③-1 黙示録「二人の証人」のひとり・・・顕進様
2017.3.15補充
(※1)(※2)はこの二つをクリックしてご覧ください。
《 ① お父様が語られた「三年半」 》
《 ② お父様の愛を貪ったサタン 》の続きです。
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③-1 「二人の証人のひとり・・・顕進様」
黙示録11:3
(※3) 『そしてわたしは、わたしのふたりの証人に、荒布を着て、千二百六十日(三年半)のあいだ預言することを許そう。』
本日は、 (※3)になります。
この二人の証人こそ、顕進様と亨進様のお二人になります。
先ずは、顕進様からです。
(現在48歳の)顕進様が24歳の時、1992年にお父様の願いを聞かれて、興進様の家庭に養子を差し出されました。
その時の《 御言葉 》はクリックしてご覧ください。
お父様はこれを摂理的と語られ、興進様の家庭が天地を繋ぐ使命が果たされるように、顕進様は重要な役割を担われました。
顕進様も亨進様も幼少の時から中心家庭に入り込んでくるサタンの実態を直接見て来られました。「平和の主人、血統の主人」にもポイントは語られていますが、その実態が少しですが亨進様から衝撃的な説教として聞くことができるようになりました。
また、顕進様は摂理の中央に入るようになって、幹部たちと直接関わられるようになられてからは、幹部たちがサタンに操られてお父様を利用して悪行を重ねている実態を直接目の当たりにするようになりました。
そして、「右の頰を打たれたら左の頰」を出し続けるお父様と、そのお父様を騙し続ける幹部たちの姿を見て、顕進様を支持される兄弟の中には、お父様が騙されていると思えたために、そのようなブログ記事になったのではないかと思います。
幹部たちはお父様を騙し続けたとしても、お父様にとっては、ただ、騙されたとしているのではなく、お父様の真の愛の基準がそうであるために、更に一層騙されるような振る舞っていると見えて、あたかも、「騙されている」と見えてしまうのです。
これをもって、お父様は幹部たちから「騙されている」として、ブロガーたちが記事にするとなると、現実として、顕進様の人格を貶めることになっていますので、厳に注意しなければなりません。
元々、顕進様は下記の「第三の封印」からも分かるように、
顕進様は「黒い馬」に象徴されます。詳しくは上記をご覧ください。
顕進様は黙示録では再臨主に並ぶもう一人の《 「彼」 》として登場るように、先天時代が終わった後の後天時代に立つ長子ですから、サタンの罪状は微塵にも受け入れられない気質を待たれて生まれたお方です。
黙示録6:6には、「小麦一ますは一デナリ。大麦三ますも一デナリ。オリブ油とぶどう酒とを、そこなうな」とあるように、妥協のない原理基準を求める使命が与えられています。
(2017.3.15補充)
またこの黙示録6:6はマタイの福音書20:1-16「朝来た者にも夕方来た者にも一デナリ」の話とも重なります。「小麦一ますは一デナリ」は夕方遅く来た一番年下の弟の亨進様を象徴し、「大麦三ますも一デナリ」はそれよりも早くから来ていた長子の立場の顕進様を象徴しています。
そして黙示録ではこれに対して「そこなうな」と警告とも思える言葉が記されています。
即ち、黙示録から見た場合、まだ終了していない先天時代の後継者は夕方来た亨進様であるということになると考えられます。その為に、後天時代の長子に立つはずだった顕進様は亨進様に対して亨進様の使命と責任を認めてサポートする立場に立つようにという警告として「そこなうな」と記されたと考えられます。
その為、公金横領、心情の蹂躙、権力の乱用、血統問題など、様々な問題があった幹部たちにとって、悪を許さない顕進様の存在は、常に、煙たい、邪魔な、疎まれる存在になっていました。
そのような顕進様に対して日本は・・・
1992年に登場した顕進様を日本は頼もしい存在として歓迎しました。
しかし、上記の理由の為に次第に顕進様が韓国の幹部たちと折りが合わなくなってくると、天意が分からない従順だけが取り柄の日本は、やがて悪しき慣習を持った韓国の幹部たちに主管され、それがラケルの使命を担ったエバ国の失敗に発展し、今日まで続いています。
彼らにとって悪に容赦のない顕進様が些細なことででも暴力的だとして、自らの悪行を反省することなく、顕進様の人格を貶める《動画》をインターネットで公開し、更には、家庭連合では顕進様追放の正当性を食口たちに理解させる為に、この動画を繰返し利用しました。
まるで共産国が反逆分子を教育するかのように幹部たちは動いたと言えます。これはモーセを追放したエジプトに親しんだイスラエル民族に酷似しています。
顕進様はお父様を愛するがあまり、お父様の前に平気で嘘をついて公金横領し、心情の蹂躙、権力を乱用し、血統問題を犯し続ける幹部たちを厳しく叱りました。
これはモーセがイスラエルの同胞がエジプト人に迫害されているのを見て、同胞を愛するあまりにエジプト人を殺したことに酷似しています。
そして、イスラエルの民がモーセを荒野に追放したように、悪に手を染めた幹部たちには顕進様を追放する方向に動きました。
幹部たちの不信仰は、本来なら、蕩減としてお父様が荒野に出なければならないのですが・・・・
しかし、お父様は延長できないサタン屈服の最後のシナリオにより、その幹部たちを許して愛する為に聖和の祭壇を準備しなければなりませんでした。
その為に、顕進様の荒野追放はアブラハムのイサク献祭に匹敵する天の秘儀があり、継続して彼らを救済する道を開く為に、お父様の身代わりとなって荒野に出られたと言えるのです。
幹部たちの不信仰を蕩減する為に、お父様は愛する顕進様を犠牲にします。
そして、その顕進様を復活させる為に、もう一度死ぬような試練を通過させることになります。
慚愧に堪えないことですが、後天時代に行くべきお父様はお母様と幹部たちの不信仰を蕩減する為に、先天時代に残らざるを得なくなりました。
従って、お父様が家庭連合に残られたということは、お父様が「聖和」されるまでの期間、不信仰続ける家庭連合が神側になります。
そしてこの期間、後天時代を担う立場にある顕進様は後天時代の責任から降りなければ、結果として、家庭連合が不信仰続けたとしても、摂理に反する立場に立たれますから、顕進様は自動的にサタン側になります。
これは、《 「神側とサタン側の分岐点」 》の原理基準から見えてくる判断です。
天は顕進様をこのままでおくことはできませんから、顕進様がもう一度天の立場に戻るために、天宙的な試練を受けられることになります。
その試練がお父様が顕進様に語られた「職責を降りてお父様のもとにいなさい」という試練でした。
他に、既にブログで取り上げた《 「四本の矢」 》の試練がありました。
この試練はイエス様が受けられた三大試練に重なるものではないかと思われます。
次回も、この続きです。
次回は内的な試練についてです。