツとマリヤは、ちょうどレアとラケルと同じです。姉妹関係、母同士がいとこ関係です。分かりますか? 姉妹です。姉さんであり、妹です。これは姉さんであり、妹を蕩減復帰しないといけないのです。


図-6

 母の系列が間違ったから、母のほうでもって組むのです。分かりますか? それが蕩減復帰です。こういうふうにして誰が正妻かというと、これが正妻です。これが妾です。しかし、レアとラケルは反対です。まるっきり反対です。それでエリサベツは、マリヤを自分の旦那さんの所に紹介してあげるのです。こういうことは有り得ないことです。蕩減復帰をするには、マリヤは妾の立場で心情的な絡み合いをしなければならないのです。分かりますか?


 こういうふうにして、イエス様をはらみます。これはヨハネです。エリサベツは、マリヤが身ごもった子供が、女であればいいと思ったのです。しかし、女では何もできません。女はお嫁に行ったら、それで問題ないと思うのです。しかし、男の子供を生んだのです。それが問題です。


 そうなると洗礼ヨハネとイエス様は、異母兄弟です。それを洗礼ヨハネは知っているのです。こういうような非公式な血統関係の者がメシヤになるとは、夢にも思いませんでした。ヨルダン川で、神様の直接の命令で天の門が開かれて、聖霊が鳩のように降臨して、神様の直接の命令によって、洗礼ヨハネに告げられてメシヤとして証し、天の命令どおりにしたのだけど、考えてみれば、(神様が)こういうような非公式な血統でもってメシヤを送るとは思えないのです。だから疑ったのです。イスラエル民族は、イエス様が「洗礼ヨハネがエリヤだ」と言うのだから、それは問題です。しかし、洗礼ヨハネは「自分はエリヤではない」と否定したので、大変なことになるのです。


 なぜ洗礼ヨハネがヘロデの奥さんと、妾の問題を中心にうんぬんして、それで首を飛ばすのですか? マタイ伝の十一章を見れば、イエス様は泣きながら言ったのです。「君たちは何のために野原に出ていったのか、それは洗礼ヨハネを見るためにか、それはきれいな着物を着た者を見るためにか? 結局は、メシヤを見るために行ったのではないのか」と言ったのです。「女のうちで一番、女が生んだ者で、洗礼ヨハネより大きい者はいなかった。しかし天国では一番小さい者になってしまった」と、反対のことを言っているのです。地上で大きい者だったら、天国でも大きくなるべきなのに、なぜ小さいのですか? 地上で、イエス様を王様と認めた場合には、天上では一番大きい者になっていたのに、それを地上で否定してしまったのだから、天国には住めなくなってしまうのです。


 聖書を見れば、それを否定できないのです。なぜ洗礼ヨハネが、主弟子にならないのか? そう見た時に、天(国)は戦う者が勝ち取るという結論です。洗礼ヨハネは戦えなかったというのです。それはペテロに取られてしまったのです。無関心で、放棄した者はみな天の栄光が取られてしまうことを、はっきりと記載しているのです。マタイ伝の十一章を読んでみなさい。そういうことを今まで知らなかったのです。


 だから、洗礼ヨハネの失敗のために、洗礼ヨハネの弟子がみな十二弟子になるべきなのに、主弟子が洗礼ヨハネであるべきなのに、主弟子はペテロです。それは誰が反対したからですか? 十二弟子、一二〇門徒などはいらないのです。昇天しないうちに、十二人、一二〇人の家庭基準を残していかなければ、未来の国家的一二〇国家を求めて来られないのです。みなそんなことを知らないで、洗礼ヨハネが切ってしまったのだから、証しするために、主の前の道を正すために送られた神のみ旨とはまるっきり反対に、一人の女のことにかかわって首を切られてしまうのです。イエス様を受け入れなかった罰です。


図-7

 そういうふうにして、なぜイエス様が三十三歳まで結婚できなかったかというと、(イエス様は)マリヤに何回も言ったというのです。マリヤに何回も、三回も懇切に、「神の摂理からして、こういかなければならない」ということを話したのです。お母さん(マリヤ)が中心になってエリサベツと共に、夫婦、姉妹が一つになって収拾しないと大変なことになるのです。それができなかったのです。



蕩減復帰は堕落の反対の道をとる


 イエス様の奥さんは、勝手にもらうことはできません。それは原理、原則によって二代が共に通過しながら、マリヤとエリサベツのお母さんたちができなかったことを蕩減復帰しながら、二代のすべてを、それはレアとラケルのお母さんのように援助して、援助して、お父さんお母さんのすべてを援助して、これ(A)が一つになって、これ(B)と一つになって、そうなることによって、カイン・アベルのお母さんたちを中心として、子供がいればこれ(C)がイエス様と一つになった場合には、お母さんたちが一つになった場合には、この二つ(A)と(C))がザカリアを中心として統一されるのです。神様を中心に全体が一つになることになるのです。


(先生が黒板の図―7を示して説明される)


 そうすると、イエス様の奥さんは誰になるかというのです。なぜ結婚できないかというと、勝手に結婚はできません。女であれば、誰とでも結婚するのではないのです。必ず蕩減原則によって、血統的な問題になるのだから、蕩減復帰するのです。エバがするのです。エバは堕落したために、長子と父をだましたのです。アダムは子供です。神様は父です。父子をだましているのです。分かりますか?


 エバは堕落した時、アダムをだましたし、神様をだましているのです。これを蕩減復帰するには、反対の道をそのとおりに、目には目、歯には歯です。旧約時代は、そこで損なったとおりのものが傷付けられるようになるのです。エバが二人をだまして、長男と神様、お父さんをだましたから、復帰される過程においては必ず、神のほうに立ったエバの代わりの人が、長男とお父さんをだまさなければ、帰っていくことができません。


 そういうふうに、これらが結ばれてしまったのだから、反対の方向にしていかなければ道がないのです。堕落したとおりに、目には目、歯には歯で、同じようにです。分かりますか? (はい)。エバは長男のアダムとお父さんをだまして堕落したのだから、神のほうのエバの代わりのリベカは、長男とお父さんをだましているのです。堕落の日に、長男と神様をだまして、それを、この長男が相続したのです。


図-8

 神様は堕落によって、みななくしてしまって、これだけしかないのです。だから良心は神様のものであることをサタンは知っているのだから、サタンは肉身を中心として成り立っているのだから、良心のほうを神様は取らなければならないのです。上のほうをみなサタンは取ってしまったのだから、(神様は)これをみななくしたのだから、反対のほうのしっぽを握らなければなりません。しっぽです。分かりますか? アダムのほうをみな、サタンが取ったのだから、それ蕩減復帰していくには、一番しっぽを握って、逆の方向に行かざるを得ないのです。


 そうなるというと(先生が図―8を書かれる)、神様の良心のほうがプラスになるのです(A)。これは原理原則から、こっち(B)がプラスで、こっち(C)がマイナスです。これを蕩減復帰で反対の方向に、これ(D)をプラスにして、これ(E)をマイナスにしないといけないのです。そうなると、こちら(サタン)のほうは家庭を持ち国を持つのです。世界はサタンのほうで、神につく者はアベルしかないのです。分かりましたか? それでアベルを殺してしまうのです。セツがアベルの代わりになって、歴史を通して、過ったものを、歴史過程を中心として個人で失敗したのを家庭で、家庭で失敗したのを民族で、民族で失敗したのを国で、国で失敗したのを世界でというようにして、移行しながら、大きい分野で成功した場合には、民族を責めても、その中には氏族、家族があるのです。


 こういうふうにして発展の度数を高めながら、イエス様は国において失敗したのだから、再臨の主は世界の土地を中心として再び収拾することによって、世界完成がなされた場合には、国も完成するし、民族も家庭も完成するのです。分かりましたか? (はい)。


 蕩減原則によって、(リベカは)父子をだましたのです。エソウは長男です。それから夫のイサクをだましたのです。考えてみなさい。(ヤコブは)自分の兄さんが祝福を受けようとする時、リベカがヤコブを誘って、羊を殺して、それで偽装して、長子が毛が多いから羊の皮でもって(夫を)だますような女は部落中で、身を鞭打ちして殺されるような者です。そんな者を神様はどうして、なぜ祝福したのか? それは今まで、聖書の謎として残っているのです。何の話か、分かりますか? 分かりますか? (はい)。


 なぜ神様は、こういう悪辣な女のほうに立って祝福してやったのか? それが、なぜイスラエルの選民圏になったのか? これは大変なことです。これは、人間の観点では理解できないことです。先生が現れて、こういう内容を明らかに説明することによって、結ばれたものを解かなければならないのです。目には目、歯には歯、そのとおりに蕩減していくのです。分かりましたか? (はい)。それは、お父さんをだまし、長男をだまして、祝福の権限を弟のヤコブのほうに乗っ取ってしまったのです。エバはだましてカインのほうです。まるっきり反対にしたのです。だから、弟を中心として逆のほうに上がっていくので、サタンは全権でたたきつぶすのです。分かりますか? (はい)。


図-9

 こういうような因縁で、(先生が図―9を説明される)何回もこういうふう(A)(アベルとカインを一体化)にして、兄弟を復帰することによって、これ(原理原則のプラスとマイナス)が生まれてくるのです。環境には必ず主体・客体があるように、これ(B)(カインとアベル)が一つとなって、小さいプラスになって、(C)(カインとアベルとエバ)大きいプラスと相対的関係で持っていくのです。分かりますか? エバを中心としてカイン・アベルが一つとなって一八〇度違った所に、旦那さんと完成したアダムと神様が上がっていくのです。だから、これ(D)を切ってしまうのです。天の神様。天の旦那様。これ(E)は天から来るのです。分かりましたか? (はい)。こういうふうにつなぐのです。


 そうして大きいマイナスになって、もっと大きい神様を中心として、こういうふうにして(F)一つになっていくのです。分かりますか? これを何というかというと、「蕩減復帰の峠を越える」という題目の中の、一つ目は何かというと長子権復帰であり、二つ目は何かというと、父母権復帰です。分かりましたか? 父母権復帰です。三つ目は何かというと、王権復帰です。四つ目は何かというと、皇族圏復帰です。皇族というのは、レアを中心とした女と子供とラケルを中心とした女と子供の、両方の愛の敵対関係が残っているのだから、皇族というのはイエス様の直系の子供ではないのです。分かりますか? 堕落した正妻の圏で、神に反対してきたカイン的な者たちが復帰されて、妾が神のほうの正妻になるのです。神の正妻になって、妾の立場で、それを慕っていくことによって蕩減復帰になるのです。反対にして帰っていくのです。分かりましたか? (はい)。


 このことを再臨の時代に見た場合には、お母様と君たちは姉妹です。女は一つになるのです。正妻と妾と同じです。だから、あなたたちに旦那さんはいないのです。分かりますか? それを真のお父様がつくってやらなければならないのです。君たちは、それまではずーっと女として未完成の女です。再び、真の父母が生んでくれなければ、真の女にはなりません。分かりましたか? (はい)。


 こういう皇族圏というものは、一族が復帰されたヤコブ圏によって反対になったと同じようなものを皇族圏というのです。それは復帰された、神様から見た正妻の立場に立った女と子供の所が長男です。長子権復帰の権限を持つのだけど、長子が次子としてここに一体となっていくのです。そうなるというと、本妻にラケルとマリヤがなって、エリサベツとレアが妾の立場より復帰していくのです。サタンのほうの姉さんが、本妻が、妾の立場で一つになっていかなければ復帰はできません。ちょうど反対です。分かりましたか? (はい)


 そうなると、イエス様の相対は誰になるかというと、(先生が図

―10を書かれる)アダムの妹です。アダムの妹を天使長が取っていったのです。これが堕落です。カイン(洗礼ヨハネ)の妹を、今度はアダム(イエス様)が取ってこなければならないのです。これが蕩減復帰です。分かりますか? イエス様とヨハネの関係を見れば、こっちがカインです、こっちがアベルです。アベル(アダム)の妹をカインが取っていったのだから、カインの妹を、今度はアベル(アダム)が取ってくるのです。まさしく蕩減復帰です。そうなるというと、洗礼ヨハネの妹を、イエス様は妻と

図-10

して迎えなければならないということになるのです。


 そうなったとするならば、大変なことになるのです。ザカリヤから見ても、またマリヤ自体も大変なことです。それがばれた場合には、部落中で石打ちにされるのです。マリヤはそれを口にして言うことはできません。ヨセフはというと、ヨセフは自分を守って保護してくれた男です。それにしてもヨセフは、「おなかに身ごもった子供のお父さんは誰か?」と聞いたでしょうか、聞かなかったでしょうか? 何回も聞いたのだけど、「聖霊によって身ごもりました」と。それを証しした場合には、一族がぺちゃんこになるのです。


 お父さんのザカリヤは、それは許されません。異母共混血になっているのです。大変なことです。その時のユダヤの歴史において、法律に許されません。分かりますか?



再臨の主を迎えそこねたアメリカの運命


 こういうような近親相姦関係が、神様を中心とした世界的蕩減復帰においては、生まれてくるのです。だから、なぜアメリカが、新婦教会、新婦の第一国家として、キリスト教体制を成して王座に座ったアメリカが、なぜフリーセックスの国になったか? 近親相姦関係で、なぜこういうフリーセックスをやっているかというのです。


 それは、再臨の主を迎え入れたとするならば、再臨の主によって、こういうような内容を明らかに整理して、みな回っていくのができるにもかかわらず、再臨の主を追い出してしまったために、再臨の主のために準備した勝利の英米仏諸国を、みんなサタンが取ってしまったからです。


 上のほうをサタンが、アダム、エバ、カインを取ったと同じように、神様はしっぽを再び泣きづりながら取らざるを得なかったのです。英米諸国が先生を反対するようになったので、反対の立場で神様と先生は荒野に追い出されてしまったのです。今まで数千年の勝利の基台を完全にサタンが握ってしまったのです。サタンは四十年間、キリスト教文化を完全に否定して、共産圏の足場がキリスト教になっているのです。日本も、そうなっているのです。韓国も、世界も、そうなっているのです。なぜそうなったかというと、キリスト教文化圏が再臨の主に反対したために、みな乗っ取られてしまったからです。サタンの足場になって、キリスト教理想の崩壊のために、サタンの全権を張るような地上地獄を拡張しているのです。分かりますか? (はい)。


 こういう現実を原則から、近親相姦関係でもって崩壊直前に属しているアメリカの運命を救う者はいません。なぜ、そうなったかというと、再臨の主を押し出してしまったから、蕩減復帰によって、そうならざるを得ないのです。再臨の主が、再び四十年の歴史を経て帰ってくることを知っているから、サタンは全権を振るって、めちゃくちゃにしてしまったのです。教会には若い者が一人も残らないし、おばあさんばかりが残って、葬送曲をかけるような悲惨な教会になってしまっているのです。教会が恋愛と男女関係、フリーセックスの紹介所になっているのです。それから、女同士、ホモセクシャル。天使長は最後の末端に迫ってくるのだから、相対関係を許さないのだから、男同士で、女同士で、相対関係を許さないのです。


 そのように再臨の主の希望が、完全に、男女でめちゃくちゃになっているのだから、それを収拾しなければ神の理想圏に帰ってくることはできないのです。完全に破壊したものを、神様は完全に再創造してしまうのです。それは誰によってかというと、再臨の主、統一教会を中心としてです。サタンの崩壊が、なぜこんなにも大きくなったかということが分かりましたか? フリーセックス、ホモセクシャル、レズビアンというのは、サタンの拡張運動であり、地獄万能圏を成しているのが、今の世界です。だから、理想的愛が根本的に崩壊しているのです。分かりましたか? (はい)。分かりましたか? (はい!)。


 アメリカでは、おじいさんが自分の(息子の)嫁、自分の孫のお母さんと関係するのです。自分の(息子の)嫁、それから孫娘と関係するのです。おばあさんは自分の子供とするのです。自分の孫とするのです。だから、獣だというのです。それで、女嫌いになるのです。男嫌いになるのです。だからといって、人間の性的欲情は残っているし、自分一人ではそれを解消することができないから、共にそういう欲情解消運動が、ホモとレズビアンになっているのです。獣でもそういうことはしないのです。


 また、妻をもらった場合には、アメリカでは大変です。結婚した場合には、すぐに離婚するからです。離婚した場合には、自分の財産が半分ふっ飛ぶのです。財産泥棒です。悪魔です。エバは最初に神様の財産を乗っ取っていきました。まるっきりそれです。愛を売って、それから所有権を争奪していくのです。これはもう、末恐ろしいことです。分かりますか?


 近親相姦関係が、こういうように回るということを神様は知ったのだから、家庭的な基準を、これからは環境で許容される周辺を掃除していって、そこで引っ張りだこに回って、みな切ってしまうのです。だからアメリカが再臨主に侍った場合には、全部が回って天に帰る道ができたのに、それを押し出してしまったのだから、サタンが主人になって完全に全滅するような境地に落ちているのです。それは、全滅の境地としてです。先生はその反対に上昇し、頂上に上がっているのです。だからひっくり返すには、国を下、国民をこういうふう(上)にするのだから、国民の基盤を高揚しないといけないということを考えているのです。分かりましたか? (はい)。



血統転換


図-11  

こういうような関係でもって、(先生が図―11を書かれて説明される)これはヤコブ家庭と反対になってしまったのだけど、結局はイエス様が、これを成し得ずに死んでしまったのだから、再び来なければなりません。分かりましたか? (はい)。これが長子権復帰です(A)。分かりましたか? 長子権復帰です。これが父母権復帰です(B)。父母権復帰です。分かりましたか? (はい)。これが王権復帰です(C)。神様を介入することによって、国が成立するから王権復帰です。分かりましたか? 三番目の皇族圏復帰は、正妻圏が復帰されてきて、妾が正妻になり、正妻が妾になるような立場で立つのだから、マリヤの立場が姉さん、エリサベツは妹として、神様の妾の立場で蕩減復帰して、まるっきり反対にして、神に帰らなければならないのが蕩減復帰原則です。


 これは先生の話ではないのです。数千年の歴史の旧約、新約の内容が分からない道で、今は日本を探しているのです。世界は日本を探して回っているのです。分かりますか? これは否定できないことです。数千年前のヤコブも、リベカもそうです。自分の腹の中で、ヤコブとエサウを身ごもった時に、二人の子供が戦っているのです。「神様。二人の子供が戦って、どういう訳ですか?」と聞くと、神様が言うには「あなたの腹の中には二つの国をはらんでいる。大きい者が小さい者に侍るであろう」と言っているのです。それは、何の意味か分かりますか? リベカも分からないのです。これは、先生が内容を明らかにしたことによって、はっきり分かりました。


 神様は世界がいかに反対しても、リベカを中心として、み旨を全うするのです。リベカは四十歳で蕩減復帰しました。しかし、それでは、四十歳以下を中心として腹の中で、まだ蕩減されていないのです。だから、タマルを中心として、ペレヅ・ゼラを中心として、腹の中で、子宮の中で転覆運動をするのです。兄さんが先に出ようとするのを引き戻して、弟が兄さんの立場で出るのだから、血統基準下から、長子が逆になったのをもとがえしてきたのです。その血統をつなげて、イエス様が殉教されたので、イスラエル民族を中心として、選民民族を中心として、二〇〇〇年の後に国が成立する基準になった時に、初めて地上に生まれてくるのです。


 なぜ、国の基準を待たなければならないかというと、サタンは国を中心として、たくさんの国をもって神のほうを反対してくるのです。分かりますか? だから、神様も中心の国が必要なのです。なぜかというと、兄さんは、兄弟圏です。地上平面の立場に立って、弟になった者が兄さんの権限を復帰するのです。イエス様はローマから見たら弟です。それを長子権として、ローマを弟の立場に転換しなければ、天下統一になりません。みんな原理的になっているのです。


 それで、ヤコブがリベカを中心として、血統を転換した純潔の相続が二〇〇〇年続いてきたのです。二〇〇〇年の間に、いろいろな悪魔の戦場にあって、血統を汚される疑いがあるから、マリヤ自体もそっくり、リベカとタマルのように、タマルも自分の旦那さんを否認し、舅を信じて身ごもったのです。そうでしょう? それと同じように、国家を代表した中心者として王様として生まれてくる純潔な血統に対しても、もう一回、それを聖別するためにマリヤはエバと同じような行動を取るのです。


 ヨセフは、アダムとエバの約婚の時のアダムと同じです。分かりますか? それが堕落したのだから、ヨセフを約婚した時にだますのです。ヨセフを長男として、お父さんが嫁として決めたのだから、結婚すれば一家の希望の道が生まれてくると望んでいたのに、とんでもない子供を身ごもってしまったのです。それはヨセフのお父さんに、自分のことと言ったに違いないというのです。(そこでマリヤは、ヨセフを)だますのです。まるっきり同じです。同じですか、同じではないです? (同じです)。


 それからマリヤは、一家すべてに対してうそを言ったのです。そのような転換の責任を持った本人は、こういうことを成し得ることができるのだけど、普通の人はできません。全部がそういうふうにやったら、大変なことになるのです。それは大変なことになるのです。(皆さんは、)中心の本部が転換した場合、一体となっていけば自動的に神に帰ることができるのです。分かりましたか? (はい)。


 マリヤも旦那さんを、神の長男のヨセフをだまし、自分の父をだましたのですか、だまさなかったのですか? 蕩減復帰は、それを犯したとおりを再現して、反対の一八〇度違う所に立つことによって、天の基台になるのです。だから、マリヤも、彼らをだまして、国家的基準でイエス様を生んだことによって、イエス様は悪魔を退治し、国家的基台として、未来にはローマを屈伏して、長子権を復帰して、天下を取る中心になるのです。それで、個人、家庭、氏族、民族、国家を中心として、イエス様が王権、国を立てたとするならば、その国の中心に立つのです。サタンは相対圏だから移動してなくなるのです。



真の父母と成約時代は神の干渉圏


 統一教会が国を持ったとするならば、その国を打った場合には、世界中がいっぺんにやられるのです。鉄柱の杭を打ったと同じように、その流れにある国とかはぺちゃんこになるのです。分かりますか? 蕩減復帰の原則は、それを否定することができないのです。これは、先生がつくって、いいように当てはめて言うことでしょうか? 原理原則に合ったその基準につないで、それを発表しているので、こういうふうに歴史がつながるようになったのでしょうか? どっちですか? (……)だから問題です。文先生の解説と聖書の観と、自分たちが解いた観とはめちゃくちゃで、とてもつながりません。一から十まで全部がばらばらになって、いろんな集団のキリスト教の宗派をつくってしまったのです。しかし、統一教会はそうはいきません。ちゃーんと前後がつながっているのです。


 蕩減復帰して、堕落したその内容を反対にして、その内容が原理原則になっているので否定できません。分かりますか? こういうような悪辣な女の伝統を、神様が抱擁して祝福したその理由は何か分かりましたね。目には目、歯には歯。堕落したのと反対の方向に上がっていかないと、元に帰ってくることはできません。反対の方向を取っていくのだから、上はサタンが国を先に持っているのでみな、完成に到達しなければ神様が降りて援助することができないのです。アダム・エバの堕落に不干渉したと同じように、自分の子供たちを未完成期に殺しても、(神様は)降りてきて援助することができなかったのです。分かりましたか? (はい)。


 事実、クリスチャンたちがローマの闘技場で、ライオンなどに殺されるのを見て、なぜ神様が干渉できなかったのか? それは、アダム・エバが堕落するのに干渉できなかったことと同じです。完成圏以上に到達しない者は、サタンの廃品になっているのだから、それに神は干渉することができません。


 しかし今は、そうではありません。「真の父母と成約時代」を発表したことは偉大なことです。神の干渉圏に入ったということです。分かりますか? (はい)。だから、全世界がお母さんを歓迎しているのです。これに反対したら、めちゃくちゃに霊界から一億が「ばぁー!」と、ぺちゃんこになってしまうのです。先祖たちが総動員して降りてくるのです。それで、特にお母さんたち、女たちは、「真の父母と成約時代」を発表したのだから大変です。今まで女は地上に降臨して援助するようになっていませんでした。分かりますか? お母様が勝利して、世界的に女子解放を宣布して、「真の父母と成約時代」を宣布したから、家庭的完成圏ではなく、世界的な、最頂上でもって勝利圏を発表したのだから、世界頂上を中心として、先祖たちがすべて降臨して援助するようになるのです。


 特にお母さんたちが、今こそ働く時代になっているのです。分かりましたか? (はい)。昔は男たちだったのだけど、天使長の直系の男たちだったのだけれど、今はそうではないのです。再臨の主の直系になるには、お母さんの体を通して再び生まれなければ、直系にはなれません。だから、女が霊界、地上界を統一する時代になったので、女権時代に移行してきているのです。分かりましたか? (はい)。


 君たちは、こういう蕩減として、動員されてきても、心も浮き浮きして、「済州島、済州島、済州島、済州島へ。死んでも行きたい! 死んでも行きたい」と、そうなるのです。(笑い)運勢がそうなっているのです。だから、「自分たちは行かない」と何回も決心した者も、来ざるを得ないようになっているのです。(笑い)自分がやったのではないのです。みな先祖が何十名、何百名、何万名と動員しているのです。やらなければ大変なことです。


 物的旧約時代の蕩減時代が来るのです。それを聞かなかったならば、新約時代の子供を打つのです。「物を犠牲にせよ」と今、統一教会は、打つ者を神に返しているのです。「日本の統一教会の負債を弁済しなさい」と言うのです。そういうものを、こうやったら、ぺちゃんこになるのです。その次は、子供がぺちゃんこになるのです。その次は、自分たち夫婦がぺちゃんこに、一家がぺちゃんこになるのです。蕩減を平面的にして、旧約時代、新約時代、成約時代となるのです。成約時代は夫婦をいうのです。一家がぺちゃんこになるのです。間違いなく蕩減原則は生きています!


 だから、先生は子供たちに、貯金なんか残してやらないのです。全部、未来の国の教会のものです。分かりますか? そうしなければ打たれるのです。子供が引っ掛かるのです。子供が、その金のために引っ掛かるのです。蕩減復帰させるものがないので、それで子供が打たれるのです。それは親がやったのだから、父母が打たれるのです。大変な時代に入りました。エバは何の所有権もないのです。堕落した子供は所有権がないのです。分かりましたか? (はい)。


 だから、君たちは神に献納したいですか、したくないですか? (したいです)。それは、先生の子供を通して、長男と次男の立場に立つ先生の子供を通して、お母様を通して、先生を通して、神に返還していくのです。一、二、三、四。四代目です。カイン・アベル、カイン・アベルとして、父母様を通して上がるのです。分かりますか? 返還して神の所有物となった、神の所有の下で、本当の神の祝福を受けるのです。だから、三回待つのです。世界が一つになって、すべてを神のほうに返納する時まで、アダム・エバの祝福の所有権は神になっていたのです。分かりますか?


