ほふられた小羊

1. お父様が地上で成される最終目的は『アダムを再創造』することだった。
2. 『アダムの再創造』に必要な条件はお母様がお父様を主管する『主管性転倒式』という摂理だった。
3. 『主管性転倒式』とはお母様がお父様を主管することによって成された『聖和』である。
4. 『聖和』によって『アダムの再創造』が完成した。
5. お母様が絶対信仰の基準が立てることができないことを予め知っておられたお父様は、
 神様王権即位式の前日に「死の前倒し」という条件をもって即位式を挙行された。
6. その為、神様王権即位式以降から12年の延長期間のお母様はサタン側の堕落したエバの立場に立つことになった。
7. 12年の延長期間において、お母様は信仰基準を立てることができないことから、お父様は真の相対(新婦)を失うことになり、自ら聖和された。
8. イエス様の死が摂理の大転換となったと同じように、この『聖和』が摂理の大転換点のとなっている。
9. お父様の七年の大患難時代(2013-2019)が今年で終わります。そして、コロナ災禍で始まり、ウクライナ問題の真っただ中にある2019-2025年までが世界的蕩減時代になっています。さらに、2025-2031年までが世界的贖罪時代となります。そして、これ以降、お父様がこの地上に臨まれる時代圏が到来しようとしています。
 さらに、お母様が80歳以降に入るとお母様の終焉が迫っています。

⑥-2 現地の整備   (女性修) 1993.12.21  1993年12月21日 韓国・済州研修院

⑥-2 現地の整備   (女性修) 1993.12.21  1993年12月21日 韓国・済州研修院


繁栄と天国に通じる道


 先生は結婚生活の美術化、芸術化のことを言っているのです。「芸術的な結婚生活、美術的な結婚生活をしなさい」と言うのです。女が結婚するのは、愛を受けるためだというのですが、そうではありません。女は、家庭においては、愛の女王様です。この前は、女は空き箱だと言ったね。女は何も持っていないと聞いたでしょう? しかし、この正面のものは誰のものですか? その話もしたでしょう? 顔と、それから女のそのものは誰のものですか? 忘れたのですか?


 真剣な話です。これは旦那さんのもの、これは子供のものです。旦那さんと子供のためのものです。自分のためのものは一つもないのです。だから愛の相対者は、自分よりも立派な人を願うのです。それは、神様から来たものです。神様がそうだったのです。自分よりも立派な者になるように、一〇〇パーセントの神様が一〇〇パーセント投入しても、同じものしか生まれてきませんが、何億以上も立派なものを願うのだったら、何億回も忘れて投入しないと、そういう相対は生まれてきません。だから真の愛の道は、投入して忘れるような立場をとらないというと、そういう真の愛は生まれてきません。自分の生命を投入して忘れるところから、真の愛が出発するのです。分かりましたか? (はい)。


 真の旦那さんとは、奥さんのために命を捧げて、再び生まれ変わっても奥さんのために生きるという男でなければ、真の男ではありません。真の旦那さんではありません。女も同じことです。父母も、子供に対して自分の命を犠牲にしても、再び 蘇 っても、また子供を愛したいと思うところに、真の愛が出発するのです。これをはっきりとしないといけないのです。分かりましたか? (はい)。


 真の愛とは、平常ではないのです。自分の地上の父母より以上でなければなりません。父母として命を犠牲にし、蘇った場合にも、再び命を投入し得るような立場にならないと、真の父母として神様に似た父母の後につくことはできません。分かりますか? (はい)。真の愛という出発点は、そこです。だから聖書は、はっきりと教えているのです。「死なんとする者は生きるのです」。死の峠を越えることによって、真の愛を迎えることができるので生きるというのです。分かりましたか? (はい)。


 「死なんとする者は生きる」。生きるということは、真の愛によって生きるようになっているのだから、死を越えないというと真の愛は迎えられないのです。こういうことを原則的に、理論的に、整理しておかなければならないのです。だから終末の時代には、後の者が先になり、先の者が後になるのです。それは何かというと、統一教会に、初期に入った者と今入った者とは、心霊基準が違っているということです。


 あなたたちも考えてみてください。最初に統一教会に入る時、原理を聞いて「いやー、これだったら自分も天下を統一できる」という自信を持つのです。それがだんだんだんだん消えていって、小さくなってしまうというと、出発より悪くなってしまうのです。いくら感動的な話を聞いても、感動しなくなるのです。いくら自分の昔の基準に帰ろうとしても帰れないのです。それは病人になったのと同じことです。それは死亡と地獄に通じます。しかしそれに比べて後から来た者は、よく興奮するのです。興奮する者は、時が違っているのです。


 昔は迫害が多かったのだけれど、今は迫害がないので、後の者が先になりやすい時代になりました。古くなった統一教会のメンバーは覚醒しなければなりません。だから先生がいつも考えることは、きのうよりもきょうと、一歩でも新しいことをプラスさせる発想です。それは成長することです。分かりましたか? (はい)。


 きのうやったことよりも、きょうは一つでもいいからプラスさせるのです。そうすれば、少しでも成長したことになるので、繁栄と天国に通じるのです。一歩落ちた場合には、後退と地獄に通じるのです。神様はいつも新しいものを願います。古いものが三日たまった場合には、神様は要らないのです。分かりましたか? (はい)。だから何かしないといけないのです。何か新しいものを開拓していくのです。先生もそういうふうにして、世界的な基盤をつくりました。秘訣はそこにあるのです。


 きのうよりもきょう、新しいものに向かって前進するのです。辛く難しいことでも、死亡圏に結ぶことはできないのです。命懸けです。真剣です。未来のために準備するのが、一番の後退しない秘訣です。分かりましたか? (はい)。未来のために準備することです。こういう修練会も、五年前はみんな気違いのように思ったかもしれないのです。しかし、きょう院長さんが言ったように、未来のために準備していたのでできたのです。だから参加した者は、五年、十年先に、自分が発展する条件になるのです。分かりましたか? (はい)。それが生き残る秘訣なのです。


 それでアメリカにおいて、先生は十年以上、二十年以上先のことを、みんな準備しているのです。だからお母様は、今まで国を動かしてきた全国家的最高の者たちの歓迎する中で、講演ができたのです。国を超えた全世界の人々のために、四十年前から準備してきたからです。


 そのように、一日の中で発展させたプラスの状況を残すことです。そうすることによって、繁栄の基盤をどこまでも残したことになるので、神様も関心を持たざるを得ないのです。理論的なことです。


 それで先生は、山に登っても必ず、「一、二、三」以上の数を足踏みしてから座るのです。そういう精神で、新しくプラスさせるのです。寝ることにしてもそうです。勉強をするにしても必ずそうするのです。何事においてもそういう伝統、そういう精神を生涯続けることによって、大きな実績が、普通の人にはできない実績が残るのです。ですから休む暇がないというのです。


