「第二の封印」を解く!!
それでは、本日の「第二の封印」を検証します。
残念ながら、「第二の封印」の解読は現家庭連合の方達には我慢ならない解読になりますが、分派と言われている方達には、十分に納得できる内容だと確信します。
何故なら、以下の内容と同じようなことを語って罷免になったお方が元世界会長の文亨進様であり、除名なったお方が元日本統一教会名誉会長の神山先生だったからです。
黙示録
6:3 小羊が第二の封印を解いた時、 (※1)第二の生き物(再臨主に仕える御使)が「きたれ」と言うのを、わたしは聞いた。
6:4 すると今度は、(※2)赤い馬が出てきた。そして、(※3)それに乗っている者は、(※4)人々が互に殺し合うようになるために、地上から平和を奪い取ることを許され、また、(※5)大きなつるぎを与えられた。
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《 解説 》
① (※1)「第二の生き物」とは雄牛のような生き物のことです。
黙示録4:7に「第二の生き物は雄牛のようであり」とあるように、成約時代は牛の時代と言われていますから、この雄牛は再臨主を支える御使と捉えて間違いないと思います。
②-1 (※2)「赤い馬」とは第二の生き物(再臨主に仕える御使)が「きたれ」と言って出てきた馬です。
お父様が「白い馬」であるのに対して、「赤い馬」の赤色は原理で言うサタンを象徴する色であり、これに乗るのが私達を代表した、復帰されるべきお母様になります。
まさに、善悪が交叉する中心家庭になります。
②-2 (参考までに・・・)赤い馬は他にも姿を変えて登場しています。
・12:3-4「赤い龍(サタン)」
『 また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、大きな、赤い龍がいた。それに七つの頭と十の角とがあり、その頭に七つの冠をかぶっていた。 その尾は天の星の三分の一を掃き寄せ、それらを地に投げ落した。龍は子を産もうとしている女の前に立ち、生れたなら、その子(注:ここの「子」とは再臨主のことではありません)を食い尽そうとかまえていた。』
・17:3「赤い獣」
『わたしは、そこでひとりの女が赤い獣(お母様の身近にいる御使)に乗っているのを見た。その獣は神を汚すかずかずの名でおおわれ・・・』
③ (※3)「それに乗っている者」とは、現在の家庭連合の姿にそのまま投写されているお母様になります。
即ち、お父様をメシヤの位置から引きずり落として、自らが女メシヤの位置に立とうとしているお母様そのものになります。
二人のユダ(金○律元補佐官・金○南女史)によって、お母様は道を踏み外された。
④ (※4)「人々が互に殺し合うようになるために、地上から平和を奪い取ることを許され、」とは、まさに、お父様の聖和前後、家庭連合の中に展開されている姿そのものです。
信徒たちをお父様から引き離す女メシヤ宣言こそ、神様の目から見て、殺人行為そのものです。
⑤-1 (※5)『大きな「つるぎ」を与えられた。』とは何かと言いますと、信徒たちを斬り殺すつるぎになります。
このつるぎに対して再臨主が持つのは「もろ刃のつるぎ」です。
・1:16 「・・・口からは、鋭いもろ刃のつるぎがつき出ており、・・・」
・2:12 「『鋭いもろ刃のつるぎを持っているかたが・・・」
⑤-2 お母様の「つるぎ」は人を斬り殺すものであるのに対して、お父様の「もろ刃の剣」はサタンを殺すものではなく、サタンと私の間を切り裂くものであり、更に、私の不足な条件を補う為にお父様自らを刺す為の剣になります。
⑥-1 「赤い馬」の赤はサタンの色を象徴しています。実態も、お母様はお父様から離れてしまったが為に、自動的にお母様はサタン側になりまました。
⑥-2 また、お母様と信徒たちはレアとラケルの摂理的な関係となっている為に切り離すことができませんから、信徒たちも責任分担を果たすことができなかったことによって、レアとラケルは一緒になって、サタン側に転げ落ちて行くことになりました。これが現在の家庭連合の姿だと言えるのです。
⑥-3 お母様と日本信徒の関係であるレアとラケルという観点は、原理と黙示録から見ても最重要になりますので、次回のブログでお父様の御言葉をあげることにします。
⑦-1 それではどうして、黙示録6:3-4にあるように、「第二の封印」を解いた時に、再臨主が「きたれ」と言うとサタンを象徴する赤い馬に乗ったお母様に信徒たちを殺すつるぎを与えられたのでしょうか。
⑦-2 その答えはただ一つです。
お母様は常にレアとラケルの蕩減によって、神側に立つべきラケルまでもサタン側になってしまった為、このラケルをもう一度生かす為の蕩減法としてつるぎが与えられた。即ち、このつるぎは死んだ信徒たちをもう一度殺すことによって、最終的に生かすようになることです。
⑦-3 そして問題は、お父様と一つになったとしても、一時的な一体化ではなく、1960年の「小羊の婚宴」を真の父母(エバ)復帰をスタートとして、完成基準の「基元節」を迎える時まで、お母様が(天の数理である)2013年の70歳を超えるまで、永続的に一体化し続けなければなりませんでした。
⑦-4 お母様がお父様と完全に一つになって、お母様と共同運命となっている信徒たちの霊的生命を守る為に、サタンのつるぎを完全に捨て去ることができれば、お母様の使命は果たされたのです。
そのために、お母様と私達には、一点の不純物の混入も許されない絶対信仰が必要だったのです。
⑧-1 余談ですが・・・
お父様はお母様と私達の失敗を総蕩減する為に、サタンから終局的な「死」の試験を受ける立場に立たざるを得なくなりました。
お父様の最期は信徒たちから祝福を受けることもなく、密室の中で、信徒達の期待と裏腹に、「基元節」を目前にして、摂理的な死を遂げられました。
(黙示録はお父様が摂理的な死を遂げられたところから始まっています。)
⑧-2
為す術を失われたお父様は、死を全く恐れることなく、神様の一人子としての威信を持たれ、最期は祭壇を自ら築かれ、その祭壇に自らのぼられました。
そして、「お前は死んでいなくなれ(平和の主人、血統の主人)」と囁いていたサタン(二人のユダ)にお母様と信徒たちを開けあ渡して、自らの肉体の生命の行く末を完全に任せられて、18日間にも及ぶ長い期間を、一言も語られずに、総蕩減されたのです。
⑧-3 このようにお父様が自ら死に向かわれた姿を、黙示録の5:6では「ほふられたとみえる小羊」となって表現されています。(後日詳細に取り上げます。)
⑧-4
お父様の「死」に対して家庭連合はお母様と信徒達の責任が果たされない為に起こった、[摂理的な死]であると捉ることができません。
家庭連合はますます、神様から遠ざかり、団子状態となってサタンの手中から逃げられなくなっています。