 サタンのものをみんな返納した上で、最後の祝福を受けるのだから、祝福は三段階です。二段階がまだ残っているのです。国家的祝福、世界解放祝福です。その後、君たちは何も持っていません。それで真の愛と、真の子供の種をもらうのが最高の目的です。それをもらわないというと、未来の所有権も持てません。子供の名を持たないというと、所有権も持てません。これは、先生の話ではないのです。



神の相対になった場合、天運が保護する


 だから、統一教会を中心として、世界が統一にならざるを得ないのです。戦う中でそういうふうになっているのです。原理原則がそうなっているからです。それはつくりごとではないのです。イエス様の時代も、物品共有共用時代だったのです。アナニア夫婦なんか、(使徒行伝五章を参照)そうです。自分の財産をみんな売って、イエス様を中心にしてみな共同生活をしているのに、アナニア夫婦は、自分たち二人で組んで、半分を全部だとして、自分たちもみな弟子と同じように、「自分の全財産を売って持って来ました」。「全部ですか?」「はい、そうです」と。それで、その場で倒れて死んでしまうのです。神様をだますとそうなるのです。天的良心のコンピューターをだますことはできません。分かりましたか? (はい)。女の子は貯金帳を持ったら駄目です。結婚していない者は、自分の貯金、所有権を持ったら絶対駄目です。まだ子供として養育する父母の養護をもらっていないのです。真の父母に会ってもいないのです。全部がそうです。


 だから今の時は、みんな金の袋は女に任せるのです。神のほうに、エバがみな総動員して、泥棒していったのだから、エバがまとめて探してこなければならないからです。真の自分を探してこなければいけないのです。これは先生の話ではありません。


 神は創造主です。投入して投入して、最も投入してつくる者に、金は回ってきます。神の相対になった場合には、天運が保護すると言ったでしょう! 先生の命令を絶対視していってみなさい。金は自動的です。先生は金など心配しないのです。生活も、今までの生涯、一回も考えたことはありません。金がなくなったら、ちゃーんと飛んできます。霊界で命令するのです。先生はそんなことをたくさん知っているのです。これはみな、自分の宝だと思ったら、何百万、何億、何十、何千と。名前も教えてくれるのです。それを計算した場合、神様の言ったことと一銭でも違った場合には、サタンと思って、これを実行しなければなりません。言ったとおり一銭までも合うのです。「それをどこまで持っていって、どこどこの文先生の所に持っていって」と、名前は知らないのですがさーっと飛んでくるのです。そういうことがいくらでもあります。分かりましたか? 先生は心配しないのです。エバが心配です。


 先生がエバ国家を中心として、全世界のエバ解放のために準備したものが、そのためにみな関係した者が、錨につないだ縄がみな切れてしまうのです。錨がなければなくなってしまうのです。船は太平洋を流れて、流れて、それは果てしなく流れてしまうのです。それを信頼する者はいません。だから先生が責任を持つのです。


 長子権、分かりましたか? 父母権、王権、皇族圏。これが、「蕩減の蕩減復帰の峠を越えましょう」の全般的内容になっているのです。

③真の父母と重生 (女性修練会) 1993.12.20

③真の父母と重生 (女性修練会) 1993.12.20


韓国・済州研修院


神の創造の全体的目的


 真の父母と重生という問題ですが、真の父母という名前は、いつから始まったと思いますか? 一九九三年ですか? 統一教会の発表では、そういうふうになっているかもしれません。統一教会を中心として真の父母という名前は、統一教会によって(始まったの)ではなく、先生によって始まったのです。言葉の発表はそうですが、言葉の内容は創造の前からあったのです。


 神の創造の全体的目的はどこにあったのかというと、万物を創造して、万物の霊長たる主人の人間をつくって、人間と神が愛を中心として一体となることによって、神の完成がなるのです。きのうも話したように、個人完成、夫婦完成、神完成です。女は半分で、男も半分です。旦那さんはなぜ必要かというと、半分なる者が完全な者になるには、女には男がいなければ、完全にはなれません。何を中心として完全かというと、愛を中心としてです。理想とか、幸福とか、善とか、美とか、すべてのものは、愛を除いてしまえばみな、めちゃくちゃになるのです。


 愛を中心として善と言うのです。その善の中には、美も含まれているし、必ず愛も含んでいるのです。だから、善いことを言えば美しいのです。かわいいのです。みな愛を中心としていう話です。女の幸福というのは、愛がなければ幸福ではありません。男もそうです。幸福というのは、愛を中心としていうのです。だから、すべての創造物は愛によって始まり、愛の目的のために存在しているのです。その愛をなすには、一人ではできません。相対的存在になっているのです。相対的です。なぜ相対的になっているのかというと、愛のレベルがみな、違うからです。それが公式として作用するのです。


 それは、一番低級なもの、中級なもの、それから植物も愛を中心としてみな、おしべ・めしべの相対関係です。それから動物は雄・雌です。なぜ雄・雌になったかというと、それぞれに愛を中心として一つとなるためです。それが標準になっているのです。最低のものからだんだんと一番最高なものまでです。一番最高なものは何かというと、一番最高な神様は見えないのです。その見えないお方の相対となるためです。だから人間というものは、全部が愛を求めているのです。


 それで、きのうも話したように、水中時代、地中(空中)時代、それから愛中時代へとだんだんだんだん上がっていくのです。昆虫もみな、三世界を通過するのですから、人間は万物の霊長として、三中世界を通過せざるを得ないのです。だから最後には、愛を中心として復活できるようなすべての準備を、地上生活でしなければならないのです。死ぬということは、地中時代から霊的愛の世界に移行する現象です。さなぎが殻を脱いで、蛾になって空中を飛ぶように、昔の殻を脱がないといけないのです。殻を中心として見ると、ちょうど死ぬのと同じです。殻を破壊させなければなりません。肉身の生活が、ちょうどそれと同じです。肉身の世界を破壊して、見えない神様に似た霊人体となるのです。人間として、さなぎが蛾になると同じようにして、生まれる場面です。だから霊人体は、死ぬ時に肉身から出ていくのです。


 それで霊人体があるのは、無限の霊界とつなぐためです。その霊界は、愛を中心としているのです。空気が愛だと思えばいいのです。空気自体が愛の空気です。だから、愛を吸えるような全体的呼吸が必要です。細胞全体で呼吸すればいいのです。細胞全体が愛を中心として呼吸して、神様と同じように永遠に生きるのです。神様が愛を中心として呼吸しているというのです。だから、無形である神の性相・形状と、(すなわち)無形実体の内的性相・形状が愛を中心として一つとなると(神の)形状も性相も人間と同じようになるのです。人間自体も、心身が一体となるには愛がなければなりません。愛を中心に一体となるようになっているのです。神様もそういうふうになっているからです。神様の性相の中にも形状・性相があると原理は教えているのです。すべてが愛を中心として成長し、愛を中心として一つになるのです。愛を中心として一つになって、永遠の世界に飛んでいくのです。


 そのためには、神様に似たものでなければならないというのです。だから、人間は神様から生まれてきたというのです。それから、神様とアダム・エバが完成すれば、神様は縦的親、アダム・エバは横的親です。それがなされないというと、人間と神様が一つになる道がないのです。愛の主人は人間ではありません。生命の本体は人間ではありません。血統の本体は人間から始まっているのではなく、神からすべてが始まっているのだから、神とつながる道がなかった場合には、人間と神の関係とか、関係を結んで良いとか悪いとか、神の創造理想、神様のみ旨とはいったい何かと尋ねた場合に、一般の神学者は「それは易しくて難しい言葉です」と言うのですが、易しくて難しいという答えはないのです。易しいのは易しいのであり、難しいのは難しいのであって、易しくて難しいと言うのは暴言です。


 統一教会は、はっきりしているのです。み旨の道は創造理想を完成することです。神が創造した理想を完成することです。創造理想完成とはいったい何かというと、万物を対象にした小宇宙になっている万物の霊長である人間自体の完成です。人間自体の完成は個人だけではなく、家庭的完成をいうのです。四位基台の完成です。四位基台は、男、女の完成とともに、神様の完成がなされるのです。これが宇宙の最後の秘密でありました。


 神様と人間とは、何ですか? 神様と人間が共に完成する場面、それは結婚して初夜の愛の関係を結ぶことにより、神様も「これだ」、人間も「これだ」と、すべてが完成するのです。そのようにして宇宙を完成させ、宇宙を出発させ、宇宙を引っ張っていく基台が愛なのです。真の愛、宇宙の本然の愛なのです。


 だから、あなたたちも子供の時から、愛によって生まれて、父母の愛のもとに保護されて、それから旦那さんと愛を掲げながら、子供をつくっていく愛の連続です。それなのに、世の中が相対的愛の環境的相対基盤が合わないと問題なのです。それは堕落したために肉身が愛と反発し合って、肉身が良心を反対の方向へ引っ張っていくのだから、良心の願いの反対に行くのだから、良心の苦しみが自分から離れることができないのです。だから問題は、肉身を分別して完全に聖別しておけば、良心は良心なりに南北を指し、北極と南極が合った場合には、磁石みたいに、ちゃーんと方向を永遠に指し、永遠にほうっておいても、方向を一定して永遠につなぐのです。


 愛の関係を結んだとするならば、男と女の愛は東西を中心にして永遠に結ばれ、神様は南北を中心として縦的に、永遠に結ばれるのです。その二つの力が一つに合わないというと、運動ができません。宇宙の運動は、球体以外ではなされません。横的に引っ張っていった場合には、運動できないのです。これでは循環運動が不可能です。運動は中心に引っ張ろうとする遠心力によって、縦横が連結することで、釣り合いの運動がなされるのです。だから神を中心として、人間を中心とした共同的運動をするには、愛が中心になるのです。その愛が相対の場合は、逆に拡大するような力の釣り合いによって運動が始まるのです。分かりましたか? (はい)。


 だから、結婚の初夜の愛の関係を結ぶということは重大な事件です。男が初めて完成し、女が初めて完成するのです。旦那さんは、自分を完成してくれるお方です。それを知らないのです。旦那さんも旦那さんです。それを知らないでは済まないのです。その由来をはっきり究明して、自分との関係を、肯定的な結論として、公式化された結論を得たとするならば、人間は脱線することができません。みな列車が軌道を走らなければならないのと同じように、万民共々に自分の愛の軌道によって、永遠に自分の世界で、自分の理想の成果が違っていても、個人真理一体の目的に直行するようになっているのです。



愛の基準


 このことを語る前に、四大心情圏を語ってあげればよかったですね。分かりますか? (はい)。旦那さんは自分を完成させてくれる人です。女は半分です。旦那さんがいなかった場合には、完成されません。何によってかというと、旦那さんの愛によって完成するのです。いかなる者も、自分の完成を願わない者はいないのです。それは最高の完成を願うのだから、何によってそうなるかというと、金でもなければ、知識でもなければ、権力でもありません。それらは、何の関係もありません。女として金があるとか、知識があるとか、その人が何々の課長とか、局長とかいう、そんなものは、愛には関係がないのです。アダムとエバには局長もいなかったのです。アダムとエバは、ただ良心と神様を知ればすべて分かるようになっていたのです。堕落したから分からないのです。先生は普通の人と違って、ずーっと見れば分かるのです。


 良心には教育が必要ないと同じように、人間にも教育は必要ないのです。霊界では、博士などは、一週間以内にそれ以上になれます。だから、教育は必要ではないのです。言葉が通じなくても、良心がすぐに通じます。良心で考え、良心で聞くのです。口で言うのは、第二次的です。そうなっているのです。だから、天に近いのです。それから、何千年も昔の先祖であっても、自分の上か下かがすぐに分かるのです。愛の心情圏を地上で成し得たその基準を中心として、向こうに止まっているのだから、自分より高いという場合、何を標準にしてそれを決めるかというと、知識ではないのです。お金ではないのです。権力ではないのです。愛を中心として、その全部が決まるのです。愛の位がどんなに高いかということです。分かりましたか? (はい)。


 それが、自分の家庭的完成基準で完成した場合、家庭的基準の所に留まるのです。神様みたいに天宙を愛するには、より大きいものを愛しなさいというのです。個人より家庭を愛し、家庭を愛するには投入しないといけないのです。犠牲にならないといけないのです。愛の道は投入し、投入することによって、相対が大きくなる要求を求めていく道です。相対が大きくなることによって、自分が喜びを感じ、愛の喜びを体恤することができるのです。自分自体内では刺激を受けないのです。


 神がなぜ人間を創造したかというと、自体内で一つになったのでは刺激を受けないからです。刺激を受けるために相対をつくったのです。相対をつくったことによって、目も笑うし、鼻も笑うし、口も笑うし、耳も笑うし、肉体も笑うというのです。そうでしょう? だから、愛の相対という立場は、目も疲れないのです。それから、口もそうです。口は一日中しゃべっても、夜通しささやき語っても疲れを知りません。耳は愛の相対者が休まなくても、素晴らしく聞こえるのです。手はそれでみな、つかむために一つになっているというのです。相対によって、そういう全体、五感というものが一遍に、四〇〇億以上の細胞が刺激を受けるのです。だから、興奮するし、興奮して、興奮して、涙が出ます。喜んだ場合には涙が出ます。悲しい時も涙が出ます。これは不思議なことです。だから、天地は最低と最高のものが一つになっていくのです。分かりましたか? (はい)。


 きのうも話したように、立派な最高の所に汚いものがついているのです。君たちも本当にうれしい時には、涙が出ますね。そうですか、そうではないですか? (そうです)。悲しい時も涙、本当にうれしい時も涙です。そして、うれしい時は最高であり、悲しい時は最低です。それは話すこともできません。だから、堕落しなかったら涙を流すようなことはないかというと、あるのです。ナイフで切れば切れるのです。堕落しなければ切れないということはないのです。同じことです。


 だから、愛の基準が損なってしまった時には、みんな同じです。人間世界に真の愛が神様の創造したと同じようになったとするならば、これはもう、人間社会では苦労しても、苦労しても、それを面白く思うのです。愛する者と汗を流し、苦労しながら、そういうふうに苦労のあとに夫婦が共に愛する時は、深く骨肉から交わるのです。骨髄からつながるというのです。苦労しないのは、中間の肉だけです。苦労しながら死ぬような中でも、共に愛しながら一つになるというと、骨髄が刺激を感じるのです。そういうことを体験した者は、安らかなことを願わないのです。


 統一教会の宣教でいえば、統一教会の宣教に行った場合、そこには誰もいないのです。誰もいないから父母様が、直接教えてくれるのです。あすやるべきことを祈る時に幻の中でみな、教えてくれます。そして、そのとおりになるのです。そのとおりになるから、宣教師の生活はみすぼらしいのです。普通から見ると、誰があんなことをやって生きているのか、不思議なのです。一般の人だったら、もう風呂敷を包んで帰って消えるべきなのに、誰も見ていないし、誰も援助してくれなくても、ただ一人で寂しい生活を続けることが、なぜか分からないのです。


 それはなぜかというと、内心においては天と共に生活しているというのです。だから、そういう者たちが故郷に帰っていったらみな、切れてしまうのです。前線ではないからです。切れてしまうと、その暗黒さは話にもならないのです。いくら良いものを食べて、いくら良い所に住んでも、それは幸福ではないのです。いくら人の上の立場に立っても、そこにはスリルがないのです。神がすべてを教えてくれるのです。


 それで、宣教に行った場合に、大きな川などには、ワニがいくらでもいるのです。そういう中で、神が霊界と交信して「こっちから何メートル、何分以内に渡らなければやられる。あなたの水泳は平時はこうだから、一・五倍のスピードで」と教えてもらって渡るのです。ビザの問題で、どこかに出向して帰って来れなくなるという場合にもみな、コーチしているのです。聖書の内容の教えなど何でもないことです。神様が直接、教えてくれるのです。分かりましたか? (はい)。そういう生活をすると、環境が難しいということはないのです。自分の一身の霊的世界をつなげば大きくなっていくのです。


 だから、苦労するのが悪いのではないのです。苦労の生活をして、宇宙や世界に徹するような相対的な心を持ち続けると、神様と直接に通じるのです。深い根を持つ幹は土に埋もれているのです。そういう深い根とつながって埋もれるような立場になっても、それは不幸ではないというのです。安全な土をかぶっていた場合には、外的な被害に遭っても倒れないのです。分かりますか? だから、幹から見た場合に根っこは真っ暗で大変です。


 根っこの生活と幹の生活、それから枝の生活、葉っぱの生活は違うのです。葉っぱは、「幹の生活は何でああいうふうに黒くなって、動きもじーっとしていて、これはもう大変だ」と思い、自分自体は動いて、こういうふうに日ごとに大きくなるから素晴らしいと思うのですが、そうはいきません。それが最後になった場合には、枝がいいか、葉っぱがいいか? 枝がいいことが分からないので、そう言うのです。その小さい小枝がいいか、幹がいいかということは、その幹になってみないと、枝になってみないと分からないのです。



愛の完成のために投入して忘れる


 愛を中心にして、不幸なことはないのです。愛は苦労も消化します。死ぬことも消化します。愛する者のためには生命を消されても、それは悲しくないというのです。それ以上の忍耐の力があるというのです。だから、愛を得ることはすべての完成の内容を持っているから、お金もいらないし、知識もいらないし、愛を求めていくのです。結婚する時は、その愛と一つになるように、内外共に総和して一つとなるようになるから問題はないのです。動物は既に、自分の問題は解決しているのです。


 南洋から帰ってくるつばめを見た場合に、つばめは食べ物の袋を抱えて帰ってきますか、どうですか? たった二羽で鳴きながら来るのです。何千マイルを渡り鳥として、そのように行動するのです。渡り鳥は何かというと、愛を中心として最も素晴らしい後孫を残したいというのです。鮭なんかもそうです。なぜ海にすんだものが真水に入りますか? 環境が違う両方を通行することによって、完全なものになるのです。男も女も、両方を通過することによって、主体・客体、プラス・マイナスの違う境地を愛で占領することによって完成するのです。環境が違うのが悪いのではありません。必ず塩水の魚は、真水の境界線に来なければならないのです。だから、アラスカは寒流と暖流が交差するのです。それはプラス・マイナスです。そういう所には、必ず産卵のために魚が集まってきます。田舎に行くと、蟹なんかもそうです。


 日本の水田にも蟹がたくさんいましたが、今は農薬を使うのでいなくなってしまったのだけれど、蟹もそうです。春になると、ずーっと小さいものが川を上がっていきます。水田で大きくなって、秋になって下がってきてどこに行くかというと、海水と淡水が交わる所に行って塩抜きをしないといけないのです。真水の魚は塩水、海水を味わわないとプラス・マイナスの接触点にならないということです。分かりますか? 鶏にも無精卵というのがあるのです。無精卵というのは、子供にならないものです。男というプラスと和合することによって、生命がその中間に起こるのです。男、女の愛の通い合う中心で生命が始まるのと同じです。相対関係で、水もそういうことをやっているのです。だから、淡水が必要であり、海水が必要なのです。こんなことは、常識的に分からないといけないのです。


 愛のためにすべてが始まったとした場合、君たちが女になったことも恨みに思わないのです。「いやー!」とうらやましく思うのです。「いやー! 愛のために生まれた」と。だから、愛の完成は一人ではできません。愛の完成のために結婚するのです。分かりましたか? 自分の完成のためです。離婚は自分を破壊するのです。一つになったのを裂いてしまうのだから、裂いた紙をいくらくっつけてもつきません。それは破壊物であって、完全なものではありません。離婚した女にとって、「心がすっきりする。結婚する前より幸福だ」と言う女は一人もいません。みな傷ついているのです。それを埋める道はありません。だから離婚した女は、男を再び追おうとするという恐ろしいことになるのです。


 自分の旦那さんが前の旦那さんよりも悪かった場合に、殺すこともできないし、自分が死ぬこともできないのです。自分の旦那さんが、前の旦那さんよりもよいという保証はないのです。それは自分のやり方によって、良い悪いは決まるのです。いくら悪い人でも自分が良いことをやれば、良い人になるのです。だから、そういうすべての解決をなすために、神様は投入ということを教えたのです。投入して忘れて、投入して忘れていけば、もっと素晴らしい愛の相対を得るようになっているのです。間違いないのです。


 だから、神様が一〇〇を持っていて、一〇〇を投入した場合には、一〇〇の愛の相対しか生まれてきません。無限の相対を願うのだったら、無限に、無限に投入して、忘れて、また投入したいところに、無限に、無限の相対を得ることができるというのが理論的です。投入しても、何回かして止まれば、それ以上にはなりません。だから、それが無限に通じるには、一から三六〇回るのです。三六〇回が終わったら、また一から回るのです。回るのに、同じく回るのではなく、大きくなって、大きく回るのです。分かりましたか? (はい)。そうなれば、何のために生まれたのか、人間はなぜ生まれたのかという質問になるのです。それは愛のために生まれたというのです。


 世の中に一番幸福な男と女がいたとすれば、一番標準な男と女がいたとすれば、そのようなモデルケースになるために、生まれてきたという話になるのです。そのモデルケースは何かといった場合、それを知らないのです。それは、今から先生の言うのがモデルケースです。心には、なぜ厄介な体が必要かというと、それは心身がなければ平行であり、統一圏を持たないというと平面が生まれてこないのです。平らな、整地工作をして、そこに家を建てるのです。平らな所に建てるのであって、横になっている所に建物を建てることはできません。だから、人間自体も平地が必要です。そこで一つにならなければなりません。


 主体がこうなって、女はこういうふうにつくのです。(先生がしぐさされる)それで球体を願うのです。だから男の性格は上がろうという性格であり、女の性格は地につこうという性格です。それで、女は尻が大きいのです。女は座っても、クッションがあって、石に座っても痛くないのです。クッションがいいのです。男はずーっと座っていると、肩が重くて大変です。尻があまり大きくないから痛いのです。「男はこういう活動をして、力もこうやれ」と言うのです。だから、男は上向きです。男には「胸を張れー!」と言うのであって、女は「胸を張れー!」ではなく「尻を張れー!」です。(笑い)尻が張れば近くなるのです。(先生がしぐさをされる)(笑い)反対に、男はこうやって、女はこうやって回るのです。分かりましたか? (はい)。そういう別個体の行動が、別個の方向に行くのではなく、結局は回って一つになるのです。


 だから、それは「神秘」と言えるし、「不思議」と言えるのです。愛は分からなくて、こんなものだと方々回って、相手が分からなくても夫婦生活をしてみれば、これは離れては生きられないというのです。だから、男が必要です。女の前に絶対真理は何かというと、女自体が絶対真理にはなりません。愛を除いたら真理ではないのです。だから、もっと刺激的相対的な真理というものは、女の前に、男一人以外にはありません。一人です。二人ではないのです。(笑い)主体・客体です。主体が一人でなかったらどうしますか? 大変です。男一人です。主体です。


 女は東西南北、四方があるのです。だから獣の世界は雄を中心として、たくさんの雌が連れられていくのです。鹿なんかは五十二匹まで子供を産ませるのです。動物なんか優性を保つためにそういうふうにやっているのです。中心は一つだけど、相対は時期、時期に変わるのです。相対は切ってしまっていいのです。枝は切ってしまえば、早く大きくなるのです。柱は下の枝を切った場合に、立派な柱になるのです。


 愛のために生まれてきたということは、気持ち悪いですか、気持ち良いですか? (気持ち良いです)。今、あなたたちが気持ち良いと言うのは、人間を中心とした堕落した圏内の愛の大地の上で答えることであって、真の愛の大地圏で答えることではありません。堕落した社会での愛は、自分を中心としての愛をいっているのです。すべてを自分に引き付けようとするのです。自分から犠牲になり、自分から放棄して拡大していこうということはないのです。神様から、そういう力をもらって、もっと投入すれば、たくさん投入すれば、たくさんの群れが生まれてくるのです。それが生まれてきた場合には、主体として相対関係で自分を保護して、包んで安全圏にしてくれるのです。たくさんの人を持った指導者になるのです。二重、三重に、永遠に、安全地帯に中心者が包まれていくのです。


 たまねぎも大きくなった場合には、被せ、被せ、被せ、被せて、それに被せるとたくさんの殻に包まれて大きく、安全に立派なものになるのです。だから、父母という、家庭という殻を被せてくれるのです。家庭が中心になった場合には、氏族という殻です。国はもっと大きな殻です。その自分は、もっと、もっと中核に立って、内的な比重が重くなって、価値がもっと高くなって相対圏で平衡を保っていくのです。


 だから、男と女、二人が合った場合には、それは二人共に利益になるから、一つになるのです。その関係から見た場合に、現在より良くなるために、関係を持っていくのです。あらゆる分野の関係は、あらゆる分野の一体圏を願っていくのです。そうすれば、すべての者に尊敬されて、すべての者の相対圏で喜び、いろいろな種類を喜びに感じて、一遍に何百もの刺激を受けることができるのです。(先生がしぐさされる)(笑い)ストップ、ストップです。(笑い)死んだのではないのです。みな止まるのです。止まって見るのです。息が止まっても、すべての細胞は止まっていないのです。そこから跳躍の準備です。「いやーっ! いよーっ!」とね。(笑い)こういうことを言い出したら、限りがない、限りがないのです。


 先生の話が分かりますか? 人は何のために生まれますか? (愛のためです)。みな愛のためです。よくも、そうなっているのです。子供を生むのは愛の延長のためです。旦那さんを得るのは愛の延長のためです。そして、旦那さんの愛を得た場合には、父母となって離れるのです。愛は一つの道です。子供を生んだ場合には、別の世界が横的に拡大するのです。子供から横的に別れていくのです。第二の夫婦が生まれてくるのです。子供は大きくなって、父母についていくより、別れていくのです。だから、愛は神のほうに、段階的に上がるようになっているのです。それを否定することはできないのです。先生も、君たち以上に苦悶した男です。



神人愛の一体圏を求めて


 何が良いか悪いかを決めて、発表して、自分と関係を持たなければ大変です。一方のみではなく、東西南北を比べてみないと駄目です。御飯ばかりが良いのではないのです。世界にはたくさんの料理があるのです。中国料理、フランス料理、イタリア料理、日本料理、韓国料理、各国によってみな違うのです。それらをみな味わってみて、「これが自分の体に良いから、誰が何と言っても仕方がない」と。日本にいても西洋料理を食べるようになるのです。それは心がそれに引かれていくからです。そうではないですか? (そうです)。決めるのは自分が決めるのです。食べるのは自分が食べるのです。愛するのも自分が愛するのです。誰かが愛するのではないのです。だから、真剣な愛は、真剣なる立場で、絶対一つしかない道なのです。それを見ても、自分の絶対的統一圏を認めないということ、絶対に一つになる愛に関係を持つことはできません。だから、心身一体は絶対要求なのです。


 これが一つにならなければなりません。単位と同じです。数や単位を組み合わせて、公式になるのです。単位が間違った場合には、その公式が間違ってきます。この単位が間違った場合には、過程が間違ってきます。この単位の男と女を組み合わせて、公式になるのです。神様まで合わせていくのです。だから、結婚は自分の完成のため、結婚は神様を占領のためです。神様の実体です。外的な神様ではないのです。内的な神様とともに、良心と愛と一つになった神全体を占領したいのです。人間の欲望は、最高の欲望を持っているのです。神様を袋に入れて担いでいけるような大きさを持っているのです。それが堕落したので、それが困難になったのであって、本来だったら、神様から出発して神様に帰るのです。分かりましたか? (はい)。


 子供たちは、父母から生まれたので、父母に帰るのです。結婚するのです。分かりますか? (はい)。原因と結果が一つにならなければ、完成というものがないのです。原因と結果が一つになることによって、大きく回っている環境を抱擁して回って、すべて因縁でもって関係を結ぶことができるのです。たくさんの人類を知り合いながら、帰っていくのです。そうすると、いろいろな国の人々、いろいろな文化と交流していくのです。霊界はそういうような集合、連帯の世界なのです。そこに適応するには地上に住みながら、世界、人種、あらゆる国との関係を持って体験したことがあれば、向こうの世界(霊界)において、主体世界において、すぐに相対になれるのです。相対圏で一つになることができるのです。分かりましたか? (はい)。


 結婚をなぜするかというと、自分完成とともに宇宙占領、神様の愛まで占領したいのです。こういう問題になるのです。アダム・エバに神様が言うには、アダムとエバが結婚して、その次の朝に呼びかけて訓示するには、「君たちは、愛を中心として絶対に一つにならなければならない」と。そうすると、アダムとエバは「お父さんは、そういう愛を中心として絶対に一つになっていますか?」と質問します。すると神様は、「私はそういうことはないのだ」。そんな気持ち悪いことはないのです。


 先に父が成し得て、子供に訓示しないというと、それは主体がないことであり、主体がなければ、客体もなくなってしまうのです。それで神様は、「もちろん、あなたは知らない深い分野に、既に愛の主人としていたのであり、結婚して愛の関係を持つことは、神自体が初めに体験しており、君たちは二次的になっているのです」と言うのです。だから、神様に訓示し得る立場であり、神様自体も愛には絶対服従するというのです。平和的に今日の理論的出発が生まれてくるのです。分かりましたか? (はい)。


 愛を絶対的に感じて屈伏したとするならば、愛の本郷地が神だとすれば、神の本郷地はどこですか? そこで、愛が初めか、神が初めかということが問題になるのです。人間が初めですか、愛が初めですか? (愛です)。人間が男、女に分かれたのは、愛の完成のためです。見えない構想があって、こういうようになるのが愛であり、男、女が一つになっているのが愛です。神の無形実体が、性相・形状で一つになっているのが愛というのです。見えない世界では統一されているのです。それが見えるものとして、分化して、大きくなって再び、見える相対圏と見えない神様と同じような立場になるのです。


 見えない神様は良心の立場であり、見える立場は肉身です。これが縦横に一つになるので、人間は縦的自分、横的自分というのです。これを定着させておかないと、理想的出発をする理論的理想郷の結論を得ることはできません。出発点が二つであったら、目的とするところも二つになるのです。そうですか、そうではないですか? (そうです)。先生が一番苦労したことは、神人愛の一体圏をどういうふうに求めるかということです。これは重大な質問です。宇宙の根本問題の原因のはっきりした出発点を究明しないというと、過程が矛盾していくのです。それが一つになっていないのに、過程が一つになることはできません。


 運動して、こう回っていくのです。(先生が手先を回転させるようなしぐさをされる)鉄砲の弾も、こういかないのです。こう回っていきながら、宇宙も回るのです。そういうふうに電気も、電気の送電を見れば、電気もこう回りながらいくのです。そうすることによって、抵抗を少なくするのです。直線では抵抗があるのです。回るには、錐がこういう直線で「キー」と回りながら刺さるのと同じように、思わないといけないのです。だから、二人が同時に上下でもって、こういうふうに授受しながら、周辺を回りながらいくのです。ですから、送電線では表面は真鍮、銅だけど、中には鋼鉄が入っているのです。ここは電気は通らずに回っているだけです。分かりましたか? (はい)。


 出発点が相対関係で授受しながら移行する、そのようなペース、周波が異なれば、めちゃくちゃになるのです。だから、原因の出発は統一なるものを発見して、それが二性性相でもって運動するような基準に結び得てないというと、結果と原因が一体になる道は永遠にありません。神の愛と人間の愛はどういう関係かということは、大変なことです。


 だから、宗教と哲学がどう違うかというと、宗教というものは、神から始まるのです。大概、教祖たちは霊的に神様からの命令によって、教典とか、真理の内容とか教えられるのです。哲学というものは、人間が神を探していくものです。宗教は、神が人間を探してくる道です。それは堕落したからであって、堕落しなかったならば哲学も宗教もいらないのです。既に神も分かっているのです。自分の中にある神と共に生きているのです。宗教はいらないのです。分かりますか? (はい)。だから、完成した地上人においては、宗教はいらないし、哲学はいりません。人間自体が哲学完成体、宗教完成体になるのです。


 その完成の最も重要な要因は、天的な根本的な基本的な元の愛であり、元の愛の主人は神様です。人間は神様の相対的存在です。何を中心としてかというと、真の愛を中心としてです。だから、人間は愛を絶対的に必要とするのだから、それを絶対必要として占領した場合には、神自体もその愛の中で住みたいというのです。いくら大きい有名な旦那さんでも、愛する女の懐に住みたいのです。そうですか、そうではないですか? (そうです)。子供たちもみな、お母さんの懐が必要なのです。



人間は愛のために生まれた


 大きい男は愛の懐が必要なのです。分かりますか? 奥さんというのは、愛する旦那さんのお母さんと同じです。そうなると、これは別れることはできません。お母さんを好きになった場合には、女で自分に近いのは、お母さんです。お母さんの次に継続して、お母さんになるのが妻です。お母さんの代わりです。だから奥さんは、お母さん以上に愛さないといけないのです。奥さんは自分のため、お父さん以上に愛さないといけないのです。そういうことが理論的に分かるようになったとすれば、自分が移動した場合には、宇宙が移動するのです。分かりましたか? (はい)。


 そういう意味で、人間はなぜ生まれたのかというと、愛のために生まれたのであり、男も女もこの答えには何の不満もありません。「それで良い」と言うのです。愛を見たことはないし、触ったことはないが、それでも良いというのです。本当ですか? 考えてもそれ以外にないのです。分かりましたか? (はい)。


 真の父母というのは、こういうような全体の愛を総合し、宇宙に定着、安着した者をいうのです。そういう男と女は共に、宇宙と共に、神様と共に同じ場所で、神様が笑うと、同じくアダムとエバも笑うのです。「わーっ!」と一つになって中心を中心として、アダムとエバが笑うのです。アダムとエバが横的になって、神様はこうなって、一つになって、「あーっ」と、です。神様が中に入って、アダムとエバは袋みたいに被せるのです。中心がこう下がって縮まった場合には、(先生が両手でもってしぐさされる)これは十分中に入るし、男と女は周囲でもって縮めていくのです。円心を中心に、円形を中心として縮まっていくのだから、自動的に細胞は円形にならざるを得ないというのです。角があった場合には削られていくのです。均一的になるのです。


 だから、あなたたちも、いい人がこうやった場合には、こういうふうになるのです。(先生が上体をゆするしぐさされる)こういうふうにね。(笑い)こういうふうに、こういうふうに、(先生が両手で抱き込むようなしぐさをされる)それは削られるものがないように真ん丸くなって、一つになるようにです。だから背中を出して相対的に、これがこうなったのに、これがこうなったら駄目です。これは相対的に平均で、こうなった場合には、(先生が両手を左右に大きく広げられる)向こうから回って全部を捨てないといけないのです。そういうでたらめをやったら駄目です。先生はそういうのに敏感です。


 それで、韓国の舞踊団も先生がつくったのです。それは、西洋の舞踊団的にです。西洋舞踊団で有名なのは何ですか? (オペラです)。オペラは歌です。「UBA」を知っていますか? アメリカの「UBA」です。薫淑様を知っていますか? (はい)。薫淑様は何をやっているのですか? (バレエです)。バレエというのは、神を称えるものです。だから大衆は分かりません。そういう意味で、韓国は両方とも幅が広いのです。日本は着物を着て足を伸ばすことはできないのです。こういうふうにして、こういうふうに(先生が踊りのしぐさをされる)(笑い)「月が出た出た。月がー」なんてね。だから、韓国の舞踊には及びません。ジャンプができないのです。


 そういうように自然の中で、すべてが先生になっているのです。芸術品を見ればみな、自然から取り入れているのです。テーブルの足なんかもみな、こういうふうに自然にあるものを取ってきたのです。神様は芸術の王様です。


 真の人間というのは、どこから出発すべきかというと、今から出発すべきではなかったというのです。全知全能なる神様の直前から出発すべきだったのです。分かりましたか? (はい)。


 だから君たちは、偽物として生まれたので、ハンダ付けして臨時に使う以外にはないのです。大変です。それが恨みだから、何とか甘柿に接ぎ木して三代以上過ぎないと、本当の実としては使えません。接ぎ木する以外にはないのです。それで接ぎ木して、甘柿の実を得ることはできるのです。神の倉庫に入って、神の御膳の近くに上がることができるのです。甘柿でないものは、本当は御膳に上がることはできないというのです。純粋な種類ではなく雑種であり、雑種には異物が含まれているのです。堕落したために、サタンの血統と神の血統が混血しているのです。それを何代かで清めないといけないのです。分かりましたか? (はい)。