 この周辺に神様が憂うる人がいた場合には、「誰か教えてください」と祈ると、さーっと教えてくださるのです。そうなれば「伝道するな」と言われても、伝道せざるを得ないのです。ただ生きていて、人生がそれでおしまいではないのです。生まれた価値以上の基準に立てるかどうか、それが自分の生涯を懸けた価値になるのです。その価値が、永遠の神の国を相続する基準になるのです。


 ですから、未来に向かってたくさんのことを準備した場合には、神様の思いが何十年も長く続くのです。そのために、自分が保護されるのです。未来を考えず準備しない者は、個人も国も滅んでいきます。流れていきます。先生は、この歴史とともに流れていく現状を考えて、世界を止めて引っ張り出そうとするのです。それは、未来の基準を持っているからです。アメリカもそうです。先生がアメリカの大統領まで指導するようになったので、問題なのです。一人で世界を指導し、国の運命を左右する見本をつくるのは簡単なことではないのです。四十年以上の歴史が必要だったのです。そこには、悲惨なことがたくさんあったのです。そういうことも過ぎ去った場合には、歴史になるのです。分かりますか? (はい)。真剣なのです。


 女さんたちも旦那さんを迎えて、十年、二十年が過ぎた場合には、旦那さんに対して二十年間プラスさせながらやってきた自分があるかというのです。もし、なかった場合には、この公式において落第です。どう思いますか?



真の父母と完全に一つとなって良心の本然の基準を回復する


 もう帰る時間の十二時が一時になりました。現地の整備の話として、旦那さんをどういうふうに処理するのですか? ただ座っていて殴られたり、叱りとばされたりするようになってはなりません。先生は大嫌いです。主張すれば必ず勝つようになるのです。「先生の言うとおりにやれば、大変です。今は週刊誌でやられます。周辺が大変です」と。周辺には何もありません。分からないことを吹っかけてくるのです。証言しなさい。証を立てなさい。裁判所でも、証言がなかった場合には判決が出ないのです。


 「君は、何でそんなことをやるのか! 一方的に悪いと誰が決めたのか。裁判所でもない」。裁判所には検事がいて、弁護士がいて、互いに弁論し合って、そこで証人と証拠物を比べて判断するのです。新聞の噂は、人間がいくらでもつくることができるのです。野党は与党をいくらでも攻撃することができるのです。サタンは神様のほうをいくらでも犠牲にさせることができるのです。何を言っているのですか! 証を立てなさい。分かりましたか? (はい)。それに、今は時が違うのです。向こうは天使長であり、こちらはエバの立場です。今から引っ張り合いになった場合には、価値が逆転するのです。


 この前も話したように、神様を信じる女たちを助けるために結婚を自由化したのです。この話は、もう聞いたでしょう。真剣に考えないといけません。それが神様の法則なのです。結婚していても、そんな男は相手にしなくていいのです。先生がもっと立派な旦那さんを紹介してあげます。本当です。霊界には、たくさんの旦那さんが待っています。


 それはそうとして、男は天使長です。間違いないのです。だから男たちが今まで世界を支配してきたのです。天使長が支配しているのです。それは失敗者であり、失敗せざるを得ないのです。天使長は、神様の前に復帰されていく世界をめちゃくちゃにしてしまったのです。しかし神様は、めちゃくちゃにされても、その破壊されたものを再建設します。先生がきれいに建設していきます。


 君たちも、過去にやってきたことが、サタン世界のことであるとはっきり分かった場合には、先生の話を聞かざるを得ません。高次元な人間の価値が明らかに分かるようになるのですから、これを聞かなければなりません。「良心は両親に優る、良心は先生に優る、良心は神様に優る」と訴えたでしょう。それが大切なのです。それを体恤して一つにならないというと、四大心情圏につなぐ道がありません。心身を一体にさせなければ、四大心情圏に通じる道がありません。分かりましたか? (はい)。


 四大心情圏を知らないと、堕落したということが分からないのです。堕落したことによって、良心を失ってしまったし、良心が無力になってしまったのです。それで再臨主が、長成期完成級基準まで下がってきて、現状まで解決して梯子をつくったのです。ですから真の父母と絶対に一つになった場合には、真の父母の代わりに、どこにでも上がったり下がったりできるというのです。アダムは、分からなくて堕落したのですが、先生は分かっているのです。分かっているのだから「君、何だ、これは!」と、堕落した基準に下がって讒訴することができるのです。


 ですから、真の父母と完全に一つになると、良心はもっと神様と一体となるような道が近寄ってくるので、だんだんと力が強くなって、肉身の主管は問題ないのです。そうして、肉身と一つになることによって四大心情圏の因縁を結び始めるのです。四大心情圏は、良心の本然の基準を回復しないとできないのです。分かりましたか? (はい)。


 旦那さんを、そういうふうに正していきなさい。一方的に反対する父母がいた場合には、談判しなさい。「お父さんお母さん、なぜ統一教会に反対しますか! 自分の娘が、自分の息子夫婦が信仰するのに、新聞社の新聞紙より娘をなぜ信じないのですか?」と。「いっぺんも調べないで、こんなむちゃな暴力的なことがありますか? それがお父さんの使命ですか! そんなことはできません。さあ、お父さんお母さん行きましょう。その噂が本当だとすれば証明してください。でなければ娘の話を聞いて、修練所で統一教会の原理を聞いてみてください」と。


 (両親は)娘の話を聞くべきですか、新聞社の話を聞くべきですか? 新聞社が今やっているように、野党は与党をいくらでも攻撃することができます。事件はいくらでもつくることができます。今や、みんな何十回、何百回とお金をやって噂を流して、それで三人以上が証言をすれば、裁判所で勝つというような世界になっているのです。文先生は黙っているのですが、悪い人ではないのです。偉大だからです。偉大だから、黙っているのです。分かりましたか? (はい)。


 そういうふうに正していきなさい。「お母様とか、統一教会の話を聞いてみなさい。それも聞かないで何ですか!」と。弁護士の話は裁判所でも聞くのです。「娘が弁護士みたいになっているのに、なぜ話を聞かないのですか? 文先生は悪くないと言っていることを聞いてみてください!」と、談判するのです。


 先生は十二歳の時に、おじいさんから父母まで、みんな教育してきたのです。朝も挨拶に行くのです。ちょっと遅くなったら、「なぜ遅くなったのですか?」「ちょっと用がありました」。「おじいさんは早く来るのがいいですか?」「はい」。そう言って、入っていくのです。


