『天地共鳴圏と真の御父母様の聖婚』から・・・
「先駆者」様から頂いたコメントに対する私の感想を記事としてアップします。
「先駆者」様、コメント欄の内容と同一のものですので、ご了承ください。
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以下は「先駆者」様からのコメントです。
このお父様のみ言を、どう思われますか?
http://ameblo.jp/88angelvoice/theme1-10098355157.html
『息子の國進君も可哀想です。彼に何の罪があるでしょうか。
このようなアボジを持った亨進君もです。
霊界に行っている兄弟が多くいます。息子・娘が皆行き今になって彼らを集めて自分の息子・娘の3分の1以上を霊界に送り、あなたたちがその代身となることのできる候補者となれないことを知りながらも、全体の人類を、残される人類のために血痕を残しておき、残された縛られた祝福の血の因縁を。縛られた血統を切ることができないのでこの道を行かざるを得ないことを知らなければなりません。
子供になったことを罪と言うならば、罪として感謝して消化しなければならないし。行かざるを得ない宿命的な道を残しておいて、どこへ行くあのですか?先生について行かなければなりません。わかりますか?』
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以下は、私の感想です。
これは2011年天歴8月に語られた御言葉ですから、既にお父様は聖和を完全に視野に入れている時期です。
「平和の主人、血統の主人」と「黙示録」を読むことによって、現在の摂理と一致していることに驚きを隠せませんが、更には、今後の方向が見えていきます。
国進様も亨進様も「可哀想」と語られたお父様の心情と、お二人が聖和後に担われる摂理的蕩減の道に対してそうのように語られたのだと思います。
罪の中に生まれた人間の中で、現在のお母様の姿からは思いもよらないかも知れませんが、一番可哀想だったのは、愛の八段階の試練をお父様から直接受けられたお母様だったと思います。
この世的には夫の妻への裏切り行為になるレアとラケルの試練です。この試練は女が最も嫉妬心に燃える情念を乗り越えて聖化させなければなりませんでしたが、悉く失敗に終わりました。
お叱りを受けるかも知れませんが、堕落人間からしたら当然の結末とも言えると思います。
真の母になる為には庶子となった全ての子女様を一族として消化しなければなりませんでしたが、上記の嫉妬の情念から解放されなかった為に母の位置に立つことができず、その為に、実の子までも追放するくらいですから、天が願われた一族とするはずだった庶子の方達とは無縁に生きておられると思います。
お母様が最も戦ったレアとラケルの摂理が中心家庭に展開されて、お父様は隠すことなく、防波堤なく取り込まれたのですから、お母様の死ぬような葛藤が子女様に受け継がれてしまったと言えると思います。
お父様が純潔とか絶対性とかを語れば語るほど、この世的には、自分がそれを犯しておいて妻にだけ純血を求めるということは最も落第人間であり、また、お父様がお母様が堕落したことを責めることは更に堕落人間の価値しかないことになります。
お母様のお父様への反発はこのような愛(真の愛と嫉妬心)の十字架がねじれ現象となって50年間続いてきたのですから、お母様のお父様に対する執念とも言うのか、隠された恨みとも言うのか、大変な葛藤の期間が続いていたことになります。それが聖和の真実で証明されたことになります。
17歳で妻になられたお母様が通過された蕩減の道は人類歴史の女性が犯してきた縦的蕩減を横的に一身に受けて蕩減しなければならなかったという、言葉では表現できないすさまじい茨の道だったと思います。
私達は今後、お母様の摂理的問題を解明することは何よりも重要ですが、これを讒訴するのではなく、自分自身の問題として悔い改めていくことと、お母様を反面教師の手本として捉えていかなければならないと思います。
このような全ての痕跡を引き継いで担うのが国進様と亨進様ですから、「可哀想」と語られたのだと思います。もちろん私はここには献祭中にあった、「三年半」を先駆けて歩まれていた顕進様も入ると思います。
この時点では、顕進様は既に供え物になっていましたから、ここに顕進様の名前が出てこないのはその為と思います。
顕進様と亨進様、国進様が背負う今後の摂理がありますから、イエス様の十字架の死とお父様の聖和の死と比べて何が違うのか、検証しなければならないと思います。