 人は何のために生まれたのですか? (愛のためです)。愛は何によって得られるのですか? (夫です)。旦那さん、夫、どんな旦那ですか? 一段、二段と、段階をつくってくれた名前を持ったものが旦那さんですか? (笑い)梯子の踏み台と同じです。(笑い)本当です。こういうふうにすると、旦那さんの説明がつくのです。文先生は、済州島で四〇〇〇名余りの女性の前で、初めて語った言葉が、「旦那さん」であったと、そのように、先生はたくさんの言葉をつくっているのです。英語もたくさんの言葉をつくったし、日本語も、韓国語もです。言葉がないのです。


 そういうふうに、人間は愛によって生まれるべきだということです。分かりましたか? (はい)。その愛の元なる男と女が出発するように始められたのが、神様の創造です。だから、創造の前から真の父母という観念はありました。存在するすべてのものは相対的関係を持ち、それなりに夫婦関係の内容を持っているのだから、創造の前からあったと言っても、理論的に矛盾はしていません。分かりましたか? そう考えた時、これが宇宙の根本であり、出発の動機であり、それに従わなければならないということに気づかなければ、自分は中途半端になってしまうのです。だから本然の根につきたいのですか、枝につきたいのですか? 本然の根につけば、葉先、幹の根、幹の枝、すべてのものについたと同じ価値があるのです。本然の根につくのが理想的だというのです。分かりましたか?(はい)。


 それで、真の父母という問題は、宇宙存在、出発する前からあったというのです。環境には相対的存在があり、相対的存在は必ず、それなりに次元は低いのだけど授受作用するために一つになるのです。一つになることによって、両方ともマイナスにはなりません。大きくなって、立体的にふくれていくのです。だから運動を続けていくのです。君たちが市場に出るとしても、毎日、出るたびに一円ずつ損をするとしたら、毎日継続するかというと、しないのです。十円でもいいから、いつでも出たり入ったりすれば、少しでももうけた場合には大きくなることによって、それは栄光と天国に通じるのです。


 神様を占領する道は大きくなることによって成されるのです。だから、大きく、良いことは蕩減を余計にしなければならないから、「犠牲になれ、奉仕せよ」と言うのです。こういうことをみんな知った場合には、説明がいりません。それで自分を守って、脱線せずに自分を安全地帯に導いて引っ張っていくことができるのです。分かりますか? (はい)。だから、真理を知ることにより、良心の元の知識を蓄えることができ、良心は神様と一つになるようになっているのです。良心は神様の真理の相対と一つになるようになっているのだから、それを蓄えておけば、すべての主体に適応して、すべてと一つになる動機をつくるのだから、どこへ行っても利益を残すようになるというのです。何の話か、分かりましたか? (はい)。



キリスト教の歴史を通して求めてきた新郎新婦の遭遇


 先生は、いつでも会って話をする時間はありません。これが初めであり、最後かもしれません。一度別れたら、もう十年会えないかもしれません。十年、二十年、三十年かかっても会えないことがあるのです。その時は、先生は既に霊界に行っているのです。


 これが生涯において初めであり、終わりであるそういうような切迫した緊張圏に立っているのに、座って鼾をかきながら寝るような者たち! (笑い)横に座っているそういう者を見て、放っておくのは、それはもっと悪いのです。寝る者よりもっと悪いのは、座って分かっていて、それを目を覚ましてあげないのがもっと悪いのです。もっと悪い女にならないように、警告します。分かりましたか? (はい)。


 これが大元です。小さいものから大きいものへ、人間と神様がみな、このケースに引っ掛かっているのです。神様も共に大きくなりたいから、投入して、投入して、忘れるのです。なぜかというと愛の大きい無限の愛の袋で包囲されるために、投入して、投入して忘れるのです。


 完全な真空圏になった場合には、すべての高気圧は上下左右に、一遍に「ふわーっ」と入ってくるのです。分かりますか? 先に入ってくるのが悪いのではないのです。それは、こういうふうに入って来た場合には、来たものがすーっとここを中心にして、全部がまとまって立体をつくります。「トネイドー」を知っていますか? 旋風です。英語では「トネイドー」と言うのです。こうなって、家も何でもみな、巻き上がるのです。無限に爆発的な力が生じてきます。分かりますか? 力が生じてきます。奉仕、奉仕して、絶対真空圏に立った場合には、無限の力が「ぱあー!」と最高に出てくるのです。だから、神様に奉仕するというと、台風が吹き寄せるのも、斜めから来ないで垂直に近く来るのです。垂直に近くなって、「びゅー!」と来るのです。爆弾投下みたいに爆発してしまうのです。強ければ強いほど迫力があるし、破壊力があるので強いのです。そういうふうな刺激、最高の刺激があるのです。


 だから、時には旦那さんと分かれても、真空圏と高気圧圏が必要です。そうすると、毎晩、夢で会うようになるのです。夢の中で、抱擁して愛した場合には、堕落した世界の愛よりも、もっと刺激的です。その基準を超えるということです。これから特別に、先生はそういうようなことを教育するのです。堕落のために四大心情圏を破壊したのだから、蕩減復帰は、エバがなしてきたと同じような所で、一八〇度転覆するのです。


 それで四大心情圏を女が体恤しないというと、宇宙の転換点を正すことができないというのです。堕落の瞬間に、四大心情圏、四大心情を失ってしまいました。子女の心情、兄弟の心情、夫婦の心情、父母の心情を一遍に崩壊してしまったことを、いつ女として体恤するかという蕩減復帰です。同じように体恤することです。その時が、キリスト教を中心として歴史を通して一点を求めてきた、新郎新婦の遭遇です。会い合うという遭遇の時です。その時に女たる者はみな、神の娘として、妹として、奥さんとして、お母さんとしての心情を爆発的に体恤しないというと、変わらないのです。


 そのような大元が、再び生まれてこなければならないのです。そういう体恤をした場合には、「旦那さん」と言えば、旦那さんは遠い所にいるのではないのです。もう既に、自分の中に入っているのです。それは主体だからです。そういうような愛の本郷地を求めていくのが、人間の生来の生涯の生活です。真の父母の観念が分かりましたか? 宇宙の根本的な基本姿勢となっているのです。


 あなたたちは何から出発しましたか? 真の父母ですか、偽りの父母ですか? (偽りの父母です)。偽りの父母という、血統が違っていたのです。エバが堕落して、君たちみたいな生まれるべきでない者が、故障した者が生まれてきてしまったのです。完成は一つもありません。だから、霊界は空いているのです。分かりましたか? 霊界、神様の創造した天国は、今まで一人も入っていないのです。真の父母が最初に入るのであって、神様と人間が愛の関係で、主体・客体の関係で一つとなった基準が、創造の本然の目的なのです。


 そういうような血統的因縁、愛の因縁を、生命の結合体と血統を伝授した者が、家庭、氏族、民族、それから天国の世界を主管することができるのです。堕落は反対です。血統的に過ったのだから、神様も血統的に、生きた者を殺さないで、そのまま一つ一つを転覆して消化していくために、何千万年もかかったのです。それで、神様の真の父母ということを体恤する根拠がないのです。相対がないのです。その相対たるべき者が長成(期)完成(級)基準でサタンと一体となって、なくなってしまったのです。良心一つでは、何にもなりません。良心も、それは長成(期)完成(級)基準で堕落したのだから、堕落した愛よりも弱いのです。だから、肉身がサタンの基準になって、肉身が良心を引っ張りだこにしているのです。これをはっきり知らないといけないのです。


 それを抑圧、却下させるのです。宗教者の目的は、主にそれを成すためです。それで宗教は、肉身の願うすべてを拒否しているのです。寝ることを克服しなければなりません。サタンは食べてよく寝ます。怠け者は食べてはよく寝るのです。良いものを食べても寝ながら消化してしまうのです。それから、食べ比べて良いものを食べるのです。きょうより、あすはもっと良いものを食べるのです。どんなことをやっても、泥棒しても良いものを食べるのです。だから食うもの、寝るもの、遊ぶものが怨讐になっているのです。


 それから情的問題です。原理原則を破って、誰でも乗っかって一つになろうとするのがサタンの性格です。君たちもそういう思いをしたのでしょう? そこに美男子がいた場合には、心で慕いながら、「あの美男子を夫にすればいいな」と、夢で抱えながら、そういうふうになって恋煩いに引っ掛かってしまうのです。そんなになるのです。男もそうです。そんなものはヤクザな世界です。複雑に交わる曲線を通過したそれが愛というものです。


 エデンの園にはアダムとエバの二人しかいないので、そんなことはないのです。それが伝統になった場合には、さーっと絶対愛によって、自分の相対者が、生まれると共に分かるようになるというのです。寝ながらも、共に生きるのです。目をつぶってからでも共にです。アダムとエバはそうなるのです。堕落しなかったら、寝ながらも共に話が出来るし、夢を見るのも、二人で見るのです。だから、因縁も関係も一体になっているのです。


 堕落圏に立っているから雑多な思いを持つようになるのであって、堕落しなかったとするならば、唯一の思いでふた心はないのです。毒蛇は二つの話をします。舌が二つです。堕落した人間は、蛇の後孫を象徴するふた心を持っているのです。うそをよく言うのです。蛇は舌が二つです。毒蛇の特徴です。それで人を殺すのです。噛まれた場合には死んでしまうのです。


 あなたたちはふた心を持っていますか、ひと心を持っていますか? 二つです。心身が紛争するからです。きょうはここで、あすは家へと、自分の利益になると思ったら、いつでもそーっと出ていくのです。だから、芸者なんかみなそうです。愛を中心とした自分の価値が分からないので、金が必要になったら、何でもやって売ってしまうのです。豚よりも悪いのです。そういう者で、統一原理を分かる者は絶対生まれてきません。


 真の父母の名というものは、宇宙の根本から出発しているのです。神様は愛を中心として、神人一体圏を考えながら創造を始めておられるのです。大きく高いものをつくるには、小さいものをたくさん加えて、大きいものをつくろうとするのだから、愛の相対の要素をみな集めて、大きい男女を神様の相対になるように投入しているのです。宇宙のすべての存在を投入して、神の相対をつくるのです。そのような相対は、神の無形実相が実体実相として現れた宇宙なのです。


 名前は何と言いますか? (森です)。盛り蕎麦? (笑い)これも、森さんです。あなたは黙っていなさい。教育されて使われるのは、神聖な者になるのです。黙っていてよ。(笑い)これも森さんです。一遍、触って分析すれば性格が出てくるのです。そのように、すべての宇宙は、神に属しているのです。分野が低くても、神のある段階にいるのです。その様相がみな、二性性相を持っているのです。自分の性相と自分の性質を分け合って生まれてくるのと同じです。そういうふうになっているのだから、みな大きいものへ大きいものへ上がろうとするのです。


 小さい小さい川で、浅っぽい川で泳いでいると、深い所へ、深い所へ、深い所へ、大きい所へと、こうなるのです。みな、あなたたちの欲望もそうです。最初に生まれた子供の時は小さいおもちゃですが、女の子も男の子も夫婦になると、一つの国を願うのです。そこから、どんどんと大きくなっていくのです。日本の奥さんや旦那さんよりは、西洋の奥さんや旦那さんのほうが、となるのです。(笑い)そうなるから、女としては生きた男の旦那さんが必要となるのです。それで最高の王様みたいなものになろうと思うのです。だんだん大きくなるのです。最高の所まで行くと、欲望の最高の絶頂は、神を占領して、神を最も愛する秘密の宝のバッグに入れて抱えていきたいのです。



停止は滅亡と地獄に通じる、発展は繁栄と天国に通じる


 良心は神の愛を占領するような構造になっているのです。元になっているのです。先生が多年の苦労で、真理は何かを分かってみた場合に、がっかりしたのは「真理は空中のどこかにある」と思っていたのにみな、自分の座布団の下に入っていたのです。自分も知らなかったのですが、神様はどこにいるかというと、愛の最も深い良心の寝る所に神様がいるのです。分かりましたか? これは、「人の人」です。こういう「の」の字があるのです。人すなわち神です。それは一体ではないのです。相対関係の組み合わせが分からなかったのです。


 お釈迦さんが「天上天下唯我独尊」と言ったのも、自分の中に神様がいると思ったからです。それは解明されていません。垂直の決着点に良心の基盤があるから、その決着点に止まる主体・客体観念を発見できなかったのです。だから、仏教も出発時から、世界終着点の中心に立つことはできないのです。根本がはっきりしていないので、結果もはっきりしていないのです。しかし、統一教会は根本がはっきりしているし、結果もはっきりしているのです。だから、この思想は誰が何と言っても、世界を統一せざるを得ないようになっているのです。


 多方面の実験を経て先生は、良い頭を持っているのです。本当です。そういうふうに実験して、自分が成してみて、世界が反対しても堂々と成功しているのです。それは、原理の内容が、教えが正しいから、その結果はどこでも成功するのです。サタンの世界で原理を知る者は、どの世界でも完成者になるようになるのです。


 そこで、各国の人々がどういうかと言うと、「統一教会には立派な青年がたくさんいます。いやー、文先生は幸福です。ああいう者たちが統一教会に入って先生を援助するから」と言うのです。先生によって相対としてつくられたということを知らないのです。日本もそうでしょう。「勝共さんでなければ、日本は救えない」と、みな言っているのです。なぜかというと、「それは話もうまいし、説得力もあり、金には一銭も工作はしないし、正直である。そして奉仕的だ。そういう人は、日本中一億二千万の中に一人もいない。いくら探しても、統一教会以外にはいない」と言うのです。


 また、学者たちも統一教会の学生と付き合った場合には、「自分の孫より立派であり、孫嫁や孫婿と比較した場合に、自分の娘というのは、孫娘は勝手な者です」と。私たちは、神様みたいに投入して忘れて、投入して忘れて、高尚な相対理想を求めて、きょうの苦難を忘れて、あすへの希望に向けて進んでいくのです。だから、停止しません。停止すると、とたんに死亡と地獄に通じます。停止した瞬間に、そこから下がっていくので、滅亡と地獄に通じるのです。発展というのは、繁栄と天国に通じます。それが宇宙の真理です。だから先生の生活は、毎日一つでもプラスさせることです。プラスさせる人は停止しないのです。普通の人が山に登った場合に、「ああ、上がった」と座り込むのですが、先生は必ず三歩ないし、十歩数えて座るのです。


 そういう習慣が大切です。きのうよりきょうへと新しいものを神様は願うのです。分かりましたか? (はい)。きのうのように、三日以上も同じものであったら、神様は嫌うのです。回れません。回っても、新しい者を組んで回るから発展します。大きいものに向けて運動する理論になるのです。停止は、滅亡と地獄に通じるのです。繁栄は? (天国です)。プラスさせるのは、大きくなることは、繁栄と天国に通じるのです。君たちもそうです。


 統一教会に入った時には、統一原理を聞いて興奮して、御飯を食べることも寝ることできないで、「教会、教会、教会」と言った者が、十年たった場合には、ぺちゃんこになってしまっているのです。それは地獄の地獄で、再び立ち上がることができません。そういう者は、いくら統一原理以上であっても、真の真理に反対した者は蕩減しなければ、再び真理に立つことができないのが宇宙の原則です。一度落ちた場合には、再び帰るためには何十年の蕩減の生活が必要です。統一教会に入る時は堂々と立って入ったのですが、出ていってから再び入る時は、這ってでも入ることができません。恐ろしい所です。


 こういうことがみな、生活に必要な内容になるのです。真の父母が分かりましたか? (はい)。真の父母という名はどこでも必要です。鉱物世界でも、その観念を中心として愛につながって生きているのです。植物世界もその観念と共に、おしべとめしべがまとまって生きていこうというのです。昆虫世界も、動物世界も、人間世界も、人間を中心としているのです。人間が王様です。そういう観点から見た場合に、人間というのは、男と女は小宇宙というのです。愛を中心として、小宇宙というのです。それで、どこでも人間は通じないところはないのです。君たちも霊的にそういう願いが出てきた場合には、みな話せるのです。水中の魚とも語ることができます。神様は、それができないと大変です。みな通じるのです。愛は偉大なものです。そういう尊いものを失っているのです。


 だから霊界に入れば、それが一〇〇パーセント活用できるのです。見たい者を呼べば、すぐに現れるのです。何億マイルでも一瞬に飛ぶのです。愛の速度を超えるものは何もないし、愛の速度を止めるものはありません。分かりましたか? (はい)。だから、真の愛の道は直短距離(最短距離)を通じるのです。直短距離です。上から下に行くのも直短距離は水平以外にはないのです。ちょうど九十度の一点しかありません。それが最高の直短距離です。上下をそのようにつなぐ直短距離が真の愛の行く道だとすれば、平面的直短距離は、アダムとエバです。その直短距離も九十度だったから、九と十と、横的に一つになっているのです。これが元です。それが一つになって、大きくなっていくのです。家庭、氏族、民族、国家です。それが大きくなるというと、相対的に平衡を取るのです。


 だから、そういう意味において、男と女は平衡をたどり平等です。これが横的に一つになるには、愛を中心として平等になるのです。ですから、女というのは土です。男は永遠に近いのです。分かりますか? こういうふうにして、螺旋で発展していく無限の世界です。たくさんつなげて、縄をなうのと同じです。大きな縄と同じようになって、どんどんどんどんと回れば回るほど、宇宙の理想は個人から天宙までつながって、どこにでも通じるようになるのです。だから膨大な霊界も自分の活動舞台になり、遮るものは何一つもありません。


 そういう永遠の大宇宙旅行のために、理想の相対が必要であるというのです。一人では寂しいのです。宇宙旅行です。あそこは飛行機もいりません。何百倍のジャンボ以上のスピードを持つ車が、ちゃんと自分の命令によって可能です。夫婦が一双になって、神様みたいに、神様と共に生きるのです。(一部割愛)



善の全権時代へ


 これからは、旦那さんを再教育するのです。だから今、「女性連合」をつくるのです。旦那さんたちを再教育するのです。女の組織を強力な組織にするのです。奥さんとしては一か月に一回ずつ、旦那さんの報告をしないといけないのです。どこへ行ってきたか調査して、他の女と関係があった場合には、どこかにやってしまうのです。部落の女の最高司令官が、「男ちょっと来い。この天使長の輩!」と。(笑い)それを切ってしまうのです。それが必要ではないですか、要らないものは切ってしまうのです。自分の奥さんが相談して切るのに、誰が不平言いますか。そこまで教育して、男が願うような境地まで詰め込む内容を持っているのです。立派な旦那さんで、酒も飲まないで自分ばかりを愛してくれる旦那さんを願いますか? でたらめに凸凹の道を歩いてきて、ぼろみたいな穴ぼこを流れてくる愛の子供を持ちたいですか、どうですか?


 みんな女は、だまされているのです。全部うそです。出張すれば、そんなことは一〇〇パーセントがやります。それを知っていますか? 知っている、知らない? 旦那さんはうそっぱちのサタンです。エバがだまして誘惑したと同じです。それはもう、何千代も続いた罪の塊になっているから、そういうことは平気です。分かりましたか? (はい)。そういうものをみんな綺麗にしたくないですか? (したいです)。だから、先生の言うとおりにやりなさい(はい)。


 それで、今度帰れば、反対する者に「何が悪いですか、統一教会の文先生の何が悪いですか、誰が悪いと言いましたか? 行きましょう!」と言うのです。そして「話しなさい!」と。それで、三人ぐらいで連れていきます。「ああ、私が悪い」と言えば、「どこから聞いた?」「新聞社です」。では「新聞社に行きましょう」「その、主筆とか、局長、編集局長の所に行きましょう」。そこで、「誰から聞いた? それを紹介してください」と三人ぐらいで問い詰めた場合にはみな、逃げていくのです。分かりましたか? 今度帰ったら、先生が女の口を開くのです。今までは黙っているしかなかったのです。神様は黙っていたのです。長子権が立ってないから、父母権、王権ができなかったからです。今はそういう時代を越えているのです。


 全体、全般に、善の全権時代に入るのです。三者から統一教会が指さされて、何を言われても従っていてはいけないのです。それを戒めて教育しないといけないのです。みな悪いからそういうことをしないようにするのです。女の将軍になるように、五万人の将軍になるように、先生が指示して、日本に派遣致しました。口を止めていてはいけないのです。分かりましたか? (はい)。それで君たちは番頭さんとして、自分の地域を守ることも必要です。自分の子供がめちゃくちゃになってしまうのです。自分の一家がめちゃくちゃになっていくのです。自分の舅さんにもその話をするのです。旦那さんから引き詰めて、それから舅さんを連れて、「お父さんを証しなさい。お母さんを証しなさい」と言って紹介します。


 (先生に対する)悪いうわさが世界まで、広がったので、先生はそのカラーを脱ぐのに一生涯かかったのです。神様もそうです。アダム・エバが堕落した責任は神様も同じです。その責任を先生が持っているのです。だから、神様が先生を愛するのです。神様に似ているから先生を必要とするのです。


 先生が日本にいた時も、日本の女に、「私は君を愛します」と手を取ってキスした人は一人もいないのです。むしろ、女のほうが先生の所に入ってきて「救ってください」と言ったのです。そういう女を、妹として教育して、将来は立派な奥さんになるようにしてあげたのです。涙を流しながら、振り返りながら「すみません」と言ったことが、今も忘れられません。その女の子は今どこに住んでいるだろうね? だから、あなたたちに何を言っても、先生は堂々としているのです。あの美人のお母様はさておいてもね。(笑い)お母様に対する先生の使命はまだ完成していないのです。一つ、二つ、まだ残っているのです。お母様はそれをよく知っているのです。だから、真の父母の伝統をはっきり知らないというと、こういう複雑な世界において、それを治めていくことはできません。


 真の父母が必要ですか、必要ではないですか? (必要です)。なぜ必要ですか、なぜですか? (真の愛ゆえです)。いいえ。堕落したのだから、堕落から始めないといけないのです。堕落して偽りの血統を受け継いだのだから、真の愛とは関係ない立場に立っているので、真の愛を再び接ぎ木して、接触させて、再び自分たちが甘柿になるために、真の父母が絶対必要です。真の父母が立たなかった場合には、渋柿の枝から甘柿は永遠に結ばれることはできないから、甘柿になるために真の父母が必要なのです。こういうふうな説明をしないといけないのです。絶対必要ですか? 絶対の反対は何ですか? 何、不絶対ですか? (笑い)それが一番良いのです。何か反語を探すことに考える必要はないのです。不絶対です。(笑い)それは絶対必要なことです。いなかったら大変です。分かりましたか? (はい)。








過って生まれたのだから再び生まれなければならない


図-1




図-2 (先生が黒板に図―1を書かれる)これが八段階です。分かりましたか? これも、これも、これもです。これがこれです。八段階です。一、二、三、四、五、六、七、八段階です。これは蘇生、長成、完成です。これは旧約時代、新約時代、成約時代です。これは六〇〇〇年の六〇〇〇年です。これは歴史的に過ったすべてを綺麗にして、平面的にも綺麗にしないといけないのです。だから、ここ(A)にいる五十二億というものは、みなこっち(B)から生まれて生まれて、こういうふうになっているのです。分かりましたか? 蕩減復帰です。過って生まれたのだから、再び生まれなければ、正しく生まれなければならないのです。


 だから、こういうふう(C)に生まれていった者が、こういうふう(D)に逆のほうに生まれるために、母の腹に戻っていかなければならないのです。分かりますか? 重生のために再び生まれるためです。そうなるというと、ここ(E)で家庭を中心として、家庭と氏族をつなぐには梯子が必要です。ここで絶対必要なのは氏族メシヤです。(先生が黒板に図―2を書かれる)その一六〇か国の中心が再臨の父母です。真の父母です(A)。こっちから、蘇生、長成、完成です。国を中心として、これが氏族のメシヤです(B)。氏族メシヤと家庭的四位基台が整うことによって入籍ができます。分かりましたか?


 それと同じように、この基準によって家族はみな、氏族のお母さんの腹の中に戻っていかなければならないのです。女と子供です。神様を失ったのは、女とカイン・アベルです。分かりますか? アダム家庭を失っているのだから、それを探さなければならないのです。それで、再び腹の中に入ってしまわなければなりません。


 全世界の女はお母様の分身になるのです。分かりましたか? (はい)。それはナイロンの細い線をずーっと、つないだのと同じです。電気をつければ、そのナイロンを通して電気がつきます。そういう一体圏をつくりなさいというのです。それはなぜかというと、お母様の心情を体恤しなければならないからです。分かりますか? お母さんが寂しくなった場合には、自分も何となく寂しく感じないといけないのです。一体にならなければなりません。


 だから、「お母様の分身になりなさいー」と言うのです。全世界の女は一人のエバだというのです。分かりましたか? (はい)。全世界の男は、堕落した復帰時代に入った天使長だというのです。分かりましたか? (はい)。エバの相対基準は、再臨の主、完成されたアダム基準です。アダムと関係しないで、反対の方向へ行った者が、再び帰ってきて、アダムと関係するようになるのです。君たちは今、そういう立場に立っているのです。分かりましたか? (はい)。


 そうなるというと、真の父は二人ではないのです。分かりますか? 女はみな真のお母さんの腹とつながった糸みたいに、電線でつながって電気がつくのと同じように、その腹の中に子供をはらんで、家庭的な父母は、家庭でのカイン・アベルを中心として、氏族的なメシヤのお母さんの腹に入るのです。氏族的なメシヤのお母さんの腹を通して、民族的なお母さんの腹、それで先生を中心として、一六〇か国のお母様までつなぐのです。それは民族から、国家、世界、天宙まで、三段階をつなぐようになっているのです。蘇生、長成、完成です。ここだけをつないでおけば、すぐに神とつながるのです。一六〇か国です。分かりましたか? (はい)。


 全世界に同じようなペースでもって氏族メシヤを送っているから、家族メシヤはアダム家庭であり、氏族メシヤはアダム家庭です。それは、先祖をなくした、統一教会の祝福をされた者たちです。それはアダム家庭と同じです。アダム家庭で先祖をなくしたので、先祖復帰が氏族メシヤです。それから故郷復帰です。故郷を失ったので、神の基地がなくなってしまったのです。


 それで、再び故郷が生まれることによって、神と同じく同居する時代に復帰していくのです。家庭から氏族、国家を通して、世界へつなぐ道ができるのです。だから生まれ変わるには、逆の方向に向かって、逆に戻っていって、真のお母さんの腹の中にみな入ったような立場に立つのです。「うわー、そんな話がなぜか?」と言うと、天国という所は真の父母の愛を中心として、真の子供の種を結実させた者たちが、地上で王権に侍り、王族として生きた者が、最初の天国に入って王族になるのです。王族の兄弟をたくさん重ねた場合には国になるので、国民が増えていくのです。分かりましたか? そうなっているのです。


 だから、王族圏の心情を体恤しなかった者は、理想の神様の本郷の国に入る資格はありません。これは何人としても、否定できません。神様の考えは、それ以上のことを考えるのですが、それが最高の考えであれば、そうならざるを得ないのです。だからアダムとエバは、神様の万能の王子と王女であったということを忘れてはなりません。分かりましたか? (はい)。 分かりましたか? (はい!)。


 だから、その女が天使長と――。イギリスの王権は天使長と女がぺちゃんこになるのです。日本の男は、天使長の女とぺちゃんこになっているのです。もう、おしまいです。東洋の宮殿を代表して日本、西洋の宮殿を代表してイギリスになっているのです。日本がプラスである時は、東洋が中心であるから、イギリスを消化していかなければならないのです。そういう立場です。そうすれば、イギリスの中にはらんでいたアイルランドの旧教とスコットランドの新教が、このカイン・アベルを一つにして、それを生んで、一つの国をつくらなければならないのです。それが一つの国になっていないから今、紛争しているのです。


 それと同じように、エバはカイン・アベルを生んで、自分の子供と一つにするように、一族をしないというと、エバ国家を天国につなぐ道はありません。だから交差結婚をするのです。アダム国家はマイナスです。ちょうど、そうなるのです。だから、お母様も国に帰って、カイン・アベルを生んで一つにしなければならないので、韓国の四十か所の大学を中心として戦っているのです。カインとアベル、カープと共産党を一つにしなければなりません。今、もう一つになっているのです。


 それで南のカイン・アベルが一つになった場合には、北の本当の赤、こちらのだんだらの赤と向こうの真っ赤な赤を一つにすることによって、母がそれを生んで一つにすれば、イギリスの天使長、こちらはカイン圏の韓国の天使長、向こう(北)は堕落天使長です。それはいらないのです。分かりますか? (はい)。南北の青年がお母様と一つになって、先生と一つになって、一体となった場合には、彼らは堕落した天使長と天使の立場でみな後について行かなければ、おしまいです。だから韓国の国会は先生が整理するのです。それは、自動屈伏という内容でもってなすのです。血を流すような、打つようなことはしないのです。自動屈伏させないというと、サタンの反発を生むなどして、どこかにつながるのです。分かりましたか? (はい)。


 逆に過って生まれたのだから、蕩減は反対の方向へ行くのです。生まれるのも反対の方向にこういうふうに生んできたので、(図―1(A)参照)これは、サタン圏を全部勝利した後で、サタンがいないのです。だから「逆に帰れーっ!」と。そういうふうに再び生んだものが(図―1(F)参照)、地上天国です(図―1(G)参照)。分かりましたか? (はい)。そういうふうにして、真の母の腹を通過して再び生まれてくるのです。



真の父母と重生


 これに、入ってくる時は左のほうから入ってくるのです。分かりましたか? なぜ左のほうから入るかというと、お母様が左のほうだからです。入ってきてお母様の腹の中に入ったとしても、その入った子供とお母様の根っこは何かというと、渋柿の根っこから切って取り返してきたものです。分かりますか? それが天の家庭に入るには、手続きをしないといけないのです。何の手続きかというと、愛の手続きです。だから、真のお母様の腹の中に入っていても、それは真のお父様の真の愛と真の血統にはまだつながっていないのです。お母様は真の愛と真の血統を持っていません。向こうのほうなのです。それは、新婦の立場で、新郎を迎えて一つとなるということです。分かりましたか? 分かりましたか? (はい! )。


 全世界がここに入ってきて、それからどうなるかというと、真の父母の夫婦関係によって、はらんだ子供、その者を、真のお父様の真の愛を中心に、真の子供の種を持ったお父様が愛の関係を結ぶことを、実感したあとに生まれたと同じようになるのです。そのような期間を通過しながら、お母様の腹の中に入った子供たちが、真の父の子供の種が真っ赤だったとするならば、愛の関係を繰り返すことによって、色が染められていって、ピンクからだんだん深まっていくのです。ピンクからでもそうなったとすれば、真の父母の愛と真の子供の種と接ぎ木したという、つないだということになるのです。分かりますか? こっちは本物で、こっちは偽物で、(先生がしぐさされる)兄さんと弟と同じです。分かりましたか? そういうふうに一つとなった状況をもって、それはずーっとこれを回って、母の腹の中を通して、先生の体を通して、再びお母様の腹を通していくのです。右のほうを通してです。


 国家的お母様の腹、氏族的メシヤのお母様、家族的メシヤ、復帰された一六〇の家族メシヤの基台に行って再び生むことになるのだから、サタンの血統とは全然関係がないのです。別個の天的本来の真の父母から出発した子女の立場に立つのだから、天上、地上天国に、お母様と真の父母によって、入ることができるのです。


 女は真のお母様に対して、(真のお母様が)お姉さんだとすれば妹であり、それから男は将来どうなるかというと、真の完成した第一代のアダムとすれば、それにハンダ付けして、復帰されたアダムとしてつくってあげることによって、第二番目の妹と第二番目のアダムは、その時に祝福を受けて、自分の相対を得ることができます。まずもって、お母様の腹から、女、子供を生まなければなりません。


 そのようにして生んだあと、生まれたあとに、それは、先生から見た場合には本妻と妾と同じです。分かりますか? その妾にはみな、たくさんの男が必要です。先生を襲撃したら大変だからです。それで、自分の旦那さんは絶対に女と一つになるのです。女が命令するのです。女が子供までも絶対命令することによって、天使長の立場に入るのです。分かりましたか? (はい)。天使長の立場に帰った者を、お母様とお父様が認定していくのです。それで、アダムには体があるのです。


 あなたたちの旦那さんをどういうふうに創造するかというと、

(先生が黒板に図―3と4を書かれる)



十六歳の時のアベルとカインのように(図―3の(A))です。このアダムが蘇生、長成から二十代へ、三段階を上がるには、これは長男と長女が上がるようになっているのです。分かりますか? 次男は上がることができないようになっているのです。それで、次男がここへ上がるには、長男の立場を蕩減復帰しないというと、上がることができないのです。蕩減復帰は次男の立場からやるのだから、長男の立場ではないのです。


図-4        図-5

 だから長男の立場を得るには、次男として、アベルがサタンの世界に出ていくのです。八段階です。それは個人、家庭、氏族、民族の八段階です。このようにして、アベルが次男としてサタン世界に出て、迫害を受けて自動屈伏して、長男として全体の支持を受けて、「君たちの言うとおりにする」と言って、故郷に帰ってくるのです。長男として帰ってくるのです。次男として行った者が、勝利して長男として帰ってくるのです。


 そうなると、サタンは、あとについて来て、次男の立場に立つので、長男のカインが次男の座、アベルが長男の座に立つのです。だから、ここに来て(図―4の(A))押して上げることによって、こっち(B)に上がるのです。分かりましたか? (はい)。このことを繰り返します。分かりますか? 八段階です。こういうふうに上がっていくのです。分かりましたか? (はい)。このようにした場合には、この圏内はサタンに勝利したために長子圏が復帰されているのです。長子圏です。


 これを誰がやったのかというと、アダム完成実体なるアダムが成しました。これは十六歳の時のアダムの体に、勝利したアダム全体の体をつないだような立場になるのです。この圏内に五十二億の子孫が、サタン圏にあったものがみな、アダム圏のほうにまとまるようになりました。分かりましたか? こっちから、こういうふうに回って、こういうふうに来ているのです。(先生が図―3・4の全体を円で囲まれる)こっちから、こういうふうに来ても、サタンは反対することができないのです。


 だから、再臨の主、アダム完成実体を打とうとして、サタンが八段階の攻撃して、次子圏を長子圏として打って蕩減復帰したので、長子圏でもって堕落しなかったアダムとエバ、長男、長女が上がっていくことができるのです。そこに上がった場合には、いくら下がっていっても、サタンは移行することができません。分かりますか? 自由圏です。だから個人からの八段階に、神様が離れていったけれど、先生が戦って勝利して、神様をお連れしたので、どこへ行っても自由自在に、先生と共に地上世界から地上家庭まで、どこに行っても同居するようになります。



天の地上天国顕現


 そうなったならば、世界の万民は接ぎ木だけすればいいのです。分かりますか? 接ぎ木は何かというと、完成したアダムの体を、渋柿に接ぎ木させてやるのです。本当は茎を切って、根っこを切って、こういうふうに接ぎ木するのです。こうやったとするならば、枝でもいいのです。これが三年ぐらいたった場合には、神様はこの根の力を吸収して(サタンのもので)大きくなりたいとは思わないのです。三年たった場合には、この接ぎ木された木から新しい芽が起こってくるのです。芽を出して、こういう芽が生えてきても、これを切ってしまうのです。サタンの因縁でもって、その力を補給してきた悪魔のものを受肉したくないというのです。分かりますか?