 それで、夜十二時過ぎに門を叩いて、「ああ、おじいさん」「何だ?」。「私です」「なぜ来た?」。「入ります」と、門ごしに入るのです。たいがい田舎は門を閉めないのです。入ると、もうびっくりして起きるのです。そこで、先生が「おじいさんとおばあさんは、寝たまま挨拶するのですか?」と言うので、びっくりするのです。そうして「上がりなさい」と言うのです。「何時に来たらいいですか?」「昼の十二時過ぎに来なさい」ということで、とうとう、おじいさんも、先生を迎えるようになりました。


 それからお母さんも、みんな十二歳で集めてしまったのです。そういう作戦をしなさい。先生も子供の時に、そういう作戦をしたのです。そのようなたくさんのことがあるのです。先生には謎が多いのです。十五、六歳の時は、みんな家まで引っ越しさせたのです。先生が裁判所へ行きながら、みんな取っていったのです。悪い者は放ってはおかないのです。分かりましたか? (はい)。


 今からは、自分が一家を治める整理をしないといけないのです。今からは国を整理しないといけないのです。そういうためにも、こういう運動が必要なのです。誰もできないことを、どんどんやるのです。先生が何回もやってみて言うのだから、信じてやりなさい。分かりましたか? (はい)。


 ちゃーんと周辺をまとめて、堂々たる生活をする奥さんになりなさいというのです。そのようになりたいですか? (はい)。なりたいのですか、なりたくないのですか? (なります)。やりなさい。(やります)。はい、ありがとう。(拍手)



立派な旦那さんをつくる道


 そうなったら、旦那さんが問題ですね。旦那さんは、簡単です。今まであなたたちは、旦那さんを知らなかったのです。男を知らなかったのです。男を知らないからそうなるのです。女と男は違うのです。まるで正反対なのです。女の 懐 に男を巻き込んでいくようなことを考えてはいけません。男の懐に女がジャンピングして飛び込まないといけないのです。方向が間違ったからそうなるのです。分かりましたか? (はい)。


 女は自分の旦那さんを、立派な旦那さんにしなければなりません。立派なお母さんは何も持っていませんが、愛の心でもって立派な子供を養育することができるのです。分かりますか?(はい)。それ以上は必要ありません。愛の心でもって子供を養育していくのです。子供は一〇〇パーセントお母さんを真似るのです。それで夫婦生活も、自分の兄弟と同じにするのです。夫婦生活をする時に、兄弟の中に自分たち夫婦と同じような者がいたら、みんな比べ合うのです。


 お母さんは、娘の旦那さんとお父さんと比べてみるのです。娘は自分の旦那さんを兄さんと比べてみるのです。それでお母さんが毎日、何かと言いつけた場合には、娘が自分の兄さんに何かと言いつけるのです。本当です。子供は親を真似るのです。子供は真似して習うのです。誰も横で教育する者がいないのです。お母さんを八〇パーセント習うのです。これは大変なことです。ですから親不孝なお母さんは、不孝者をつくるというのです。


 それで、自分の旦那さんに対して、相対的な立場に立ってはだめです。天は高いし、地は低いのです。愛を絞り出すようにしなければなりません。女が高い所に立てば、愛は下に流れるものであって、上に上がるものではありません。女が垂直に立てば、完全に愛のパッケージがそのままになるのです。角度があればあるほど、流れが多くなるのです。だから女は、男のために完全に奉仕しなさいと言うのです。


 お母さんが本当に、自分の子供を養育する秘訣は、子供に奉仕することです。そのことによって立派な子供に成長していくのです。奉仕しなければ、めちゃくちゃになるのです。奉仕しかないのです。旦那さんもそうです。


 結婚生活は、すべてが初めてです。自分の主張を奥さんと共に分けあったり、自分の主張を譲るような立場になってはいけません。ぶつかる立場なのですから、自分も共に高くなると思うとだめです。誰かが低くならなければなりません。そうなった場合には、殴ろうとしても、低いから殴るのが大変です。殴る時には、こういうふうに殴りたいのです。高いから殴られるのです。下を向いている女を殴る者はいないのです。


 君たちはたくさん殴られたでしょう? 殴るのは口数が多いからです。口のためにそうなったのです。だから、口を閉めよと言うのです。だから堕落した女たちは口を恥ずかしがるのです。堕落は口からきたのです。口を慎めと言うのです。それを「ちょっこく」というのです。(直告=事実をありのままに告げるという意味)良心が「ちょっこく」しないというと、寿命を延長させられないのです。一瞬でも延長してもらうことによって、復帰の時間を得ることができるのです。


 ですから良心は、自分の知らないうちに悪いことをした場合には、夢の中でも発表します。それを「ちょっこく」というのです。そのように発表するようになっているのです。女は口に注意しなければなりません。聖人とは、口と耳の王様です。人間は口と耳を守れば聖人に近くなるのです。「成長して、正常になるには、口と耳を守れ」と言うのです。王様は、なかなか発表しない人です。みんな聞いて発表した場合には、それが法律の代わりになるからです。一言で、国が行ったり来たりするのです。だから、慎重になるのです。


 旦那さんは天です。愛する時には旦那さんが上にいくのですか、女が上にいくのですか? 男でしょう。愛という尊いものを中心として関係する時には、男は上、女は下です。だから愛を中心としてみれば、夫婦生活は、女が下になったほうが安全なのです。上になると転覆するのです。基本的に、男から愛を貰おうとする時、愛は一番下へ流れていくのです。空気と同じです。だから旦那さんも、愛を貰うには奥さんに頭を下げないといけないのです。その愛がぐにゃぐにゃ曲がれば、死んでも大変です。死んでも求めなければならないのが愛です。死んででも愛を曲げてはだめです。愛を失うようにしては駄目です。夫婦がぶつかって、「あなたみたいな男は駄目だ」とか、「結婚すべきじゃなかった」とか、「運が悪い」などと言うのは、めちゃくちゃにならざるを得ないのです。そういう天下はないのです。分かりましたか? (はい)。



旦那さんは男の子が大きくなったものである


 女は愛の空箱だから、いくら愛を貰っても足りないのです。女を満足させる宝物はないのです。それ知っていますか? 小さな一カラットのダイヤモンドを貰った場合には三カラットが欲しくなり、三カラットを貰った場合には五カラットが欲しくなります。限界がないのです。分かりましたか? (はい)。だから、エデンの園で堕落が始まったのです。基準を越えていく行動を取ったので脱線したのです。


 女を満足させる宝物はないということが分かりましたか? (はい)。そういうことを考えて行動しないといけないのです。いくらよい物をやっても、さらによい物を持ちたがるのです。いくら愛しても、もっと愛されたいのだから限りがないのです。だから、それをコントロールするには、いつも旦那さんの下にいることを考えれば、それで治まるのです。簡単なことです。


