原理の「間違い・不完全性」について 特に再臨論が該当する???
《 御言訓読と霊界動員 p.93 》
『「原理講論」は、劉協会長が書いたのではありません。一ページ一ページすべて鑑定を受けたのです。私が許諾しなければ、それに手を出すことはできません。
もし間違って書かれていたとしても、軽視すれば引っ掛かります。何のためにそのように書いたのかを知らなければなりません。経典は、絶対視しなければならないのです。
「明らかに間違っているようなのに、なぜそのように書いたのか」と言う人がいます。
それは全体を見たとき、そのように書くようになっているからです。
そのように書くべきほかの事情があり、飛躍せざるを得ない内容があったということを知らなければなりません。そのように考えなければならないのです。
それを理解できずに、自分が分からないことは「間違っている」と考えています。
しかし、原理は千年たっても変わりません。』