 そうして、これを肥料として、肥料として早く処理しなければならないのです。それであなたたちが、以前に結婚していて再婚したとするならば、前の旦那さんのものを再び結婚した男に見せたら大変です。姿もその表情も指すものではないのです。神様も同じです。


 エバが、再び結婚した立場に立って接ぎ木された場合には、接ぎ木は過去の因縁の茎の上に残しておくことはないのです。だから新しい根っこで切ってしまって、これを腐るようにして、みんな肥料として処理してしまうのです。分かりましたか? そういう接ぎ木をいうのです。接ぎ木は、臨時的であって、大きくなった昔の接ぎ木は何十分の一であっても、そのままにしておけば、全部が一〇〇パーセント、サタンの株につながるので、それは嫌だと言うのです。分かりましたか? 神様の接ぎ木は違うのです。


 こういうふうにして接ぎ木して、あなたたちの旦那さんを完成したアダムとエバがかわいそうにと思って、本当は元はアダムの体につなぐのに、十六歳の良心基準が第二の神の相対であり、絶対的なる良心が神の立場であった者が、堕落してこうなったのだから、完成したアダムが完成基準で、長成(期)完成級から完成期まですべてサタン権限を残してしまったのだから、アダムの上に再びつないでやったので、何千年、何千万年の歴史を通してたくさん生んだサタンの体であったのが、接ぎ木されることによって、アダムの体の延長として子供を生んだような立場の価値を認められることになるのです。


 接ぎ木されて、同じような完成した第二のアダムと、完成した第二の奥さんで、お母様とお父様の第二のアダム、第二のエバとして、そうして、その二人を組んで兄さんの後に弟が、兄さんは真の父母の後に兄弟の夫婦として天に入ることができます。蕩減復帰はこんなに複雑です。こうすれば、サタンは、それについて入ることができません。分かりますか? (はい)。


 血統的純潔で接ぎ木して、本然のアダムの体、完成したアダムの体を残してやったのだから、それを乗っ取ろうとすることはできません。個人から八段階を勝利したその基準にはみなアダム完成権限があるのだから、それに再び侵入することはできないのです。分かりましたか? そういうふうにして、女も、男も、子供もみな完全に勝利することによって、それが一体となることによって、天の地上天国が顕現するようになります。分かりましたか? 中にはこういうふうに、再びお母様の腹に入って、こういうふうになるのが(先生がしぐさされる)「真の父母と重生」という話です。分かりましたか? 真の父母と重生です。分かりましたか? (はい!)。覚えておきなさい。分かりましたか? 重要なことです。(はい!)。お母様の分身であるということが、はっきり分かりましたか? (はい!)。


 これが地上天国です。新しく生まれてくるのであって、サタンとは全然関係がないのです。これは、みんな男を失った者が、天使長と一つとなってきたことをみんな切ってしまってどうするかというと、再び完成したアダムが勝利を接ぎ木してやることによって、第二のアダムとして、第二のお母様のエバとして立っている相対と組んで、堕落しなかった姿で、長男と次男の夫婦が天国に共に入ることができるのです。


 こんなに復帰が複雑なのに、キリスト教を信じていて救われるというのですか? 分かりましたか?(はい)。


 「真の父母と重生」が分かりましたね?(はい)。蕩減復帰によって、こういうふうにならざるを得ないのです(図―1(D)参照)。こういうふうに生まれた場合には(図―1(F)(G)参照)、地上天国です。ここはサタンとは全然関係ないということです。だから、真の父母が絶対的に必要なので、そこに生まれた者は絶対的に神に属することができるということが分かりました。


 それから、第二の旦那さんをいかにもらうかということです。妾の女が再び結婚するには、妾の男が必要です。二番目の男と同じです。それをもらうことで同じ立場で一つになって、長子と次子のカップルとして、神の国に入ることができるのです。分かりましたか?(はい)。



本当の純潔の祝福家庭となるには


 これは話しておかないと、君たちが今からの地上で解決する、直接解決する問題です。問題の言葉です。先生が成し得たすべてを君たちは、こういうふうな戦いの反対、サタンの反対圏内ではなく、歓迎圏内で氏族を中心として回復するようになっているのです。統一教会の真の父母と全世界の女たちが兄弟として、こういうことをなすようになっているのです。それが統一教会で、統一教会の世界本部で、先生を中心に、お母様を中心として、こういう運動がなされていることを忘れてはなりません。


 父母様は絶対必要ですか?(はい)。どのくらい必要か考えているだろうね。「いやー、重生。第二の祝福家庭」。これは原理にないことです。原理タイプに合うようにして、ハンダ付けをして神の国に入るのです。あなたたちは三代を通過しないと、本当の純潔の祝福家庭にはなりません。同じ過去、蘇生、長成、完成期だから、第一次先祖失敗、第二次先祖、第三次先祖の四十年間を迫害したという基準が残っているから、第三代までは忠誠を尽くさなければならないのです。家庭的に、長男においては天使長家庭として忠誠を三代尽くさなければなりません。分かりましたか?(はい)。


 アダム家庭蕩減、イエス様家庭蕩減、再臨の家庭蕩減、三代の忠誠を尽くさないといけないのです。分かりましたか?(はい)。向こうの後ろに立っている者、分かりましたか?(はい)。


 こんなおとぎ話みたいなことを、現実に成していくということです。だから、こういう内容を知らないと、先生が分かりません。先生がいかに必要かということは、こういう内容を知ることによって、いかに必要かということが分かるのです。絶対的か、相対的か、それは君たちが決めるようにするのです。相対的ならば相対の立場に立っても、地獄には行かないのです。中間で待っていながら、何千万年も訓練していくのです。


 そういうふうにやりたいか、積極的に先生の言うように、「ぴゅー!」と、先生と歩調を合わせて一体となっていくか? それは自由です。中間に立って見ながらやるのと、どっちですか? 直接ですか、間接ですか? (直接です)。直接ですか、間接ですか? (直接です!)。直接ですか、間接ですか? 直接を願う者は、手を挙げてみなさい? (はい!)。みんな、欲望ばかりだ。(笑い)ただ、そういうように手を挙げただけで通過すればいいのだね。(笑い)そうはいきません。


 蕩減の過程が残っているのです。イエス様が言うように、「誰よりも愛せ」「自分の十字架を担って、誰よりも私を愛さなければ、私の弟子になることはできない」と、はっきり言っているように、自分の十字架は、各自が蕩減があるのです。先祖が違うと同じようにです。それは歴史的連帯罪とか、自分の直接つくった罪とか、歴史的罪があるのだから、みんなそのレベルが違うことによって蕩減量が違ってきます。分かりましたか? 分かりましたか? (はい)。それを総合的に摂理総決算するには、一六〇軒を早くすることによって、総決算になります。分かりましたか? (はい)。


 第一先祖、第二先祖、第三心情先祖をつないで、自分の子孫たちにも同じ立場で祝福して、それを平面に立たせた場合には、数千代が入籍して大移動が起こるのです。日本人は、エバ国家になっていても、そうなった場合、アフリカに大移動していくのです。それが、統一世界です。全世界に散らばるのです。それで、全世界に先生が早く混じっていくのです。孤独にならないようにです。分かりましたか? (はい)。


 日本人が世界的に混じっていくのです。韓国人も散らばっているのです。韓国人の男も、女も韓国の政治体制の不均衡のためにみな世界に行っているのです。帰ってくればチャンピオンです。だから今から、日本の女を送ります。日本の女を送った場合には、韓国の男を送ります。父母の代わりです。分かりましたか? (はい)。


 日本の男女、家庭的な父母家庭になるのです。未来において、将来、総理になった場合には、男一人が総理にはなりません。それはカイン・アベルと父母が一つになって総理になるのです。夫が総理になった場合には、副総理は奥さんです。それから重要な部署はみな子供たちが治めるのです。そこには暴力とか詐欺は通じません。原理原則を中心としてやっていくのです。そうなると、その家庭には、総理家庭として侍るようになるのです。分かりましたか? (はい)。腐敗した組織体制、政治体制はなくなります。謀略、戦略、戦術でもって、やりくりする国家のように、サタン的手腕でもって悪辣な者が上に行ったり、下に行ったりする、そんなことはできません。原則的な世界に向かっていくのだから、そういう時代になってきます。


 それで、未来にどうなるか分からないのだから、家庭を中心に転覆しなければならないのです。世界が原理的に分かるようになっている統一教会の人たちは幸福です。こういう混乱なる世界を泳いで、自由に花園、彼岸に向けていくらでも泳いでいくことができます。分かりましたか? (はい)。先生に感謝しますか? (はい)。反対したら、「謝感」です。感謝の反対は謝感です。(笑い)君たちは、感謝というが、先生から反対見たら、謝感です。感謝してるの? (はい)。どのくらい? それは表示できません。何千万年の功労が、こんなにたやすく得られるのです。だから、真の父母の心は、いかに投入して、投入して、投入して、無限に投入して、自分の夫を求めてきたという、神様の親の心情で感謝する以外には何もありません。分かりましたか? (はい)。そういうふうに心にとめて、もう時間も過ぎましたね。


④氏族メシヤ  (女性修) 1993.12.20

④氏族メシヤ  (女性修)  1993.12.20


 1993年12月20日 韓国・済州研修院


神の願いは親を訪ねていくこと


 エバは、真の父の話を絶対(視して)聞けばいいのです。(はい)。今、あなたたちの使命を先生がやっているのです。先生が乗っ取って蕩減復帰したので、先生が言うとおりにやるのです。五万人、まずもって完了しました。それは誰も信じませんでした。分かりましたか? 先生が言うのだから、やってみなさい。やってみてから不平を言いなさい。みな日本の輩たちは、先生が命令したら、「日本の現状に合わない」と、みんな足の下に敷いてしまうのです。そんなことでは、ぺちゃんこになるのです。主体を無視する客体はあり得ないのです! 分かりましたか? (はい)。誰が主体ですか? (お父様です)。お父様が主体です。


 日本は国がないのです。お母様は国がないのです。エバ国家がないのです。エバ国家の上に新婦として立つべきなのに、その国がないのです。英米仏。英国の代わりに日本を立て、日本の国をつながないといけないのです。全国がそうなり、女の国教の国になったと同じようにです。分かりますか? キリスト教の国教の国になったと同じように、先生と女だけが完全に一つになれば、男は反対しても、それは自動的に消耗していくのです。










図-1           図-2
















 だから、神様の願いは、親を訪ねていくことです。第一先祖が失敗したことを、イエス様を中心として蕩減復帰しなければなりません。メシヤを中心として、家族基準を中心として、国家基準を願って、それを完成しようとしたのですが、これ(A)も成せないし、これ(B)も成せなかったのです。再臨の主には、一、二、三。全体です。ここを復帰しなければならなかったのです。第一先祖の失敗を復帰しないといけないのです。第二先祖の復帰がこれ(B)です。同じです。分かりましたか? これをこう(A)。これがこう(B)なるのです。分かりましたか? (先生が図―1を書かれながら説明される)


 これが第一先祖、第二先祖、第三先祖です。再臨は第三完成のアダムです。国家的、世界的基準です。これを全部横的平面を中心として、一代完成、二代完成、三代完成です。世界的に、これはこうなってぷーっと押せば、(先生が両手でもって押すしぐさされる)こうなるのです。地上平面に立つのです。分かりますか? アダム家庭も平面で完成基台を願ったのです。イエス様も平面です。平面でなければ、縦的国家を中心として神様が介在することによって、縦的定着期間の基準が狂ってしまうのです。その定着基準は、この中心とこの中心です(先生が(A)(B)の丸を示される)。分かりましたか? だから、これは六〇〇〇年の歴史を通過してきます。六〇〇〇年です。


 これは何かと言うと(先生が図―2を説明される)、第一アダム(A)、第二アダム(B)、第三アダム(C)です。これは神様から見たら、六〇〇〇年かかったのですが、これは第一長男、次男、三男です。分かりましたか? (はい)。これを、縦的な基準がここにきて、ここへずーっと(縦的に下りてきて(D))定着して完成した場合には(D)、第一先祖、第二先祖、第三先祖と、平面圏に(E)伸びるのです。第一先祖はこれです。分かりますか? これは第二先祖です。これを中心としてイエス様です。これが結局、第一、第二、兄弟になるのです。兄弟です。兄弟は平面上に立ちます。分かりましたか? (はい)。


 だから、縦的な六〇〇〇年間、三代の第一、第二、第三の先祖は、神様から見た場合には、三番目は、第一の子供、第二の子供、第三の子供になるのです。それが平面的に、アダム完成自体も平面的完成すべきことが、平面で成されなかったのです。平面になるというと、それは三代が平面で、三人の子供になるのです。兄弟関係になるのです。分かりますか? (はい)。


 平面は兄弟関係です。そうでしょう? 長男、次男、三男です。これは平面的です。これは縦的ではないのです。神様から見ると、神の地上完成を定着した場合には、これをそのまま延長すれば、これ自体を延長したと同じように、歴史的な六〇〇〇年の三代の先祖は、平面的に一度にこういうふうになるのだから、それは三人兄弟の立場に立って一平面圏に入るのです。それを四十年間で蕩減しないといけないのです。一代でもって、父母を中心としての三人の子供が、地上で定着することができるのです。分かりましたか? (はい)。


 そうなるというと、これは第一先祖、これは第二先祖、これが第三先祖になるのです。完成はここでしたのだから(D)、孫の立場が、この三番目です。これは三代から見た場合に、それは孫と同じです。孫の立場が兄さんになるのです。お父さんが二番目になるのです。それから三番目が王様になるのです。完成したのだから、家庭基準ではなくて、世界的です。一代は家庭基準、二代は国家基準、三代は世界基準です。勝利した基準から見た場合には、世界が中心になるのです。世界がお父さんになって、国家がイエス様、国家基準になるのです。アダムが家庭基準になるのです。分かりましたか?


 そうした場合に、勝利圏から見た場合には、全権は長男が持つべきなのに、それを三男が持つようになるのです。だから、三男が全権の兄さんの立場でもって、次男と長男に分けてあげることができるというのです。それで、長男と次男が(先生が図―3を書かれて説明される)こういうふうに祝福されて、次男もこういうふうに分けて(A)、自分の国を同じ立場に立たせてくれるのです。三男も同じくここまで、こういうふうにして、こういうような同じような立場です。同じ価値観で、それは平等になるのです。分かりましたか? (はい)。そういう時代がやって来るのです。


図-3




 それで、一九九二年八月二十五日を中心として、三万双の結婚式をしたのです。その時には、その親は、第一の先祖の立場と同じです。それは第二の親、第三の親になっているのです。こういうように見た場合に、これを勝利した者をみな同じ権限でもって祝福するのです(B)。だから一週間だけ修練すれば、七〇〇〇年の期間を費やして祝福家庭を求めてきた七〇〇〇年の功労、七〇〇年のイエス様の定着、イスラエル民族安着、それから七十年代を中心に、これを七十年で蕩減し、それから、七年の蕩減になるのです。それが一週間に入ってしまうのです。だから、海水が満ちて、それが引いていく時は、その時間的感覚は数分間なのです。そこに立った人は、苦労しなくて平面基準に立つことができるのです。分かりましたか?(はい)。


 その平面基準の表面の権限まで先祖たちを同じに祝福したのだから、それに属する後孫は、自分の父母が祝福されたものを、そのまま相続するようになっているのです。第一先祖圏のその子孫全体は、何千代を並べても、それは父子関係でつながるのです。分かりますか? お父様が無条件に祝福したものは、その子供が無条件に相続し得るのです。こういうようになると、自分の父母を子供たちが、祝福家庭の自分たちの氏族メシヤとして、お父さんお母さんに、三代で、おじいさん、お父さん、兄さんが屈伏するのです。氏族メシヤが絶対に必要です。


 そうすることによって、自分の親をアダムの完成圏の立場に立たせるのです。分かりましたか? 自分の親は何ですか? (アダムです)。堕落しなかった一代の完成圏に立つ氏族メシヤです。



氏族メシヤの三大重要項目


 (氏族)メシヤの重要項目、重要項目。三大要目は何かというと、第一は先祖復帰です。第二は故郷復帰です。第三は神と同居です。氏族メシヤでエデンの家庭を復帰しないといけないのです。分かりましたか? (はい)。


 自分の先祖、自分のお父さん、お母さんを復帰してあげることによって、一族を復帰してあげることによって、アダム家庭が堕落しないで氏族圏を成したと同じような立場になるのです。氏族圏をまとめることによって、家族、氏族、国をつなぐのです。全世界の一六〇か国宣教師を中心として、国の中心は先生になるのです。真のお父様、父母です。祝福家庭はイエス様の立場であり、そのイエス様のお父様が第一アダムだから、祝福された家庭のお父さんをアダムの立場に立たせておいて、アダム家庭を復帰することによって、アダムの時に失った先祖を復帰するのです。分かりましたか? (はい)。


 それから、二番目は故郷がなくなったのです。故郷がなくなったのですから、神様も追放してしまったのです。そのようにして、神様と一緒に住んでいた環境から神様がいなくなって、サタンと住むようになったのです。それを再び整備するために、氏族メシヤは必ず家族メシヤを復帰しなければならないのです。家族の責任は、堕落したイエス様時代の失敗の復帰です。それで祝福家庭は、イエス様が祝福を果たせないで死んでしまったのだから、祝福家庭はイエス様の祝福をなした基準なので、三十三歳にならないと生活できないようになっていたのです。分かりましたか? (はい)。


 イエス様の家庭を完成した場合には、イエス様の先祖がアダムです。アダム先祖に直系的に立つのが氏族メシヤ、自分の父母しかいないのです。分かりますか? だから父母を復帰することによって、氏族メシヤ、イエス様完成、アダム完成になるのです。


 こうなった場合には、この祝福を一週間でやった場合は、それに伴う代々の後孫もみな祝福されるのです。分かりますか? いくら何千代でも、これをつなげて(図―3の(A)参照)父子関係でもって、平面的につなぐことできるのです。だから祝福は、第一代、第二代、第三代を平面的に置いて、一編に祝福してやることができます。分かりましたか? (はい)。


 第一代の自分の父母たちは、統一教会の食口たちを拉致したり、反対したり、サタンのようなことをそっくりやってきたのです。その家庭を完成した先祖として祝福するのです。真の父母という名前のある所には、サタンは関係ないのです。サタン世界をみな勝利してしまったのです。分かりますか? だから過去が整理されて、それから、八段階の現在の全世界のサタンの権限もみな消化するようになったので、過去、現在が清まると、真の父母の名前に属した場合には、サタン権限とは何の関わりもありません。


 サタンの世界は長成(期)完成(級)の基準であって、真の父母の段階は完成(期)完成(級)の基準であり、直接、神主管圏内に入るのだから、サタンとは何のかかわりもありません。そういう基盤が立った場合には、それは、ずーっと復帰されてきた、反対していた者が降りて、蕩減復帰(完成して)聖別することができるのです。分かりますか? 勝利したその者をみな復帰して、サタンをみな征伐し、なくすることができるのです。だからサタン自体も、それを知れば自動的に屈伏してくるようになるのです。分かりましたか? (はい)。



天的入籍の氏族メシヤ


 そういうふうに平面的に見ると、人類というものは、(先生が図―4を説明される)これが宗教圏です。これが非宗教圏です。だから人本主義とか、共産主義とか、フリー・セックスとかはみな非宗教圏です。その宗教圏、非宗教圏は、非宗教が政治世界になっているし、宗教圏は良心圏になっているのです。良心圏を代表した宗教統一が「世界平和宗教連合」であり、その反対に、肉的世界を総合した政治的な世界の「世界平和連合」、先生が内的な宗教と外的な政治世界を握って、これを回れ右しているのです。回れ右をして、方向を一八〇度転換するのです。

図-4



 そして、それが一つになったのです。共産主義と民主主義が一つになったのです。イエス様の死によって、左の強盗、右の強盗の讒訴圏でもって死んでいったことで、世界に向けて戦を展開してサタンの権限で、キリスト教を迫害してきたのですが、再臨の時は再び死なないで生きて蘇ってきたのです。だから、イエス様自体が左翼と右翼を統一し、天下を統一するというのです。カインとアベル、左翼と右翼です。分かりましたか? それを成そうとしたのに、成せなかったことを再臨の世界的な基盤において、民主主義と共産主義の悪辣な最中に収拾していくのです。それからイスラムまで、バラバ圏までを一つとすることによって、初めて回れ右をしていくのです。


 だから、右翼と左翼がこうなって、(先生が両腕を広げてしぐさされる)サタンのイシマエルが前に立って、悪が、サタンが前に立って、キリスト教は後ろに立って、神はその前に立って、それが後ろになった場合には、こういうふうに回れ右をして神の前に、神とキリスト教が一つになって、それから再臨の主が一つになって、右翼と左翼が統一されて、反対圏がなくなったので、全体が神の前に前進することができます。分かりましたか? (はい)。


 だからソビエトに、先生は緊急に手を着けたのです。二年八か月でイエス様がやったようにです。それは反対圏で三年以内に収拾しなければならないのです。だから、「変革の風」を見たでしょう? (ロシアにおける統一運動)ビデオです。それで今や、文先生の思想でなければ、何もやることはできないのです。ひょっとすれば、アメリカよりも先立つのです。なぜかというと、それは放蕩息子や娘が帰ってきた場合のようにです。先生は金日成を放蕩息子として扱ったのです。それで訪問する時は、放蕩息子に対する父母の心情で訪問したのです。だから忘れられないのです。兄弟であれば忘れるのですが、父母の心でもって訪問したのだから、何となく情的になって、そこに根が一体となって忘れられないのです。今、そう言っているのです。だから、放蕩息子を迎えていくので、兄さんたち民主主義が反対するのです。


 そうなると祝福して、放蕩息子に宴会をして、指輪をつけて新しい着物を着せてやると、兄さんが帰ってきて、「自分の罪でこういうことになったのに、放蕩息子の弟に対して何ですか!」「何言っているのか。君の財産ではないよ。お父さんは、君たちが放蕩息子の弟を親よりももっと愛するべきなのに、何じゃーっ!」と、放蕩息子に、かえって全財産が移行していくのです。だから、後の者が先になり、先の者が後になるという、聖書の話のようなことになるのです。分かりましたか? エバもそうです。果たすべき使命を果たせなかった場合には、代理の者が、後の者が先になって相続していくようになっているのです。洗礼ヨハネも、ペテロのように努力する者に奪われていったのです。努力するペテロが洗礼ヨハネの権限を握ってしまったのと同じです。分かりましたか? (はい)。


 だからこういうふうにして平面的に全部同じ立場に立って、家庭的祝福だけを受ければ、家庭出発を神を中心としてつないでおけば、アダムの家庭がサタンを中心に出発したことを、全世界で蕩減復帰して、先生は蘇生、個人復帰、家庭、氏族、民族、八段階のすべてを平定して、垣根を崩してしまったので、ずーっと通じるようになっているのです。先生に連れられて、どこでも神様は往来するようになりました。だから、五十二億の家庭の前に、真の父母の家庭ができて平面的に接ぎ木していくのです。それが祝福です。


 それで新しい国に入る時には、サタンの血統的系列の先祖入籍ではなく、天的入籍をして新しくなるのだから、それには必ず氏族メシヤの一六〇軒の家庭を収拾して、イエス様が一二〇を失敗したことの蕩減をして、世界基準において国家が生まれてくるのです。


 今から、その国家に入籍するには一六〇軒の者を収拾して登録するようになっているのです。その一氏族を中心として、何千、何万の家庭、何十の氏族メシヤが生まれてくるのだけども、それらはみな後孫になっていくのです。そのように平面的になったのを、再び神の国によって、縦的に系列の先祖を後孫までつないでおかなければならない時代になったので、四〇〇〇名以上の者が同じ時に祝福を受けたとしても、同じ日に受けたとしても、それは第一代、第二代、第三代。第一兄さん、第二兄さん、第三の弟というように、平面的に同じ祝福を受けても、国家に登録する入籍の順番は、先祖となり、後孫となるという問題が起きてくるのです。



氏族メシヤと摂理的総決算


 だから、それを解決する秘訣は何かというと、氏族メシヤの使命を着地化させるということです。全世界に発布しているので、全世界が氏族メシヤを中心として、南北統一圏ができた後すぐに入籍になった場合には、超国家的に移動が可能です。


 共産主義は世界的に大移動をして、スターリンは、韓国人でサハリンに行った者や、中央アジアの砂漠に行った者をみな、ほうりっぱなしにしたのですが、韓国人は強い民族なので、その中で部落をつくって中心的な民族として立派な生活をしているのです。大民族移動が可能になります。


 日本がエバ国家になった場合には、韓国と日本の国境はすぐなくなってしまうのです。そして、天使長国家は中国です。中国をアダムとエバが抱擁するようになるのです。分かりますか? そうしたら、天使長は何も持っていません。今そういうような一番最低の位置に立っておる中国を援助して、子供のように抱擁しないといけないのです。そうすれば全世界が、東洋文明と西洋文明が、カイン・アベルが、アベルはアジアの精神的文明であり、カインは物質文明であり、体を象徴するのだから、自動的に中心にアベルが立場に立った場合には、カイン圏西洋文明圏は自動的に東洋で一体になるのです。分かりましたか? (はい)。


 そういうことを中心に、今、内的処理問題に先生は手を着けています。ところで四〇〇〇名が今、氏族メシヤを果たして登録する場合、四〇〇〇段階の先祖として登録するのです。それは同じく祝福された場所でもって、四〇〇〇先祖が生まれてくるのです。大変なことです。霊界に行った場合には、この四〇〇〇の先祖の蕩減が大変です。だから氏族メシヤの権限を早くやれば、全霊界が動員するのです。分かりますか? 特に、善霊界の女たちは総動員しているのです。だから信念を持ってやれば、信念に作用して、すぐに氏族メシヤ権限をもって祝福させることは問題ありません。だから、氏族メシヤが分かれば、みなやってしまうのです。分かりましたか? (はい)。


 このようにすることによって、全世界が「摂理的…」何と言いましたか? (総決算です)。摂理的総決算で、すべてが解決するのです。分かりましたか? (はい)。氏族メシヤを早く入籍することによってです。全世界の統一教会に同じく、氏族メシヤ発布をしているのです。分かりましたか? (はい)。


 それで、国が一つになって登録するには、列をなして大変です。全世界が登録されるのに、十年以上待つかもしれないのです。だから太平洋も、トンネルを掘らないと大変です。日韓トンネルなどです。だから、サタン世界はめちゃくちゃになるのです。

⑤四大心情圏と三大王権  (女性修) 1993.12.21

⑤四大心情圏と三大王権  (女性修)  1993.12.21


 1993年12月21日 韓国・済州研修院


四大心情圏についての公式的な骨子


 四大心情圏について話しましたか? (まだです)。チョークは? (先生が題目を板書される)。これは、何と読みますか? (四大心情圏と三大王権)。何の意味ですか?