 ですから愛する時も、上に上がらないで下に降りるのです。それが原則です。水は凹んだ所で貰うのと同じです。水がいっぱいになったら、コップを越えてしまうのです。それは、天下に合わない行動です。分かりましたか? (はい)。女さんたち、分かりましたか? (はい)。女はコップみたいです。水がいっぱい入ったのに、まだ貰いたいと思うので、最後にはコップが割れてしまうのです。コップを投げ出して割れてしまうのです。本当です。女は器になっているから、貰う立場なのです。ですから、下にいる場合が安全です。これで、離婚したいという女たちも、半分ぐらいは収まるでしょう。(笑い)


 それから旦那さんを育てて、立派な旦那さんをつくるのは簡単です。あなたたちも男の子を生んで育てていることでしょうが、男の子は腕白ですね。でたらめで、朝きれいな着物を着せたのに、一時間もたたないうちに泥水ですべっているのです。そんなにしていても、「お母さん!」と言って走ってきたらどうしますか? け飛ばすのですか。


 それを、「この子は大変だったね」と、独り言をいいながら抱擁してやるのです。何も恥ずかしがらずに、お母さんを信頼して、そのように飛び込んで抱かれる姿にみんな感動するのです。そいうふうにして、旦那さんもいろいろと教育していくのです。強制では効かないのです。優しい姿勢でもって、甘い愛の言葉をかけて、子供をなだめることと同じようにするのです。男というのは、別の生き物ではないのです。子供がちょっと大きくなったものです。


 そのような男の世界を、君たちは知らないのです。先生が今でも忘れることができないのは、お母さんのことです。幼い時、乳を飲んで、お母さんの胸に抱擁されて愛されたことは、一生涯忘れられないのです。男はそういうような気持ちだから、奥さんに対して、お母さんの代わりになってくれればいいと思っているのです。ですから皆さんが、お母さんの代わりになって、よい奥さんになれるようだったら、それ以上効果的なことはないのです。分かりましたか? (はい)。


 酒を飲んできたからといって、「もう酔っぱらってきた! この野郎! いつからこんなになったのか!」と言うのではなく、めちゃくちゃになって帰ってきた場合にも、自分の旦那さんだと思う心ではなく、お母さんの心で、自分の子供が一家を支えるために悩みながら、いろいろの複雑な外交の舞台において、酒も飲まざるを得ないような思いであることを知って、帰ってきた子供を抱くようにして、ずーっと寝かしてキスをしてあげるのです。お母さんはそうするのです。そっくり、そのようにやりなさいというのです。


 そういうことを二回、三回とやってあげると、旦那さんはみんな分かるのです。寝たふりをしながら、「いやー、ありがたい奥さんだ。昔のお母さんよりもいいな」と思うようになれば、もう永遠に別れることができないのです。それが男性の弱点なのです。先生は男性のことをよく知っているのです。旦那さんに妻として対すれば、喧嘩ばかりするのです。旦那さんに対しては、親の心でもって、お母さんの代わりに対した場合には満点なのです。


 しかし、お母さんの 懐 はよいのですが、お母さんとは愛の関係ができません。ですから、お母さんみたいな妻と夫婦生活をする以上のものはないのです。男として、それ以上に望むことはないのです。先生もそうです。ずーっと学校に行っていて、帰ってきたのは二十代も過ぎていたのです。それでも、必ずお母さんの横に寝るのです。寝ながら、昔みたいにお母さんの乳房に触るのです。その思い出が非常に幸福なのです。その感動は一生涯、忘れられないのです。


 それから、いろいろ自分のために犠牲になったことがたくさんあるのです。そのお母さんに、こんなにも親不孝して、悪い立場に立たせるとは夢にも思いませんでした。分かりますか? それと同じです。お母さんみたいに、立派な母の心情で抱擁してあげて、その基台の上で、奥さんとして夫婦生活をすれば、それ以上の幸福はないのです。だから、夫も子供を持ったお母さんに対して「お母さん」と言うのです。自分が昔呼んだお母さんのことを連想したいのだから、自分でも知らずに「お母さん」と言うのです。分かりましたか? (はい)。


 でたらめな男の子を、立派な愛でもって育てるように、お母さんの代わりになって旦那さんを抱擁しつつ、父母の心情で看病しながら大きな子供みたいに、大きな子供の兄さんみたいに、大きな子供の王様みたいに扱いなさい。そうすれば、女として一〇〇点満点以上になります。これを今から実践するのです。練習ではなく実践するのです。


 そして旦那さんが帰ってきた場合には、会社から帰ってきた場合には、奥の間にいないで、玄関の近くにいて「あなたさま!」と、言ってみなさい。そういう言葉を誰でも三回は聞いてみたいのです。


 旦那さんが疲れ切って、しおれきった格好でもって、子供と奥さんに会って何とか慰めてほしいという思いで帰ってきたのに、奥さんが奥の間から「誰ですか!」と、旦那さんが苦しいのも知らないで、三回言ってみなさい。今までの感情がみんななくなってしまうのです。だから、そういうことをよく考えて、ちゃーんと時間になった場合には、旦那さんを待ちながら、「あなたさまー!」と言った場合には、もうそれ以上にうれしいことはないのです。元気が出るのです。そして、「やっぱり、家は天国の続きだ!」と思うのです。



お母さんと妻を合わせたような奥さんになる


 日本の女は、きれいに掃除することにおいてチャンピオンです。日本の女は、旦那さんが帰ってきた場合、すぐに「あなた、風呂に入りなさい」と、それは大変です。(笑い)女は一日中、昼寝をしていて、旦那さんが帰ってくると、御飯もつくらないで、「お風呂に入りなさい」と言うのです。


 旦那さんがストレスいっぱいで、倒れるような心情も知らないで、そう言うのです。「風呂に入りなさい」と。それは、先生も嫌がることです。ですから、「ああ、風呂は後でもいいです」と言って、疲れている場合には食事のおぜんを準備して「食べてください」、「休んでください」と、自分の膝の上に子供のように寝かせてあげるのです。寝かせてあげて、耳のアカを取ってあげるのです。(笑い)


 先生の言うとおりにするのです。その時間が、五時前だったら、夏ならまだ明るいので爪を見て、伸びていたら、きれいに摘んであげるのです。それだけの奉仕をしないと、男から愛を受ける資格がないのです。分かりましたか? (はい)。それを一か月に二回ぐらい必ずやってあげるのです。先生の言うとおりにやりなさい。それから靴下を脱がせてあげるのです。汚い汗のにおいがするからといって、それを投げ捨てるのではなく、ちゃーんと丁寧に横に置いて汗もみんなきれいに拭いてあげるのです。そういうふうにした場合には、旦那さんが「風呂に入ってもいいよ」と言うのです。その順序が逆さまになったら、転覆して駄目になるのです。分かりましたか? (はい)。


