お母様を教育し、再びアダムによってつくりかえる
文鮮明先生御言選集 55 1972 (書籍)
家庭の伝統 1972年4月29日 日本 東京教会
(※)何も知らないお母様を教育して、再びアダムによってつくり変えるのです。
ですからお母様の背後には(神様の)血統がなかったのです。
親戚関係がいなかったのです。
お母様として召される方は、霊的関係が満たされたところから来られるのではありません。欠けたところから生まれました。あの女性は家庭も良く、父母も良く、すべてを備えているから……と、いうようにはいかないのです。
イエス様が三十歳まで結婚できなかったのは、そういう歴史的背後関係の組み合わせで勝利圏をつくれなかったからです。それは、母がイエス様に反対してしまったからです。ヨセフは天使長圏だから、何とかして、マリヤをして、イエス様にすべての女の主管圏を授けなければならなかったのです。だから先生自体におきましては、お母様を教育するのです。その期間が七年間です。七〇〇〇年の歴史を平面的に蕩減復帰する家庭基盤をつくるために、先生は第二の十字架の道を行かなければなりません。外的十字架の道ではなくして、先生の家庭を中心とした十字架を背負う期間であったのです。
((※)「何も知らないお母様を教育して、再びアダムによってつくり変えるのです。」・・・・
ここでの教育とは、原理教育、信仰教育のことではない。先生はお母様に原理教育、信仰教育を成されなかった。
ここでの教育とは、お母様の蕩減路程を先生が策定したことを言っている。つまり、アブラハムの典型路程、妾摂理がそうである。
この蕩減教育により、結果として、お母様は先生に対して不信することになり、最終的に、先生を聖和に至らせることになった。これが蕩減教育の結果であった。
そして、この聖和によって先生が自らを完成させたという、つまり、先生がアダムを再創造させたことになった。このことを先生は主管性転倒式と言っている。
そして、「再びアダムによってお母様をつくり変えるのです」と言っている。)
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真の御父母様の生涯路程10 第八節 二
私は、お母様に対して大声を張り上げたことがありません。世の中の男性が使う「この女」などというような言葉は遣ったことがありません。「こいつ」という言葉を遣ったことがありません。
私はお母様を教育してきました。涙があふれるほど多くの教育をしてきました。正義に立脚して教育してきました。
夫のために生きなさいと教育したのではありません。
道理に立脚して正しければ、嫌でも順応しなければならないのです。涙のあふれる訓示をしました。
その代わり、公的な立場で糾弾されなければならず、批判されるべきことがあれば、お母様は私を無慈悲に批判しなさいというのです。
私がうそをつき、語ったことで行わなかったことがあり、自分が行わずに欺いて利用し尽くす、そのような指導者ならば、糾弾しなさいというのです。
そのような意味では、先生を尊敬するでしょう? (はい)。女性から尊敬を受けるということは難しいことです。