 周藤君。(はい)。四大心情圏について、ちょっと話してください。公式的な、骨子だけです。(はい)。よく聞きなさいよ。

 (それでは、「四大心情圏」について、簡単に骨子だけをお話し申しあげます。四大心情圏は、元々神様が創造の理想として持たれた構想理想をいかにして実体化するかという、その基本的な神様の計画であります。そして神様ご自身も、自分の中にいかなるものを持っていらっしゃったとしても、環境という相対圏を持って、その授受作用によらなければ喜びがありません。だから、その爆発的な喜びを経験するためには、どうしても、神様ご自身の性相と形状を実体化しなければならないという基本的な原理があるのです。


 したがって神様は、その中心として人間を創造されました。そして、神様の元々の構想理想では、アダムとエバを、神様の中において双子の兄さんと妹として構想され、それが具体的に誕生して、アダムとエバがこの地上に実体の、子女として展開しました。そして、それがさらに、環境と授受作用して成長して、アダムとエバそれぞれに、基本的に四つの愛、すなわち第一心情としての子女の愛、第二心情としての兄弟姉妹の愛、第三心情としての夫婦の愛、第四心情としての父母の愛という、この四つの心情を完成することを通じまして、それを一点において一挙に完成させて、神様もそこに同時に参加して、爆発的な喜びを体恤するという構想理想を神様は持たれました。


 そしてそのために、まず子女の愛が成長し、そして兄弟姉妹の愛、さらに夫婦の愛となってきますが、その子女の愛、兄弟姉妹の愛、夫婦の愛は離れたものではなく、それぞれ一直線上に連続的に存在するものであります。そして子女の愛の基盤の上に、兄弟姉妹の愛が成長し、兄弟姉妹の愛の基盤の上に夫婦の愛、最後に父母の愛という四つの心情圏が、アダムとエバが初めて夫として妻として一体化する初愛の瞬間に、一挙に完成するようになっていたのです。そのようなアダムとエバの結婚によって、子女の愛が完成し、兄弟姉妹の愛が完成し、夫婦の愛が完成して、さらに父母の愛が出発できる条件が成立するのです。その一点にまた、同時に神様ご自身も降りてこられて、神様も共に同じ経験をするというのです。


 そして、このアダムとエバの結婚の時には、実に全世界のプラス・マイナス、陽性実体・陰性実体が一体となるその瞬間であり、天使界も共に賛美する瞬間であり、そしてさらに、神様ご自身もそれに参加するのです。そのような意味において、神様の性相と形状がその時、同時に一つになるのです。


 しかし、神様の性相と形状が一つになることが内的に優先し、それが原因であり、その結果として、人間のアダムとエバが一体化するというのです。そういう意味において、神様がいつも優先し、先行しますけれども結局、アダムとエバの結婚のその時は、実に神様ご自身の結婚式でもあるのです。そして、その結婚によって、アダムとエバ両者は相互完成して、神様の愛を占領し、同時に神様もそこで完成するという素晴らしい理想なのです。その中心点がすなわち、四大心情の定着点であり、その一点が正に神様の住みたもう場所であり、それが至聖所であり、また同時に三宮すなわち、真の愛の本宮であり、真の生命の本宮であり、真の血統の本宮であるというのです。そこに永遠なる愛というものがあり、神様と人間が縦的横的な愛において完全に一体化して、永遠の基準となり、そこから具体的に神の永遠なる家庭、永遠なる氏族、民族、国家、世界、天宙、地上天国、天上天国が出発するという理想の一点となるのです。


 ですから、その愛の一点こそが重要なのです。しかし、堕落によって、そこにサタンが侵入したというのです。ですから、その至聖所を本当に守らなければならないのが私たちの立場であります。そしてそこから生まれる新しい生命は、神様がアダムとエバを創造した時に投入した基準を経験し、さらにまた神様が人間を愛する愛の基準を、自分の子供たちをすべて無私の愛で愛することによって体恤して、神様と同等の実体となっていくのです。そのようにして結局、人間は見えない神の実体として、第二の神として、第二の創造主としての立場に立つことができるのです。


 こうして神の構想理想が四大心情の定着点において完成するというのです。正にこれは天地創造の秘密であり、そして最高の中心点がその一点であり、それによってこの四つの心情圏が完成するのです。しかし堕落によって、それを失ってしまったのです。ですから、それは真のアダムによらずしてはできず、特に女性は真のアダムを通じて今、初めてそれを復帰できるのです。すなわち、お父様によらなければ、この四大心情の復帰の道がないということです。その素晴らしい恵みを私たちは今、この場所でもって受けているのです。どうも、ありがとうございました)。(以上で周藤先生の説明が終わる)



四大心情圏は、神様の心情圏を完成するための標本


 (先生が黒板に図―1を書かれる)四大心情圏は、(人間始祖が)堕落した以降の問題ではなく、堕落以前の神様の心情圏を完成するための標本です。テキストです。「万民は、こういうような公式的基準によって天国に入る」という、その標準的な公式です。そういうようなことです。神様は無形実体なのです。形は見えないのだけれど、実体を持っているのです。無形実体の神様は、性相と形状をもっており、愛を中心として一つになっていたのです。


図-1


 いくら愛を中心として、その体内で一つになったとしても、心臓の中で鼓動がたくさん動いていても、感じないのと同じです。一つになった場合には、相対的に感じることが難しいので結局、相対的な存在をつくることによって、衝撃を受けるのです。すごく爆発的衝撃を受けるのです。だから、相対と向かい合うことによって、作用が始まり、それがどんどんどんどん深くなって、愛という力が生まれるのです。


 それでアダムとエバは、結局、神様の見えない姿そのものを全体的に表示して、実体化しようとするのが創造の目的なのです。実体化したその目的は何かというと、愛の相対のために、愛を完成するためです。その内的な愛が、外的な相対を中心として一つになることによって、衝撃を受け、衝撃を受けることによって、それは高い喜びを感じるのです。


 結局、神様の見えない実体がアダムとエバによって展開されるのです。そうすると、神様の無形実体内で、神様自体も一遍に大きくなったのではないのです。だんだんだんだんと大きくなってきたというのです。一遍に大きくなったということになれば、それは大変なことになるのです。すべてのものは、小さいものからだんだんと大きくなるのです。


 だから、神様自体がずーっと成長してきた内容を中心に、それをさらに展開しようとするのです。それは子女として、子女の形で、子女の心情、それから兄弟(姉妹)の心情、夫婦の心情、父母の心情という四大心情を中心として展開するのです。神様自体がそういう過程を通過してきたのだから、それを表面的に実体として展開していくのです。それは子女の立場で始まるのです。子女がどんどん大きくなって兄弟(姉妹)になり、兄弟(姉妹)が大きくなって夫婦になり、夫婦関係でもってある期間を通過しながら、父母になるのです。その内容のすべては、神様がずーっと成長してこられた内容を実体的に表示したものであり、だから神様自体が、どのようにして大きくなってきたかということを、アダムとエバを通して実体的に体恤するのです。


 君たちも奥さんになってみて、夫婦生活して、子供を生んでみるというと、その生まれた子供は男であり女であったとしても、自分たちの過去の姿であり、大きくなったお父さんお母さんの第二の表示体として体恤するのです。子供たちを見ることによって、自分の妻が過去にあのようにして大きくなってきたということを知るのです。娘はむしろお父さんに似ているのです。しかし主にお母さんを中心として、再びそれに似せて合わせて見ることができるのです。


 男の子は自分の夫の過去を思い出させるのです。大概、男の子の性格はお父さんに似るし、女の子はお母さんに似るのだから、その子供たちを通して、自分たちの過去を再び展開して感じることによって、自分という実体をはっきり分かるとともに、子女を中心として、その愛の刺激によって、どんどんどんどんと自分の内的覚醒、外的覚醒がなされていくのです。


 子供を育てていくことによって、いろいろと内面的な喜びが拡大していくというのです。そのようにして、人は子供を生んで、それが兄弟(姉妹)となり、家庭においては、兄さんと妹になるのです。兄さんと妹として育って、ここから別れてくるのです。



第一に子女の愛


 神様と子女は二重になっているのです。男と女、二重に展開して別れてくるのです。男は男なりに、女は女なりに完成に向かって、別れた立場で成長していかなければならないのです。女は西のほう(A)、男は東のほう(B)にやって来るのです。(先生が図―1を示して説明される)ここが二重に(C)、神様を中心としてずーっと降りてくるのです。子供を生んで、その子供が大きくなることによって、いつも父母を中心として関係を持つようになるのです。子供は父母によらなければ習うところがないのです。父母を中心として大きくなるのです。お父さんお母さんを中心として、子供たちはすべてを習うのです。だから、大きくなるためには、いつも父母を中心とした関係で成長していくのです。これが幼稚園時代、小学校時代、中高等学校、大学時代と成長していくのです。


 神様の見えない無形実体の中には、第一に子女の愛があったのです。(先生が黒板に図―2を書かれながら説明される)その子女の愛がどんどんどんどん大きくなって、プラスして兄弟(姉妹)愛となり、さらに大きくなってプラスして夫婦愛となり、これがまた大きくなってプラスして父母愛というように発展してきます。子女の愛よりも兄弟の愛が大きくなっているのですが、どういうふうにして大きくなったのかというと、アダムとエバが兄妹愛を考えるとすれば、エバはお母さんが愛するアダムとして、まず、お母さんを中心として考えるのです(A)。お母さんが愛する兄さんにプラス、自分(の愛)となるのです(B)。エバはお兄さんを思う時、直接に思うのではなく、まずお母さんがどういうふうに兄さんを愛するかということを中心として、エバ自体も、それに伴って愛するのです。こういうように、二重になるのです。


 アダムも、お母さんがエバを愛する愛に、自分の愛を加えるのです。こういう関係です。だから兄弟愛は大きくなっていくのです。このようにしてだんだん大きくなって上がっていくのです。兄弟愛の次に、夫婦愛とは何かというと、父母を中心として、自分たちはそれまで兄妹同士としてやってきたのですが、ずっと父母が上がっていくというと、こちらは霊的には下がってくるのです。良心的にはこれで四段階です。これは相対的になっているのです。これはずっと上がっていくというと、これはずっと下がってくるのです。こういう関係です。


図-2



 結局、これを見れば、ここで(C)初めて霊界と二重になるのです。(先生が図―2の縦の二重の点線と線、横の二重の点線と線を示しながら説明される)


 これが子女の愛、兄弟愛、夫婦愛です(D)と。この夫婦愛になるというと、ここを中心として神様が二性性相として一つになって、自分たちを育てたと同じように、父母の立場にある父母の内的性相と形状が実体として成就していくのです。そうなるというと、こちらがこう近づくとともに(E)、こちらも(F)どんどんどんどんと近づくのです。最初には子女の愛、それから兄弟愛、夫婦愛というように、だんだん近づいていって最後にはどうなるかというと、実体的にこれもこうなって、それらがどんどん近づいて、これがみんなこのように合うのです(先生が図―2の中央の(G)に向けて矢印を、上下左右から書き込まれる)。これも下がって、こういうふうになるのです。有形実体がだんだんだんだん上がってくることによって、無形実体もだんだんだんだん下がってきて、上下が一つとなるのです。結局、神様は見えないのだけども、こういうような形で実体を中心として、実体がここで上がってきた場合には、無形実体と合うように近づくというと、アダムとエバも実体的に、こういうふうにして四つが、良心的、これは肉心的に、こういうふうにして、ここ(G)を中心として一つになるのです。


 だから、ここにおいて二重になるのです。これも(上)ここ(下)も二重になって、ここ(G)で全部が一つになるのです。分かりましたか? 神様を中心としてずーっと人間(子女)を成長させて、ここまで(D)(D')を連れてきて、神様の見えない実体がこのように上がっていって、ここ(G)まで戻るというと、アダムは実体として、ここにいて相対的になるのです。ここ(全体)は二重ではないのです。ここ(G)が二重になっているのです。どこで二重になるかというと、これがどんどん近づくことによって、(有形)実体がここ(G)に上がることによって、この見えない(無形)実体は下がっていって、全部が同じように相対的になるのです。こっちから実体のアダムとエバがそこ(G)まで行くと、神様もずーっと上がって、アダムとエバがこっちに来るというと、神様もこっちのほう(G)に来られて、良心基準をプラスとして、マイナスとして一つになるのです。


 これは何かというと、結局、神様の内的な見えない心情圏、四大心情圏なのです。子女の心情圏、兄弟の心情圏、夫婦の心情圏、父母の心情圏が一体どこで完成するかというと、四つが別個に完成するのではなくて、これらを一つにまとめなければならないのです。では、どこでこれを決着させて一つにするかというと、結局、子供の完成を通して、子供の完成は兄弟の完成であり、兄弟の完成は夫婦の完成であり、夫婦の完成は父母の完成となるのです。その完成の終着点、決着点は一体どこかというと、子供を生んで育てる目的も、兄弟を成長させる目的も、夫婦の関係をもって一つになる目的も、みんなそれが別個になっているのではないのです。それを一つにまとめないといけないのです。そこが一体どこかというと、アダムとエバが、結婚するその初夜の愛の関係を結ぶことによってすべてが完成するのです。分かりましたか?



子女愛、兄弟(姉妹)愛、夫婦愛、父母愛


 神様が無形実体として、アダムとエバを教育しながらずーと引っ張り上げてきて、ここまで(図―2の(G)を参照)上がるというと、アダムが実体になって、これがこうなって相対になるのです。これが二重になっていくのです。これが二重です。これは霊的な心、内的な体と同じです。心身一体です。どこで一体になるかというと、ここです。(図―2の(G)を示されて)それで神様はずーっと上がっていって、神様に似た実体として、これは下がってくるのです。こういうようにして、実体の相対になるのです。これ((G)の左側)は心と同じで、これ((G)の右側)は体と同じです。ここで初めて二重になるのです。有形実体と無形実体、良心の立場と肉体の立場とが一つになるのです。


図-3




 それで夫婦の愛というものは、今までの兄弟愛にプラスさせるのです。お父さんお母さんと同じ愛ではないのです。(先生が黒板に図―3を書いて説明される)夫婦愛は兄弟愛よりも大きいのです。それから夫婦の愛よりも父母の愛が大きいのです。これは神様と一つになっているからです。神様と人間が一つとなって子供をプラスさせるのです。夫婦愛に子供が入るのです。子供をプラスさせて、父母の愛になるのです。これは子女の愛に、父母を中心として二重になるのだから、兄弟の愛は子女の愛よりも大きいのです。兄弟愛よりも夫婦愛が大きいのです。夫婦が一体になるのだから一つになるのだから、兄弟愛よりも夫婦愛が大きいのです。それから父母の愛は、その夫婦の愛に子供がプラスされるのだから大きいのです。


 このように、だんだん大きくなっていくのです。そのすべてがどこで結実するかというと、結婚の初夜の夫婦関係においてです。愛を中心として夫婦が一体になることによって、神様が内的に要望した子供の心情、兄弟の心情、夫婦の心情、父母の心情が完全にその一点で結ばれるのです。分かりますか? (はい)。


 夫婦というものは、夫婦二人きりではないのです。このように見た場合には、この連結体です。夫婦というものを考えて見た場合には、自分が神様の娘であるし、また、夫は神様の息子であるというのです。それはまた、神様の子女であるけれども、自分の兄さんであり、自分の妹であり、それが大きくなって夫婦になるのです。ですから、夫婦の愛というのは、兄弟愛とは違うのです。直接、男、女が一つになるのです。男が完成するし、女も完成するのです。兄弟愛は、男完成と女完成にはなっていません。分かりますか? それは、夫婦愛によって、半分半分の男と女が完成するのです。


 兄弟愛では、男、女が一つになることはないのです。だから、愛から見た場合に兄弟愛よりも、夫婦愛が大きいのです。分かりますか? いくら夫婦愛といっても、その夫婦愛には、子供は絡んでいません。夫婦愛の中に子供がプラスされ、子女愛というものが加わるのです。だから夫婦愛よりも大きいというのです。そのような概念を入れなければならないのです。子女の愛の場合には、父母と関係を持っていないのです。だから、それが一番小さいのです。父母を中心としてアダムがエバを考える時、父母が愛するエバに自分の愛をプラスさせるのです。だから大きくなるのです。


 それでエバもアダムを考える時、お父さんとお母さんが愛するアダムの基準の上に、自分の愛をプラスさせるのです。だから子女の愛より大きいというのです。夫婦の愛は兄弟愛よりも、半分半分の男女の完成を結ぶ愛なので、これは、さらに大きな愛です。だから、それは兄弟愛よりも大きいのです。兄弟愛では、男、女の完成はなされません。分かりましたか? (はい)。父母の愛には、子供が入るのです。だから夫婦愛よりも大きいのです。そこには縦的、横的関係が結ばれているのです。


 そして子供を生むということは、神様が創造した時のすべてを体恤するためであり、子供を生むことによって、神様が四大心情圏を体恤したと同じように、子供を生んで育てて、それが結婚まで、二世の完成圏までいくことによって、アダムとエバの時と同じように、子女の関係、兄弟の関係、夫婦の関係、父母の関係を再び完成させなければならないのです。だから、こういうように循環運動をするのです。アダムとエバも、結局子供を生んで、神様が創造した内的心情圏のすべてを体恤するというのです。アダムとエバがそういう心情圏、四大心情を体恤することによって、神様のすべてが完成されるのです。


 そういうような無形実体の神様が、それを中心として性相・形状が長い間、愛でもって一つになっていった時に、それは人間をつくり出したと同じように、夫婦生活を中心として一つになった上に、無形性相の神様の中にある形状・性相が愛でもって一つになって人間を創造したと同じように、夫婦関係は無形実体の神様の性相・形状が愛でもって一つになっていると同じ立場です。その中から時間を経て万物を創造したと同じように、夫婦関係を持つ期間の上で、時間性を経て子供が生まれてくるのです。


 子供が生まれてくれば、実体のアダムとエバは、無形実体の(神様の)性相がアダムであり、その形状がエバなのです。それが一つになったとすれば、それは(神様が)アダムをつくったと同じように、実体のアダムとエバが愛でもって一つになって再び子供を生むようになるのは、神様がアダムとエバをつくったと同じことを繰り返すことになるのです。分かりましたか? だから、神様がアダムとエバをつくる時の喜びを、実体の相対なるアダムとエバも同じように、実体的に子供を生んで体恤するのです。子供を生むということは、神様が創造して喜んだすべてのことを人間に伝授して、体恤させるように授けたことなのです。



人間は神様の第二の相対圏


 子供を生むことによって、女も男もみな非常に立体的な思いをするのです。新しい世界が自分たち二人の中から生まれてくるのです。お母さんとして、子供を身ごもった場合には、もう大変です。立体的な構想、思い、考えが広く高くなるのです。結局、見えない神様のすべてを見えるものにして、全体に展開していって、その相対位置に立てたのは何のためかというと、愛の完成のためです。愛を中心として、神様と相対共に同じ刺激的な喜びを体恤させるために創造したのです。分かりますか? (はい)。神様と共にです。この話は、神様ばかりではないのです。相対的だから、主体と客体が一つになるのです。愛によって一つになった場合には、主体だけが喜ぶのではなく、客体も喜ぶのです。だから神様は主体であって、人間は客体であって、それが愛の相対の立場に立って愛する時には、神様と同じような喜びを持つのです。分かりましたか? (はい)。それを体恤させるために人間をつくったのです。ありがたいことです。


 だから人間は結局、神様の相対者としてつくられたのです。神様はなぜそれを必要とするかというと、前にも言ったように、内的一体圏の愛では刺激を受けないのです。あなたたちも心臓の鼓動をいつも聞くことができないと同じように、外的に一体となれば動きも感動も、外的にそれは体験できないから、刺激的な喜びを拡大させるために、相対的に展開せざるを得なかったというのです。分かりましたか? (はい)。


 結局、夫婦というものは、存在のすべて、過去、現在、未来を完成させるその中心点にあるということです。アダムとエバの完成は神様の完成であるとともに、子女の完成なのです。子女を生んで、また完成体を成すのです。無形実体の神様の中間のアダムとエバを中心として、その子供を中心として、過去、現在、未来の三代圏をつなぐのが夫婦の愛というのです。その夫婦の愛が失敗した場合には、過去の愛の因縁が失敗するし、現在はもちろん、未来の基準も失敗圏に落ちるというのです。


 こうなった場合に、旦那さんは何かというと、神の無形実体圏にあった性相が男であり、形状が女だったのです。その男と女が愛でもって一つになっていた双子なのです。双子だから通じるようになっているし、一つになれるようになっているのです。男、女は別々に生まれても、会った場合には一つになれるようになっているのです。教えなくても一つになるような引力作用があるのです。


 その双子を展開したのがアダムとエバです。神の無形実体圏で性相と形状の一つになっていたものが分かれて生まれてきたのだから双子と同じなのです。旦那さんが元々、双子であったということを考えたことがありますか? そのことを今からは知らなければなりません。ずーっと昔、双子であったのです。夫婦という因縁は、アダム・エバの双子でもって、こういうふうにアダム・エバから始まったということは、これはもう否定できません。それから、その双子が兄妹になるのです。


 神様から見た場合には、それは子女の関係なのです。縦的には神様を中心としての子女関係なのですが、横的に見た場合には、兄妹関係なのです。それが横的に大きくなるために別れていくのです。女の行く道、男の行く道です。女として完成し、男として完成するためには、二人共にいたらいけないのです。別れていくのです。女は女の方向へ、姿を見ても女なりに完成するために勉強し、男は男なりに完成するために勉強するのです。だから、互いに向かう方向が違うのです。男はものすごく外的で、活動的で、それから発展的ですが、女はそうではないのです。内的で、それは活動的ではないし、それは発展的ではないのです。保守的な立場なのです。


 そういうふうにして、だんだん大きくなって、別れていくのです。そこは二重ではないのです。二重の関係は父母を中心としてつなぐことによって、二重になるのです。父母を中心として兄妹は一つになるのです。だから、幼稚園時代から小学校時代、学校によってみんな違うのです。それで、だんだん習っていくのです。そして結局、最後は何かというと、万物をすべて見れば、神様がアダム・エバに発展理想を教えるために展開されたものだというのです。万物を見ることによって、神様が創造した内的な性相が実体圏でもって一つになって、それが一つになることによって、どんどんどんどん、神様の成長してきた創造世界を体恤していくのです。神様の代わりに、みんな体恤することによって、神様の相対圏となるのです。


 人間は神様の大切な第二の相対です。平面的に相対圏として体恤できるのです。そうすることによって、相対の立場で見れば、みんな雄・雌からなっているのです。アダム・エバも当然、雄・雌が愛するようになれば、その相対的万物も愛するようになるのです。「みんな同じことをやっているなあー」と言ってね。だから、アダム・エバの理想を教えるために、理想的環境でもって、アダムとエバに刺激的な喜びを授けるために、すべてのものがみな、雄・雌で愛するようになっているのです。それを見て、アダムとエバも大きくなっていくのです。小さい時は何も分からないのです。そういう雄・雌の愛とか考えは、成熟することによって、「ああ、すべてを見れば男・女、雄・雌として、愛して子供を生むんだなあー」と、みんな習うのです。あなたたちもそうでしょう? 動物がみんな関係するのを見た場合に、「人間も、ああいうふうにしていくのだなあー」と、そういう好奇心からいろいろ聞いたり、勉強したりして、自分もそうなることをみんな考えるのです。


 だから、すべて周囲を見た場合に、アダムとエバも、初めはそう関心はなかったのですが、どんどんどんどんと、周囲の環境から関心を持つように教えられるのです。アダムも考えて、「ああエバも、内緒でもって、自分のあとから文句ばかり言っていたのに、エバというものは、ああいうような雌の立場と同じだなあー」と言うのです。ああいうふうにして関係を持つということをみんな教えられるのです。エバもそうです。「ああいうふうにして、アダムというものは結局、自分の相対になるべきだなあー」と考えるのです。そういうような考えで共に会うというと、昔と違ってくるのです。愛という力でもって、引力でもって、触ってみたり、連れて一緒に行きたいと思うのです。そういうふうに、だんだんだんだんと、一つになるのです。


 アダムとエバもキスしたのだろうね。(笑い)それもみんな、アダムとエバから始まるのです。アダムとエバの始めは神様と同じです。神様が良心の立場で、アダムは肉身の立場です。心身一体となって愛するのです。だから結局、実体の体がキスする前に、心が先にキスするというのです。二重になっているのです。


 結局、神様が二重の向こうで、アダムとエバが大きくなってだんだん近寄っていくというと、神様は下からずーっと中心に上がっていくのです。この実体が下のほうの相対圏なのだから、良心圏は上のほうに上がって、プラス・マイナスで結婚をすることによって、東西南北、前後左右、全部が一つになるのです。だから向こうから、こっちからアダムからエバ、エバからアダムに向かう時に、この上の良心も二重になるのです。そこから二重に始まるのです。(先生が両手でもって、しぐさされる)分かりますか? (はい)。



神様だに愛には絶対服従する


 ここまでは二重ではないのです。ここ(二一九ページの図―2(D)(D')を参照)に来るまでは、二重ではないのです。こちらから、こうなるというと、こうなるし、点が生まれてくるのです。そうすると、神様はここから無形実体で、子供を引っ張って、こっちから成熟して、ここまで(図―2(G))来た場合には、良心圏はこういうふうにして、神様はこういうふうにして(図―2の中央を大きなカッコで囲まれる)待つのです。待つ所にアダムとエバがこういうふうにして(図―2(G))に来た場合に、初めてドッキングするのです。


 心身が一体になるのです。だから、結婚の初夜というものは、神様の子女としての心情圏が完成するというのです。あなたたちも、父母としてそうでしょう? 子供を生んであなたたちも、その子供を育てていって、結婚させないと、完成したとは言えないのです。結婚でもってみんな完成するのです。


 だから父母の愛というものは、自分たち、男女二人だけではないのです。一家を代表し、一族を代表するのです。一族の過去、現在、未来の全体が入るのです。結婚して愛で結ばれるということは、神様の娘、神様の息子として完成していくことです。(その愛は)自分が持っているのです。だからそうなるというと、神様が、子供を愛する愛も持っているというのです。分かりますか? (はい)。兄弟愛、女として兄さんを持っているということは、神様が家庭において兄さんを愛する愛を持つように、すべてをつくってあるのです。分かりますか? 夫婦として愛し合うところには、旦那さんを神様が愛するという、つまり旦那さんの愛とともに、神様の愛が加わっているのです


 父母の立場で、自分の旦那さんがお父さんになっているとすれば、その中で子供を愛するとともに、自分の夫、旦那さんを愛するのです。二重の愛を自分が持つのです。そして、だんだんだんだん、プラスさせて、愛の圏を所有するようになるのです。そうすることによって、神様の全体の愛の内的、見えない素性を外的に見えるものとして、完全に受けもったのが旦那さんであり、奥さんであるのです。分かりますか?


 それで、離婚するということは、すべてを破壊させるのです。神様の愛する子供の愛とともに、神様の愛する兄弟愛、兄さんの愛、それから夫の愛とお母さんの愛、夫と子供の愛をみんな一遍に崩壊してしまうのです。大変なことです。それでも離婚ということを考えられますか? そうした場合には、離婚した場合には、エバと離婚したとすれば、男はどこへ行きますか? それは、心が定着する基地が完全になくなるのです。それは、神様の息子としても落第生だし、兄さんとしても落第生だし、夫としても落第生だし、父として落第生です。「夫をそんなに惨めにさせることのできる無情な女ですか!」と言うのです。


 男もそうです。神様の娘をあんなにぺちゃんこにして、妹をぺちゃんこにして、自分の愛の相対もなくなって大変なことです。子供を持たない時は、みんなぺちゃんこにしてしまっているのです。定着する基準が全然ないのです。さまよって、その姿も、形も、一方向きりで、止まるところがないのです。地にも定着基地がないのです。空に浮かんだ雲みたいに、風が東から吹けば西に行くし、西から吹けば東に行き、東西南北へ、浮いて回るような姿です。どこに定着しますか?


 だから夫婦の愛というものは、こんなに重大な問題なのです。夫婦の愛を結ぶということは、男女のすべて、子供から、兄弟から、それはもうすべて死ぬまで、幼いころから死ぬまでのすべての関係です。男関係、女関係です。社会の心情関係もすべてが備わっているのです。それが離婚すれば、みんなめちゃくちゃになるのです。結婚している者は手を挙げて! 旦那さんに対して、そういうことを考えたことがありますか、ないですか?


 愛が絶対になるには、一つしかないのです。二回求めてやることはできません。一回でもっておしまいです。それが絶対になるというのです。絶対自体は最初であり、最後なのです。神様は絶対なるお方だから、神様は有りて有る者であり、初めであり終わりなのです。その神様の愛の相対として定着する瞬間が、夫婦の愛を結ぶその瞬間なのです。男、女が愛の関係を結ぶことです。あなたたちもそうでしょう? 女として、男として、知り合った場合には関係を持つのです。関係を持ちたがるのです。そうでしょう?