 お母様は、先生の髪もみんな切ってくれるのです。先生のお母様は、利口な奥さんです。(拍手)なぜかというと、先生は普通の人間ではないのです。先生を狙っている者がたくさんいるのです。だから床屋ほど危ない所はないのです。それで「私がやってあげます」と言って、お母様が先生の髪を切ってくれるのです。そうすると、どういうことが起こるかというと、子供たちが「お母様は、お父様ばっかり髪を切ってあげて」と言って泣くのです。それで、お父様の次に、ちゃーんと待っているのです。待っているのですから、切ってあげざるを得ないのです。それでみんな髪が長くなってくると、「お母様が髪を切ってくれる日は何日か?」と言って、待っているのです。それは、非常に平和な郷です。お母様を中心として、みんな周りの男たちがそうなった場合には、美しい環境です。分かりましたか? (はい)。


 そういうような雰囲気を女がつくるのです。男にはそういう暇がないのです。一日中大変です。社会に出れば、上から、下から、横から、みんなが狙っているのです。自分の足元を掘り下げてしまうような、たくさんの謀略を重ねる世界なのです。それは、女の世界では分からないことです。女は、旦那さんだけを収めれば、万事無事通過なのです。男はそうはいきません。会社全体を収めないというと、自分の立つ所がないのです。そのように神経を使っている、旦那さんはかわいそうです。だから、お母さんみたいに、子供を養育するように面倒見てあげるのです。そうすれば、立派な旦那さんになることは間違いありません。分かりましたか? (はい)。


 そういうふうにやったにもかかわらず悪くする人には、相手が離婚してくれと言えば、すぐにハンコを押してやるのです。そんな男はいらないのです。


 お母さんと妻とを併せたような奥さんになることです。それが理想の旦那さんの願うところです。それが秘密です。それで旦那さんの問題は解決するのです。


 それから愛の生活においての芸術化というのは、みんな日記に書いておくのです。「何年何月にはどういうことがあって……」と。みんな昔の思い出を大切にするのです。ですから、できるならば、昔の思い出のコースを繰り返して、印象を回復してやるのです。そういう生活をするのです。それで信頼の度が高まるのです。だから、故郷というものは大切です。故郷の月夜を旦那さんと共に散歩するのです。そして、どこかに座って、二人が会った昔を思い出しながら語り合うのです。そういうようにしながら、奥さんとしては、いかに旦那さんによく見られるか、いかにして尊ばれるようになるかを注意深く考えていくのです。その姿勢を忘れないようにするのです。二人が会った三か月間の生活を基準として、三年間生活すれば問題はないのです。


 三年間が問題です。子供を一人、二人と生めば、ちゃーんと定着していくのです。だから、いつも結婚初夜の思い出を旦那さんは思うのです。変わっていくか、もっと高まっていくか、深くなっていくか、年を取れば取るほど、自分を中心としてもっと考えようか、旦那さんを中心としてもっと考えようか、子供を中心としてもっと考えようか、というようになるのです。


 そういうことを予備知識として、あらかじめ準備しないといけないのです。だから家に帰るにしても、万年同じ着物ではいけません。女として考えてみなさい。女の持っている財産は、目と鼻と口しかないのです。その顔を一生涯見て、かわいがってくれればいいと思うのですが、君たちは自分の顔を見て、自分の目と鼻と口を見て喜ぶような男がいったい何人ぐらいいると考えますか?


 すぐに、飽きるのです。本当です。だから顔のスタイルも大切なのです。「今月の私のスタイルは、春のタイプだ」と、いろいろのスタイルが必要です。冬の気持ちの時に、朝、旦那さんが出かけた場合には、春の陽気の色とりどりの香りの花が咲くような姿で部屋を明るくして待つのです。



夫婦生活の芸術化、美術化


 また、白いテーブルを黄色にすることもできるのです。いくらでも変えるのです。昼食を一食、二食食べなくても、それは変えることができるのです。それができないという人は、女としての資格がありません。妻になる資格がありません。ですから環境を変えていくことです。万年タンスを死ぬまで置いておくのではなく、一年くらいで色とりどりのタンスに変えて芸術化するのです。また、旦那さんが好きな写真はどういうものか、一緒に店に連れていくのです。壺を売る商店などで、「あなたはどれが好きですか?」と聞けば、すぐに好みが分かるのです。それを買ってきて飾っておくのです。それで、自分の好きなものも買ってきて飾っておいた場合「あー、そうか」と、旦那さんはそれを見て、自分の奥さんの好みを知るのです。


 そういうふうに美術化させていくのです。その中で、夫婦が主体となって周囲をハーモナイズさせていく関係をつくっていくのです。ですから、女が色盲だったら大変です。(笑い)。本当です。それで、奥さんは着物なんかを買ってもらうのに、春夏秋冬の四回だけ連れていってもらえば、その時に買ってもらえなくても旦那さんの好みのカラーが分かるのです。「あー、彼は、春はあんなカラー、夏はあんなカラー、秋はあんなカラー、冬はあんなカラーが好きなんだ」と。そうしたら、そのカラーの高くない着物を自分で選んで買って、それを着て現れるのです。そうすると旦那さんが喜ぶのです。


 そのように、みんな周辺の芸術品を美術化して、旦那さんの喜びの心情をいかに引き出すかということです。そうなると話も、話題が笑いとなって、旦那さんも喜ぶのです。そして一回、二回とキスし合って、二人の芸術的キスになるのです。それが必要です。万年同じように、木でもって作ったような木石みたいな女では駄目です。だから下着なんかもいつも研究するのです。万年同じ下着には、しらみがついているかもしれないのです。(笑い)本当です。


 そういうふうにして、芸術的な環境にするのです、花も色とりどりの花を飾って、旦那さんが好きだったら、その花を八〇パーセント、自分の好きな花を二〇パーセントにすれば、「いやー、こんなにたくさんの花を!」と。それで、「奥さんは家庭の女王様だ」と尊敬するようになるのです。夫婦生活の芸術化が何か分かりましたか?(はい)。


 そして、内的な夫婦関係の生活においては、女と男は時間が違うのです。男より女が五倍も遅いのです。遅い人は二倍から五倍以上にもなるのです。だから、夫婦関係においても、夫婦関係の味を知らないで一生涯を終えて死んでいく女がいるのです。それは男の罪です。夫婦関係が満足しなかった場合には、一日中、一か月、その余波が続くのです。絶対に女の健康のため、生理的にも絶対に必要なことです。分かりましたか、奥さんたち? (はい)。


