原理が真理なら・・・やはり、お母様は堕落した立場から出発しなければならなかった!!
原理が真理であるとするなら、下記の御言葉〔A〕〔B〕から見て、お母様が運命的にも堕落した立場から出発しなければならなかったことは明らかです。
つまり、御言葉〔A〕の(※1)から分かることは「聖進のお母さんは、堕落したエバの立場に立った」ということです。そして、第一夫人の堕落問題は(※2)で「一人の女性の間違いによって、世界史的な問題が残ったためです。そのように恐ろしいことなのです。」と語られているように、この世界史的な問題は次のお母様が蕩減しなければならない立場に立たれたことは間違いないのです。
さらに、次の原理講論の御言葉〔B〕の(※3)に「それは、ある摂理的中心人物が蕩減条件を再び立てるときには、彼が立てなければならない元々の蕩減条件と共に、彼以前の人物たちの失敗による蕩減条件までも付け加えて立てなければならないためである。」とあるように、お母様の立場は第一夫人の失敗とそれ以前の女性たちが失敗してきた蕩減までもお母様が付け加えて蕩減しなければならなかったことです。
御言葉〔A〕
真の御父母様の生涯路程3 第四節 二
皆さんの中で、「先生も離婚(一九五七・一・八、協議離婚申告)したから私たちも離婚してよい」と考える人がいますか。それは事情が違うのです。それは、先生が蕩減路程を立てていく過程だったのです。原則を立てるための過程だったというのです。そうした内容があったために、世界中で「統一教会が何だかんだ、先生が何だかんだ」と言うのです。
そういう非難の対象になるのは、(※2)一人の女性の間違いによって、世界史的な問題が残ったためです。そのように恐ろしいことなのです。
けれども仕方がないのです。行ってしまったので、仕方がありません。天であってもどうすることもできないのです。天が願ってはいないのに、その願っていない行動をして出ていくのをどうするのかというのです。
(※1)したがって聖進のお母さんは、堕落したエバの立場に立ったというのです。
御言葉〔B〕
原理講論 後編 (一) (1)
第三には、より大きなものをもって蕩減条件を立てる場合である。これは、小さい価値をもって蕩減条件を立てるのに失敗したとき、それよりも大きな価値の蕩減条件を再び立てて、原状へと復帰する場合をいう。
例えば、アブラハムは鳩と羊と雌牛とをささげる献祭において失敗をしたため、彼の蕩減条件は加重され、一人息子のイサクを供え物として、ささげるようになった。
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それではどうして、蕩減条件を再び立てるときには、より大きい条件を立てなければならないのであろうか。(※3)それは、ある摂理的中心人物が蕩減条件を再び立てるときには、彼が立てなければならない元々の蕩減条件と共に、彼以前の人物たちの失敗による蕩減条件までも付け加えて立てなければならないためである。