 その門を初めて開くのが、結婚した最初の夫婦関係なのです。そうなれば、旦那さんのすべては女(妻)のものです。体から一切全部が女のためにつくられ、女のために生まれてきたのです。また、女は男のために生まれてきたのです。自分を主張する何ものもありません。


 愛を中心としては絶対服従です。いくら喧嘩をするようなことがあったとしても、愛を超えるものはありません。愛を汚す者は宇宙にないというのです。分かりますか? だから夫婦喧嘩で、愛を汚すようなことをしてはいけないというのです。喧嘩をしても、離婚とかそんなことを絶対に考えてはいけないのです。喧嘩は悪いことであり、サタンの行動のつなぎだと思うのですが、それが神様の愛を破ることにはならないのです。いくら血を流してもぶっかけ合っても、別れるということは駄目だというのです。喧嘩というものは、悪いことですが、悪が善の最高の位置にある愛を崩壊させることはできません。どう思いますか? いくら喧嘩をやっても、愛の心でもって平和を保てるのです。だから夫婦共に争うということで、愛の道を破壊することは絶対あり得ないのです。


 神様だに、愛には絶対に服従します。現代の神学の観点と、統一教会の先生の話す観点は違うのです。神様は絶対全能なるお方だから、愛を自由自在にすると思っているのです。愛までも屈伏させて、愛をけ飛ばしたり、投げたりすると思っているのですが、そうではありません。絶対なる神様だに、絶対なる愛には絶対服従するというのです。そうでなければ、神様は愛の相対をつくる必要はありません。刺激を受ける実体をつくった以上は、神様自体内で刺激を受けない愛よりも悪い結果になるのです。そうなったら、そんな創造などしなくてもよかったという結論になるのですから、自分がなしたことを後悔するということは、神様は絶対的な立場に立ち続けることはできないという結論になるのです。分かりましたか? (はい)。


 神様だに、愛の前には? (絶対服従です)。なぜかというと、愛というものは相対から来るものだからです。神様がいくら主体だといっても、相対がなければ、自分一人では愛を得ることできません。愛は相対から来るものだからです。その愛をもらうには、愛は流れるものだから、もらう所に下がらなければならないのです。分かりますか? 侍らなければならないのです。だから神様だに、絶対なる愛の前にはどうするかというと、愛は相対を通して、刺激として流れるものだから、それをもらうには、その下のほうに立つことによって、愛を受けられるのです。みんなもそうでしょう? 男もみんな、女に対して好きだった場合には絶対に服従します。(笑い)


 「何を言ってもやります」と言って、もう最敬礼でも、何でもするし、礼拝でもするというのです。それはなぜかというと、高い愛は相対からも来るのだから、それを願うのだったら、低いほどよいのです。だから愛の関係を持つ時は、共に敬礼して、敬った立場で愛さなければならないのです。どうですか、皆さん。


 それは敬礼をしなくても、心の中でちゃんと有り難く思いながら、「あなたがいなかったら自分はどうなるのだろう」といつも感謝しながら、つきあわないといけないのです。それを遊び半分にしたり、方便として関係するのではありません。自分の発展のためにするのです。分かりましたか? (はい)。愛の道を高次元に高めるために、そういう関係をするのです。だから関係する時には、日本のために愛するとか、世界のために愛するとかすれば、本当に、その中から日本が生まれてくるのです。世界も、その中から生まれてくるのです。神様の子供も、その中から生まれてくるのです。そうですね? (はい)。


 これは大変なことです。そんなに貴重なものを持ったとは思わなかったですね。(笑い)本当です。それで、いつでも座る時には、みんな聖別して座らなければならないのです。王宮、三大王宮の本郷地なのです。それで、みんな座る時には、聖別してちゃんと座るのです。勝手に座ってはいけないというのです。そんなにして生きてきましたか? かわいそうに、手荒に扱ったり、無価値のものとして扱ったので、泣いたでしょうね。それが泣くのだから、心身共に泣くのです。あの部署が喜べば心身共に喜びます。そうですか? 先生の話が合っていますか、どうですか? 合っていますか? 夫婦生活もうまくいかなかった場合には一週間もひびくのです。


 そんなに見ないでください。これは元の世界の教育です。堕落した世界ではないのです。この真の夫婦というのは、堕落以前の世界の神様の直轄圏でもって、サタンのいない所でいう話です。夫婦関係というものは偉大なものです。偉大なものです。偉大なものです。それはなぜかというと、それが一つになるというと、宇宙が震動するのです。神様がそれを愛するからです。そんなに価値のある人間であるということを考えてみなさい。そういうような思いを持って生きる人になったら、自動的に周囲から尊敬されるのです。このように、人間の価値が乱れるようなことはないのです。そのような尊いものもみんな失ってしまったのだから、動物扱いをするのです。だから、失ったすべてのものを再び挽回することによって、その尊い価値の生活がもとがえされるのです。分かりましたか? (はい)。



絶対信仰を持つこと


 それを蕩減復帰というのです。復帰しなければならないのです。その世界に再び帰るには、蕩減しなければならないのです。蕩減は反対です。悪魔が上で押しつけるのだから、反対にこれをずーっと抜き出さなければならないのです。それでサタンはすべてを持っているのです。家庭から氏族、民族、国家の巣を持っているのに、神様は何も持っていないのです。サタンの主管する国家基準を超えないというと、サタンはいつでも殺すことができるのです。


 そう見た場合に、神様がこのサタン圏内に入って、働きかけることは難しいのです。だから信仰、絶対的信仰が必要なのです。もしアダムとエバが絶対的信仰を持っていたならば、堕落しなかったのです。この地上において、サタン圏においては、絶対的信仰を持つことによって、アダム・エバを神様が自由に訪問して関係を持つと同じようになったのですが、絶対の信仰を持たなかったために、堕落圏が生まれてきました。分かりますか? だから絶対的信仰を持たないというと、堕落圏内にあるので、神様はその人に対して干渉することができません。もし、それができるとするならば、堕落する前にちゃーんと干渉して、堕落させなかったのです。そういう原則を中心として、サタンと神様が働きかけるのです。それは一般の人は分からないのです。そういうことが分かりますか? (…)


 絶対的信仰が必要です。神様を絶対信じる信仰を持った場合には、自分の生命がふっ飛ぶようなことがあっても、生命がふっ飛ぶというのは、サタン圏の生命のことです。サタンから継続された生命です。それを否認する以上の信仰を持った場合には、堕落しなかったアダムとエバを神様が自由自在に干渉して引っ張ってあげたと同じように、悪魔の堕落した世界圏内でも神様が干渉して働きかけることができます。分かりますか? 信仰基準がなかった場合には、それはできません。完全にサタン圏内だから、サタンがどうしようとも、干渉することができないのです。もし、干渉するとするならば、堕落の時に比べられて、長成(期)完成(級)基準では神様も干渉することができないようになっているので、すぐに讒訴されるのです。その圏内ではいくら殺してもいいし、神様も干渉できないのです。


 堕落とは、アダム・エバが死ぬ瞬間なのです。その死ぬ瞬間にありながらも、それを堕落しないように、それを守れなかった神様は、サタンがいくら殺したとしても干渉することはできません。たった一つ干渉できるのが絶対なる信仰なのです。分かりますか? 絶対信仰です。それは、みんな原則的に悪魔サタンと条約を結んだと同じようなことで、この条約に違反した場合にはサタンのものになるし、条約に合った場合には神様のものになるのです。だから祭物をさせて、条件の分け合いをするのです。


 真心をもって祭物を捧げて、神様がそれを受け取った場合には、サタンはそこからずーっと離れるのであり、真心を尽くさないで、神様がそれを受け取らなかった場合には、それをサタンが受け取るのです。はっきりしているのです。だから、絶対なる信仰が必要なのです。神様と共に生きることです。分かりましたか? (はい)。


 男女の愛がいかに偉大なものかというと、今までは、これはもう一番悪いことのように思って、三宮を破壊してきました。神様の愛の基地、神様の生命の基地、神様の血統の基地をみんな破壊してしまったのです。そのようなサタン世界の愛の関係というものは、悪魔の愛の関係であり、それで悪いことになっているのです。夫婦関係自体、結婚すべて、神様は喜ばないのです。独身生活をすればいいのです。独身生活をして、子供をたくさん増やしてはならないのです。堕落したアダムとエバが独身生活をして子供を増やさなかったらば、こんなに長い何千万年もの歴史はいりません。すぐに復帰できます。


 ですから真の父母が、神様の創造理想、四大心情圏を完成するために愛の相対圏をつくろうとして創造されたそのすべてを、神様を中心として成し遂げたのです。神様の目的の完成のためです。人間の目的ではないのです。分かりますか?(はい)。



相対は主体を喜ばせること


 神様が愛というものを中心としてつくったので、愛の相対は自分より高くなることを願うのです。そういう基準において、人間の価値も、元々は神様の愛の目的のためにつくられているのです。第一原因は神様なのです。分かりますか? 神様を喜ばせないといけないのです。相対は主体を喜ばせなければならないのです。なぜかというと、神様は何もない相対を自分の基準以上に上げようとして、どんどんどんどん投入したのだから、投入したものを返さないといけないのです。そういう面で、客体は主体のためにすべてを尽くさなければならないのです。同じく投入しなければならないのです。だから最初に投入したのが神様であり、すべての主体ですから、その主体が最初に喜びを得ないといけないのです。分かりましたか? (はい)。


 だから愛の問題も、生命の問題も、血統の問題も、神様を中心に第一主義として尊重するようになるのだから、愛の関係を持った場合には、その生命も神様につなぐし、愛も神様につなぐし、血統も神様につなぐ時、その相対が自動的に自分につながるのです。分かりますか? (はい)。


 あなたたちは兄弟として、父母の子供として、女として、生まれて育って、それでお嫁に行った場合には、自分の縁をみんな切っていくのです。父母の子女として生まれて、家庭内で兄弟としてずっと大きくなっても、女は別れていくのです。お嫁に行って、旦那さんの家系に入って考える時には、自分の兄さん、自分の本家には兄さんがいるのですが、それを忘れないといけないのです。絶対に自分の旦那さんを中心として、兄さんより以上に愛さないといけないのです。自分の故郷を振り返って、兄さんたちへの思いを持ってはいけないのです。一切を忘れて、忘れて、そこで生まれたことも、みんな自分の本家で忘れたと思うように考えないといけないのです。だから自分一人で勝手に、自分の本家や親族を、旦那さんとか家の人に相談せずに助けることはできません。


 女は男の相対としてつくったのです。そのような相対をつくった主体圏には神様もいるのです。大元がそこにいるのです。だからお嫁に行った場合には、神様と旦那さんが、大元が、長男と父が一つになって、自分を愛するのです。アダムは横的であり、お父さんは縦的関係です。だから舅をめちゃくちゃにすることはできません。神様の代わりなのです。自分のお父さんもそうです。神様の代わりです。そこに差異を持ったら駄目です。アダムの家庭のアダム・エバは差異を持つようになっていないのです。たった一つの家庭だからです。エバは家庭が二つになっても、差異を持つようになってはいけないのです。お嫁に行った場合には、それは向こうの人であり、向こうに接ぎ木された者は、行ったり来たりすることはできません。分かりましたか? (はい)。


 お嫁に行った女たちは、別個の生活をして、自分の本家を助けようとして、袋を隠し持つようなことがあったら大変です。本当です。自分の旦那さんや舅さんと相談してやればいいのです。それは、自分の相対の家庭です。旦那さんの家庭は主体、自分の家庭は相対の関係として扱ったらいいのです。全体でやるのです。自分一人でやったら、法的に引っ掛かるのです。それが分かった場合には、舅も旦那さんもみな、一家が喜ばないので問題になるのです。そういう原則がはっきりしないので、めちゃくちゃになっているから、それはもう大変です。どこのどんな土地がいいか、どんな土地が悪いか分からないのです。こういう原則のテキスト・ブックです。原則を分かるように、ちゃーんとしているのです。だから将来は裁判長も必要ないのです。家庭問題は、この原則によってすべて収拾可能です。


 国家もそうです。国家も、王様を中心として、閣僚たちもみな同じです。この原則で、国家も一つの最高の家族と思うのです。王様と女王様を中心として、それは家族と同じです。この原則によって合わなかった者は、すべて処理することができるのです。分かりましたか? (はい)。分かりましたか? (はい!)。


 自分のいかに尊いものが取り戻されていたかということを発見しましたか? 宇宙の、見える世界と見えない世界が、そこにおいて占領されていくのです。見える世界は旦那さん、見えない世界は神様です。そうでしょう、分かりますか? 女のそのものは、旦那さんのものであり、神様のものです。男もそうです。男のそのものは女のものであり、神様のものなのです。そんなことを考えたことはないでしょう? 地上天国、天上天国はそこから始まるのです。君たちの子供もそうです。同じことです。子供を生んだ場合には、地上天国の子供、天上天国の子供、アダム・エバの子供、何ら変わりはありません。同じ価値の子供を生まなければならないのです。分かりましたか? (はい)。男も女も、そこに侍りながら生活しなければなりません。


 しかし堕落した結果、すべてがめちゃくちゃになっているから、いくら男女関係が千年万年続いても、堕落血統内でやっているので神様とは関係ありません。神様も永遠に処罰する行動なのです。だからサタンは、すべて男女関係でもって崩壊し、めちゃくちゃにするのです。地獄です。地獄に落ちてめちゃくちゃになるのです。そして天国から永遠に離れてしまうのです。神様が復帰しようにも、探しても分からないように、何もできないようにしてしまうのです。分かりましたか? (はい)。


 だから方向転換をするのです。こう行った者が一八〇度転回しても別に変わりません。行動は同じ行動であっても、立場が違うし、方向が違うのです。それは南北の韓国を例に挙げれば、境界線を中心として、線を引かれていても、それは見えない線なのです。細い線の中間がまだあるのです。だから、別に変わらないのです。二つに割ったような立場であり、割ったものは、こっちのものも変わらないのです。



四大心情圏は愛のテキストブック


 だから愛といっても、天国の愛が別に変わるのではないのです。サタン世界の愛の行動と同じでも、感じるその深さが違うのです。アダムは、蘇生、長成であり。神様は蘇生、長成、完成です。長さが違うのであって、行動は同じです。だから、今までの男女関係はみんな悪いというのは、神様が関係することができないからです。分かりましたか? (はい)。


 原理の観点から見たら、真の父母を中心とした、こういう原理の内容をテキスト・ブックとした一体圏の愛というものは、サタン世界にはなかったのです。全体を代表した立場で愛しているのです。一族全部が、少年から、青年から、壮年を中心として老年に向かっていくその過程において、みんな愛の関係でつながっているのです。それは方向が違うだけであって、姿は同じです。だから、いかに方向転換をするかということです。分かりましたか? (はい)。


 ですから血統が違ってきたのだから、血統を転換した場合には、別の世界になるのです。血統が違うというと、それは東洋人は東洋人の血統があり、西洋人は西洋人の血統があるように、それが違っていくのです。サタンの血統と神様の血統として、違っていくのです。


 そう考えれば、女というものは尊いものですか、でたらめなものですか? 何があるから尊いのですか? 女としてのそれがあるからです。そこは、男の代表と神様が共に訪問するようになっているのです。それは本当ですか? 原理から見ても、それはもう避けることができないのです。だからエバは、それで長男と神様をだましているのです。そうなっているのです。エバのそれを失うということは、長男を痛めることであり、お父さんを痛めることです。アダム破壊、神様破壊です。不信感があるからです。父子をだましたからです。そうでしょう。長男とお父さんをだましたので、それを破壊しているのです。


 それが何かというと、内的なお父さんと外的な長男です。それが女を中心として、一つになるというのです。だから女の愛には、人間の愛と神様の愛が訪ねてくるというのです。男に対してもそうです。それは神様の二性性相の性相です。形状は女の姿です。神様の無形の形状です。実体のエバの形状は、旦那さん(の性相)と同じです。相対なる女王様が、長女が訪問するのです。だから結婚は男占領とともに、神様占領なのです。男占領のために自分が完成されるし、神様占領のために人間もそれ以上望めない。絶対の希望なのです。男女完成とともに立体的な完成を願うので、立体的な完成までも成されるというのです。だから、結婚は神様と宇宙を占領するためであるというのです。皆さん、そう思いますか? そんなこと知りませんでしたね。(笑い)落第品です。(笑い)


 これは重大な問題です。四大心情圏で、四大心情の花が咲くというのです。だからそこには、子女が植えられ、兄弟が植えられ、それから旦那さん、夫婦が植えられ、父母が植えられるのです。そういうふうにして、二世はそのとおりに大きくなって、同じように何代も繰り返すのです。公式的に、みんな神様の型と同じようになるのだから、みんな神様の子女として、神様の家族になるのです。真剣な話です。若い女の子たちはこういう話を聞けば、幸福です。そのように生きたとしたら、大変なことです。


 こういう観点から世の中を見た場合に、サタンも話にならないのです。サタン以上です。そういう者に、自分の一身を裸にして任せるということは――。何の話か分かりますか? 何の話か分かりますか? 重大な話です。君たちには想像もつかないような話です。歴史以来初めて教える内容です。


 だから、四大心情圏を完成することによって、自分も子女を愛することができます。子女を教育することができるのです。それは兄弟を教えることを主体として、夫婦は、子供を結婚させてやることによって、訓示することができます。自分がまた父母になってみて、自分の孫を教育することができます。それは、別個に別れてはいません。全部が一遍に決意すれば、それはすべてが種からずーっと芽が出て、そして、大きくなって一生涯のすべてが縮小して入っていくと同じように、愛という圏内には、子女、兄弟、父母のすべてがつながっているのです。ですから、四大心情を体恤しないというと、人間として、男、女として、完成した人間にはなりません。分かりましたか? (はい)。


 それがくっつくことによって、神様の友達になり、神様と一体になるのです。四大心情圏が何か分かりましたか? (はい)。愛のテキストブックです。祝福家庭は、愛を毎日、毎日、吟味しながら、その境地に向けて修養し、自分の欠けた所をみんな調整しながら、あれの一体圏になって、あの門を通過しなければ、神様の前に出ることはできないということです。


 そういうふうに考えれば、自分たちの夫婦生活はどうですか? それは、話にならないね。この基準で考えた場合に、自分たちの夫婦生活というものは何の価値もないのであり、神様から見た場合には、砕いてしまいたいような、悪いことをやってきたということです。それが分かりますか、分かりますか? (はい!)。分かったと言う女の子たちは手を挙げてみなさい。(はい!)。後ろのほうはどうですか? (笑い)


 それで、みんなその基準に一致するように努力しないといけないのです。真剣なことです。「いやあ! 男はそんな立場か? 女はそんな立場か? 神様も完成し、人類も完成する!」。そうでしょう? それが本当だったら、大変なことです。神様であるからあんなことを考えるのであり、平等な神様だからあんなことを考えるのです。あなたたちは先生の話を何でもないように聞いているのだけど、その内面を打ち明けた場合には、大変なことがたくさんあるのです。さあ、これは難しいことだけど、努力してあの基準に到達するように努力いたしましょう!(はーい)。はーい。ありがとう。(笑い)


 まあ、先生一人によって、こういうことが発表されることによって、全世界が影響されることを考えてみなさい。家庭内に影響されて、大変な革命が起きてきます。先生だに、この問題を中心として通過しなければならないのです。だから文先生、真の父母はいったい何かというと、神様の子女として、心情的に完成したものでなければならないというのです。そういう面で、お母さんに聞くのです。「あなたは大丈夫ですか?」と。(笑い)お母さんはお父さんに「大丈夫ですか?」と。それに及ばなかった場合には、「共にあすに向かって発展しましょう!」と。そういう励ましをして、その家庭で、どんなに難しくても、あの踏み台を踏み越えなければならないのです。


 だから真の父母になるには、神様の子女としての子女圏の完成体に、家庭内の兄弟としての兄弟圏の心情完成体に、夫婦においての心情完成体に、父母においての心情完成体にならないというと、真の父母になることはできません。分かりましたか? (はい)。


 ですから一心不乱に、共に協力して、その目標に向かって突進しない以上は、いい加減にはなされません。精誠を尽くすことによって可能になる道です。分かりますか? (はい)。だから旦那さんというのは、この現代世界の愛の王様です。そんなことを考えたことがありますか? 真剣なものです。みんなそういうような立派な旦那さんを願いませんか? (願います)。みんな、そうなっているのです。願う必要はないのです。そうならなければなりません。みんな、そうなっているはずです。真の愛に関係して、神様の血統を受け継いだとするならば、そういうようなことは教えなくてもなるようになっているのです。堕落したから、こういう教えを強調して、それに向けるように鞭打ちながら、追っていかないといけないのです。それは悲劇です。それは喜劇でなくて悲劇です。分かりますか? (はい)。では、奥さんは旦那さんの何ですか? 愛の女王様です。みんな、そう願うのです。みんな、「あなたの希望は何か?」と言うと「女王様になりたい」と。女王様になって何を言うか! 国ではないのです。ナンバー・ワンは愛です。全部、そういう欲望以上の基準に立つことができるようになっているのです。分かりましたか? (はい)。


 人間の欲望、欲心は、もう絶対に夫婦完成をしないと完了できないというのです。もう既に完了された立場に立っているのです。先生が、こういうことを知ってがっかりしました。数十年の努力したことが、水泡になってしまったのです。みんな持っているものも外国を回って、宇宙を回って、天宙を回って、苦労したことがしゃくにさわってくるのです。もう、がっかりしたのです。堕落はこんなに恐ろしいものとは分からなかったというのです。全部、神様は授けています。そうでしょう。第一創造主が、人間を第二創造主として、子供を生ませることを通して、第一の創造主と同じような価値圏に置いたことは有り難いことです。


 さあ、四大心情圏が何か分かりましたか? (はい)。もう、それ以上は言わなくてもいいでしょう。(はい)。言いたいことは、たくさんあるのですが時間もないのです。



氏族復帰の命題


 人間の欲望すべてが、その基台、その基準において完成されるということです。それ以上の野望、希望はないのです。そうなれば、それは幸福ですね。それ以上の幸福はないのです。愛の王様と愛の女王様になるのです。自分の旦那さんは愛の王様であり、自分は愛の女王様です。それ以上は何もないのです。だから人間の欲望は即、自分に結ばれるようになったのです。それが分からなかったのですが、今はもう分かりましたね? (はい)。誰によってですか? (真の父母によってです)。真の父母ですから、真の愛の伝統を教えてあげなければならないのです。これを汚さないように、あなたたちに伝授してあげるのです。千年万年、後孫が幸福になるようにして、愛の王家の華々しい家系を残していくのです。そういうふうにしたくないですか? (したいです)。


 愛の女王様にみんななるのですね? (はい)。神様もそれを願うのです。あなたたちの後孫がどんなに幸福か考えてみなさい。「神様より以上、自分の父母のほうを愛します」。それでいいのです。神様より以上崇拝すると言っても、神様はそれを感謝します。自分のつくった手本がこんなにも歴史を超越して、実感として効果を成していくとはね。だから、そういう立場には信仰もいりません。分かれば宗教もいりません。たった二人で何万点です。ですから、完成期を中心としてつくったアダムとエバには、宗教も何もありません。学校も何もありません。自動的に習わなくても分かるようになるのです。こういう文明圏が、アダム・エバのその境地に到達するようになっているのです。真の愛は知らないことがないのです。真の愛は関係しないところがないのです。分かりましたか? 真の愛の元を適用すれば、すべてが解決していくのです。その愛の体験を忘れないようにしてください。分かりましたか? (はい)。


 あなたたちは夢でも、忘れない夢があるのです。それは自分の生涯に絶対必要な夢です。忘れる夢があるし、忘れない夢があるのです。それをずーっと活用して、自分の生涯にいかに適用されるか研究して統計を取りながら、自分の将来を正していかなければなりません。神様は必ず教えてくれます。統一教会の先生、父母は必ず教えてくれます。それはいろんな幻の中とか、夢の中とかに必ず現れて、その場合には自分のためであるということを思うのです。初めは話をしないのです。後ろ姿が見えるのです。それは信仰が遠いという話です。それで、笑いながら話しかけるような境地まで発展していかなければなりません。そうでない場合には、遠い立場にあることを示すのです。そういうことを体験を通して、はっきり分からなければならないのです。だから父母様に会ったりした場合には、それは良いことか悪いことか、表情で見分けなければならないのです。必ず教えてくれるようになっているのです。だから、成約時代は侍ることによって救われるのです。


 これが分かった場合には、先生はいりません。共にそういう夫婦になったとするならば先生はいりません。そういう自分の生きる環境をつくって、そこに住めば、地上天国、天上天国が自動的につながるのです。それでいいものを持った場合、神様に何の功なしにもらったのだから、自分たちも功なしに授けてやるのです。それは自分の親近の人からです。先生はこういう立派なものを持ちながら、自分の親近の者に対して、伝道することができませんでした。君たちは先生に対して氏族復帰という命題を持って立っています。先生はカイン・アベルを愛してから、全世界を超えて勝利圏を得ないというと、自分の一族を率いることができません。それは聖書の本然の教えです。カインが服従しないと、アベルは殺されるのです。いつも不安です。だから自分の一族が問題ではないのです。世界が問題なのです。


 先生のお母さんと先生の兄さんは立派な信仰者でした。啓示を受けて、弟がいかに有名になるか、それだけを信じていたのです。たくさんの兄たちや弟たちがいても、世界中で自分の弟が一番であるという、それだけしか知らないのです。それが啓示されて、それ以上は教えてもらえないのです。自分の弟が何者か分からないのです。先生はそれを成して教えているのです。分かりますか? 聞いて教えるのではなく、成して、完成させて、教えてあげなければならないのです。


 アダム完成は、神様の子供と共に完成した上でもってです。そこで、すべてアダムという価値が決定します。それと同じように、完成圏に立つアダムとして、地上のサタン世界にそれを正すには、自分が成し得ないでは、サタンは屈伏しません。分かりますか? それは、でたらめなものではありません。だから先生の話を聞くと、心から忘れることはできないのです。いつも心を占領しています。それは大変です。統一教会に入って、原理の話を聞いて興奮して体恤したその思いは絶対なくなりません。外に出ていっても、それは生きているのです。それが生きているから、先生が現れて、いつも関係を持つようにコントロールするのです。だから大変です。


 そうかといって、自分の一身体面上、反対した者は、ただ来るということはできません。口を開いて反対した場合には、それを取り消さないというと、良心は許しません。「この野郎! 何だ!」と。だから歴史上で、たくさん統一教会に入って、出て消えていった者たちは、先生を見るとみんな隠れてしまいます。何でそんな隠れることをしたのですか? また反対する者たちも、先生が前に来た場合にはみんな逃げていくのです。だから、悪辣なサタンもそうです。反対しながら逃げていくのです。正面から会って、自分で言うことはできないのです。


 こういう話をするのは、きょうで、もうこれが最後だからです。きょうで、五万一千八百名が完了するのだから、これで終わりです。あすになったら、君たちは、もう修練会はないのです。あすになったら、二千名の済州島の人々が集まるようになっているのです。


 今度、帰ったら何をしますか? 今、先生が話したことです。君たちは幸福だというのです。自分の親、自分の兄弟と抱き合って、痛哭しながら、この道を行かなければならないのです。それを語るのです。先生はこの道を探すために、痛哭した道がいくらでもあったのです。韓国では、冬になれば服の真ん中に綿を入れるのです。北韓なんか寒いから、そういう着物を着るのです。それが涙で濡れたのです。それを絞ると、水が落ちるようだったのです。そういう道を通過しないと、真理を探し出すことはできません。


 また、長い時には十七時間も祈ったのです。十二時間は普通だったのです。今はもう、祈祷する必要はありません。みんな分かってしまったから、成すことが忙しいのです。世界に相対圏をつくるので大変です。それで相対圏をつくって、先生の生涯の内で悪魔が数千年間、神様に背を向けて三宮を迫害してきたそのすべてをストップさせたということは、それは話にもならない奇跡なのです。分かりますか? それで先生に対して、すべての霊界がみな地上に向けて敬拝するのです。イエス様とか、孔子とか釈迦牟尼とかがです。この真の父母は一人しかいないのです。永遠に、過去にもいなければ、それはたった一人しかいないのです。分かりましたか? (はい)。


 そういう意味で、君たちが統一教会に入って、ふらふらしながら反対して、ほうぼうを回りながら、口々にいろいろと悪宣伝する者はどうなるか考えてみなさい。その先祖がみんなやられるのです。霊界では、後孫が反対することによって、先祖がみんなやられるのです。それで霊界に行ったら、どうしますか? 先祖が悪魔扱いをします。「この野郎! 先祖の功労によって統一教会に入ったのに、迫害して何だ!」と。総理大臣も、それは国家から預けられた祝福だけど、もし過った場合には牢屋に入るのです。即時にです。それと同じことです。総理大臣だからそうではないということはないのです。分かりましたか? (はい)。


 帰ったならば、自分の一家を早く収拾しなさい。先生はご父母様の墓の前に立って、「故郷に住んでいる北韓の二千万人を救って再び参拝するその時までは、まだ時が違います」と言ったのです。それを必ずやるというのです。先生には先生なりに、行くべき道があるのです。皆さんは帰ったならば、自分の親族圏を早く収拾していくのです。先生一人がそんなことはできないのです。しかし、君たちが父母、親族を解放することによって過去のつらさを、天はそれによって慰めるというのです。それが天の心です。自分の一代ではなく、全体が救われるという思いは、時を超えても同じです。分かりましたか? (はい)。


 だから長子権復帰を今、分かって、氏族復帰時代が来たのだから、真の父母の絶対権限を中心として、一直線に切ってしまうのです。親族解放を早くする方法は、いくらでもできます。自分が立って話をするのです。「こういうような道を、こういう内容の道を我々は辿ってきたのです」と。分かりましたか? (はい)。


 本当に、兄弟のために痛哭する時代になりました。真の父母のために、世の中のサタン圏内で一生の間にいかに傷つけられても、生涯を行っているということは大変なことです。こういう心情が分かった場合には、それが解放圏になるのです。いくら厳しくても、落第するようなことはありません。先生の生涯がそうです。個人的に見れば悲惨な生涯です。しかし、行くべき道は一つしかないことを知っているから、他のことは考えられません。


 そういうふうにして、ここまで上がってきました。日本も今、大変でしょう。五万人も済州島で教育したということで、みんな変わっていってしまったね。来た時の女と、帰る時の女とは違っていますか、同じものですか? (違いました)。本当に違ったのですね? (笑い)


 これで完全に頭が占領されたのですね。(笑い)それは、占領されていいのです。それ以上のことはないのです。向こうの悪魔が占領したのを神様が再び占領するのだから、元に返ることになるのです。元に返るのです。理想の国、理想の世界です。そこで理想の王様に侍りながら、万年、万々歳を叫ぶようなことになるのです。それは不幸ではありません。分かりましたか? (はい)。


 先生の生涯は、そのような苦労の道を克服してきました。悲惨な道をね。それは、先生よりもっと悲惨な神様を知っているからです。神様を知ったのだから、そういうふうにして行きましょう。そういうようにしたいという者は手を挙げてみなさい。(はい!)。ありがとう。



三大王権から縦的天国と横的天国が生まれる


 四大心情圏は、もう分かりましたね。次に、三大王権です。これは簡単なものです。これが、(先生が黒板の図―2の周りを何度も円で囲まれる)こうなれば球体になるのです。これが楕円形になったのだから、球体です。こう見た場合には、(先生が黒板に図―4を書かれながら説明される)神様、アダム・エバは、過去の創造主、現在の創造主、未来の創造主と、こうなるべきです。この縦的な結合を平面的に回すというと、(二五二ページの図―5を参照)こちらが神様の立場で、こちらが現在、こちらが未来です。なぜこうなるかというと、平面的に過去、現在、未来がやって来るからです。そう見た場合には、ここが神様の立場、これはアダムの立場、これは子女の立場です。分かりますか? これは縦的な立場で、これはアダム・エバを中心とした横的立場です。


 こう見た場合に、これが一つの家族に、おじいさんがいるし、これは父母です。アダム・エバには(真の)子供はいなかったのです。分かりますか? アダム・エバの子供はいなかったのです。だからアダム・エバは、創造主の体恤した喜びを相続できませんでした。子供がいなければ大変です。それでアダム・エバが子供を持ったような立場で話をするのだけど、本当は子供がいないのです。そうなるというと、これは神様です。現在、未来になるのですが、未来がなかったのです。分かりますか? 神様は、おじいさんを象徴します。一番年寄りのおじいさんは誰ですか? (神様です)。


 だからおじいさんの根っこというか、穂先というか、それがつながっているのです。自分の家庭に、天国の代表、神様の代わりとして送られてきたのが、おじいさんです。これが堕落しなかったとするならば、アダム家庭が王様になったとするならば、おじいさんは王様です。そうでしょう? アダムは現代の王様、子女は未来の王様です。そういうふうになるのです。


 だから王権を中心として見れば、過去の王権は神様なのです。アダムが現代の王権を中心として、これが一つになって、そこから移動していくのです。神様につくられたのですが、天国に子供として生めるのは二番目なのです。そうなって結局、王子たちを連れて天国に入るのです。実体世界で子供を生んで、永遠なる不滅の理想世界に移動していこうというのです。その神様の本然の世界がいかに素晴らしいか考えてみてください。全知全能の神様として、そこにすべてを備えているのです。


 霊界に行けば、そこは時空を超越しているのです。時間と空間を超越しているから、何千年の前の歴史が今なのです。何の話か分かりますか? 時間を超越しているから、何千年の歴史も今なのです。だから空間の無限の星の世界もみんな現在なのです。遠くないのです。分かりますか? 自分の感覚圏内にすべてが収まるのです。


 だから愛を中心として成そうとすれば、それは無限の世界を凌駕するのです。目の前で見るような思いで命令すれば、どこでも可能なのです。自分の家が、済州島にあったのだけどこっちに来て住んでいるとしても、何千万マイル離れたアメリカであっても、家を持ちたいとなれば、済州島の家がすぐそこにあるのです。分かりますか? 遠い所でもすぐそこにあるのです。そういうような便利な所であり、距離の感覚がないのです。空間の感覚もないのです。だから膨大なあの星雲世界、あの銀河世界も自分の一日の生活の庭園と同じなのです。


 それを考えてみなさい。だから果たせないことがないのです。そこには、車が必要ですか? 考えてみなさい。考えるよりも愛がもっと速いのです。そういう便利な世界です。そういう世界が分かった場合には、この地上には未練がないのです。制限や限界内で生きた者が、限界を超えて無限界の活動舞台に拡大するということを考えてみれば、それ以上素晴らしい、それ以上の出世はないのです。ですから、死ぬということは悲しいことではありません。分かりますか?