 それをみんな教育をしないといけないのです。お父さんは自分の息子に、お母さんは自分の娘に教育しないといけないのです。みんな知らないで嫁に行くのだから大変です。分かりますか? それで、みんなを立派に教育するのです。「あなたは、それをどういうふうにするの?」と相談するのです。自分はそういう感じがまだだから、旦那さんに時間を延長してもらいたいとすれば予備運動をたくさんするのです。


 この話は堕落以降の環境ではなく、堕落前の世界でのことをいっているのです。分かりましたか? 重大な話です。



フィーリングが最も重要である


 きのうも話したことですが、稲妻と共に雷が鳴るのは、自然のキスと結婚式だというのです。それと同じことです。そういうふうに一つになる夫婦関係の愛の美しさは、一身の細胞がすべて目覚めて拍子を合わせていくようなものです。みんな、そういうふうになっているのです。五感が一つになるのです。それは尊いものです。もし、それが合わなかった場合には離婚問題とか、一生不満が残るのです。それがぴったり合うようになれば、奥さんと離れることはできません。顔がきれいということは後の問題です。


 フィーリングがいいということは、良心を見ることができないように愛も見ることができないのですが、すべてがフィーリングで分かるのです。フィーリングが最も重要です。一〇〇パーセントのフィーリングが爆発して一〇〇〇パーセントになった場合には、女として生まれたことの栄光と価値を抱くようになります。だから、そういうことを体験することによって、男の尊さが分かるのです。反対に、男がそれを体験すると女の尊さが分かるのです。分かりましたか? (はい)。立派な旦那さんをつくり、立派な夫婦になる方法が分かりましたね? 生活を美術化するのです。


 旦那さんの靴も、万年一足きりではだめです。芸術化させるということは、白い靴を買ってあげたり、黄色い靴を買ってあげたり、赤い靴を買ってあげたりするのです。それは、いくらもしないことです。君たちは、結婚生活が長くなるほど旦那さんのお小遣いをだんだん減らしていくのですか、増やしていくのですか? (増やしていきます)。本当ですか? 初めて聞く話です。今回のグループはどうにかなっているんじゃないですか? 今までは、みんな「減らしていく」と言うのが続いたのに、「増やしていく」と言うのですか? (笑い)。


 それは、減らすようになるのです。子供も大きくなると学費などが嵩んでくるのです。また女というものは、時々映画を見たり、中国料理店などに行ったり、何かを買ってきたりして、旦那さんや子供よりも、自分の小遣いをつくるのです。大半の女がそうです。そうですか、そうではないですか? それはいい女ですか、悪い女ですか? (悪い女です)。


 もし係長から部長になった場合には、多くのお金が入るのです。しかし、外交をしないと出世できません。上司や部下を顧みないと出世しないのです。それをしないで、ただ仕事だけをしていたのでは万年係長です。「金を稼ぐように」と、いくらラッパを吹いて太鼓を叩いても、それは通じません。女は、家庭生活がそう豊かでなくても、旦那さんが外交できるような資金を補給してやらなければなりません。分かりましたか? (はい)。そうすると、旦那さんが「いやー、済州島には二人で行け、その時はいくらでも出していいよ」と言うのです。立派な旦那さんをつくることは、もう問題ありませんね。殴られるようなことは絶対ありませんね。こういうことをやって、殴られた場合には、もうその家にいる必要はありません。風呂敷を包んで先生の所へ来なさい。もっといい旦那さんを紹介してあげます。これで、旦那さんはもう勝利できますね? (はい)。



家庭の伝統を立てる


 それから、次は子供です。子供を立派に教育することです。それは、八〇パーセントが母親によるのです。分かりますか? だから、お母さんが外へ行って帰ってくると、子供たちがみんな「お母さん!」と言って、走って迎えに出るのです。そうした場合、男の子が右、女の子が左で、礼の仕方を教えるのです。「お父さんに礼をしなさい。共にしましょう」と、教えてあげるのです。


 「お父様に挨拶しましたか」と言って、もししていなかったならば、共に旦那さんの前に行って、服装を正して、丁寧に教えてあげるのです。そんなことをしたことのある女は手を挙げてみなさい? (「おはようございます」と言います)。「おはよう」と言うのは、隣の組の人に言うことです。「おはようございます」ではないのです。それは、家庭の伝統を正すために、仕方がないことです。家には中心が必要なのです。


 もし、山に虎がいなかったら大変です。虎の食事の時間は、一時から三時、真っ暗な夜中です。朝なんかに食べ物を取って食べていた場合には、小さい動物がみんなぺちゃんこになるのです。神様はそのように、系列をちゃーんと安全地帯につくっているのです。だから、虎なんかは一晩中獲物を求めて四十里も走り回らなければならないのです。四十里は大変です。そういう活動をするのだから、昼間は寝るのです。寝るにしても山の高い所に寝るのだから、小さい獣たちは乱暴できません。勝手なことをすることはできないのです。だから注意しながら、静かにしてやっているのです。それと同じように、家庭には虎みたいな男が必要なのです。奥さんが虎みたいに構えて、ポーズをとっても似合わないのです。それは男以外にはないのです。分かりましたか? (はい)。


 家庭の伝統をつくるには、祖先伝来の伝統を中心として、「あなたのお父さんも偉いのだけれど、おじいさんはもっと偉いのです。そのまたおじいさんは、もっともっと偉いのですよ」と教育しながら、新しく家系をつくっていくための伝統的な内容をお母さんがつくってやらなければ、将来、子供の立つ所がないのです。分かりましたか? (はい)。


 もし旦那さんが、学力や出身からして、自分より下であっても、家というものは、家系というものは、個人よりも尊いものだから、一家を正していくには、そのようにちゃーんと敬礼をして、旦那さんを中心に虎みたいな主体をつくっておかなければなりません。そんなことを考えたことがありますか? 「あの男は死ねばいい」と思ういろんな女がいるのです。今の世界はそうです。旦那さんが死んでも、「かえって便利だ。お金儲けもしないで、女に頼って」と、めちゃくちゃにあつかう女がたくさんいるのです。そういうことをしては駄目です。(男は)女の主体なのです。分かりましたか? (はい)。


 なぜ、男が主体ですか? 女が主体ではないのです。女は空箱です。男は子供の種を持っているのです。その種を空箱に移して育てるのです。だから、男を無視する女は、将来がだんだん狭くなっていくのです。通りすぎる気違いの男に対しても悪いことは言えないのです。尊敬語を使わなくてはいけないのです。その人が将来、どのような後孫を残すか分からないからです。先生も乞食みたいな生活をたくさんしてきた男です。だから、出家した坊さんたちは六か月、乞食の生活をするようになっているのです。