 そういう所へ行ってみたいですか、みたくないですか? (みたいです)。行ってみたければ、今晩でも死んでみなさい。(笑い)本当です。すぐに分かるのです。先生の言ったことを実感するような世界が生まれてきます。だから、よく準備して、完成して、あの世界に入らないと大変です。それで、美人たちが困るのです。自分の顔が天国より美しいと思うからです。自分が博士号をもらったことが天下最高、国よりも尊いと思うのだから、話にもならないのです。だから世の中では、末の時代には自分が最も愛する、最も貴重に思うものが、自分の行くべき道を妨げる第一の条件になります。


 これからは、世界が回れ右をします。一般の人々は回れ右の仕方を知らないのです。回れ右した場合には、自分がどういうような列に立つかということを知らないのです。それを知らないといけないのです。だから、地上における生涯は、あまりにも短いのです。先生からすれば、短いのです。先生が今、二十代だったら、今からの世界はいかばかり変化していくことでしょうか? ここまで来る年齢を費やしたとするならばね。世界が反対したのだからこうなっているのです。もし反対しなかったならば、天下は変わってしまっているのです。地上天国はできてしまっているのです。今教えているすべてのものは、もうみんな準備されているのです。今の氏族メシヤも、あの当時の全キリスト教界の信者が一つになって、全教会のクリスチャン十億以上の人々が氏族メシヤとして派遣されたと考えてみなさい。すぐ天国になるのです。分かりましたか?


 おじいさんは神様です。だから神様を象徴します。そしてアダム・エバは現代です。これをずーっと直系につなぐのです。これは縦的直系と横的直系としてつなぐのです。ここから縦的天国、横的天国が生まれてきます。分かりましたか? (はい)。横的にしたのは(先生が図―4の中央の横の線を示されながら)地上天国になり、これは(先生が図―4の中央の縦の線を示しながら)天上天国になるという意味です。横的に回してやれば、神様がこうなって、こうなるのだから、(先生が図―4の中央で十字を示される)これは永遠に続くのです。そうして、三代が一つのカテゴリーです。これは切り離すことができません。分かりましたか? (はい)。


 おばあさんたちも、三人が一つにならなければならないのです。おばあさんのおばあさん、そのおばあさんです。それから娘とか、嫁とか、三代が一つです。(先生が図―5を示されながら)切ることはできません。これは、直線を引くというと、一つ、二つではないのです。必ず水平線になるのです。垂直には水平線があるから三点です。一点、二点、三点。水平に引いても、一点、二点、三点です。それを切ったら、みんなめちゃくちゃになってしまうのです。分かりましたか? (はい)。



天国に通じる道


 三代を中心としてなぜ組むのかという問題になった場合には、これ一つでも切ってしまったら成立しません。だからこれを切って合わせることによって、それは構成されて完全なものになるのです。ですから、こう見た場合に、一、二、三(横的に)。一、二、三(縦的に)です。兄弟を中心に一、二、三とみんな三点でつなぐのです。蘇生、長成、完成と同じです。ですから一族において重要なのは、おばあさん、お母さん、奥さんです。この三代です。三代の子供が未来の奥さんになるのです。この三代が一つにならなければなりません。そこで一番重要なのが、おばあさんではなく、お母さんなのです。だから、その家ではお母さんを中心としながら、(自分の)奥さんが一つになっておじいさんを神様のように侍る伝統を立てなければならないのです。だからおじいさんの命令には絶対に服従しなければなりません。なぜかというと神様の代わりだからです。


 それを木に例えれば、年寄りが一番大きな木です。次がお母さん、自分の奥さんは三番目です。木は年がたてば、年輪が多くなるのです。太くなるのです。だから山では太く大きい木が主人です。分かりますか? これは、三つを切ることができないのです。三代が一つの家庭に住まなければならないという原則になるのです。東洋の家族はそういうような形式になっているのだけれど、西洋の家庭は縦がないのです。西洋文明というものは縦がないのです。これは外的、物質文明です。心的文明、精神的文明ではなくて体的です。横的は体を象徴します。


 こう見た場合に、統一教会では、おじいさんを神様のように侍った場合には、そのまま天国に通じます。そういうふうに侍って生涯を過ごした者は、霊界のどこに行っても邪魔なしに入れるのです。分かりますか? この基準が三代王権になっているから、王様みたいに侍れば、無事通過です。それから、自分のお父さんお母さんは、過去の王様を代表としているのです。アダム・エバは、現代の五十二億すべての家庭を代表した家庭です。だから現代のすべての家庭の中の王様、女王様が自分の両親です。代表しているという場合には、それは全体の中心になるのです。誰でも全体の中心、全体の最高の者になりたいと思うのです。ただし、それは代表した立場をいうので、代表するには全体においてあがめられ、尊敬されるような立場に立たないというと、全体を代表することはできません。


 オリンピックのチャンピオンなんかもそうです。マラソンで日本と韓国の選手が競争して、日本は負けましたが、それは国全体を代表していたのです。全体が一つです。そういう関係を持った者が代表です。それを、普通の人は、自分がそういうことをしないで、ただ代表を願うのですが、そうはいきません。そういうふうに、投入して投入して、頂上の山を自分がつくらなければいけないのです。その頂上に自分が立った場合には大変なことです。そのような基台をつくらなければならないのです。基台をつくらないでただ代表を願うのは泥棒です。分かりましたか? (はい)。だから、自分の家庭のお父さんお母さんは何かというと、王様と女王様です。全世界を代表した家庭の王様と女王様です。


 では、お父さんお母さんにどういうふうに侍るのかというと、全世界の家庭を代表した王様、女王様のようにです。それは本当です。地上天国の王様なのです。そうでしょう? 地上天国の中心の家庭だから、王様の家庭なのです。分かりますか? (はい)。おじいさんは天国の王様、それから自分の父母は地上天国の王様です。それは、みんな君たちもそういうようになりたいと、良心が願うのです。そのような代表的な立場であることを忘れたら駄目です。そういうふうに、地上に住んだ場合には霊界に行っても、その基準は平面的に同じ価値基準にみんなが、なるのです。同じ天国です。分かりましたか?


 これは地上天国、これは天上天国です(先生が図―4を示し説明される)。これは未来の天国です。未来は、天上天国と地上天国が合わさって、希望を持つのです。合わさった二つの国を相続して、未来の立場に立つというようになっているのです。だから神様にも自分の現実の父母のように侍らなければならないのです。神様は、永遠の国の王様の立場に立っているから、もっと尊重しながら侍らなければならないのです。そして、自分の親も神様と平等な立場で侍らなければならないのです。分かりますか? そういうように侍らなかった場合には、地上、天上両天国を相続することはできません。


 これは、アダムです。アダムは(真の)子供がいなかったのです。アダム・エバに子供があった場合は、こういうふうに天上天国と地上天国の二つの天国を相続するのです。そうでしょう? だから子供が一人であっても、その子供はお母さんの愛の結実体でもあり、お父さんの愛の結実体でもあり、二人の愛の結実体です。それと同じです。おじいさんと子供がそういう相対関係になった場合には、そういう二つの天国のすべてを相続して生まれた子供と同じだから、二重の価値を抱えているのです。分かりましたか?(はい)。


 だから、王権の生活をして、三大王権の心情を相続しなければならないのですから、必ず神様を霊的代表として、おじいさんを天の王様みたいに、自分の親は地上の王様みたいに侍ることによって、一体になっていけば、その王族は自動的に子孫に伝来していくのです。これが伝来すれば、それが循環運動でもって、こういう線が円形になって大きくなっていくのです。分かりますか? 点は同じです。一家庭から氏族、民族、国家に拡大していくのです。循環運動をするのです。こういうふうにして、王権が世界に拡張することによって統一の世界が成されるのです。それは、この三大王権の伝統的家庭の標本を拡大したものであって、標本の元というものは、本然の中心家庭であったというのです。これは拡張した内容です。


 だから、こうすることによって三大王権ができるのです。三大王権は、決して四大心情圏を除いてはできません。分かりましたか? (はい)。夫婦生活も同じです。おじいさんも夫婦生活、お父さんも夫婦生活、自分も夫婦生活、未来の後孫も夫婦生活、四大心情圏の上にこのような連体関係をもってなすのです。今まで夫婦生活は連体関係を持っていません。関係を持ったとしても、中心とか、上とか、下の関係を持っているだけです。一組の夫婦でよかったのですが、これから関係を組んで完成することによって、天上、地上、いずこにおいても自由の王権の権限をもって、生きることができるのです。分かりましたか? (はい)。将来は王権になるのです。民主主義は兄弟時代だから、ぶっかけ合うのです。


 さあ、これで四大心情と三大王権を終わりました。だから、夫婦生活は夫婦二人ではないのですね。分かりましたか? (はい)。それは、王権を相続する基盤なのです。それを果たせなかったら、王権も何もないのです。天国へ入るには、王権を相続して入るのです。


(全員起立。お父様に敬礼します)。(ありがとうございました)。(拍手)

⑥-1 現地の整備  (女性修) 1993.12.21

⑥-1 現地の整備  (女性修) 1993.12.21


 1993年12月21日 韓国・済州研修院


絶対信念、絶対信仰に立つ


 きょうで最後ですから、こういうような仕上げをしておかないと霊界も整頓されないのです。地上の事情を整理しなければならないのです。


 結論として先生が一言残したいことは、精誠を尽くして、真なるものを植えた場合には、その結果がどうなるかというと、それは間違いなく世界中のどこででも、その収穫が得られるのです。君たちは日本国内で精誠を尽くしてきたのですが、周辺では誰も知らないし、日本の国も知らないし、誰も分かってくれなくても、真なるものを植えた場合には、世界のどこででも収穫されるのです。分かりますか? (はい)。ですから、心配する必要がないというのです。


 先生が修練会において、そのような一念で精誠を尽くし、真を尽くした場合には、その収穫は日本の国を越えて収穫されるのです。先生のアメリカでの三十四年間の活動も、すべての精誠を尽くして、真なる実を植えたので、アメリカが歓迎しなかった場合は、必ず他の国々で収穫できるのです。それは南米とか、ソ連とかです。ですから天に向けた自分の忠誠心は、永遠に実るものであるという信念を持たなければなりません。分かりましたか?(はい)。


 あすは、ここに二〇〇〇人の済州島の人々が集まるのです。それからあさっては、お母様がこちらに帰ってきます。それで一九九四年の一月一日には、お母様の世界的な講演の成功を祝う祝賀会とともに、五万人修練会成功の大歓迎会を準備しているのです。ですから君たちは、今から何をしましょうか? 一時四十分まで(時間が)あります。


 (先生が黒板に題目を書かれる)これは何ですか? (現地の整備)。現地の整備です。今、日本に帰れば、すぐにも問題になることがいろいろあるのですね。それは、旦那さんの問題とか、姑さんの問題とかです。真剣な目で(皆さんの)周辺では、「ああ、あの奥さんは頭がおかしくなってしまった」とか、行く先々でいろいろな噂をされているのです。町ならば町なりに、部落ならば部落なりに、いろいろな噂をされているのです。五万人が済州島に行って、そこでレバレンド・ムーンに教育されたということが、全国的に知れわたっているのです。政府のほうでも、「みんな修練に行って感化された者たちが、日本の地に帰ってきて、自分の親近の者に涙を流しながら済州島の修練会に参加させる競争をするので、韓国の政府に働きかけて、何とかそれを防ぐ方法として文先生に働きかけて、制御することができないでしょうか?」と言うのです。しかし、政治と宗教は分離しているのです。


 ですから、みんなが知っているように、政治の力が宗教に加わったら大変なことになるのです。そういうことはできないことです。そういう検討をして方針を出したので、日本全体が問題になっているのです。分かりましたか? (はい)。このような噂には、絶対に流されてはいけないのです。それは宗教を知らない者たちの考えです。


 君たちも体験して知っているように、宗教というものは、一般の団体の結合体とは違うのです。お金を中心として結合した組織とは違うのです。統一教会は、霊的現象を中心としてつながっているのです。人間の力以上の縦的な力でつながっているのですから、人間がいくら切っても切っても、流れる水道の水と同じなのです。パイプを切ってしまったからといって、それで止まるものではないのです。水が下に流れるのと同じように、霊界が強く干渉するのです。それ以上の力でもって援助するのです。ですから、宗教は迫害の時に発展するようになっているのです。それは歴史的なことなのです。宗教は迫害があればあるほど発展するのです。


 そのように見た場合、日本の全国的な反対は悪いことではないというのです。本当に信じる者は、本当にかたくななのです。深い根を下ろすためには、いいチャンスなのです。深い根を下ろして、周辺の反対圏をずーっと押しのけて膨張拡大していった場合には、すべてを乗り越える力が、そこから生まれてくるのです。


 ですから、宗教の分からない人は、迫害すればそれで終わると思うのですが、そうはいきません。宗教は迫害されることによって、逆に発展していくのです。なぜかというと、サタンが攻撃する以上に霊界が援助するからです。信者たちの信仰が固くなるし、強くなるのです。今まで以上の絶対信念に立つというと、神様が力を尽くして環境を押し出すのです。絶対信仰という、いくら反対されても問題にしないところには、神様が本当に背後から援助して、勝利の道を行くように押し出すのです。そういう信念を持って、今の日本の現状、噂の(悪い)台風が吹き寄せるようなことを、もっと(逆の)台風になるように、全国的にいかに転換するかということです。それは口で言うとともに、文章でもって連結させなければなりません。



全国的な御言のブームを起こす


 ですから、お母様の演説文を各家庭ごとに分配するのです。また原理(講論)の本を三十冊以上、毎日一冊ずつ貸し出すのです。それに、ビデオテープとか、いろいろなカセットテープなど、材料はいくらでもあるのです。それらを活用して、各自が周辺に配るのです。


 五万人がそういう材料を持って十人ずつ伝道すれば、一日に五十万人になるのです。一日に五十万人だったら、五十万人の百倍は何人ですか? 十倍で五百万人、百倍で五千万人です。それが、三年たてば、一億人を超えるのです。そう考えると、簡単なことです。


 それで、一人がビデオテープを持って周辺の村々を十軒ずつ巡回しながら、見せていけば感動するのです。ソ連の学生の運動や合同結婚式の映画などを見せた場合には大変です。そういうものを親近関係にずーっと回して、一人が毎日十人ずつ伝道して見せてあげるというと、一年以内に、日本一億二千万人は復帰され、一年三六〇日がたったら、大変なものです。八か月で、みんな終わってしまうのです。ですから、五万人が結束するということは大変なことです。


 それで一年間、そういう決心をすれば、できないことは何もないのです。十人ずつ、そうすれば、ある所には何百人、ある所には何千人も集まるのです。ですから、そういう数字を中心として、みんなが感動するような結果をつくっていくということを考えれば、それは問題ないことです。それから、君たちが原理の内容を語る力を持った時には、恐ろしいことです。このような者たちが動き出した場合には、いっぺんで日本は落ち着くのです。分かりましたか?(はい)。


 それを、今から男たちまでもがやったと考えてみてください。夫と共にそうやった場合には、自分の親近の家族の中には、父母がいるし、兄弟がいるので、その三人を復帰したと考えてみてください。三人を復帰した場合には、問題は何もありません。三人から援助してもらうとすれば、一〇〇日間に日本全国民はみな、私たちの本や講義など、いろいろなものを見ることができるのです。そうなれば「反対せよ」と言っても反対できないのです。


 反対するのは分からないからです。ですから、五万人が結束して、全国的なブームを起こして、北海道から鹿児島まで往来して、上がったり下がったりした場合には、日本はみんなきれいになってしまうというのです。それは難しいことではありません。一人一人が全体を考えれば大変だけれど、分配すれば大変なことではないのです。分かりましたか?(はい)。


 何人を感化させることができるか、自分みたいな人を使った場合、もし一〇〇人の友達があるとするならば、一日でいいのです。夫婦共々に決意した場合には、一〇〇人が問題ではないのです。


 これを原理から見た場合に、今は長子権が復帰されているのですから、成約時代は絶対的な可能圏の始まりなのです。それで、自分よりも年下の弟や妹を引っ張りだこにして、「何が悪いのか! 聞かないで、この者! 聞くだけでも聞いて、調べもしないで反対するとは動物よりも悪い!」と言うのです。万物の霊長として、人間として、自分の兄さんや姉さんのやっていることを聞いてみないで、調べもしないで反対するとは、そんな常識外れのことはないのです。そんな態度は、この世界では通じません。自分の兄さんや姉さんに対して、誤解してきたことを悔い改めさせなければなりません。「あなたよりも、社会的にも豊かな経験でもって、この道を求めて献身してきたのに、何も知らないで、座っていて何だ!」と、談判するのです。分かりましたか? (はい)。


 お母さんやお父さんにも談判するのです。旦那さんにも談判するのです。(正しいことを)証明しなければなりません。「誰から聞いたのか?」と、言った者を連れてくるのです。第一人者、第二人者、第三人者まで、どんどんどんどん連れてくるのです。そうなった場合には、二人、三人と詰めていかないうちに「自分が悪い」と言い出すのです。それは、間違いないことです。


 これまではずーっと黙っていたのですが、黙っているのは愛でも何でもないのです。自分の威信、兄としての威信を固めて、周辺の妹や弟を愛する時にこそ、その愛が成立するのです。何の威信も権威もないところで、いくらやってもそれは実りません。


 サタンもそうです。悪魔というものは力があればいつも攻めてくるのです。それを知った以上、力がついた場合には、もっと攻撃してくるのです。そうすれば、完全にこれはもう弱くなってしまうのです。分かりますか? 戦略を組むのです。五万人の一人一人が、そういう決意をするのです。自分一人で難しい場合には、二人でやるのです。二人でやった場合には、それは二分の一です。四人でやったら四分の一で、十人でやった場合には、それはどんどんどんどん減っていくのです。


 これまで語ったように、一人が一〇〇人を集めて、友達や親近者の組織体系をつくって、いろいろな催しをするのです。そのようにして一〇〇人のグループを組んだとすれば、一年で復帰できるのです。そのように分化して、細分化して、責任分担を分けてやれば、全国はそう難しいことではないのです。分かりましたか?(はい)。


 成約(時代)の三年以内に、完全に都市のすべての家庭を訪問するのです。全家庭を訪ねると、その中で歓迎するのが何パーセントかすぐに分かるのです。第一回、第二回と、半年ごとに回った場合には、統一教会に対するパーセントもはっきり分析することができるのです。そういう現状と環境を、はっきりと知らなければなりません。


 今からは、そういうふうにして、あなたたちの基盤をつくれば何でもできるのです。この済州島もそうなっているのです。県には県の議会があるのです。それは、国会と同じなのです。中央政府の直轄下にあるとしても、県は県なりにすべてを計画してやっていくようになっているのです。ですから、その県の議会に入るのです。「自分はこういうような素晴らしい統一教会である」と言ってです。


 統一教会は、素晴らしい武器を持っているのです。原理以上の武器はありません。それで打てば、打たれない者はいないという、強大な力を持っているのです。考えてみなさい。共産党は、共産主義理論を中心として、一九七三年には世界を風靡して、自分の執権下に世界をまとめてきたのですが、そのソビエトも四泊五日の修練会で、共産主義を捨てて神様を信じるようになったのです。(原理は)そういう恐ろしい力を持っているのです。



原理の本をマスターする


 君たちは原理の価値を知らないのです。今でも、そのことを先生は言い続けているのです。壇上で原理の内容を講義することを誇ってはなりません。読んであげるのです。それが立派な講義なのです。何の話か分かりますか?(はい)。十人でも五十人でもいいから、部落全体の人々を集めて、堕落論だったら堕落論をずーっと読んであげるのです。


 自分が講義できないということを嘆く必要は全くありません。本を読んであげるのです。本を一〇〇〇人に貸し出したとするならば、その一〇〇〇人を集めれば、何でも本でもって教育できるのです。それから、先生の説教集もあるのです。日本も翻訳をしていますか?(はい)。その題目を中心として、「自分は、御言のどこまで読みました」と言うようにするのです。また、そのような題目だけをまとめた本(文鮮明先生御言選集総目録Ⅰ~Ⅲ)もあるのです。その本を見て、適当な題目を選んで読んであげればいいのです。それで全体を解説していくのです。そういうようにして、本でもって教育していくのです。


 小学校にも中学校にも教科書があるように、教科書を中心として、それに関係のある参考書を用いてやった場合には、一人でも勉強することができるのです。みんな人でもって教育して、全世界の要員をつくることはできません。共産党は本でもって世界を七十年間もリードしてきたのです。私たちもそれを考えなければなりません。


 ですから、高等学校以上を卒業した者は、みな問題ありません。本を読みながら、質問に応じて内容を解説してあげれば、それが立派な講義になるのです。そうなれば、五万人がみな講師なのです。この前、先生がチェックしたところ、日本で二十一修の講義に責任を持てる者は何人かというと、四十七人でした。それは、罪悪です。罪です。そんなことでもって、日本が発展すると思うのですか! 原理の本を棚に置いて、ちりに染まるようにしておいて、二十一修の修練を終えたからといっても統一教会の正式の信者ではありません。四十修が終わればおしまいなどと、そんな馬鹿なことはないのです。それは、原理の本を解読し初歩の知識を紹介することなのです。問題は原理の本をマスターしないといけないのです。ですから、みんなが講師にならなければなりません。五万人がそういうようにやらないといけないのです。分かりましたか?(はい)。


 最初は読んであげればいいのです。十回、二十回、三十回と読んであげれば、立派な講師になります。そういうふうにして、模範講義をするのです。二十一修の講義も、そのような、原理の本を読んだ実力の上でやった場合には、一、二回でもって、すぐにその内容をキャッチして、堂々と壇上で講義するのも問題ありません。分かりましたか?(はい)。


 これから、あなたたちが集まって大衆を指導するようになると、噂になります。「いやー、この本がそんな内容とは知らなかった!」と。それを聞いた者がみな感動するようになっているのです。(この)世界にはない言葉なのです。すべてが、神学界にあった内容ではありません。全部が新しいものなのです。図書館にもない内容なのです。分かりましたか?(はい)。


 ですから、今からは本を中心としてやらなければなりません。みんな三十冊を持つようになったのですから、三十冊を貸し出した者に、みんな電話して来るようにするのです。三分の一が来たとしても、十二人が集まるのです。そのようにして、一か月間貸し出しても読まない者は、本を回収していくのです。一日に一冊ずつやれば、三十日間で三十冊できるのです。周辺からずーっとやるのです。電話して、その内容や感想を聞きながら、難しいところはさらに読んであげて指導していけば、自動的にだんだんだんだん増えていくのです。分かりましたか?(はい)。


 そういうふうにすれば、立って講義するよりも座って読んであげるのがもっと効果的です。共に読みながら勉強するのです。そのようにして、十人、二十人とやった場合には、その中に優秀な大学を卒業した人、あるいは有名な博士がいた場合、すぐに理解する範囲が大きくなるのです。そうなれば、その人を中心として、その人が責任を持つように、解説をするように指名するのです。どこどこを読んで、その内容を話すようにするのです。そのようにすれば、日曜日の礼拝の代わりに、それが説教になるのです。


 そのような形式をとって教会体制を早く、全国に二万か所以上準備しなければならないのです。それが先生の計画です。だから、短大以上の卒業者を緊急に、再び八日から教育するようになっているのです。その人を、二万か所の教会の責任者として立てて、先生のいうとおりに講義できる力があった場合には、本を読んであげながら指導するので、各自が本を三十冊買うようになっていくのです。そして、貸した本をみんなが持って集まるようにして、そこで読んであげるのです。そのように読んでもらうことによって、関心を持つようになるのです。そのような人は、絶対に落ちません。


 本でもって理解した人は、一人になっても絶対に落ちません。いくら原理を聞いても、本を読まない者はみな忘れてしまうのです。自分が、だんだんだんだん世俗化された環境に入った場合には、昔と同じになってしまうのです。環境を主管して引っ張っていく中心性を持たないので、自動的に周辺に吸い込まれてしまうのです。分かりますか?(はい)。



女性時代の到来


 五万人がみ言を中心として、ぶっかけ合う(討議し合う)運動をしないといけません。それとともに、本でもって拡大しなければなりません。話をするだけでは、その人を絶対に信じることができないのです。本でもって統一教会の本質的内容を伝達することによって、その内容に(その人の話が)もっとも近い場合には、「いやー、あの人は正直な人だ。正しい人だ」と、信頼度が深まってくるのです。それがなかったならば信頼されません。分かりましたか?(はい)。


 話をするとともに、それを文章でもって勉強させるのです。それは先生や、お母様の演説文などによってです。そこには旧約、新約の聖書がみんな入っているのです。すべての歴史観が入っているのです。今まで誰も知らなかった内容の新しい世界観が入っているのです。そのことは、ちょっと世界を考える者にはすぐに気づくのです。今からは、世界を感じるような観を持たない人は、いくら日本の統一教会に入ったとしても、必要ないのです。我々が必要なのは、世界を指導するようになれる人です。分かりましたか?(はい)。


 今からは、みんな四〇〇〇人以上のメンバーが同時に出発するとしても、同じレベルの者が、この内容をいかに活用して、いかに早く周辺に拡大するかということが、社会的にも出世し、成功する基盤になります。現実問題に直結するようになっているのです。このような内容をすべて準備して、周辺を教育した場合には、その村や町を全部カバーするような時が来るのです。それで、今からは女性時代が来るのです。先生がそう考えるから、そうなるのです。そういう戦略を組んでいかなければなりません。分かりましたか?(はい)。


 そのように、組織体制をつくっていくのです。ですから、たくさんの催しをしなさい。たくさんの組織体制をつくるのです。世界文学書を読む運動などをしながら、その中で原理を読むのです。それをやらないから伝道ができないのです。いろいろ何でもやってみて、その内容を中心として原理のほうにつなげるのです。何も、問題ありません。分かりましたか?(はい)。


 いろいろ自分の特技や技術があったとすれば、それを中心として、いろいろなクラブをつくって、組織化するのです。文学の好きな人々を集めて、文学雑誌を読むクラブもつくるのです。韓国には「契」というものがあるのです。お金を出し合うのです。十人から二十人くらいで、何百万円、何千万円と決めて毎月、払い込みながら、それをいっぺんに一人が持つようにするのです。それから、その次の者が持つようにして、十人から二十人が順番でもって分け合うようにするのです。毎月払った者がそうするのです。みんなが配当を受けるのです。日本でもやっていますか? こちらでは大変です。たくさんのグループがあるのです。


 ですから、それを、女たちが中心としてやるのです。アメリカ行きの旅費が必要になるので、二十人、三十人、五十人と募集して集めるのです。そのようにして集めておいた場合には、いっぺんでアメリカにも行けるのです。そういうグループがあった場合には、それを五十人ずつで分けるのです。こういう運動を展開して、旅行に行くにしても一人で行くのではなく、団体で募金をしながら準備していくのです。大変なことです。それを部落全体、町全体に適用させるのです。


 私たちには「世界平和女性連合」の組織があるので、これからは引っ張りだこです。各自がみんな世界平和女性連合の会員になるのです。分かりましたか?(はい)。今から強調しなければならないことは、世界平和女性連合です。日本ばかりでなく、この組織は世界に通じるのです。そして大移動するのです。もし、イギリスの世界平和女性連合と日本の世界平和女性連合で、同じクラス、同じレベルの係長だったら係長と、文化部の担当者であれば文化部の担当者と、宣伝部の担当者はやはり宣伝部の担当者と交代することもできます。そういう世界的交流が可能になるのです。なぜかというと、思想的な基調が同じ食口のようになれば可能なのです。


 そうすると、「誰々の奥さんはイギリスに何か月行って住んでいた。それからアメリカに行った。ドイツに行った。フランスに行った。四か国を回ってきた」と、有名になるのです。有名人になると、友達を連れてきて、みんなを集めて紹介するのです。「この人は、こういうことをやってきました」と。そして、大会をたくさんやっていくのです。そういうふうにして環境を動かすのです。そういう催しをいかに拡大するかということと、反対する環境をいかにまとめるかということが絶対に必要です。


 共産党はデモを行って、自分たちの発展の基盤をつくってきたのですが、統一教会は大会を行うのです。小さなグループの集会をたくさんやるのです。一つの町でも十人ぐらいまとまれば、一〇〇人を集めるのは問題ありません。そして、有名人を呼んできて話をさせるのです。その中に三人くらいメンバーを入れるのです。その話の内容を聞けば、いくら有名人でもメンバーの話の内容に負けるのです。


 そういう環境をつくって、宗教界、政治界をまとめるのです。そうすれば国会議員なんかは命を懸けてでもついて来るのです。それを教育してあげながら、自分の基台のほうに発展させるのです。彼らは教育しても、人脈を結ぶことはできないのですが、私たちは素晴らしい教育の思想と内容を持っているので、人脈をつなげていけるのです。ですから国会議員の組織を、私たちのほうに向けさせることは問題ありません。既成基盤をいかに自分の活動基台につなぐことができるか、それを考えなければ世界を救済することはできません。


 ですから外交的能力が必要なのです。また、いくら外交的能力があったとしても、説得能力がなければなりません。統一教会の指導者になるには、第一は説得能力です。実力がなければならないということです。それから経済自立能力です。責任者はいつも世話になっていてはだめです。その団体で使うお金の三分の一は、いつでも責任を持つような信念を持たないと、みんなを引っ張っていけないのです。そうすれば、集まった者が十分の一を出す時、三分の一を出す者が経済的な指導者になるのです。


 経済的自立能力があり、外交能力があり、説得力があった場合には、その団体は、自分に消化されるなといっても消化されていきます。みんな偉くなりたい、みんな成功したいと思うのだったら、今はそういう徹底した内容を持っているし、その武器を持っているのです。先生が一人で、これだけの世界的な基盤をつくった要因は何かというと、こぶしの力ではないのです。原理の力です。分かりましたか?(はい)。


 ですから、まず本を読むのです。何回もすらすらと読めるようになるまで読むのです。それを十回やり、一〇〇回ぐらいやれば、みんな覚えるのです。分かりますか?(はい)。四〇〇〇人以上の者がみんな原理の本でもって伝道するブームを起こすのです。原理の本を中心として全国に連結させれば、ブーム台風になるのです。言葉で起こした台風は消えていくのですが、原理の本で起こした台風は絶対に消えないのです。だんだんだんだんと大きくなるのです。分かりましたか?(はい)。



先生の精神を相続して全体を救済する


 それで今からは、『原理講論』は講師だけが講義するのではないのです。講義を撤廃させるのです。全世界は本を見て教育し、講義をするのです。そういう命令を出しているのです。ですから、全世界の統一教会のメンバーは、三十冊の原理を、訪問して、毎日一冊ずつ貸し出しするようになっているのです。そうすれば、一年に何冊かというと、三六〇軒で三六〇人が読むようになるのです。その十分の一でも三十六人です。読んで感動した者には、訪問して質問しながら説明してあげるのです。「感動されたところはどこですか?」と聞いて、そこを再び読んであげながら、その内容を説明するのです。