 女にとっては、子供の種は天宙よりも尊い神様の代わりなのです。それを無視するという女は、後孫が縮まっていくのです。分かりますか? (はい)。だから、男に対して尊敬する姿勢は、自分が祝福されることです。その籠の中に、いっぱい尊い物を入れるのが女の本性なのだから、そういう女は天運が保護するのです。籠いっぱいに立派な旦那さんを迎えるようにしなければなりません。立派な旦那さんになれば、立派な子供を中心として、その一家を褒めて余るような関係であることが判明するのです。女はそういうような重大な立場に立っているのです。分かりましたか? (はい)。


 子供たちには、父母として一生涯、喧嘩する姿を見せてはなりません。子供はそれを見習うからです。何の罪もない愛すべき子供たちなのです。夫婦が喧嘩して、子供たちが横に立って「お母さん、お父さん、やめなさい!」「エーン、エーン」。そういう家庭がたくさんあります。それは普通ではありません。破壊的な父母です。そうなった場合には、その子供たちが、それを見習うのです。絶対にそういうことを見せてはなりません。一生涯見せてはいけないのです。子供は父母を慕い、父母のやることを全部相続するのです。分かりましたか? (はい)。


 それから、男と女を見れば、涙もろいのは女です。夫婦共々に口喧嘩をすることは、なきにしもあらずですが、もし、そうなっても子供の前では絶対に涙を流したら駄目です。分かりましたか? (はい)。


 いつも朝になると子供が挨拶しようとして、走ってきます。トントントンと走って来て「お母さん!」と、もう抱かれたくて飛んでくるのです。そこでキスするのです。ですから夫婦喧嘩をした場合、すぐにフィーリングで分かるのです。フィーリングで分からないように、その訓練をしないといけないのです。


 夫婦共に約束して、絶対に涙を見せることのないように、常にゼロに帰る訓練をしないといけないのです。涙を流しても、即時に笑えるように、急激な変化に合わせられるような準備をしないといけないのです。子供たちは天才的な分析力を持っているので、すぐに分かるのです。それを分からせないような母の態度が重要です。


 それで、ちゃーんとキスをして、旦那さんが横に座っていても、今まで口喧嘩していても気持ちが悪いと思ってはだめです。お母さんとお父さんが笑いながら、キスをするようなポーズを取らないといけません。そして、子供が無事通過していった場合に、もう二人は喧嘩しようとしてもできないのです。それで笑いながら、「やー、立派な子供たちが、先生になりました」と言うのです。そういうことがいくらでもあるというのです。分かりましたか? 涙を見せないように注意しなければなりません。


 そうなると、子供たちはどうなるかというと、お母さんとお父さんが一緒にいなければ全部、家庭の雰囲気が合わないと思うのです。二人が共にいる姿を見習うのです。それで、学校から帰ってきて、家にお母さんしかいないと、すぐに「お父さんはどこへ行ったの?」「外で何か仕事しています」と言うと、その子供たちが、「お母さんが一人でいます。お父さん!」と呼びに来るのです。そのことは、ありがたいことです。未来の一家は繁栄のうちにあるというのです。夫婦共々に二人でいるのを喜ぶ子供たち、それを正義として考える子供たちは、自分たちも結婚してそういうような夫婦になるのです。分かりましたか? (はい)。


 先生の子供たちは、父母に対して十以上のことを考えているのです。お母さんお父さんのキスも、先を競って「自分がやる。自分がやる」と言うのです。そのような姿を見れば、そういう家は素晴らしいのです。今回ニューヨークに行った時、先生とお母様が講演するのがいかに難しいことかを体験するために、子供たちが四十か所くらいみんなで分けてやったのです。きのうでみんな終わりましたが、もう大変な噂です。


 アメリカの家庭には、そういう子女はいないのです。一人、二人がやっても、全部が反対するのです。しかし先生の家庭は、すべての子供が、十四歳の子供までもが、一〇〇〇名以上の大衆の前で、先生とお母様の講演をそのまま真似て行うのです。ですから感動するのです。また父母に反対する地では、痛哭しながら訴えるのです。「私の父母は悪い人ではない!」と。それで聴衆はみんな感動するのです。そういうような立派な子供たちです。だから、お母様と共に六人の立派な美男子の子供たちがずらりと並んだ場合、いやー、それはもう大変です。お母様もそれを見た場合、「自分が生んだ子供たちとは思えない」と言うほどです。立派で、それ以上の宝はないのです。ですから、女は空箱ではないのです。


 それで、女は優秀なのです。みんな優秀なのです。天才的な頭なのです。そのように、お母さんの籠いっぱいに詰めるのです。お母さんの体の九九パーセント以上は、お父さんから分かれてきたのです。それは、第二の尊い存在です。お母さん一人とお父さん一人を代えることはできないのです。それを持ったお母さんは金持ちです。宝物です。籠だけ残してもらっても不幸ではありません。最後の仕上げをよくやって、そこに天下一品の尊いものを入れることによって平等な価値を持つのです。神様に感謝しなければなりません。分かりましたか? (はい)。


 それを成せば、立派な父母になります。ここで、どうこう言う必要はありません。先生も、子供には申し訳ないと思うのです。いつも公的な活動をしているので、見守ってあげられない父母なのです。しかし、父母と共に築いてきた心情が子供たちの安息の基台になっているので、父母を愛さざるを得ないのです。たくさんの言葉よりも、心情の基本的な態度が最も貴重だということを忘れてはなりません。分かりましたか? (はい)。


 これから帰った場合には、「喧嘩をよくしたお母さんが、済州島で修練を受けて、喧嘩の好きなお母さんではなく、喧嘩の嫌いなお母さんになりました」と言って、旗を揚げて万歳する証の聞けるようなお母さんになってもらいたいのです。約束しますか? (はい!)。



実の親子以上に近くなれる姑との関係


 それから、問題は姑さんです。旦那さんの問題、子供の問題は解決したので、後は姑さんの問題です。お嫁に行った場合は、自分の実家のお母さんと同じような考えを持つことです。だから、何か難しいことがあった場合には、直ちに相談することです。


 結婚してお嫁に行った場合、若い嫁さんを迎える姑さんは、自分のお母さんと同じです。旦那さんが出かけた後は、お嫁さんは誰にも相談できる人がいないのです。それで何でも聞くのです。姑さんに会って「お母さん」「何ですか?」。最初は、みんな関心もって立派なお嫁さんになるように、姑さんは心から歓迎するのです。ですから優しく言い出した場合は、喜んで「何ですか?」と答えます。そこで、率直に言うのです。「私は結婚して、初めて男性を迎えました。夫婦関係はどういうふうにやればいいのでしょうか? ただ一方的に、やっていいのでしょうか?」と言うと、姑さんは笑うのです。(笑い)


 「キスもこんなにやったらいいのでしょうか?」と、みんな率直に言うのです。姑さんは笑いながらも、「そうか、こんなにやってみなさい」と言ったら、すぐに、三日以内に実験して必ず報告するのです。「お母さん、ありがとうございます。昨晩、その実験しまして、女としてこれ以上の幸福感を感じたことはありません」。そう言うのです。そうすると、姑さんは何でも教えてくれるのです。自分の知っていることをみんな教えてくれるのです。


 そういうようにして、自分の夫婦関係の内容を語り合うのです。それで、みんな学校を出ているので、雑誌なんかをたくさん読んだ場合には、「お母さん、こんなことも、こんなこともあるのですね。お母さんは知っていましたか? こういうことも書いてありましたよ」と、説明してあげるのです。「こうやったら、もう傑作だというようなことが書いてありましたけど、お母さんは、どう思いますか?」。「あー、そうか」と言って、姑さんは、二、三日たった後、自分たちで試してみて、「あなたはいいことを教えてくれたね」と、自分たちの夫婦関係まで話すようになったら、完全に姑問題は万事「オーケー」です。分かりましたか? (はい)。


 そういうふうに語り合い、教育し合い、指導し合うようになった場合には、実の親子以上に近い関係になります。分かりましたか? だから、今から帰った場合には、年を取った女は、そんなことを姑さんに言えなかったのでしょうが、率直に言うのです。「今まで、こうこうやってきたのですが、どうでしょうか?」と、姑さんに言うのです。そのように夫婦生活を共に相談し合えるような関係になれば、立派です。


 若い嫁が帰っていった場合には、そういうことで励まし合い、教えてもらえるように、悩みを相談し合った場合には、それ以上の近道はありません。それは友達同士でも話さないことなのです。今まで、自分の夫のことで、子供を奪われた狐みたいに思ったこともあったでしょうが、「そんなことはありません。何でも不便なことがあればいくらでも言ってください。夫と相談してお母さんの満足するように何でもしてあげます」と、一か月に一回ぐらいは食堂に連れて行って中国料理をごちそうしたり、一年に二度くらい着物を買ってあげれば、それですべてが「オーケー!」です。


 そのようになった場合には、その姑さんは部落中を回って、「いやー、うちの嫁さんは変わりました!」と、みんな口づてに宣伝するのです。そうなれば、それを聞いたおばあさんたちを連れてきた時、立派に昼食を作ってごちそうするのです。すると、その人たちが、また部落中を回って、宣伝して歩くのです。それがまた話題となって、どんどんどんどん広がって、町中で有名になるのです。そういうふうになったならば、「あの嫁さんの話を聞きたい」ということになり、そこで済州島の修練で習ったことを先生の話としてではなく、自分が生活した内容として紹介するのです。すると、みんなが感動します。


 それで、どんどんどんどん日本中、津々浦々、山を越えて、谷を越えて、川を越えて、北海道から鹿児島まで、鹿児島から北海道まで行ったり来たりすれば、みんなが関心を持つのです。そして、そのとおりやってみて、効果が良かったならば、一生涯死ぬまでやってもいいのです。こういうような現地の整備を完成して、統一教会の偉大さを部落ごとに、町ごとに、国中を風靡させるように努力するのが修練を終えて帰った者の任務であり、使命であると思いますが、どうですか? (はい、そうです)。


 そのように思う者は手を挙げてください。それを成すと決意しましょう! 両手を挙げて立ってください。記念として、忘れないようにみんな先生のするとおりにしてください。(拍手)回って、回って、回って、三回回って、一、二、三、四、五、六、七、八。反対に回って。(拍手)次は、横の人の手を取ってください。


 それから、横の人と手を組んでください。手を合わせて、手を挙げて、前の人の肩に手を乗せて、こういうふうに握って、それを離さないで、こういうふうに曲げてください。反対に曲げてください。では「万歳! 万歳! 万歳!」。


 きょうの話を忘れないようにしてください。これで、みんなお別れいたしましょう、さようなら。「左様なら」は、左の人のように並んで行きなさいということが「左様なら」です。そういうふうにきれいに並んで日本に帰るのです。涙を流さないで、さようならです。分かりましたか? (はい)。



第二十五回の修練会を終えて、代表者による感謝の祈祷


 愛するお父様。きょうは、一九九三年十二月二十二日です。八月よりアラスカのコディアックにおいて始まり、さらに十月六日から済州島において始まりましたこの修練会によって、五万一千八百名の姉妹たちが重生、復活し、真の父母様の限りない愛によって無事に終えることができましたことを感謝申し上げます。


 歴史上にかつてなく、また今後もないような、たった一回きりの、たった一人しか宇宙におられない真の父母様を通して得られたこの内容こそ、我々の生涯にとって忘れないばかりか、我が民族にとっても、この人類の歴史上においても、このような修練を受けた例がないことを知るものでございます。


 お父様。このようにして、真のお父様と結んだ因縁、双子の子女としての因縁、真の兄と妹としての因縁、真の夫と妻としての因縁、真の父と母としての因縁という、神様が人間を創造するその最初の出発から考えておられた四大心情圏を、このようにして時間を惜しみ、昼夜を分かたず与えてくださったということを我々は生涯忘れないばかりか、子々孫々に至るまで永久にこれを伝えていきたいと思う次第でございます。


 二十五回、五万一千八百名にわたる姉妹たちが、このようにして愛を受けまして、きょうは特別に、その最終日に特別の愛と恵みを受けた、この瞬間を心から感謝申し上げます。


 そして霊界が真の父母様を通して、このように日本の六千万の女性を代表し、二十五億の女性を代表して、受けた恩であることを知るものでございます。


 ですから、これを我々一人にとどめてはならないし、必ず日本の地から世界の果てまで、お母様の分身となっていくことを誓い、真のお父様が神と人類のために流してきた血と汗と涙を、我々はこのような喜びの収穫をもって、あなたの前に栄光として返していきたいと思う次第でございます。


 きょう、このように別れて、我々は日本の地に帰っても、世界の果てにまで行くために再び、この地にやってまいりますから、どうぞその間、ご父様のご苦労、そしてお母様のご苦労、子女様たちのご苦労に報いることができるような我々になっていきたいと思いますので、どうぞ我々の今後の行く道を守り導きください。


 そして、ご父母様の健康と永遠なる恩恵の上に、あなたの恵みがあらんことを切に切に乞い願いつつ、今までの五万一千八百名の姉妹たちの祈りとともに、感謝とともに、尊き真の父母様の御名によって、御前にお祈り捧げ申し上げます。アーメン。(アーメン)。



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