 こういうように原理の本を中心として伝道された者は、噂によって決して消えてはいきません。もし、父親が読まなかったならば子供が読みます。自分が読めなかった場合には、親戚の者に「この内容はちょっと何ですか?」と、読んでもらうのです。また旦那さんでも読む時間がないとするならば、自分の弟とか、妹とか親戚の者に読んでもらうのです。そして良かったという場合には、自分が読むようになるのです。決着していく道は素晴らしいのです。分かりましたか?(はい)。


 このように見た場合、一人が十人ずつやった場合には、今までの六〇〇〇人の女たちが、みんなやるとすれば六千万人は問題ないのです。一人が十二人ですから、一二〇〇人は、一人十二人ずつで一〇〇回です。本を三冊ずつ持ってやった場合には、一〇〇回ですから三十回です。それは大したことではないのですが、一生懸命にやれば感動するのです。読んで感動した者に、「どこに感動したのですか?」とチェックして、多くの人々を連れてくるようにして、もう一回、集会をしながら、自分が直接関係持って読んでやった場合には、すぐに高まるのです。そういうような関係でもってやれば、一二〇〇人を超えるのは問題ありません。分かりましたか? (はい)。


 ですから、遠い所でやる必要はないのです。今から先生の言うことは、教育することにおいても、本部はなく、地方から東京へ何千人を連れてきても、一つの郡からは一人か二人しか来れないのです。郡を中心としてやれば、一〇〇人を集めるのは問題ではありません。地方から移動して本部まで来るのは大変なことです。経費の問題なども大変です。みんなが異郷の地に行くのですから大変です。周辺だったら何でもないことです。部落だったら、町だったら、「どこどこに集まれ」と言えば、食堂であれば、すぐに一〇〇人、二〇〇人は問題ないことです。昼食代も助かるしね。(笑い)。そのようにするのです。話をしたり、証をしたりして、原理の内容を伝え合うのです。


 それで、お金が必要になったらファンダレイジングをしなさい。いろいろな方法を研究するのです。当然、人間として経済問題を逃れることはできないのですから、自立体制をつくらないというと、いつどうなるか分からないのです。この複雑な世の中では、自動車事故もたくさんあるのです。だから、女は女なりに十人の子供がいた場合には、十人を(育てる)訓練が必要です。ですからファンダレイジングをするのです。今、アメリカに行っている宣教師もそうです。自給自足なのです。


 ですから、ここに来た者たちは、奥さんから子供たちまでみんなファンダレイジングをしなさい。一週間に二回やりなさい。女は、自分の旦那さんが会社に出勤しないと生活できないようではいけません。そういう方策を変えたのが先生です。一週間に二日やれば、もう問題はありません。一週間の他の日々は、公的な伝道活動ができるのです。週に二回やれば、十か月で八十日です。そういう訓練をしないといけないのです。そのように、週に二回、八十日間、公的な時間を天に捧げるのです。


 今、韓国の神学生も、学費は自分でつくるのです。夏休みはみんな勤めるのです。働いて自分の学費をつくるのです。ブリッジポート大学も、統一教会のメンバーは自分で学費はつくるようにするのです。国家的なチームをつくって、先生は訓練しようと思っているのです。経済問題を解決し得ないで卒業しても、社会的な寄生虫になるのみです。分かりましたか?(はい)。


 これから君たちが日本に帰った時も、先生はそのまま放ってはおきません。このように訓練された者がみんな全国に散らばって、そのようにやるのです。分かりましたね。(はい)。それは、統一教会の特別なやり方です。国を超えて、そういうことを考えています。それでドイツの半分をフランスに、フランスの半分をイタリアに分けて、他の国に本部をつくってやるのです。そうすると両方の言葉を勉強できるのです。活動も同じくするのです。日本と韓国もビザの問題が解決すれば、問題はありません。その時は、韓日交差結婚した者がみんな責任者になるのです。韓国の責任者になるし、日本の責任者になるのです。その準備をするのです。分かりましたか?(はい)。


 これからは、十八歳、二十歳以上の者はみんな交差結婚をして、日韓・韓日は一つになって、アダムとエバの一つになって、一つの家庭に住むようにしないといけないのです。そういうふうにすることで、世界が一つになるのです。先生以外に、そういうことをやれる人はいないのです。先生以外に、交差結婚とか、国際結婚を三十六万双もやれる人はいないのです。今や白系ロシアの国が、先生の結婚式に対して相当の関心を持っているのです。この前、大統領が参席して、「自分の国でやるのでしたら、三十六万双は自分の国の青年たちを出します」と言うのです。そうなれば、その国がアダム・エバを超えた価値の国になってしまうのです。そういう時代になりました。


 アメリカも、今やそのように動くようになっているのです。先生は来年の正月にある大物に会うようになっているのです。それで世界はびっくりすることでしょう。いつ、どういうことが起こるか分からないのです。アメリカ人も太平洋を越えて、五万人ぐらい移動して教育するとしたらどうですか? それは、問題ありません。韓国はその台風に吹かれてみんな飛んでいってしまうのです。日本もそうです。「あんなことのやれる男は、歴史上に文先生以外にいない」ということは、みんなもう既に分かっているのです。レバレンド・ムーンとミセス・ムーンを知らない者はいないのです。家庭を中心として、いかに周辺を自分のほうに引きつけるかということです。分かりましたか?(はい)。


 ですから、自分の家は小さい部屋でもいいのです。そこに人が来た場合、狭い所に缶詰みたいに詰め込んで座って話し合うのがいいのです。鳥の雛もそういう巣の中で育って、だんだん大きくなってきた場合に、巣の中にはとどまらなくなるのです。みんな大きくなって出ていくのです。そういうふうにして発展していくのです。大きな所から小さくなるのではなく、小さな所から大きくなっていくのです。分かりましたか?(はい)。


 そういうふうにして、自分なりの決意をして、先生が一人で世界に向かって発展してきたと同じように、皆さんが先生の精神を相続して、自分自身を中心としていかに大きい波動をつくるかということの競争です。自分一人のための真理ではないのです。全体を救済するためのみ言だから、全体に分けてやるのです。分かりましたか?(はい)。



長子権の顕現


 ところで、旦那さんの問題のある人は手を挙げてみてください。ちょっとでも(問題のある人は)手を挙げてみてください。霊界が援助するかもしれないのです。ああ、騒がないで、旦那さんの問題のある者は手を挙げてみなさい。相当いますね。かわいそうだね。帰るのが心配だね。心配無用ですか?(はい)。今度帰れば引っ張りだこにされるような態度をとってはなりません。堂々と一対一で弁明しなさい。「聞いてください! そんな話が本当だと思いますか、誰がそんな失礼なことを言ったのですか、その友達はどこにいるのですか?」と、三人ぐらい旦那さんの所に連れていって、「何だ! 奥さんを人間扱いしてないじゃないか! 豚みたいに動物扱いをして何だ! 引っ張りだこにして何だ!」と。アメリカでは、すぐに告訴されるのです。分かりましたか?(はい)。


 そのままであった場合には、先生が放っておきません。今までは、時がそうではなかったのですが、いよいよ長子権復帰です。今までは、ずーっと神様がやられてきたけれど、今からは、そうはいきません。主人として堂々たる権限を持つのです。そういう時代になりました。僕にやられるようなことは、神様は大嫌いです! 分かりますか?(はい)。


 ですから長子権を中心として、数千万年の歴史を通して、人類創世以来今まで戦ってきたのです。長子権を復帰して勝利した者が、天使長より以上の能力を持たなければならないのです。堕落したアダムではなく、完成したアダムは天使長に命令をするようになっているのです。今までは、それを果たせるような男がいなかったのです。神様の秘密とサタンの秘密を凌駕するような者が生まれなかったのですから、長子権が復帰されなかったのです。いつもやられてきたのですが、今からそうではありません。


 先生は一人でもって、全世界の反対の境地を凌駕しているのです。日本もいくら反対してもだめです。このごろでは、もう静まってきているのでしょう。いかなる者を出してきたとしても、みんな過去の新聞に出た者たちであり、みんな分かっているのです。文先生はびくともしません。それは今に始まったことではないのです。みんな新聞に出た輩が集まって、それでもって金でも儲けようという態度でやっているのです。日本の言論界を利用して、金を儲けようと考えているのです。彼らが分からないのではないのです。ちゃーんと韓国の新聞に掲載されているのです。彼らが先生の前に来たら屈伏させてしまうのです。


 しかし、先生の名前で神様の前に誓ったことがあるので、彼らを全部救ってやるために黙っているのです。本当は堂々と訪問して処分してしまいたいのです。先生の性格からして、放ってはおかないのです。神様の心情が分かるから、こういうような先生の性格であっても忍耐するのです。み旨を成し遂げるまで忍んでいるのです。先生は何の過ちもない立場ですから、一発でも打たれたら、もう眠れないのです。それは、幼い時から有名なことです。流されていくような男ではありません。徹底してやるのです。「イエス」か「ノー」か、はっきりしているのです。女たちもそのように、ただ殴られて悲惨な影の女になることを願いません。分かりましたか?(はい)。


 先生は、無力な男ではありません。今までは放っておいたのですが、今からそうはいきません。日本もそういうことをした場合は、大使館を攻撃するのです。先生には、百数十か国がついているのです。大使も困るようになる力を持っているのです。公言しなさい。分かりましたか?(はい)。宣布しなさい。「何が悪いのですか! 何か悪いことしているのを見たことがあるのですか! 君たちは何か悪いことをしましたか!」と。 男女関係は徹底しているのです。それは世界中が知っていることです。いろんな宗教団体が、悪いことをみんな統一教会にかぶせてやっているだけなのです。



血統転換


 血統転換とは、サタンと神様の前で決闘することであり、殺し合いなのです。血統転換は、決闘して探してきたものです。分かりますか? 一九四五年から六〇年までの十四年間、先生は一人でした。一人でいたので、たくさんの女たちがやってきたのです。みんなお母様の候補者としてです。大統領選挙と同じように、みんな候補者なのです。三代が一つになって、おばあさんから孫娘までの三代が一つになって、みんな先生を婿にしようとして秘密に準備するのです。それは霊界が教えてくれるからです。


 先生の着物の寸法がいくらいくらだと、みんな霊界が教えてくれるのです。それで準備するのです。国家的最高の準備をするのです。それが一軒だけではないのです。数十軒もあるので、みんな大変です。宇宙のお母様、真の母を自分の家から出そうとするのです。霊界では、全先祖が動員して、みんな教えてくれるのです。大変です。それが十二歳から八十代のおばあさんまでです。八十代のおばあさんが二十代の先生を呼んできて、「自分は十人の子供を生むように万全の準備をしているから、いつでもおいでください」と言うのです。それを考えてみてください。それでも、仕方がないのです。


 そうでもしないと、世界中を代表したお母様になれないのです。そのようなおばあさんたちですから大変です。みんな伝道されて集まった者たちではないのです。啓示によってみんな集まってきているのですから、説明の必要がありません。先生の使命が何か教えなくても、ちゃーんと知っているのです。先生がどこかの地方巡回に行くと、ちゃーんと前夜、既に夜通しでそこに行って待っているのです。


 そして、「私は、ここに来ました」と。「この者、何で顔を出すのか!」と叱り飛ばしても仕方がないのです。「ここに来ざるを得なかったのです。霊界が勧めるのだから仕方がないのです」と言うのです。いやー、大変です。ですから部屋には、鍵を二つかけて寝るのです。本当です。そういうことは誰も知らないのです。それで聖別生活をするのです。お母様を選定していないので、絶対祝福されることはないのですから、みんなが聖別生活です。夫婦関係は絶対に禁止するのです。先生が教えなくても、霊界が教えてくれるのです。「聖別生活をしなさい」と。


 それから、旦那さんが二つ頭の蛇に見えるのです。頭が二つ、尾が二つです。旦那さんが会社に行く時、門を開ける前は自分の旦那さんなのですが、門の外に出た場合には二つ頭の蛇が現れるのです。また帰ってきた時も、門の前に蛇が現れるのです。そして門の内に入ると旦那さんになるのですが、寝る時はちゃーんと蛇の格好をしているのです。ですから夫婦関係した場合、間違いなく出血するのです。


 そういうことを誰に話せますか? 自分の旦那さんも分からないことなのです。旦那さんが蛇になるのですから、どうしますか? 分かるのは先生しかいないのです。自分の父母も知らないし、自分の旦那さんも知らないのです。だから聖別するなと言われなくても、聖別せざるを得ないのです。なぜかというと、お母様を選抜中なので、夫婦関係すると、そのレースから外れるのです。



真のお母様の選定


 そこで、みんなが先生を婿として引き込もうとするのです。先生は、そんな話は聞かないのです。エバがアダムを選択するということになるからです。みんな原理の反対になるので、それを収拾しないといけないのです。先生が、主管性転倒したことをみんな正してやらないといけないのです。だから、そういうことが八十代から七十代に移行するのです。神様の蒔いた恩恵なのです。全世界に、みんなが新婦の結実体になることを願って蒔いたのだから、収穫の時代の主人の立場の人が現れたので、主人の前にそういう態度を取らざるを得ないのです。


 それらをみんな収穫する責任を先生が持って、まとめないといけないのです。ティーンエイジャーの十代から三十代へと発展してきたのだから、それを逆に収拾しないといけないのです。八十代のおばあさんを中心としてです。このことは、原理として知っているのですが、決定は先生がすることです。


 それで、「こうこう、こういうことだから」と先生に言われて、「分かりました」と手を挙げて誓った後であっても、その次の日には、「先生、そういうふうに決めても、自分にはどうにもなりません」と言ってきて、また元に返ってしまうのです。それを何回も繰り返すのです。何回もなだめて帰すのです。それを追い出してしまったら大変なことになるのです。死んでしまうのです。


 「私は、統一教会の文先生のために死んだ」と、噂されると大変なことになるのです。誰にも言うことはできないのです。こんな話のできる者は誰もいないのです。先生以外にはいないのです。だから、それをなだめながら自分の姉さんみたいに、自分のお母さんみたいに慰めながら、なだめていくのです。そういうふうにして、八十代から七十代、七十代から六十代、五十代、四十代と大変です。三十代、四十代の女は、みんなあの当時の印象があるので大変です。


 本当に気持ちがよくないのです。女は嫉妬するのです。「女がいい」と言う男は、ちょっと変わっているのです。本当です。みんな命を懸けて、先生を飲み込もうとするのです。それをずーっと四十代、三十代、二十代まで来るのです。ティーンエイジャー前後まで縮小して、まとめないといけないのです。


 そういうふうにして、お母様を選抜して、お母様に伝授してあげないといけないのです。しかし、肉的に霊的に伝授された内容は伝わっても実体としては、その女性のために、おばあさんとお母さんと孫娘三代が、みんな乗っ取られてしまったと思うのです。それをなだめるために、三年半はお母様を迎えて一緒に暮らすことをしなかったのです。三年半は、お母様を他の所に置いて、電話で連絡しながらやってきたのです。


 ですから、お母様のお母さん(洪順愛大母様)が霊界から詳細に教えられて、先生が何をするかという一日のプログラムを、霊界で見せられるのです。それをお母様に報告するのです。お母さんが教えることは間違いないのです。そういうふうにして、お母様のお母さんが正門で自分の娘に文を手渡したら、みんなおばあさんたちがにらみつけるのです。「うー、悪いおばあさんだ! あの女が先生を誘惑して、自分の娘を奥さんにしてしまった」と思うのです。間違いなく、そう信じているのです。そういう環境を三年半通過しながら、それでどういうことが起きるかというと、青少年たちが、中高等学生たちが、そのことが分かると反対するようになるのです。


 それは、娘や孫娘のような者たちなのです。周辺の若者たちが、若い女の子たちがみんな励まして、逆のほうに影響を及ぼすのです。「何だ! 若いお母様をお迎えしたのに、共にいられないようにしたのは、あなたたちが悪いからだ」と。そういう噂をされて、それをずーっと、孫娘を通じてなだめさせることに三年半かかりました。もし、そういう環境を無視して一緒に暮らしたとすれば、薬を飲ませて殺されてしまうのです。それは気違いみたいなものです。だから女は恐ろしいのです。自分の知らない霊的現象で、先祖がそうするのです。「薬を入れよ」と言えば、薬を入れるのです。それはどれぐらい真剣になるかというと、目玉が一方向しか見えないのです。


 それで、いつも先生がどこに行っているかと目を見開いて見ているのです。距離が問題ではないのです。先生が何をしているか、ちゃーんと知っているのです。みんながそうです。だから市内に出かけた場合には、「先生が出かけられた。早く行け!」と、みんながいっぺんに、二、三人が集まってくるのです。まるで嘘みたいな話です。聖書でもいろいろ啓示なんか書いてあるけれど、それは何でもないことです。いろいろな奇跡があるのですが、そういうことは、先生は言わないのです。言ったって誰も信じる者はいないのです。これはもう嘘みたいな話なのです。そういうふうにして、もう大変です。


 そういう人々の中で、今も一人で結婚しないでいる女性もいるのです。「祝福を受けるように」と言っても、祝福を受けないのです。「自分は先生を慕った者です。誰と結婚するのですか」と言って、大変なことです。もし、先生がキスでも握手でもやってあげたら大変なことです。これはもう間違いなく「関係した」と言う人が出てくるのです。そういう女の乱れ切った環境を泳いで、よくも女に引っかからないでここまで来たものです。


 それで、女はどれぐらい真剣になるかというと、食べることも寝ることも忘れるのです。だから他の女とつき合ったとなると大変です。すぐに分かるのです。聖別生活を二十年続けて、祝福されないで亡くなった食口もいるのです。君たちは、このごろでは一週間だけ講義を聞いて、祝福を受けられる恵沢時代が来たのですが、みんな先輩が蕩減し犠牲になった基台の上にあるのです。簡単に、そういうふうになったのではありません。分かりましたか? (はい)。


 それで女たちがどうなるかというと、先生を慕う時には、何も考えないのです。何も考えないのです。今から十年前までは、お母様の部屋に来て「この部屋は自分がいるべきであって、あなたがいるべきではない。部屋を出なさい!」と、喧嘩みたいに騒ぐ女もいたのです。間違いなく啓示を受けたのに、そうならなかったのだから、考えても考えても不思議なのです。それで、みんな乗っ取ろうとするのです。だから、もし先生がキスでもしてやったら大変です。手で握手でもしてやったら、それを条件としてどんなことでも引っかけてくるのです。


 ですからお母さんは、お母様がお母様として立つまでには、相当の心的な苦労があったということを知らなければなりません。みんなそういう女ですから、お母様が死ぬように内緒で考えているのです。それで、「死んだら自分の娘が入る」と言うのです。いろいろと噂をするのです。「先生は結婚を間違った」とか、「今のお母様はお母様ではない」とか、「蘇生、長成、完成で、三人いる」とか、いろいろ噂するその中で、先生を巻き込んでしまおうとするのです。ですから、原理を知らなければ大変なことになるのです。


 統一教会という存在もなくなってしまうのです。正しく原理を知っているから、そういうことをコントロールしてきたのであって、たくさんの霊的な競争を通過して勝利基盤に立って、こういう無理のない立場で無事に通行できる基盤をつくったということを、君たちは知らないのです。でなければ、こういう集会などできないのです。そういう女自体が反対するのです。



四大心情圏の蕩減復帰


 女は自分が悪くても、「先生が悪い」と言うのです。「いやー、先生が悪い。先生のせいだ」と言うのだから、みんな先生が悪いように思うのです。何か関係があるように言うのです。それを、いちいち弁解する必要はないのです。それで、いろいろな絡み合いの噂が流れて、それに巻き込まれていろいろなことが起こるようになったのです。そういうふうにして、一般の女たちも、先生を慕って教会に行かざるを得なくなったのです。


 市場に行こうとして買い物籠を持って出た者が、自分でも知らないうちに教会へ向かって歩いているのです。だから、自分の精神ではないのです。そうなると、先生を見ないと一日中が大変なのです。一日に一回は必ず教会に来て先生に挨拶しないと、御飯も食べられないし、自分が霊的に責められるのです。しかし自分の環境の中で、旦那さんとか子供たちは、それが理解できないのです。


 「統一教会に行くな」と言っても行くのだから、いろいろなことが起こるのです。女の髪を刈ってしまって、パンツだけをはかせて柱にロープで縛っておいても、霊界が「こうやれ、こうやれ」と言って、ロープを解いて出てくるのですが、パンツしかはいていないのです。誰かに見つかると大変です。もう「捕まる」と言って、町を走ってくるのです。それは夜だから、(当時の韓国は夜間外出禁止で交通止め)四時ごろの冬の夜の真っ暗い中を一人で走ってくるのです。


 そのようにして、先生の所にみんなやって来るのだから問題になるのです。垣根をよじ登って越えてくるのですが、女は尻が重いので、手がすべって落ちた場合には、周りの犬が、「ワン、ワン、ワン」と吠えるのです。それで表に出てみると、裸の女が転がっているのです。それを考えてみなさい。そういう噂が一人だけではないのです。ですから、周辺では「あの文先生によって、みんなが気違いになった」と言って、いろいろな噂がたったのです。


 ですから、みんな「文先生が悪い」と言うのです。そういうふうにして、女たちによってたくさん被害を被ったのが、ここに立っている文先生なのです。「この女たち!」。アメリカでも女を見たら、そういうふうにするのです。


 なぜ、そういうふうになるかというと、それは仕方がないのです。蕩減復帰をしなければならないからです。蕩減復帰です。堕落した時に、エバが四大心情圏を一人の男のために、みんな破ってしまったのです。それを復帰するには、この世の中で、そういう心情圏をいっぺんで体恤できるような男を迎えないと、越える道がないのです。父母として、お母様の立つ道が生まれてきません。ですから、そういう四大心情圏をいっぺんに体恤させるためなのです。分かりますか? (はい)。


 ですから、先生を見た場合には、息子の王様であり、それから兄さんの王様、旦那さんの王様なのです。そして、お父さんの王様です。四大心情圏は、子女と兄弟と夫婦と父母です。(先生は)四大心情圏を勝利した結実体の中心なのです。だから女としては、先生が自分の旦那さんそっくりなのです。


 自分の心では思わないのですが、抱擁してあげるのです。そういう心情を、子供の心情から、兄弟の心情から、父母の心情から、お母さんの心情を通過した条件を立てさせないと、それが収まらないのです。蕩減復帰ですから仕方がないのです。蕩減復帰というのは、そういう同じ状況をもって、サタンのほうへ越えて地獄へ行ったのだから、同じ立場を越えて転覆するのです。一八〇度違うのです。だから、そういう心情圏に立った女が、それを反対の方向に行くのは大変なことです。それで、たくさんの霊的な女たちが落ちていったのです。「自分は、こういうふうに霊界と直接関係をもって、先生を見つけてきたのに、先生は無慈悲であった」と言ってです。


 ある程度までは、霊的にみんなコントロールされていくのです。こういうふうに妹として、それから姉として、相対関係でもって、約婚段階で堕落したのだから、そこまでずーっと霊的に教えてくれるのです。


 それで、いろんな所を歩きながら、花の首飾りをかけてやったり、結婚式の準備まで、みんな霊的にコントロールされるのです。だから一〇〇パーセント自分の旦那さんだと思うのです。みんなが、そうなのです。ですから、今までの自分の旦那さんや父母は見たくもなくなるのです。統一教会の原理は、否定することができないのです。堕落したということは、否定することができないのです。


 四大心情圏の体恤を通過して反対の方向に行かないと、天国に入る道がありません。そういう原則があるから、君たちも女として、先生に会った場合には、先生が嫌ではないのです。みんな先生と双子の兄さんみたいになっているのです。それから自分の旦那さんみたいなのです。だから、お母様は姉さんであり、君たちは妹なのです。お母様の分身にならなければなりません。お母様が、そういう四大心情圏を体恤し勝利した代表として立っているのだから、そのお母様の分身にならなければ復帰ができません。


 それで「一体になりなさい」と言うのです。そういう内容が背後で絡んでいるということは話さなくても、そういう意味において一つになるのです。だから先生を、そっくりそのように思うのです。女たちは自分の相対として、先生のような男を夫にできればいいと思うのです。だから女たる者は、先生に惹かれない者がいないというのです。本当ですか? 先生が殴っても皆さんは痛くないのですか? これは、牧師が一般の教会でやったら大変です。いくらそうやっても、心の柵に先生がいじめたという思いが残らないように、水が流れていくように流れていくのです。流れても大きくなっていくのだから大変です。日本全国に台風が吹くのです。春の台風を先生が起こすのです。春風を起こしているのです。そうなると、一度でも先生に会うと、先生のことを忘れられなくなるのです。


 春風が吹くのです。「ずーっと先生の所にいたい」と。本当は、先生の所に来て話を聞くよりも、子供のように先生と遊ぶことのほうが印象に残るというのです。そういうような原理原則を中心とした蕩減の道があるから、そういうふうにならざるを得ないのです。だから、たくさんの女たちが先生のために涙を流してきました。あなたたちは、そういう時代に先生に会っていないから幸福なのです。


 みんな初めて会ったのですね? 半分以上が初めて二日ばかり前に会ったのですね? だから、それは一般には分からないのです。霊的に、みんな先生が教えるようになっているのです。一〇〇パーセント教えるようになっているのです。だから、このような組織や団体は世の中にはないというのです。とても一般の人々には理解できません。統一教会は、いくら研究しても分からないのです。



お母様の基盤をつくるための苦労


 四大心情圏の内容が分かりましたか? (はい)。こういう現象の根本的転換をなさないと、韓国に帰れないのです。そういう深い内容を一般の人は知らないのです。先生が誰かというと、皆さんが神様の娘だったら先生は神様の息子です。双子の息子であり、兄さんなのです。旦那さんの中の旦那さんです。もっと高い次元において、自分の心霊的な相対関係であり、話より事実が先に立つのだから、先生について来ざるを得ないのです。おばさん、分かりますか? (はい)。こういうことは初めて聞く話ですね。


 ですから、復帰の道がいかに難しいか、先生はよく知っているのです。普通の人では行けないのです。四十年以上の信仰歴がないと行けないのです。そのような一家に、そういう現象が起きてくるのです。神様は公平です。先生はそれを無視することができないのです。


 先生は、若い時には美男子でした。本当にみんなが、「美男子だ」と言ったのです。先生は、そうは思わないのですが二十代、二十五、六歳はもう、若い先生に対して八十代のおばあさんが、行く先々で足を抱えて離さないのです。まるで子供みたいにです。先生は女のために十字架にかかったのです。一生涯、女のために先生は苦労したのです。今はお母様がいるので、誰もそういう心配はないのです。それで統一教会は、男女問題が徹底していることで世界中に知られているのです。アメリカに行っても、「統一教会は、模範的に男女関係が徹底している」と噂になっているのです。


 お母様の基盤をつくるために、女の世界の悪辣なすべての過程を通過したのです。蕩減として仕方がないことです。反対現象として、逆にいくのだから、お母様を殺したかった女がたくさんいたのです。だから先生は謎の男なのです。


 アメリカへ行ってもそうです。アメリカの女たちも先生を慕ってくるのです。アメリカの女は露骨です。好きになったら「アイ・ラヴ・ユー」と、走ってくるのです。だから、一メートル以内に入らないように命令しているのです。それは、蕩減の原則で仕方がないのです。そういうことは、誰も知らないのです。


 そういうふうにして、お母様は女世界の過程を通過しながら訓練されてきたのです。だから先生は一〇〇パーセント信じています。共にプログラムを越えてきたのです。それがいかに難しい路程であったかしれません。だから君たちを妹みたいに思い、立派な奥さんに育て、立派な旦那さんと組んであげようという思いがあるのです。分かりましたか? (はい)。


 ですから、女たちは先生に感謝する者がたくさんいるのです。先生はそんなに近い男なのです。兄さんであり、旦那さんよりももっと近い、お母さんよりももっと近いのです。そうでなければ嘘です。サタンの血統を受け継いだその基準から抜け出すには、先生に帰る心情がなくては抜け出すことができません。父母が反対し、旦那さんが反対し、三代が反対するのですが、何の未練もないことです。それが、皆さんたちの救われる最も近道なのです。それを乗り越える力をどこかで得なければなりません。分かりましたか? (はい)。


 そこから違った国、違った世界に分かれていくのです。だから、全世界の男たちは、みんな先生を怨讐だと思うのです。「自分の娘を乗っ取っていった、自分の奥さんを乗っ取っていった、自分のお母さんを全部悪くしてしまった」と思うのです。夜考えても、昼考えても、「自分の娘と、自分の奥さんと、自分のお母さんと、三代をめちゃくちゃにした」と思うのです。三代の女が引っかかるのです。


 第一代のアダムを殺したのはエバです。第二代のイエス様を殺したのもエバです。第三代の再臨主まで、四十年間苦労させたのもエバです。そのように三代の男を殺したのです。そういう女を、愛でもって本妻として迎えなければならないのが再臨の主なのです。だから蘇生、長成、完成の三代を通過してきたのです。それで、みんなが先生を利用しようとするのです。みんなが何とか先生を幽閉してもいいから、自分の孫娘と一緒にしようと大変です。しかし、そのような戦略に先生は巻き込まれないのです。それは原理を知っているからです。そういう困難な戦場を通過して、原理の内容を勝利した先生なのです。ですから先生をつかんで、先生の指導どおりに生きれば間違いなく、目的地に到達することができるのです。


 あなたたちも、先生をそういうふうに思いながら、真剣に先生の代わりを果たしたならば、霊界が同じように活動してくれます。だから、それが恐ろしいのです。「お父様の言うことは間違いない」と信じてやった場合には、何でもできます。病気した者をかわいそうだと思って、涙ながらに祈祷した場合には、すぐに治ります。そのように先生が祈祷して治した場合には、イエス様の奇跡のようなことはたくさん起きるのですが、そういうことをするのは良くないのです。蕩減条件に引っかかるのです。


 病気になったことは、先祖の悪い条件に引っかかっているのです。それをみんな治してやった場合には、治してやった誰かが、その何十分の一でも蕩減をしないといけないのです。それをしないので、イエス様も殺されたのです。奇跡を起こさなかったならば、十字架はなかったのです。病気をしても、自分が責任を持つことによって、すぐに病気も引っ越していくのです。先祖の病気は、蕩減しなければならないことです。


 ですから教会内で病気をした場合には、誰かが教会内で犠牲になって、病気が治るのです。分かりますか? (はい)。十人ぐらいの人々の病気を治した場合には、十人以上の善なる人が犠牲になるのです。それで、統一教会のハイクラスのメンバーたちが、そういう条件でたくさん霊界に行ったのです。だから先生は、病人に対して祈祷などしないように言っているのです。


 このようにして、先生が涙を流して痛哭しながら、激烈な話をした場合には、病気がたくさん治るのですが、今はそんなことをしたくないのです。今は涙で感動する時代は過ぎ去りました。真理でもってやるのです。先生と君たちとの因縁が、そんなにも近いということが分かりましたか? (はい)。あなたたちの心も、そう近く感じますか? (はい)。本当ですか? (はい)。霊界の心情圏がそうなのです。みんな神様を中心としていく所に、心情がみんなつながるようになっているのです。接ぎ木は、一人では大変です。そのような真剣な顔で見なくてもいいのです。「現地の整備」が何か分かりましたか? (はい)。戦略戦術を組みなさい。男の性格をよく知ることです。分かりましたか? (はい)。